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日々の生活

毎日、晩ご飯のメニューを考えるのは大変だ。面倒くさくなって、コンビニかスーパーの弁当で済まそうという気持ちになるのも分かる。作るのが大変なのではなく、考えるのが面倒くさい。スーパーの弁当なら、一通りのおかずが揃っている。どうかすると、みそ汁まで付いてきたりして。こっちの方が楽ちんなのかも。今日も、冷蔵庫の中を覗いて、はあ~と思ってしまう。残っている野菜。使い道はもうカレーかシチューぐらいしか思い浮かばない。それでまあ、充分なんだけど。自分で食べるわけやし。「また、カレー?」と文句を言われることもない。あたりまえだが。それに、カレーは好きやし。そういえば、前にイチローの特集番組で、毎日カレーを食べると言うてたな。イチローと一書にするなって。でも、分かるような気がする。毎日、同じことをする。そこに安心感がある。っていうのをね。

気分転換というのが必要だ、とよく言われるけれど、本当だろうか。気分が転換するのは、どんなときなんだろう。いつもと違うことをするのが気分転換になるのかなあ。逆に、いつもと同じことをするのが気持ちよかったりするかも。たとえば、昨日も今日も、シャワーを浴びる時間が一緒だったとか。お茶椀にご飯をよそったら、昨日とまったく同じ量だったとか(秤がないので分からない)。

実にくだらないことに気を紛らわせているもんだ。こんな話を続けようとは思っていなかったのに。

ええと、今日は、図書館に行ってきました。最近は本ではなく、CDだけを借りてきている。だって、近所の図書館で借りてきて、まだ読んでいない本がここに目の前に積んであるからね。とりあえず、読むものには困っていないわけだ。
夜、ひとりでブログなんかを書いていると、テレビを見るわけにもいかず、といってラジオは、DJの声がどうもよくない。気になる。というわけで、音楽だけをかけていたい。で、CDでも、となるわけ。そしてそういう時って、なぜか一生懸命じゃないんだけれど、いい音楽を聞きたいのだね。耳にやさしいとか、そういう基準じゃなくて。いい音楽。ううむ。難しいなあ。説明が。
実は今日、借りてきた中に「ヴァニラ・ファッジ」という、70年代はじめの、アメリカのバンドのCDがあって。グループ名だけは昔から知っていたのだけれど、聞く機会がほとんどなかったので(ラジオで流れることもほとんどない。これからもないでしょう)、図書館で見つけて借りてみたのだ。で、さっき聞いてたんだけど。まあ、あんまりラジオで流れないのには、それなりの理由があるなと思わせるものがあります。70年代はじめ。そのころだったら、まだましだったのかなあ。普通のロックバンド。特にビックリするようなプレイもメロディもない。こういうのを、当時の若者(ぼくのことか?)は、延々と聞いていたのだなあ。ちょっとハイになりながら(^◎^;)。今、聴き直すのは、辛い。

「いくらオールドファンがいい、いいと言っても、古いバンドは古いバンド。歴史的名盤も、今聞いて面白くないものもいっぱいある。だから、若い人は新しいものをどんどん聞けばいいと思う」と言ったのは、30年ぐらい前の渋谷陽一だった。なにも古い音楽を、スタンダードだ、これだけはおさえとかないと、なんていって聞く必要はない。今の音楽だけで十分だ、と言っていたなあ。そこには、廃盤になった「名盤」が、高値で取引されていた当時の市場を憂いていたのもあるだろうけれど。でも、新しいものを聞こうというのはいいことだと思う。
そう思いつつ、やっぱり、かつての「名盤」というのは、聞いたことがないと聞いてみたい、と思うのだ。聞いてみなきゃ、気に入るかどうか、自分にあってるかどうか、分からんじゃないか。
というわけで、聞いてみて。でも、だめだった。でも、それでもいいじゃないか。ラジオからテレビから、こちらの好みと関係なく流れてくる(画面とも関係なく流れるときもあるなあ)音楽をなんとなく聞くより、ましかも。ああ、そういえばさっき、NHKの「SONGS」で、中村雅俊が歌ってたなあ。なんで・・・・という歌い方で。

ううむ。今日はどうも話があっちこっちにいって、自分でも収集がつかない状態になってるな。読んでる方、すみません。

最後にこれだけ。今日の体重
58.8kg,86.5cm
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つまらんニュース

別に橋下知事がNHKに出たくないのなら、出ないでもいいじゃないかと思うんだけど。「NHKは「出してやってる」というつもりでいる」と言うけれど、逆に自分が「出てやっている」という意識はないのか。
ワイドショーでいろいろ取り上げられたけれど、まあ大した問題でもないよなあ。もともと橋下知事はNHKのことはキライだろうから、あいさつがなかったらそれでカチンと来るだろうし。
ただ、テレビの報道で「『ムハハのたかじん』とかぶってる時間だから、普通は出ない」と言うてたくだりは、ほとんどの局でカット。他局の番組の宣伝になるからか。これこそ、橋下知事の「タレント性」が抜けていない証拠なのだがナア。知事になったら、裏番組がなんでも、出てみるべきであるよ。で、遅れて出ることでも、出ることに承知したわけやからなあ。文句を言うなら、最初から「出ない」とすべきであったのでは? とも思うのである。
まあ、たとえ「今後NHKには2万パーセント、出ることはありません」と言っても、誰も信用はしないだろうけれど。

で、そんなことより、問題は府債の発行であるよ。公約では「原則ゼロ」と言うてたのに、「ゼロにはなりません」と早くも公約撤回。かと思ったら、
「僕は『原則ゼロ』と言ったのであって、マスコミが勝手にゼロ、ゼロって報道しただけでしょう」
とは、あきれてものも言えん。むしろ、「ゼロにしたかったけど、いろいろ頑張って考えたけど、ゼロにはできませんでした、すみません」と、頭を下げてくれたらそれで納得できたのに。
政見放送で、平松大阪市長の議会運営に触れて、
「実現できないことを、夢を語るのは政治ではありません」
と言い放ったけれど、「府債ゼロ」は夢でした、というつもりか。あるいは、そうは言えないので「マスコミが勝手に言った」ことにしようとしているのか。
これからもこんなことが続くのかなあ。
ワイドショーも、NHK問題より、こっちのほうこそしっかり報道せえよ。橋下の公約違反やぞ。なにをつまらんニュースばっかり流しとるんや。

あ、ひょっとして、NHKに文句を言ったら、そっちの方が取り上げられて、府債問題は後回しになるという計算があったのか。だったら、余計に腹が立つ。

ああ、つまらん。

市バスのとほほ

昨日のはなし。実家に帰るのには、市バスを乗り継ぐのである。乗り継いで、しばらくすると家の近くの停留所にとまる。Iという停留所が一番近い。
車内放送で(ワンマンなので、放送はテープである)「次は○○」と言うてくれるし、運転席の横、つまり一番前には電光掲示板で次の停留所の名前も表示されるので安心だ。

と、思っていた。

I停留所の前のS公園前停留所を過ぎて、あれ? と思った。まわりの景色がどうもI停留所にそっくりなのだ。しかし車内放送は「S公園前です」。電光掲示板にも「S公園前」の表示。うむむ。見間違いか。まあたまにしか来ないのだし。
で、その停留所を過ぎて。どうもおかしい。しかし車内放送は
「次はI、Iでございます」電光掲示板の表示もI停留所になってる。うむむ。ま、とにかく降りるので、降車ボタンを押した。

しかし、いつもと違う交差点を過ぎてしまったぞ! これは、I停留所の次の、A三丁目ではないか?! ぶたこも「おかしいなあ、ひとつずれてる?!」
すると、隣に座っていた女の人が、「ずれてますよねえ」と言ってくれた。ああ、やっぱり! ひとつ乗り過ごしたやないか! 最低っ!

しかし、運転手はそのことにまったく気付かない様子。表示を直すこともなく、そのまま停留所に停車。
降りるときにぶたこが「ここって、A三丁目ですよね!」
すると運転手
「そうですよぉ」(なにをのんきに答えとんねん!)
「表示がIになってますよっ!」(ちょっと怒りモード)
すると運転手
「あぁ、そうですねえ・・・・」と手許のスイッチで表示を切り換える・・・・って、それだけかい! だいたい、まず「すみません」やろう!
謝りもせず、たいした間違いじゃない、っていう感じで対応されたのが、なんか最低であった。
たぶん、わたしらが降りる、そのずっと前からずれていたんだろうと思う。わたしらが降りた停留所は、前の停留所からそんなに離れていなかったし、わたしらも元気で普通に歩けるからええけど、足の悪い人やったりしたら、ひとつずれるだけでも大変やで。それを分かっているのだろうか。とても気分が悪かったのだ。

大阪府知事選

あまりにも気分が沈んでしまったので、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのシスター・レイを聞きながら書いている。どよ~~ん。
まあ誰がなっても「どよ~~ん」となってたやろうけどね。だから、ま、落ち込むのも今日だけかも知れへんけど。
だいたい、「この人になって欲しい!」という候補が居てへんかってんから、どんな結果でも驚かない、落ち込まない覚悟はしてたつもりやってんけど。それでも、なあ。

ま、ともかくも、決まったことには従わざるを得ない。悪法も法なり、なのである。案外、実行力があって、いい方向にいくかもしれんし。
政見放送で「議会の多数の指示をいただいています」というときながら、当選のインタビューでは「議会と対立するところは対立します!」とはっきり言うてたしな。なんか、どこまで信用できるのか、いまのところは疑問だらけ。でも、決まったものは仕方がない。

迷いの中の大阪府知事選挙

大阪府知事選挙をやってますねん。府民やから、投票に行こうと思ってますねん。で、どの候補者に入れるかが問題で。って、あたりまえやけど。
それを吟味しようと思って、告示前の公開討論会にも行ったし、新聞に載ってる候補者の記事にもできるだけ目をとおして。それから、テレビの政見放送も見て。
で、ますます迷ってます(-◎-;)

弁護士でタレント活動もしているH候補。はじめはこの人だけは通ってほしくないと思っていた。しかし、公開討論会では一番好感が持てた。くやしいけれど。ほかの候補とは違っていて、堂々としていたし、なにより正直にいろんな事に答えているように思えた。
それに比べると、元大学教授のK候補は、聞かれたことに明確に答えられない、質問をはぐらかすような感じで、出来のよくない政治家の答弁を聞いてるみたいでイヤだった。当選する前からイヤな政治家とは。
弁護士のU候補は、地味な感じ。ほんとにやりたいのか、という意欲のようなものが感じられなかったなあ。2回目の出馬なのに、緊張しているみたい。というか、押し出しがあまりにも弱くて、大丈夫かいなと思ってしまった。

というのが公開討論会の時の印象だったのだが。
今日、テレビの政見放送を見て、また印象が変わってしまった。
H候補。どんな政見を言うのかと思ったら、「政治を実行するには、議会との協力が不可欠です」「議会の多数派の支援を受けているわたしなら、実行できます」「政治を変えたいのなら、府議会選挙でどうぞ」
そういうことに終始していた。なんやそれ。政策などの説明は一切なし。これって、政見放送? つまりは「多数派を応援しなはれ」ということ? 聞きようによっては、「府知事選挙なんて意味ないよ~」と言っているようなもんやガナ。で、その選挙に出てるアンタはいったいなんなんや。冒頭に「今から難しい話をします。我慢してきいてください」みたいなことを断ってたけど、全然難しい話でもない。これくらいの話も、府民には難しいだろうと思っているってことか。府民をバカにしているか、本人がバカか、どっちかやろうなあ。両方かも。なにより、公開討論会の時は「議会と衝突する時もある。そのときは知事が責任を持って政策を実行する」と言うてたのに。ちょっとこの、発言の翻り方は「信用できるんかいな」という思いを持ったなあ。
U候補。ちらちらと原稿を見ながらしゃべっていて、ホントに自分の言葉でしゃべっているのかと思えた。確かに、限られた時間で、ちゃんといろんな話をしようと思ったら、原稿のとおりに間違いなく読まなあかんのだろうけど、ほんの数分のことぐらい、覚えたらどうかと思うなあ。話の中身よりその「ちらちら」が気になってしまうであるよ。政策の中身はいろいろいいこともあるんやけど、なぜか心に響いてこない。なぜ?
K候補。政見放送ではまったく原稿を見ることなく、淀みなく語っていて、こういう「講義」のようなものには慣れているのか、あるいは相当練習したか、だろうなあ。一番落ち着いていて、一番話の内容が頭に入ってきた。ただ、公開討論会を見に行ったときは、質疑応答がまったく成り立たなかったのに、という疑問はある。つまりは、決められた原稿をを読む、決められたことを処理する能力には長けているんだろうけれど、即興というか、その場その場で対応が求められることがらには、どれだけ対処できるのかなあ、という思いは残る。それに、この政見放送は、あの公開討論会のあとに録画されたもののはず。しかし、討論会の場で指摘された(ツっこまれた)具体策については、明確な付け足しのようなものはなかった。梅田北ヤードの開発にしても、討論会の時は「これは夢です」とことわっていたけれど、政見放送では、まるで公約のようにも聞こえてたし。大型プロジェクトが中心という考え方に寄っているような気がするしなあ。それは今までの府政と余り変わらない、イコール今までと変わらない大阪府、いままでどおりの赤字経営、という図式にならないかが心配。

政見放送では、いわゆる「泡沫候補」といわれる人の放送ももちろんあって。これが意外とはっきりとしていて、堂々としていて好感が持てました。あれくらい気概を持って、ほかの候補者も意見を言ってほしいなあ。

そんなわけで、なかなか決め手に欠くのです。前に書いたけど「いやいや愛せる」ひとっていうのを選ばなあかんのですが。

【金沢21世紀美術館】アートについて考えさせられた

先週、青春18切符で金沢に行ってきた。で、前から興味があった「金沢21世紀美術館」に行ったのだ。
広場のようなところに建てられた低い建物。外にある建物のなかでは、日比野克彦のワークショップがあったり、と楽しいところもあったんだけれど。ううーむ。なんか考えさせられた。アートってなんなんやろうって。
たとえば、よく知られた「プール」。庭にあるプールの底に、見上げている人がいる、という作品なんだけど。
これは「アートです」と言われればそうなんだけれど。これがどこかのビルの、あるいは商業施設の一角にあってもいいわけで。そうするとそれは「面白スポット」として紹介はされるだろうけれど、「これがアートです!」と言われるかどうか。
芝生に置かれた、人が中には入れるオブジェも、面白い形だなあとは思うけれど、児童公園にあったら、ただのジャングルジムの変形ともとれる。でも、公園のジャングルジムを見て「アートだ」と思うひとは少ない(皆無?)と思う。

つまりは、見る人がそれを「アート」と認めるか、あるいは作り手、提供する方が「アートだ」と主張するかしないと「アート」にならないような。現代のアートはそうなってるような気がするなあ。前者はまだしも、後者はどうなんだろう。「アートだ」と主張すればなんでも認められるようなものというのは、ちょっと違うと思うんだけど。

また、作り手が見る側に「これはアートだと認めろ」と主張する場面もあって。今回見たもののなかでも、展示室に一定の人数しか入れなかったり(観客も含めてのアート作品という考え方)、見る前に説明を読むことを求められたりしたものもあった。そうなると、見る前から「これはアートだ。立派な作品なのだ」ということを認めないといけないような気分になって、なんだか窮屈な状態で作品と向き合うことになる。それっていいことなんだろうか。あるいは仕方のないこと?


日にちが開いて、帰りに飛騨高山に寄ったんですよね。そこでは工芸品がいろいろ売られていて。それらの見事な造形を見ていると、ああなんて素晴らしいんだろう、と思うわけです。その感動は、たしかに芸術品に触れた感動なんだけどなあ。
そしてそれらのひとつひとつにはもちろん値札が付いていて、つまりは「売り物」なわけですよね。
そういう「売り物」と「アート作品」との境目はどこにあるんだろう。
実はないんじゃないかと思うんだけど。ぼくらが勝手に境目をつけてるだけで。

ついでに「金沢21世紀美術館」についての感想をいうと。話題にはなってるけれど、びっくりするようなインパクトはなかったなあ。なにしろ常設展示している作品が少ないし。何時間も楽しめるというところでもない。ま、ひとによりけりでしょうけど。

21世紀美術館01 21世紀美術館02

21世紀美術館03 21世紀美術館04

21世紀美術館05 21世紀美術館06

21世紀美術館07 21世紀美術館08

21世紀美術館09 21世紀美術館10

大阪市バスのサービス

昨日は市バスを乗り継いで、法事に出かけたのだった。わが家の隣の駅から(その駅までも歩いて15分程度)バスが出ていて、一回乗り継ぎをするだけで、実家の近くに着くのである。バスを乗り継ぐだけだと料金は無料。つまり、1区間の料金で2区間乗れる(200円)

で、バスに乗っていて、途中の停留所で、年配のご夫婦が降りようかどうしようかと迷っている様子。奥さんの方が運転手さんに訊ねに言った。ここで降りて乗り換えて、どこそこまで行くバスに乗れますか? と。
もちろん運転手さんは親切に乗り換え場所とかを教えてくれて・・・・・と思ったのに、答えは意外。
「さあ、この路線しか分からないもので・・・・ほかの路線がどうなってるか、ちょっと分かりかねるんですが・・・・・」
口調は丁寧だが、内容はまったく理解できない。えっ、すると途中の乗り換えとかは分からへんってことですか? ひとごとながら思わず耳を傾けてしまった。運転手さんが続けて言うことには、
「私ら、公務員でもなんでもないんでねえ、ぶっちゃけた話が、運転手の半分以上は大阪市民でもないんですわ。ですから大阪の地理のことはほとんど分からないんです。ですんで、乗り換えて別の地名を言われても、ちょっと分からないんです」
「なにしろ民間なもんで」
と、最後はよおわけの分からん言い訳までしていて。ご夫婦はこれではらちがあかんと思ったか、あきらめて次の停留所で降りはりましたが。

そうかあ、昨今のバスの運転手は大阪市民ではなく、地方から雇っているのか。しかも大阪の地理については疎い。
というのは仕方がないにしても。運転手をするからには、運転している路線だけではなく、せめてその路線と連絡しているバス停の行き先ぐらいには精通してもらわんとアカンわなあ。なにしろ、バスの中で責任をもってそういうことに答えられる人は(ワンマンカーなんやから)運転手さん以外には居てへんわけやし。
「そんなに詳しいことは覚えきれません」というのなら、カーナビのようなもので連絡先が分かるようなシステムを搭載するとか、無線か何かで答えられる態勢をとるとかしないと。

最近のワンマンカーは、運転手さんがマイクをつけていて、
「右に曲がります」「左に曲がります」「次止まります」「信号待ちです」
なんていう、昔なら車掌さんが言っていたようなことをいちいち放送してくれる。昨日乗ったバスは途中ででこぼこ道を通るところがあって、その前になると、「これ以降、車体が大きく揺れますのでご注意ください」とか、ベビーカーで乗車している人が居たら「ベビーカーが転がらないようにご注意願います」とかいうことまで言うてくれるのだな。
そういう心遣いというか、サービスのようなことができるようになっているのに、肝心の乗り換えには、乗客の簡単な質問にも答えられないとは。
これは、なんとかしてほしいと思いますね。

8月6日

ウェブ上の日記は、5年前(2002年)のこの日に始めたのだな(ブログじゃなく、ウェブサイトの方)。ちょうど5年経ったわけだ。
5年経っても、世界の状況はあんまり変わっていないね。むしろ悪くなっているような気さえする。

20年前。世界中で(とくにヨーロッパで)反核の運動の盛り上がりがあって。その時、
「21世紀になったら、核兵器廃絶が現実になっているかも・・・」
と期待していたのだが。
21世紀も9年経ってしまったよ。

世界はそう簡単には変わらない、ということは分かった。でも、まったく変わらないものでもない、と信じてもいる。そうでないとやってられない。


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