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【フロント・ページ】1974年・アメリカ

舞台は1920年代のシカゴ。特ダネを求めてしのぎを削る新聞各社。折しも刑務所では翌日の死刑執行を取材するために記者クラブに集まった記者たち。そんな中、敏腕記者のひとりヒルディは、結婚を機に記者を退職しようとしていた。それを阻止しようとする編集長のとった行動は。。。

ジャック・レモン&ウォルター・マッソー&ビリー・ワイルダー。これだけで期待は膨らむ。そしてその期待を裏切らない出来。
元が舞台劇らしい。ほとんどが記者クラブ内での出来事。もちろん映画らしい屋外でのカーチェイス(?)というドタバタもあるけれど。
主役二人を始めとするセリフセリフセリフの応酬。字幕なんか全く追いつけない。英語がわかるぶたこは「ほとんど訳せてない」と大喜び。特にジャック・レモンのまくし立てるようなセリフ回しには舌を巻く。記者という仕事に嫌悪感を覚えながら、ついつい没頭してしまう様子はまさに真骨頂。悪人のようで善人のようで実は悪人かも(?)というとぼけた味のウォルター・マッソーもはまっている。

新聞が売れるためなら捏造も誇張もなんでもござれの記者たちの狂騒ぶりが、おかしくも恐ろしい映画であった。
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【ある公爵夫人の生涯】2008年・イギリス

18世紀のイギリスの、社会常識のまかりとおりかた(貴族社会の、ではあるが)をよく描いている。キーラ・ナイトレイの衣装がとても美しい。ただ、演技はちょっと「過多」と思うところもあったなあ。時代の先端を行く女性、というイメージからそうなったのかもしれないけれど。女は男の持ち物で、結婚したら夫の言いなりになり、とにかく跡継ぎ(もちろん男)を生むことが義務。
ま、いまだにどこかに残ってますけどね。そういう感覚。

人生と恋愛に自由を求めつつ、そうはならない人生を送った公爵夫人ジョージアナ。その葛藤。やや深みには欠けるきらいもあるけれど、キーラ・ナイトレイの美しさに免じて。

【クイーン】2006年・イギリス

イギリスのダイアナ元皇太子妃が、パリで事故死。エリザベス女王は「プライベートなこと」として無視。就任したばかりのブレア首相は、初めはこの機に人気を取るが、やがて女王の立場を守るために行動する。

女王役のヘレン・ミレンが、さすがアカデミー賞の演技。伝統と格式を重んじ、威厳を保とうとするが、どこかに弱さも併せ持つ。それって普通の人間ではないか。普通の人間が、ある朝突然国民の「敵」となってしまったら。なんとも恐ろしい。

アカデミー賞映画だから、もっと固い雰囲気かと思ったら、いろんなところで笑える。皇太后とエジンバラ公と一緒にテレビを見ているシーンだとか。ランドローバーを独りで運転して、川に突っ込んで立ち往生してしまうシーンだとか(そこで美しい鹿に出会うところは、とても印象的)。

初めは交じり合う事がないように見えた二人(女王と首相)が、お互いを認め合うように(見た目は)なるさまは、感動的だったな。立場が違っても尊敬しあうことは、出来るのかもしれない。

【遙か群集を離れて】1967年・イギリス

いつの時代やろなあ。19世紀ぐらいか。原作がトーマス・ハーディだから、その辺の時代。舞台はイングランド。
農場主となった若い女と、昔その女に振られた男、一目惚れする隣の農場の農場主、いかにも軽薄な兵士の3人の男が絡む恋愛劇。
いまとなっては、とても陳腐な展開だと思うのだけれど、この自体の女の行動としては、新しかったのかなあ。どうにもふらふらとして無責任な行動が多いように見えるんだけど。

そして、この題名はなんなんだろう。都会から離れた農場というところで生活を営む、ということかな。もっと深い意味があるのか。考えるのもめんどくさくなるような映画だったけど。長かったし。

映画「エリザベス:ゴールデン・エイジ」

2007年のイギリス映画。先入観かもしれないけれど、イギリス映画らしい作りだなあ。
エリザベス一世の統治時代。主にスペインとの戦いの時期。無敵艦隊を打ち破るところがクライマックスではあるけれど、自身の感情と治世との狭間で揺れ動く女王の姿を克明に描くところが見どころ。

久しぶりに映画らしい映画を観た感じ。もちろん歴史物だから見応え充分。余分な説明らしいものは全くなし。いきなり本題から入るところも、どこかイギリス的。「これぐらい説明しなくても知ってるでしょ」と言われているみたい。

幾分、「イングランド万歳!」に偏っているように見えるが、まあそこら辺は見逃しましょう。音楽もその時代を意識していてとても気持ちよかったし。ハリウッド映画に比べて(映像そのものの)派手さが抑えられているのもマル。なんといってもケイト・ブランシェット。彼女なくしてはこの映画は考えられなかっただろう。そう思わせるくらい、存在感たっぷりであったよ。見事見事。

映画「ネットワーク」

1976年のアメリカ映画。テレビ界の内幕を風刺したというか暴露したというか、そういう映画。
視聴率の低迷で解雇になる運命にあるニュースキャスターのハワードは、生放送で自殺予告をする。すると視聴率はアップ。ここぞとばかりに飛びついたのが敏腕女性プロデューサーのダイアナ。上司のハケットと共謀して、報道部のトップであるマックスを解雇、ハワードをメインにしたエンタメ番組を作る。ハワードは精神を病んでいき、自分を預言者と名乗り、テレビ界の欺瞞を訴えるが、それがさらに視聴率のアップにつながっていく。だが、思わぬ誤算が生まれてしまう。

テレビ界の欺瞞に精神を苛まれるニュースキャスター。視聴率のこと以外は何も考えられない女性プロデューサー。金儲けしか考えない経営者。主義主張を声高に叫ぶが、その実儲け話には敏感な反社会派集団。面白いような怖いような話が続く。

で、ラストなんだけど。ネタバレしてしまうと、視聴率が落ちてきたハワードを、降板させるにさせられなくなったダイアナとハケットは、ハワードを暗殺してしまう。その話し合いが、まるで仕事の段取りを決めるような話し合いで決まっていくところが、それまでの現実感とぱっと離れてしまって、騙された感じになってしまった。
もしかして「これがテレビの手法だよ」というのを言いたかったのか。現実に起こりえないような状況を作るのがテレビなんだよと。それにしても終わり方がとてもあっさりしている。途中がとても饒舌で(台詞の多さはどうだ!)、もう監督としては伝えたいことは伝えたから、最後はどうでもいいよとでも思ったのか。

フェイ・ダナウェイ、ウィリアム・ホールデン、ピーター・フィンチ、ロバート・デュバル。みんな演技が達者で、安心してみていられる。変な表現だけど。

「ひまわり」「ジャイアンツ」「スルース」「道」

撮り貯めていた映画を、順番に観ています。もちろんテレビで。デジタルになって、光テレビにしてから、BSも観られるようになって、いい映画をたくさん放送してくれるので嬉しい。

まあ、テレビで見るのは、本当に映画好きとは言えないかもしれないけれど、緊張することなく、あれ?と思った場面をちょっと巻戻してみたりして(そういう見方も本当は良くないのかなあ)楽しむのも、また良しといったところです。

さて、順番に。
「ひまわり」ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニのイタリア映画。イタリア男とイタリア娘が結ばれて新生活。ところが時は第二次世界大戦。男は出征。そして行方不明に。女は男を探しにモスクワへ。そしてようやく見つけたわが亭主。ところが男はロシア娘と結ばれて、子どもまでできていたのだった。
できすぎたメロドラマ、かもね。ヘンリー・マンシーニの音楽が秀逸で、耳で楽しむ映画ともいえるかな。

「ジャイアンツ」エリザベス・テイラー、ロック・ハドソンの共演、というよりも、ジェームス・ディーン最後の映画という趣が強いかも。でも見なおしてみると、ジェームス・ディーンの出演シーンはそう多くなく、そしてジェームス・ディーンらしさというのも、どうなんだろうという気もする。
それになにより、大きな筋はやはりリズとロック・ハドソンの二人の関係にあるのだし。その二人の生きてきた人生が映画の主題。それをてきさすという広大な土地の現代史と重ね合わせて描く、というのが本筋。
古き良き時代のハリウッドの、壮大なホームドラマを見た感じ。

「スルース」老作家のもとにやってきたのは、若妻の浮気相手。早く離婚をと直談判に来たのだ。だが二人のやり取りは、相手の腹を探りつつ、また皮肉を交えつつ、そして嘘と現実を交えつつ。お互いに何が本音か、どこまでが本気かを図りつつ。これはゲームか? あるいは巧妙な罠か?
二人のやりとりが緊迫感を生む。テクノロジーを駆使した邸宅の中だけで進む物語。どんでん返しに次ぐどんでん返し。
実はこれはリメイク版。昔々、ローレンス・オリビエが老作家役、マイケル・ケインが青年役を演じていた。今回はそのマイケル・ケインが老作家に昇格(?)。美青年ジュード・ロウとやりあう。旧作は最後まで化かし合いが続くのだが、新作はやや妙なところに話が進んでいくのだな。これも時代か。

「道」フェリーニ映画の最高傑作かも。というほど見てないのだが。あ、「世にも怪奇な物語」があったな。でもあれは3作のオムニバスのうちの1作だけやし。
粗野な大道芸人ザンパノと、少し頭の弱いジェルソミーナ。ジェルソミーナはザンパノに服従する生活。だが本当は・・・・というところがこの映画のミソかも。
特に美しい場面があるわけでもない。でもどこか引き込まれるものがある。特にジェルソミーナ役のジュリエッタ・マシーナが素晴らしい。そしてジュリエッタが映るシーンだけが特別面白かったのは、気のせいか、それとも監督の意図したことなのか。言葉少なで、表情ですべてを表現しようとするジェルソミーナの存在感が際立った映画だった。

映画「生きる」

17回目の1月17日も終わった。テレビのニュースはそればっかり。まあ、ありがたというか、テレビの責任感のようなものも感じるけどね。同じようなことがこれから何年も、3月11日にはあるんだろうなあ。それは、悪いことではないと思う。どこかに計算高い思惑があったとしても、やらないよりはやったほうがいい。偽善でもなんでも、やらないよりはやったほうがいいことはある。

正月に録画しておいた映画を、ちょっとずつ見ている。昨日は「お葬式」を見た。伊丹十三監督の視点は面白いけれど、感動するような映画じゃないなあ。誰もが経験する「お葬式」を題材に取り上げたことはエライと思うけどね。だからこそ、もっと「ありそうな話」で固めて欲しかったなあ。旦那と女優の浮気話はどうも余計に写った。あれさえなければなあ。

今日見たのは、黒澤明監督の「生きる」。昔々、劇場で見た。いい映画だと思う。あまりこねくり回した所がなく、ストレートに主題が浮き出されている。音楽の使い方、画面わり、カット、どれもオーソドックスというか、悪く言えば古臭い手法ということになるんだろうけど、今見ると逆に新鮮。ともかくも主演の志村喬の演技が抜群。がんで余命いくばくもなくなった役所の課長が、一念発起して市の事業を動かす、というヒューマニズム溢れる物語。ラスト近くの、有名な公園でブランコに乗っているシーンになると、思わずウルッと来てしまうのだよ。年取ったかなあ。
映画の出来とは別に、気になったんだけど、この頃の俳優はとても早口なのだね。そして録音もまりよくないので、ところどころ聞き取れなくなってしまう。これ、前に見た昔の時代劇でも同じだったなあ。映画館で見たら大音量になるから、少々聞き取りにくいセリフも聞き取れるのだろうか。ひょっとしたら、わざとそうしているのか。聞き取れなかったセリフが何なのか知りたくなる。と、もう一回見ることになるではないですか。そうやって観客を増やす。考え過ぎか。

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昨年末以来、家族にごたごたがあって、更新が滞ってしまった。ぼちぼち、元のペースになるようにしたいと思っています。これ、今年の目標かな。遅ればせながら、やけど(今年はこればっかり)

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