006:【幼年期の終わり】アーサー・C・クラーク(池田真紀子訳・光文社古典新訳文庫)
光文社の古典新訳文庫は、その名のとおり、古典と呼ばれる文学を新しく訳し直しているんだけれど、こういう昔のSFっていうのは、きっと難しいんだろうなあ。状況が、昔と今とではまったく変わっているからね。昔は想像の、空想上の事柄だったものが、今は当然のように世間に広まっている。クラークは、「人工衛星に電波を送って、それを介して世界中で無線回線ができるようになる」と、「空想」していたが、そのとおりの世界になっているのは驚きだ。そういうことがこの「幼年期の終わり」の、特に第1章では書かれている。今の世界を考え合わせると、とても面白い。
宇宙人とのファーストコンタクトから、「種としての」人類の滅亡までを描いた作品で、その着想の壮大さには驚愕する。しかし、ちょっと最後の方、というか、まあ途中からそうなんだけど、宗教ぽい匂いがするというか、どこか「神」を感じさせるものが匂ってくるのですな。もちろん、これは宗教指南書でも黙示録でもないのだけれど。
それと。あらゆる事柄に説明をつけたがるのだね。これはクラークの癖なのかなあ。以前「2001年宇宙の旅」のノベライズを読んだけど、映画ではあえてぼかしてあったことまでも明らかにされていて、ちょっと待ってくれと言いたくなったのだったが、「幼年期の終わり」でも、「そこまで説明せんでも・・・」というところまで説明が加えてあって。まあ、リアリティに富んでいる、と言えなくもないけれど、SF小説として、どうなんでしょう。まあ、最後まで謎は残ったままなんだけど。ここら辺がブラッドベリとクラークの違いかなあ。どちらが好きかは、人それぞれでしょうけど。
光文社の古典新訳文庫は、その名のとおり、古典と呼ばれる文学を新しく訳し直しているんだけれど、こういう昔のSFっていうのは、きっと難しいんだろうなあ。状況が、昔と今とではまったく変わっているからね。昔は想像の、空想上の事柄だったものが、今は当然のように世間に広まっている。クラークは、「人工衛星に電波を送って、それを介して世界中で無線回線ができるようになる」と、「空想」していたが、そのとおりの世界になっているのは驚きだ。そういうことがこの「幼年期の終わり」の、特に第1章では書かれている。今の世界を考え合わせると、とても面白い。
宇宙人とのファーストコンタクトから、「種としての」人類の滅亡までを描いた作品で、その着想の壮大さには驚愕する。しかし、ちょっと最後の方、というか、まあ途中からそうなんだけど、宗教ぽい匂いがするというか、どこか「神」を感じさせるものが匂ってくるのですな。もちろん、これは宗教指南書でも黙示録でもないのだけれど。
それと。あらゆる事柄に説明をつけたがるのだね。これはクラークの癖なのかなあ。以前「2001年宇宙の旅」のノベライズを読んだけど、映画ではあえてぼかしてあったことまでも明らかにされていて、ちょっと待ってくれと言いたくなったのだったが、「幼年期の終わり」でも、「そこまで説明せんでも・・・」というところまで説明が加えてあって。まあ、リアリティに富んでいる、と言えなくもないけれど、SF小説として、どうなんでしょう。まあ、最後まで謎は残ったままなんだけど。ここら辺がブラッドベリとクラークの違いかなあ。どちらが好きかは、人それぞれでしょうけど。
005:【麦ふみクーツェ】いしいしんじ(新潮文庫)
港町に育った、体は大きいが心臓は弱い「ぼく」が語る物語。あるとき、どこからともなく足踏みの音が聞こえてくる。とん たたん とん 初めは屋根裏部屋から。そこを除くと、「クーツェ」と名乗る男が足踏みをしている。そして、不思議な言葉を伝える。やがて、足踏みの音は、「ぼく」の内側から聞こえるようになり・・・・
というのが最初の謎。それぞれの章ごとに、いろんな話があって。というか、いろんな挿話が挟み込まれて、それぞれに謎があって解決があって(解決、というのか)、やがてもっと大きな謎というか疑問というか、そういうものが「そうだったのか」(かもしれない)というところにいくという、二重三重に楽しめる物語なのだ。
いつも思うことだけれど、いしいしんじの書く小説には、とことんと言えるような悪者が出てこないのだな。この物語でも、一番の悪者と思われるのは、港の村の財産をすべてかっさらっていってしまう「セールスマン」なのだろうけれど、その男についても、暖かい眼差しが感じられる。すべてが悪かった、というふうにならないところが、面白いねえ。物語そのものは、とても作り物めいていて、だから「生まれ変わり男」なんていうのが出てきても、「そんなやつも、いるかもね」と思わせてしまう、そんな、ありそうにもないことも信じ込ませてしまうところがうまいなあと思う。
港町の吹奏楽団で、ティンパニを叩いていたおじいちゃんの影響もあって、「ぼく」はやがて、音楽家の道を歩むことになっていくのだけれど。さらにその先にも、不思議な、ちょっと悲しくてちょっとほっとするような話が待ち受けている。いやいや、全体がそうなのですよ。いろんな話を積み上げ積み上げていって、ひとつの大きな物語ができあがる。この構成力。いしいしんじ、すごい。
と、まだ5冊読み終えたところか。100冊なんて、まだまだまだまだ先。
港町に育った、体は大きいが心臓は弱い「ぼく」が語る物語。あるとき、どこからともなく足踏みの音が聞こえてくる。とん たたん とん 初めは屋根裏部屋から。そこを除くと、「クーツェ」と名乗る男が足踏みをしている。そして、不思議な言葉を伝える。やがて、足踏みの音は、「ぼく」の内側から聞こえるようになり・・・・
というのが最初の謎。それぞれの章ごとに、いろんな話があって。というか、いろんな挿話が挟み込まれて、それぞれに謎があって解決があって(解決、というのか)、やがてもっと大きな謎というか疑問というか、そういうものが「そうだったのか」(かもしれない)というところにいくという、二重三重に楽しめる物語なのだ。
いつも思うことだけれど、いしいしんじの書く小説には、とことんと言えるような悪者が出てこないのだな。この物語でも、一番の悪者と思われるのは、港の村の財産をすべてかっさらっていってしまう「セールスマン」なのだろうけれど、その男についても、暖かい眼差しが感じられる。すべてが悪かった、というふうにならないところが、面白いねえ。物語そのものは、とても作り物めいていて、だから「生まれ変わり男」なんていうのが出てきても、「そんなやつも、いるかもね」と思わせてしまう、そんな、ありそうにもないことも信じ込ませてしまうところがうまいなあと思う。
港町の吹奏楽団で、ティンパニを叩いていたおじいちゃんの影響もあって、「ぼく」はやがて、音楽家の道を歩むことになっていくのだけれど。さらにその先にも、不思議な、ちょっと悲しくてちょっとほっとするような話が待ち受けている。いやいや、全体がそうなのですよ。いろんな話を積み上げ積み上げていって、ひとつの大きな物語ができあがる。この構成力。いしいしんじ、すごい。
と、まだ5冊読み終えたところか。100冊なんて、まだまだまだまだ先。
001:【VIVA!個電天国ベスト120】福光恵(朝日文庫)
面白家電、実用家電、その他、家電の使い心地とかを紹介する本。とはいっても、「暮しの手帖」のように、実用的にどうなのか、の検証本ではありません。あくまでも、著者が感じたままをつづった、いわば「家電エッセイ」になっている。そのコメントが、わさびが効いててとても面白いのであります。ときに大きく持ち上げ、ときに味噌糞にくさしつつ、しかしなお、新しい家電に触手が伸びてしまう。そう、この著者、実際にこれらの家電を「我慢できずに」買ってしまっているのでありますな。だから、思い入れとかもあって、ほんまに面白い読み物になっているのです。それにしても、世の中には、編なものが売ってるねんなあ。あ、これほしい、とか思うものが、ひとつくらいは見つかるかもしれませんぞ。くだらなさそうに見えるものほど面白い。そして、ジョークかと思う製品が、意外に真剣に作られていたりすると、なぜか楽しい気分になってしまうのです。それは、見えないところに手間暇をかける職人技を発見したときのような喜び、なのですな。
002:【歩く】ルイス・サッカー(金原瑞人+西田登訳 講談社)
「道」に続く、「穴」のサイドストーリー第2段。でも、「道」が、「グリーン・レイク・キャンプ」の回想録っぽいのに対し、こちらはその後日談。グリーン・レイク・キャンプから娑婆に出てきたアームピットは、キャンプの時の仲間、Xレイにそそのかされて、アイドルシンガーのチケットのダフ屋行為に手を染めることになる。体の大きな黒人のアームピットと、向かいに住む脳性麻痺の少女ジニーとの友情とか、アイドルシンガーとのいろいろとか、物語の展開はいっぱいで、なかなか面白い。ただねえ、最後が・・・・・というか・・・・・ううむ。ちょっときれいにまとまりすぎているように思うのは、ぼくがひねくれているせいでしょうか。後味がよすぎて、困ってしまうのであります。
003:【極上の『清貧らいふ』なのだ】熊手(♀)(東邦出版)
まず「清貧」という言葉がよろしいなあ。潔くて。某大阪の大学に合格したが、希望する東京の大学を諦めきれず、仕送りの中から受験資金を貯めるべく清貧の暮らしに入ったという著者。いまではブログもやってはるそうです。興味のある方はどうぞ検索してください。繰り返しになるけど、清貧、と言うのはいい言葉だと思う。いまや日本中が、いろんなことにお金を使うのが普通になってきて、まあ物価もそこそこ安くはなってるんだろうけど(最近は上がってきている。ひい〜)、とにかく「あれを買いましょう、これを買いましょう」という情報があふれすぎていると思うのであります。でも、と、そこでちょっと考えなおして、自分の生活をみつめなおして、上手なお金の使い方をしてみるのはいいことだと思う。こんな本、売れないだろうけど。誰も宣伝したがらないから。単なるケチケチ話になっていないところがいい。ただねえ、オレンジの蛍光色で本文を書くのは止めてくれ。目がチカチカして、一気に読む気が失せた。その章だけ、適当にはしょって読んでしまったよ。
004:【百年の誤読 海外文学篇】岡野宏文×豊崎由美(アスペクト)
この100年に出版されたベストセラーを、語り尽くそう(叩き尽くす?)という対談集。1900年のチェーホフに始まり、2000年のクッツェーまで。そらもう、好き勝手に語り尽くしています。といっても、一作品につき2ページ〜3ページぐらいしかないねんけど。どんな名作も、この二人にかかったら「プレイ小説」であったり「なにこれ?」であったりするのですね。そのバッサリ感が気持ちいいです。かつて読んだ本、読もうと思って狙っている本、読んでみたけれど最後まで行き着かなかった本、最後まで読んだけど「これって、なんで名作?」と思っていたような本が、こういうことやったんかとか、ああ、やっぱり最後まで読まれへん本なんや、とか納得できて、とてもよろしい。ま、たまに「なんでこんな本をそんなに持ち上げる!」と思うような時もあるし、「なんでこの名著をそこまでくさす!」と憤るときもありますが。でも、それぞれの感情、それぞれの読み方ですからね、文句を言う筋合いではありません。題名も「誤読」と、ちゃんと断ってあるし。すくなくとも、「あらすじで読む〜」より、100万倍は役に立つし、面白い。
題名の初めに数字をつけたのは、ちょっとした思いつき。7月と言う、1年の半分の始まり(後半の始まり、ですな)なので、これから年の終わりまで、何冊ぐらい読めるのかなあと思って。目標、100冊。って、これも思いつき。
面白家電、実用家電、その他、家電の使い心地とかを紹介する本。とはいっても、「暮しの手帖」のように、実用的にどうなのか、の検証本ではありません。あくまでも、著者が感じたままをつづった、いわば「家電エッセイ」になっている。そのコメントが、わさびが効いててとても面白いのであります。ときに大きく持ち上げ、ときに味噌糞にくさしつつ、しかしなお、新しい家電に触手が伸びてしまう。そう、この著者、実際にこれらの家電を「我慢できずに」買ってしまっているのでありますな。だから、思い入れとかもあって、ほんまに面白い読み物になっているのです。それにしても、世の中には、編なものが売ってるねんなあ。あ、これほしい、とか思うものが、ひとつくらいは見つかるかもしれませんぞ。くだらなさそうに見えるものほど面白い。そして、ジョークかと思う製品が、意外に真剣に作られていたりすると、なぜか楽しい気分になってしまうのです。それは、見えないところに手間暇をかける職人技を発見したときのような喜び、なのですな。
002:【歩く】ルイス・サッカー(金原瑞人+西田登訳 講談社)
「道」に続く、「穴」のサイドストーリー第2段。でも、「道」が、「グリーン・レイク・キャンプ」の回想録っぽいのに対し、こちらはその後日談。グリーン・レイク・キャンプから娑婆に出てきたアームピットは、キャンプの時の仲間、Xレイにそそのかされて、アイドルシンガーのチケットのダフ屋行為に手を染めることになる。体の大きな黒人のアームピットと、向かいに住む脳性麻痺の少女ジニーとの友情とか、アイドルシンガーとのいろいろとか、物語の展開はいっぱいで、なかなか面白い。ただねえ、最後が・・・・・というか・・・・・ううむ。ちょっときれいにまとまりすぎているように思うのは、ぼくがひねくれているせいでしょうか。後味がよすぎて、困ってしまうのであります。
003:【極上の『清貧らいふ』なのだ】熊手(♀)(東邦出版)
まず「清貧」という言葉がよろしいなあ。潔くて。某大阪の大学に合格したが、希望する東京の大学を諦めきれず、仕送りの中から受験資金を貯めるべく清貧の暮らしに入ったという著者。いまではブログもやってはるそうです。興味のある方はどうぞ検索してください。繰り返しになるけど、清貧、と言うのはいい言葉だと思う。いまや日本中が、いろんなことにお金を使うのが普通になってきて、まあ物価もそこそこ安くはなってるんだろうけど(最近は上がってきている。ひい〜)、とにかく「あれを買いましょう、これを買いましょう」という情報があふれすぎていると思うのであります。でも、と、そこでちょっと考えなおして、自分の生活をみつめなおして、上手なお金の使い方をしてみるのはいいことだと思う。こんな本、売れないだろうけど。誰も宣伝したがらないから。単なるケチケチ話になっていないところがいい。ただねえ、オレンジの蛍光色で本文を書くのは止めてくれ。目がチカチカして、一気に読む気が失せた。その章だけ、適当にはしょって読んでしまったよ。
004:【百年の誤読 海外文学篇】岡野宏文×豊崎由美(アスペクト)
この100年に出版されたベストセラーを、語り尽くそう(叩き尽くす?)という対談集。1900年のチェーホフに始まり、2000年のクッツェーまで。そらもう、好き勝手に語り尽くしています。といっても、一作品につき2ページ〜3ページぐらいしかないねんけど。どんな名作も、この二人にかかったら「プレイ小説」であったり「なにこれ?」であったりするのですね。そのバッサリ感が気持ちいいです。かつて読んだ本、読もうと思って狙っている本、読んでみたけれど最後まで行き着かなかった本、最後まで読んだけど「これって、なんで名作?」と思っていたような本が、こういうことやったんかとか、ああ、やっぱり最後まで読まれへん本なんや、とか納得できて、とてもよろしい。ま、たまに「なんでこんな本をそんなに持ち上げる!」と思うような時もあるし、「なんでこの名著をそこまでくさす!」と憤るときもありますが。でも、それぞれの感情、それぞれの読み方ですからね、文句を言う筋合いではありません。題名も「誤読」と、ちゃんと断ってあるし。すくなくとも、「あらすじで読む〜」より、100万倍は役に立つし、面白い。
題名の初めに数字をつけたのは、ちょっとした思いつき。7月と言う、1年の半分の始まり(後半の始まり、ですな)なので、これから年の終わりまで、何冊ぐらい読めるのかなあと思って。目標、100冊。って、これも思いつき。
どうもね。最近読んだ本は、ちょっとハズレが多い。
【カッティング・ルーム】ルイーズ・ウェルシュ(大槻寿美枝訳・ハヤカワ・ミステリ)
ゲイの競売人リルケが頼まれた、富豪の遺産の処分。故人の老いた姉は、屋根裏のコレクションはすべて廃棄してほしいと頼む。リルケが入ったその部屋には、大量のポルノ本。そしてそのなかに、何枚かの写真を見つける。そこに写っていたのは、依頼人の弟、つまり故人その人と、今まさに首を掻き切られた女性。これはトリックか。リルケはなにかに取り憑かれたように真相を探る。
「英国推理作家協会賞最優秀新人賞受賞作」なのだそうだ。へえ。こんなんが。と言うたら失礼やけど。
「ゲイの競売人」という設定が、まあ現代的ではあるけれど。途中になかなか生々しい場面もあるけれど。それが印象に残ってしまうようでは、「推理小説」という範疇では失敗なのではないかと思うのです。だって、トリックというか(そんなものはあんまりない)そういう「推理小説としての楽しみ」があんまりないのだな。ま、そもそもの設定が、殺人事件とかがあったのかどうかも分からないわけで、そのあたりからもう、推理小説として読むのは間違いなのかもしれないなあ。この犯罪の(あったのかどうか)雰囲気、暗い世界の雰囲気(ポルノ書店やドラッグの密売人など、目白押しだ)を楽しむ小説なのかも。で、それが最優秀に選ばれる英国推理作家協会というのは、どんなんなんだろうという、そっちの興味がわいてしまうのでありました。
【道】ルイス・サッカー(幸田淳子訳・講談社)
「穴」はおもしろかったな。この作家の。少年更生施設(というのは、実は表向)での穴掘りに従事する少年達の物語。そして脱出劇。穴を掘らしている所長の秘密。少年同士の不思議なつながり。
で、これはその「サブ・ストーリー」。収容所施設での生き方や考えかたや暮らし方を、少年の一人であった(「穴」にも出てくる)スタンリーが回想する。
「穴」を読んでなくても楽しめる、とあるけれど、やっぱり「穴」は読んでないとね。楽しみが10分の1ぐらいになるんじゃないかな。続く「歩く」も、おもしろそうなので、また読もうと思っている。
【青年のための読書クラブ】桜庭一樹(新潮社)
聖マリアナ学園にある「読書クラブ」の部員が、代々書いてきた「裏聖マリアナ学園事件簿」という体裁をとっている。「代々」というのはおかしいか。時々起こる謎の事件について、「読書クラブ」のメンバーだけが、その真相を知っていて、それを書きとめておく、その書きとめてたもの。100年に渡る聖マリアナ学園の、年代記のようなものになっている。過去から未来までの。
昨年の直木賞受賞作家の作品だから、どんなんを書くのかなと思って読んでみたんですけど。初めの印象は、「こんなんでいいんですかぁ・・・・」
表現があまりにもしょうもない。文章の書き方も、どうも中高生が、携帯で話しそうな感じ。つまりは、小説として読んでいると、なんだかへなへなっとなってしまうのだ。内容がそれに応じて「へなへな」ならバランスもいいんだろうけど、本編はちょっとどろどろした部分もあったりして、あるいはちょっとSFっぽかったり、伝奇物ぽかったりするのに、文章は「へなへな」なので、子供の話を聞いてるような気になってきてしまうのだ。たとえや修飾語も、とってつけたようなものばっかりで。どうしましょう。
話の展開はとても早い。で、紆余曲折もいっぱい。謎も含む。まるで連続もののドラマを見ているよう。ああ、ドラマっぽく書いたらこうなりました、なのか。時々どきっとする、女の子同士のあれやこれやがあったり、それについての考察があったり(その考察もどこかで見たような聞いたようなものの丸写しで、新鮮さもない)するのも、ドラマっぽい。
最後まで読むのはどうかと思ったけど、ともかく最後まで読んで、でもやっぱり納得はできなかった。ああ、これは、作家桜庭一樹が書いているのではなく、この読書クラブの、女子高生が書いているのだ、と思って読めば・・・・・それでも限界はあるな。
学園物といえば、恩田陸のいくつかを思い浮かべる。それに比べると・・・・・比べたくもないぐらい。この作品だけ、なのかなあ。ちょっと心配。桜庭一樹が、じゃなく、直木賞が。
【カッティング・ルーム】ルイーズ・ウェルシュ(大槻寿美枝訳・ハヤカワ・ミステリ)
ゲイの競売人リルケが頼まれた、富豪の遺産の処分。故人の老いた姉は、屋根裏のコレクションはすべて廃棄してほしいと頼む。リルケが入ったその部屋には、大量のポルノ本。そしてそのなかに、何枚かの写真を見つける。そこに写っていたのは、依頼人の弟、つまり故人その人と、今まさに首を掻き切られた女性。これはトリックか。リルケはなにかに取り憑かれたように真相を探る。
「英国推理作家協会賞最優秀新人賞受賞作」なのだそうだ。へえ。こんなんが。と言うたら失礼やけど。
「ゲイの競売人」という設定が、まあ現代的ではあるけれど。途中になかなか生々しい場面もあるけれど。それが印象に残ってしまうようでは、「推理小説」という範疇では失敗なのではないかと思うのです。だって、トリックというか(そんなものはあんまりない)そういう「推理小説としての楽しみ」があんまりないのだな。ま、そもそもの設定が、殺人事件とかがあったのかどうかも分からないわけで、そのあたりからもう、推理小説として読むのは間違いなのかもしれないなあ。この犯罪の(あったのかどうか)雰囲気、暗い世界の雰囲気(ポルノ書店やドラッグの密売人など、目白押しだ)を楽しむ小説なのかも。で、それが最優秀に選ばれる英国推理作家協会というのは、どんなんなんだろうという、そっちの興味がわいてしまうのでありました。
【道】ルイス・サッカー(幸田淳子訳・講談社)
「穴」はおもしろかったな。この作家の。少年更生施設(というのは、実は表向)での穴掘りに従事する少年達の物語。そして脱出劇。穴を掘らしている所長の秘密。少年同士の不思議なつながり。
で、これはその「サブ・ストーリー」。収容所施設での生き方や考えかたや暮らし方を、少年の一人であった(「穴」にも出てくる)スタンリーが回想する。
「穴」を読んでなくても楽しめる、とあるけれど、やっぱり「穴」は読んでないとね。楽しみが10分の1ぐらいになるんじゃないかな。続く「歩く」も、おもしろそうなので、また読もうと思っている。
【青年のための読書クラブ】桜庭一樹(新潮社)
聖マリアナ学園にある「読書クラブ」の部員が、代々書いてきた「裏聖マリアナ学園事件簿」という体裁をとっている。「代々」というのはおかしいか。時々起こる謎の事件について、「読書クラブ」のメンバーだけが、その真相を知っていて、それを書きとめておく、その書きとめてたもの。100年に渡る聖マリアナ学園の、年代記のようなものになっている。過去から未来までの。
昨年の直木賞受賞作家の作品だから、どんなんを書くのかなと思って読んでみたんですけど。初めの印象は、「こんなんでいいんですかぁ・・・・」
表現があまりにもしょうもない。文章の書き方も、どうも中高生が、携帯で話しそうな感じ。つまりは、小説として読んでいると、なんだかへなへなっとなってしまうのだ。内容がそれに応じて「へなへな」ならバランスもいいんだろうけど、本編はちょっとどろどろした部分もあったりして、あるいはちょっとSFっぽかったり、伝奇物ぽかったりするのに、文章は「へなへな」なので、子供の話を聞いてるような気になってきてしまうのだ。たとえや修飾語も、とってつけたようなものばっかりで。どうしましょう。
話の展開はとても早い。で、紆余曲折もいっぱい。謎も含む。まるで連続もののドラマを見ているよう。ああ、ドラマっぽく書いたらこうなりました、なのか。時々どきっとする、女の子同士のあれやこれやがあったり、それについての考察があったり(その考察もどこかで見たような聞いたようなものの丸写しで、新鮮さもない)するのも、ドラマっぽい。
最後まで読むのはどうかと思ったけど、ともかく最後まで読んで、でもやっぱり納得はできなかった。ああ、これは、作家桜庭一樹が書いているのではなく、この読書クラブの、女子高生が書いているのだ、と思って読めば・・・・・それでも限界はあるな。
学園物といえば、恩田陸のいくつかを思い浮かべる。それに比べると・・・・・比べたくもないぐらい。この作品だけ、なのかなあ。ちょっと心配。桜庭一樹が、じゃなく、直木賞が。
昨日、久しぶりに大学図書館へ行ってきた。3時間ぐらい居たかなあ。涼しくて静かな場所で、のんびり本を読むのは、いい感じだった。
館内に入ったところに「推薦図書」というコーナーがあって、誰が推薦したかは知らないが(^◎^;)、何冊かかためて置いてある。まあ「話題の本」というところかなあ。そこにあった二冊を読んだ。どちらも芥川賞を受賞した作品だということは、後で知ったのだった。
【沖で待つ】絲山秋子(文藝春秋)
元職場の同僚が死んで、そのパソコンのHDDを壊すという話。といえば、何のことだか、だよなあ。主人公はばりばり働く女性で、同僚は同じ職場の男性。で、友情以上の付き合いはなく、しかし男が生前に「死んだら、誰にも内緒でHDDを壊してくれ。誰にも知られたくない秘密がある。もちろん、女房にも」
というわけで、そのHDDを壊しにいく。ということなんだけど。ああ、これだけもなんとなく、伝わらんなあ。
伝わらないのは、あんまり共感できなかったからかも。男女の友情。まあ、そんなものでしょうかねえ。それ、どこか女性側に無理があるような気がしてならんのだが。不思議な始まり方と終わり方をするのだが、それも中途半端な気がする。
一緒に収められている「勤労感謝の日」は、36歳のわたしが見合いをするという話なんだけど。主人公はいろんなことに腹を立てていて、しょっちゅう文句を言ってるような気がしてね。まあ、確かに理不尽なことは世間には多いんだけれど、そういう本人もその社会の一員だという意識がなくて、なにか無責任な若者の話を読んでいるような気になったのだ。そのあとで、この「沖で待つ」だからなあ。なんか、共感できなかったのだな。
【八月の路上に捨てる】伊藤たかみ(文藝春秋)
明日、離婚届けを出す男が、一緒に自動販売機の缶の入替え作業をするトラック運転手の(つまりは同僚だ)女性に、結婚から離婚に至る一部始終を話す。
なんとなくリアル。話の構成もうまい。現在と過去とが交錯する、その並びもわかりやすくてスイスイ読める。
でもね、離婚に至までのところで、奥さんが精神を病んでいくのがどうも。ちょっと苦しいかなあ。
そう、なんか、ありがちな話の展開で。どうしましょう。びっくりするような展開を望んでいるわけでもないけどね。でも、どうしましょう、と思ってしまうのは、なぜ?
【駄美術ギャラリー】現代美術二等兵(マガジンハウス)
かつて、「たけしの誰でもピカソ」という番組で紹介されてたなあ。顔の上半分だけのリモコン。「スイマー」やったかなあ。名前忘れた。面白いわ。ほんで、それ以外の作品も紹介されているけれど、どれも笑える。力が抜ける。ただの駄じゃれ?と思わせるのもあるけれど。もう、傑作なのもいっぱい。こういうのが、キワモノではなく、「アート」として認められる時代なのだなあ。いい時代だ。
館内に入ったところに「推薦図書」というコーナーがあって、誰が推薦したかは知らないが(^◎^;)、何冊かかためて置いてある。まあ「話題の本」というところかなあ。そこにあった二冊を読んだ。どちらも芥川賞を受賞した作品だということは、後で知ったのだった。
【沖で待つ】絲山秋子(文藝春秋)
元職場の同僚が死んで、そのパソコンのHDDを壊すという話。といえば、何のことだか、だよなあ。主人公はばりばり働く女性で、同僚は同じ職場の男性。で、友情以上の付き合いはなく、しかし男が生前に「死んだら、誰にも内緒でHDDを壊してくれ。誰にも知られたくない秘密がある。もちろん、女房にも」
というわけで、そのHDDを壊しにいく。ということなんだけど。ああ、これだけもなんとなく、伝わらんなあ。
伝わらないのは、あんまり共感できなかったからかも。男女の友情。まあ、そんなものでしょうかねえ。それ、どこか女性側に無理があるような気がしてならんのだが。不思議な始まり方と終わり方をするのだが、それも中途半端な気がする。
一緒に収められている「勤労感謝の日」は、36歳のわたしが見合いをするという話なんだけど。主人公はいろんなことに腹を立てていて、しょっちゅう文句を言ってるような気がしてね。まあ、確かに理不尽なことは世間には多いんだけれど、そういう本人もその社会の一員だという意識がなくて、なにか無責任な若者の話を読んでいるような気になったのだ。そのあとで、この「沖で待つ」だからなあ。なんか、共感できなかったのだな。
【八月の路上に捨てる】伊藤たかみ(文藝春秋)
明日、離婚届けを出す男が、一緒に自動販売機の缶の入替え作業をするトラック運転手の(つまりは同僚だ)女性に、結婚から離婚に至る一部始終を話す。
なんとなくリアル。話の構成もうまい。現在と過去とが交錯する、その並びもわかりやすくてスイスイ読める。
でもね、離婚に至までのところで、奥さんが精神を病んでいくのがどうも。ちょっと苦しいかなあ。
そう、なんか、ありがちな話の展開で。どうしましょう。びっくりするような展開を望んでいるわけでもないけどね。でも、どうしましょう、と思ってしまうのは、なぜ?
【駄美術ギャラリー】現代美術二等兵(マガジンハウス)
かつて、「たけしの誰でもピカソ」という番組で紹介されてたなあ。顔の上半分だけのリモコン。「スイマー」やったかなあ。名前忘れた。面白いわ。ほんで、それ以外の作品も紹介されているけれど、どれも笑える。力が抜ける。ただの駄じゃれ?と思わせるのもあるけれど。もう、傑作なのもいっぱい。こういうのが、キワモノではなく、「アート」として認められる時代なのだなあ。いい時代だ。
しばらく、書いてなかったな。最近読んだ本。
【手錠のパレード】軒上泊(集英社文庫)
映画「サード」の原作「九月の町」を書いた軒上泊(けんじょう・はく、と読む)の、短篇&エッセイ集。
かつて少年院の教務官を勤めていたことがあり、それが作品に反映されている。といっても、よくあるような内幕ものでも、感動ものでもないところがいい。少年たちのちょっと屈折した感情とか、やり場のない、行き場のない気持ちとかが前面に出ているな。そこに、ちょっとユーモアもあって(言葉が関西弁だから?)。
ただ、表現というか修飾というか、そういうのがちょっと「翻訳小説」ぽい。もってまわった言い方とか、普通使わないだろう(会話では)表現とかが突然出てきたりして。
小説四編は、ちょっとほろ苦い、悲しい、そんな色が強く出ている。エッセイの方はもうちょっと軽やか。やや方の力が抜けた感じがいい。
【タイム・アフター・タイム】軒上泊(徳間文庫)
同じ作者なのだが、こちらは連作小説。舞台はニューヨーク。日本との国際電話の最中に殺されたらしい友人の、その死の真相を求めてニューヨークにやってきた日本人が、その友人の知り合いを尋ね歩き、それぞれの人生を語らせる。そして意外な結末へ。
主人公というか、語り手となるべき日本人は最後まで小説の中には登場せず、ひとことも語らない。相手がそれぞれ自分のことを語るのみ。のっけから、打たれて死にかけている男の話から始まるから、なんじゃこらあ、と思うよなあ。
そして、それぞれの人生というか、それがあまりにも悲しすぎてね。どの作品にも、最後にどんでん返しというか、いちおうの結末があって。それがちょっと悲しい。命に結びついてしまうのがな。
表現が「翻訳小説」っぽいとさっき書いたけれど、それがニューヨークを舞台にして、アメリカ人に語らせるってことで、生かされてるかも。
ただ、最後の章で、すべての謎というか、今までの話のつじつまがあって(それは、大きな誤解によるものなのだけれど)、そういうことやったんか、ということになるんやけど。ちょっと、もうひとひねり、何かがあったらなあ、と惜しい気もする。
【人間自身 考えることに終わりなく】池田晶子(新潮社)
2007年に47歳で亡くなった哲学者(という呼び方を嫌うみたいだけれど)の、最後のエッセイ集。発表された日付を見ると、まさに最後の言葉、だったのだな。しかも最後の作品の題名が「墓碑銘」とは!
で、実は、あんまり知らないのです、この人のこと。題名がおもしろそうやったんで借りてきたのだ。奥付けの著者紹介によると、「哲学を専門用語を使わず、わかりやすい言葉で語る」ひとだったらしい。
確かに、「哲学」というより「考えること」という言葉を頻繁に使っているし。それこそが「哲学」なのだ、と言ってるし。まあ、わかりやすくはありますね。
ただ、内容はというと。ぼくとは正反対の保守的な考え方だったのだね。ときどき論理の矛盾も感じられるし、相容れない考え方に「むむむっ」と思うこともあった。ときどき「そのとおり!」と言いたくなる場面もあるけどね。
ただ、確かに言葉はわかりやすいし、なにしろはっきりとした物言いは、気持ちがいいのは確か。ま、それだけのことですけどね。
【手錠のパレード】軒上泊(集英社文庫)
映画「サード」の原作「九月の町」を書いた軒上泊(けんじょう・はく、と読む)の、短篇&エッセイ集。
かつて少年院の教務官を勤めていたことがあり、それが作品に反映されている。といっても、よくあるような内幕ものでも、感動ものでもないところがいい。少年たちのちょっと屈折した感情とか、やり場のない、行き場のない気持ちとかが前面に出ているな。そこに、ちょっとユーモアもあって(言葉が関西弁だから?)。
ただ、表現というか修飾というか、そういうのがちょっと「翻訳小説」ぽい。もってまわった言い方とか、普通使わないだろう(会話では)表現とかが突然出てきたりして。
小説四編は、ちょっとほろ苦い、悲しい、そんな色が強く出ている。エッセイの方はもうちょっと軽やか。やや方の力が抜けた感じがいい。
【タイム・アフター・タイム】軒上泊(徳間文庫)
同じ作者なのだが、こちらは連作小説。舞台はニューヨーク。日本との国際電話の最中に殺されたらしい友人の、その死の真相を求めてニューヨークにやってきた日本人が、その友人の知り合いを尋ね歩き、それぞれの人生を語らせる。そして意外な結末へ。
主人公というか、語り手となるべき日本人は最後まで小説の中には登場せず、ひとことも語らない。相手がそれぞれ自分のことを語るのみ。のっけから、打たれて死にかけている男の話から始まるから、なんじゃこらあ、と思うよなあ。
そして、それぞれの人生というか、それがあまりにも悲しすぎてね。どの作品にも、最後にどんでん返しというか、いちおうの結末があって。それがちょっと悲しい。命に結びついてしまうのがな。
表現が「翻訳小説」っぽいとさっき書いたけれど、それがニューヨークを舞台にして、アメリカ人に語らせるってことで、生かされてるかも。
ただ、最後の章で、すべての謎というか、今までの話のつじつまがあって(それは、大きな誤解によるものなのだけれど)、そういうことやったんか、ということになるんやけど。ちょっと、もうひとひねり、何かがあったらなあ、と惜しい気もする。
【人間自身 考えることに終わりなく】池田晶子(新潮社)
2007年に47歳で亡くなった哲学者(という呼び方を嫌うみたいだけれど)の、最後のエッセイ集。発表された日付を見ると、まさに最後の言葉、だったのだな。しかも最後の作品の題名が「墓碑銘」とは!
で、実は、あんまり知らないのです、この人のこと。題名がおもしろそうやったんで借りてきたのだ。奥付けの著者紹介によると、「哲学を専門用語を使わず、わかりやすい言葉で語る」ひとだったらしい。
確かに、「哲学」というより「考えること」という言葉を頻繁に使っているし。それこそが「哲学」なのだ、と言ってるし。まあ、わかりやすくはありますね。
ただ、内容はというと。ぼくとは正反対の保守的な考え方だったのだね。ときどき論理の矛盾も感じられるし、相容れない考え方に「むむむっ」と思うこともあった。ときどき「そのとおり!」と言いたくなる場面もあるけどね。
ただ、確かに言葉はわかりやすいし、なにしろはっきりとした物言いは、気持ちがいいのは確か。ま、それだけのことですけどね。
【ある秘密】フィリップ・グランベール(野崎歓訳・新潮社)
フランスで言う「ゴングール賞」というのは、日本でいうとなにに当たるんだろう。直木賞? ともかく権威のある賞であることは間違いない。確かプルーストもとっていたような。ということは歴史的にも権威たっぷりということか。ま、権威がどうとかいうのは、本来、文学とは関係がないとは思うのだが、「高校生が選ぶゴングール賞」というのがあるっていうところが面白いなあ、さすがにフランスと、勝手に思ってしまうのだ。で、その賞を受けたのが本作。確かに、若い人に受け入れられるのがわかる。かつての、ナチや大戦を扱ったものに比べて、とても面白いというか面白さが前面に出ているような気がする。
ひとりっ子で病弱な主人公が、父と母の過去を探る、というのが物語の中心。主人公のぼくは、体の強い空想上の「兄」を頼りに生活している。だが、かつて実際に「兄」が居たことがわかる。しかも、母親違いの。では実の母と兄は、どうなったのか。
どこか「ソフィーの選択」も思い起こさせるストーリー仕立て。ミステリアスな部分も、成長しつつある主人公の話も、どちらも面白い。
で、この本、隙間が多いんですよね。実際の隙間。文章と文章の区切りというか、章の中でも5,6行が空白になってたりする。それは、読み手にちょっと考えさせる時間を与えてくれているのか、とも思う。
【雪屋のロッスさん】いしいしんじ(メディアファクトリー)
いしいしんじの短編集。ちょっと不思議でちょっと怖くて、ちょっと気持ちがあったかくなる話が続きます。それにしても。はじめの方こそ人間が主人公ですけど、だんだんおかしくなってくるところがいしい流かな。雪を降らせる「雪屋のロッスさん」ぐらいはまだいいが、「旧街道のトマー」って、道かよ(^◎^;)、とか「ポリバケツの青木青兵」とか、ポリバケツ?
それらが、違和感なく、境目なく話に登場する。ちょっとずつかなしい所もあったりするのが、またいいのだなあ。
【きらきら】シンシア・カドハタ(代田亜香子訳・白水社)
11歳の少女ケイティが語る、姉リンの生涯。作者は日系三世ということで、この話も日本人コミュニティが舞台になっていて、ところどころに、人種差別の問題も顔を見せるけれど、主題はあくまでも姉と妹の物語。姉をとおしてみる妹の世界観。それが成長していく過程が、本人の言葉で語られていく。最初は「わからない」ことが、最後になるにつれて分かってくる。よく読むと、その違いが出てきているのだな。途中で気がついたよ。物語としては、よく題材になりそうなもの。でも、そんなに暗い話にならない。途中、なんども笑ってしまったもんなあ。これが、ヤングアダルト第1作だということだけど。うまい。そして面白い。
フランスで言う「ゴングール賞」というのは、日本でいうとなにに当たるんだろう。直木賞? ともかく権威のある賞であることは間違いない。確かプルーストもとっていたような。ということは歴史的にも権威たっぷりということか。ま、権威がどうとかいうのは、本来、文学とは関係がないとは思うのだが、「高校生が選ぶゴングール賞」というのがあるっていうところが面白いなあ、さすがにフランスと、勝手に思ってしまうのだ。で、その賞を受けたのが本作。確かに、若い人に受け入れられるのがわかる。かつての、ナチや大戦を扱ったものに比べて、とても面白いというか面白さが前面に出ているような気がする。
ひとりっ子で病弱な主人公が、父と母の過去を探る、というのが物語の中心。主人公のぼくは、体の強い空想上の「兄」を頼りに生活している。だが、かつて実際に「兄」が居たことがわかる。しかも、母親違いの。では実の母と兄は、どうなったのか。
どこか「ソフィーの選択」も思い起こさせるストーリー仕立て。ミステリアスな部分も、成長しつつある主人公の話も、どちらも面白い。
で、この本、隙間が多いんですよね。実際の隙間。文章と文章の区切りというか、章の中でも5,6行が空白になってたりする。それは、読み手にちょっと考えさせる時間を与えてくれているのか、とも思う。
【雪屋のロッスさん】いしいしんじ(メディアファクトリー)
いしいしんじの短編集。ちょっと不思議でちょっと怖くて、ちょっと気持ちがあったかくなる話が続きます。それにしても。はじめの方こそ人間が主人公ですけど、だんだんおかしくなってくるところがいしい流かな。雪を降らせる「雪屋のロッスさん」ぐらいはまだいいが、「旧街道のトマー」って、道かよ(^◎^;)、とか「ポリバケツの青木青兵」とか、ポリバケツ?
それらが、違和感なく、境目なく話に登場する。ちょっとずつかなしい所もあったりするのが、またいいのだなあ。
【きらきら】シンシア・カドハタ(代田亜香子訳・白水社)
11歳の少女ケイティが語る、姉リンの生涯。作者は日系三世ということで、この話も日本人コミュニティが舞台になっていて、ところどころに、人種差別の問題も顔を見せるけれど、主題はあくまでも姉と妹の物語。姉をとおしてみる妹の世界観。それが成長していく過程が、本人の言葉で語られていく。最初は「わからない」ことが、最後になるにつれて分かってくる。よく読むと、その違いが出てきているのだな。途中で気がついたよ。物語としては、よく題材になりそうなもの。でも、そんなに暗い話にならない。途中、なんども笑ってしまったもんなあ。これが、ヤングアダルト第1作だということだけど。うまい。そして面白い。
泥の川から「うなぎ女」がすくいあげたのは、赤ん坊だった。「ポー」と名づけられたその子供は、うなぎ女たちに(たくさんいるのだ)愛され、無垢なまま育てられる。が、ある日外の世界(陸の世界)へと旅立っていき、さまざまな冒険を・・・・
というと、なんだか「少年の成長物語」、つまりは、児童文学的なものを思い起こさせるが、いしいしんじの手にかかると、単なる成長物語ではなくなる。ポーにかかわる人々の、悲しい現実、醜い現実、時にグロテスクに、時にファンタスティックに描かれるのである。
それでいて、それぞれがとても納得できるというか、とてもひどい仕打ちをする人でも、どことなく愛着を感じてしまうのである。
これって、何かに似てるなあと思ったら、そうそう、宮崎駿の映画に感触が似てますな。なんか気持ち悪い場面もあるんだけど、なんかとても許せそうにない悪人みたいなのが出てくるんだけど、どこか魅力的であったりするんですよね。
いしいしんじは、物語をつむいでいく能力が格段に高いと思うなあ。
ただねえ、話に話をつむぎすぎて、ちょっと迷走しちゃってるところがある。この話は。1冊で2度おいしい、どころではなく、3度も4度も5度もおいしいのだけれど。だったら5つの別の話でもよかったんじゃあ・・・・という感じは否めない。
で、これが書き下ろしなんだと。連載ものではなく、こういう長編が書けるっていうのが、才能やろなあ。参ります。
というと、なんだか「少年の成長物語」、つまりは、児童文学的なものを思い起こさせるが、いしいしんじの手にかかると、単なる成長物語ではなくなる。ポーにかかわる人々の、悲しい現実、醜い現実、時にグロテスクに、時にファンタスティックに描かれるのである。
それでいて、それぞれがとても納得できるというか、とてもひどい仕打ちをする人でも、どことなく愛着を感じてしまうのである。
これって、何かに似てるなあと思ったら、そうそう、宮崎駿の映画に感触が似てますな。なんか気持ち悪い場面もあるんだけど、なんかとても許せそうにない悪人みたいなのが出てくるんだけど、どこか魅力的であったりするんですよね。
いしいしんじは、物語をつむいでいく能力が格段に高いと思うなあ。
ただねえ、話に話をつむぎすぎて、ちょっと迷走しちゃってるところがある。この話は。1冊で2度おいしい、どころではなく、3度も4度も5度もおいしいのだけれど。だったら5つの別の話でもよかったんじゃあ・・・・という感じは否めない。
で、これが書き下ろしなんだと。連載ものではなく、こういう長編が書けるっていうのが、才能やろなあ。参ります。