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年越し

紅白歌合戦も終わりました。白組勝ったね。
仲間由紀恵の司会はすごくよかったな。それに比べてみのもんた。最悪。音楽が終われへんうちにしゃべるな。しばらく休養するようやけど。来年はもう出てけえへんやろな。紅白には。

それはともかく。
今年ももうあと10分ぐらいで終わりですわ。
少ないながらも、このブログを読んでくれてる人が居てることに感謝してます。急に殊勝なことを書いてるけど。
何もなかったらたぶん来年も、再来年も、書き続けるでしょう。文句ばっかりのブログですが、どうぞよろしく。
皆さんも良いお年を。
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ゴミ回収

今年も今日で終わり。
昨日はあせりましたがな。なにがって。ゴミの収集ですワナ。
昨日が最後やったんですが。
起きたら10時半でして。そしたら。いつも出してるゴミステーションにゴミがいっこもなくって。日を間違えたか。
いや。起きたのが遅すぎた。もう収集した後やってことらしい。次の収集日は1月7日。来年やんか。

もはやこれまでか。と思ったけど。
もしやと思って、いつも最後まで回収されない、ちょっとはなれたところのゴミ捨て場を見に行ったら。
やぱり。まだ収集されてない(^◎^)。
大急ぎで家のゴミを集めて。だせました。ほっ。

さ、今日でほんまに今年も終わりやな。といっても。普段からあんまり節目を大事にしてない生活をしてるから、大きな感慨もないねんけどな。紅白歌合戦もどうなんだか。殴り合いを見るよりまし、か。

休みに入ってます(^◎^)

きのう、仕事納め。今日から休みに入ってます。
まあ、それだけなんやけど。

今日は洗濯して、掃除して。ぶたこの生徒さんとランチして。インドのカレーは美味しかったな。お腹いっぱいになったし。
ぶたこの日記にあるように、3人で「モリー先生の火曜日」を見て。

さて、夜、テレビをつけたら「阿久悠40周年スペシャル」をやっていて。まあ、わたしらにしたら一種の「懐メロ」なんやけど。これが結構面白くって。ずっと見てしまった。

などという風に、のんびりと1日が過ぎていくのでありました。

さて、HPの更新の方は、どうしようかな。
家ではあんまり更新せえへんねんけど。ま、ヒマやったらやってみよかな。本とか映画とか、ネタはいろいろあるしな。

あっという間に日は過ぎて

3連休。その間には日記を更新するかなあと思ってたけど、家に居るとパソコンよりも楽しいことがいっぱいあって、結局はなにも書かずに終わったな。

何をしたか。テレビを見て、本を読んで、ちょっとお出かけもして。23日はぶたこのお母さんと夕方から夜のミナミを散策して、ちょっと豪華な食事もして(日航ホテルのバイキング)、クリスマスのイルミネーションも(アメリカ村とか)を楽しんで。ついでにDVDも買ってもらって(^◎^)。寒かったけど楽しかったな。

24日のイブは。イブらしいことはなにもせず。ぶたこと二人で大学の図書館に。暖房も利いてるし。静かやし。のんびり過ごせてよかったなあ。帰りにレストラン「サイゼリア」で、ドリアとドリンクバーを頼んで(ぶたこはオムレツとドリンクバー)、ジュースやソーダ、カプチーノなんかを楽しみつつ、図書館で借りてきた本を読んだりしてね。このレストラン、24時間スーパー「マックス・バリュ」の1階にあって、飲み物とか(水とかも)はセルフサービス。しかし安い(ドリアとドリンクバーで420円)。その割に結構おいしい。大体すいてる。席が広い。BGMがうるさくない。セルフサービスなので店員がうるさくない。ゆっくり過ごすのにはいい場所やなあと思ったな。

さて。25日はテレビ三昧であった。こゆのも久しぶりやな。なにしろあなた、フィギュアスケートですガナ。誰がオリンピックの代表になるのやら。前日の男子の表彰ではゴタゴタがあっただけに、どうなることかとハラハラしつつ。お昼の特番からチェックですわ。

男子のフリーは、関東では夜中に放送があったらしいけど、関西では流れてなかった。関テレのあほ。ひょっとして、この昼間の特番でやってくれるかなあ・・・と期待して見てたら、やってくれましたガナ。高橋選手、織田選手の演技をノーカットで。やっぱりこういうのはノーカットで見んとな。違いが分からん。

順位が入れ替わって、結局はスッキリと高橋選手がオリンピックの代表になったけど。フリーの演技を比べて見てみると、まあ順当なところかなあと思うな。高橋くんの方が実力があるって感じがした。

さて女子のフリーやけど。なんかレベルがめっちゃ高くてびっくりしたな。だいたい誰もコケへんし。昨日のSPから誰もコケへんなんて。ほとんど初めて見たかも。世界大会でも見たことないであるよ。それだけ日本のフィギュアのレベルが高いってことやんなあ。

ところで、フジテレビのフィギュアスケートの案内役は、TOKIOの国分太一がやってるねんけど。これがとってもいい感じ。もちろん専門的な視点ではないねんけど。出しゃばらず、興奮しすぎず、それでいて心のこもったコメントが気持ちイイ。解説も八木沼純子、伊藤みどり、佐藤有香と揃えていて(女子シングルに特化した解説陣ではあるけれど)、伊藤みどりはまるで素人のような解説しかしてなかったけど、他のふたりはひとつひとつのジャンプもステップも説明してくれていて、まるでNHKを見てるようであったよ。松岡+佐野のあほコンビとはえらい違いやったな。お気に入りの選手が頑張って成績がよければそれで良しと、それしか興味のないひとは松岡+佐野コンビの方がええんでしょうが。

さて。このフィギュア日本選手権の裏で放送してたのがM-1グランプリ。漫才選手権。こちらは同時には見られへんので、録画して後でゆっくり見てんけど。いやあ、なんというか、面白いですなあ。ただ面白いだけやなくて、技術の高さとかがあってね。ほんで、お笑いやねんけど、みんなが(スタッフとか審査員とか)真剣に取り組んでるのがよく分かって、見てて気持ちいいのであるな。普段のテレビでは漫才師であっても漫才をやってるところを見ることはほとんどなくて、だいたいがレポーターとか司会とか、漫才以外のしゃべりの仕事をしてはるところしか見られなくてね。ほんまの漫才の実力はどうなんかっていうのは、そういうのを見てるだけでは分からんのだなあ。それにみんな、ちゃんと稽古してるっていうか。ちゃんと漫才をやってるねんなあ。その積み重ねみたいなものがわかって、ちょっと感動までしてしまったであるよ。

この番組の司会陣もなかなかよかったな。特にアシスタントの小池栄子は、今田耕司との掛け合いやツッコミも達者で、こちらもよくできたお笑いになってたよ。去年の井上和香よりずっとよかった。これからも続けてやってほしいなあ。

などと、日曜日はだらだらと過ぎていったのであった。寒さもちょっと和らぐようで、いい年末になるかなあ。買ってもらったDVDをゆっくり楽しもうか。なんてことをつらつらと考えているのである。

持って歩ける本

えらく間が開いたな。10日以上か。書いてる暇がなかったっていうか。日記にも書いたけど、「ヒマだけど本を読むこともない時間」っていうのが取れなかっただけでね。家でヒマやとついつい「書く」より「読む」方に行ってしまうのでね。おかげで読んだけど書いてない本がたまってきたな。ま、全部について感想を書かんでもええとは思うねんけど。ただ自分の記録のためにね。

忘れへんうちに、この間に読んだ本。
京極夏彦「姑獲鳥の夏」講談社文庫。
阿部昭「短編小説礼賛」岩波新書。
筒井康隆「短編小説講義」岩波新書。
渡辺武信「住まいのつくり方」中公新書。
ヨハネ・ベル「ベル神父 街を行く」中公新書
工藤庸子「プルーストからコレットへ―いかにして風俗小説を読むか」中公新書。
以上。

新書ばっかりやな。この新書は全部大学図書館で借りたもの。なんで新書ばっかりになったかっていうと、軽いから。大学図書館は家からは、自転車でいくとどおってことはないけれど、歩いていくとちょっとした運動になるぐらいの距離。そこまで重たいハードカバーを持って行き来するのはナア・・・と思ったわけ。以前、「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」を借りたけど、上下巻を別々に借りた。一度に持ってみたら、重たかったから。ついつい、軽い本(内容じゃなく)を選んでしまうのだな。

「姑獲鳥の夏」は市立図書館で借りた。こういうのは大学図書館にはあんまり置いてなくってね。村上春樹はあったかな。でも基本はハードカバー。重たい。もっと文庫を充実させてくれたらナア。とはいえ、大学の図書館なので文句は言われへんワナ。

舞台は戦後すぐの東京のどこか。どこか、ちゃんと書いてたと思うけど、東京の地理にはまったく疎いので、忘れてしまった。そういう細かい、実際に沿った設定はどうでもよくって、だらだら坂の上にある古書店「京極堂」とか、代々続いた病院とか、そういう場の雰囲気を盛り上げるような設定が面白い。

いちおう「推理小説」になるんだろうか。良くできたトリック、とかいうことではないけどね。全体におどろおどろしいというか、気持ちの悪~い雰囲気が漂っていましてね。それを楽しんでるうちに、なんとなくトリックについても、事件についても納得させられてしまってる。騙されてるのは読者やな。しかし小説っていうのはどのみち、読者を如何にだますかってことかも知れへんから、騙されても気持ちいいんですよね。

純粋に推理小説を読もうと思ってると、がっかりさせられるかも。横溝正史の晩年のいくつかの小説に共通するような、怪奇趣味というか、そういうものは十分楽しめます。僕は横溝正史より、もっと昔の、江戸川乱歩とか、もっとマニアックな夢野久作とか小栗虫太郎とかと共通するものを感じましたね。特に人間心理の曖昧さをとうとうと論じるところなんかは、小栗虫太郎の趣味と共通するものがあるような。そういう趣味的な読み方をすべきなんやろな。そういう読み方をしたから、楽しめたよ。

ところで、この本はわざわざ「文庫版」と断ってあるのだけれど、あとがきとかには「内容、ストーリーに変更はありません」と書いてあるのだな。どういう違いがあるのだろう。もしかして、元のノベル版の方が面白いのか。なにか仕掛けがあるのだろうか。



小説論というか、小説の解説本を読むようになったのは、植草甚一の影響かしらん。自分では分からないのだけれど。

ベストセラーになった「短編小説礼賛」と、そのあとに書かれた「短編小説講義」を並べて読んでみると、どうしたって筒井康隆の方が面白いのだな。そんな比べ方は意味がないともいえるんやけど。科学とか政治とかの話題やったら、同じ事象を違う視点で述べるということはあるかも知れへんけどね。だいたい取り上げられてる作家も小説も違うねんから。

無理矢理違いを見つけようとしたら。阿部昭のは、短編小説がいかに面白いかの解説であって、その楽しみ方を多く述べているように思う。対して筒井康隆は、これからの短編小説について、もっと面白いことを期待しているような。さらに面白いものを期待しているような感じだ。いつもより真面目にね。いつもがどういうものなのか分からんけど。筒井節のようなものを期待するとダメ。もっと真面目に、短編小説と言う物を考えなさい。とでも言いたげかな。

どちらもなんとなく、モームの「世界の十大小説」に似てなくもない。まさか対抗しようとは思ってないやろうけど。短編小説にしても、小説の解説本となると同じようなものになってしまうのかな。それからいくと、植草甚一は変わってるってことか。



「プルーストからコレットへ―いかにして風俗小説を読むか」は、解説本というより紹介本かな。いや筒井康隆も阿部昭も、紹介本に近かったけどね。

プルーストの「失われた時を求めて」を初めて手にしたのは高校生の時やったな。図書館でえらい分厚い本があって、最初の方を読んだらなんとなくその世界に引き込まれて、借りて読んだんやけど。はっきり言って何が書いてあるのか、理解は出来てなかったと思うな。当たり前と言えばアタリマエやけど。本を借りるとき、たまたま図書館の係りをしていた英語の先生が、「ほほぉ、プルーストですか。ほほぉ」と呆れたような感心したような口ぶりやったのを憶えてるな。その先生の気持ち、今やったら分かるな。

だいたい高校生では、大人の心の葛藤とかが分からんかったし、なにより舞台となってる時代背景(もともと歴史は嫌いやった)とか貴族社会、社交界についてのしきたりとかその雰囲気とか、そういうものの理解がなかったら、どこが面白いのかと思うような話ではないかしらん。昔、テレビの日曜洋画劇場で、ビスコンティ監督の「山猫」をやったとき、淀川長治さんが力を入れてわざわざ30分延長して放送したのだったが、何が面白いのかサッパリ分からなかった。貴族社会の没落というのは、それがどれだけ心に響くものなのかっていうのは、日本人には分からんものかも知れへんなあ。同じようなテーマを持った「失われた時」を読んでも、分からんのはあたりまえかな。

とはいえ。この新書のようにかいつまんで、しかも「風俗小説として」の視点で要約してもらうと、なんだかとっても面白い大河小説のような気がして、また改めて読んでみようかなと思うな。あ、ちなみに最初読んだのは、この長大な小説の第1章、「スワン家のほうへ」だけ。さすがに続きをよむ気力はなかったのでした。

さらにこの新書、プルーストとともに同時代のコレットを同列に論じてるところが面白い。コレットって「青い麦」しか知らんかってんけど。それも読んだかなあ、どうだか、憶えてないくらい。読んだかも。でもどんな話やったか。たぶん読んでないな。っていうくらい興味のない作家やってんけど。この新書を読むとがぜん興味がわいてきたよ。

生い立ちとか私生活とか、そういう紹介もされてるねんけど。波瀾万丈ですね。こういうのを知ると、フランスって面白いなあって思うなあ。プルーストもコレットも同列で論じることができるねんもんなあ。そういえばカミュとかジュネとかボーボワールとか、革新的な作家ってフランスに多いような気がする。個性が豊かな。思い込みかな。

大学図書館で探したけど、コレットの本は全然置いてないみたいやった。今度市立図書館で調べてみよっと。



建築士の耐震強度偽装問題が取りざたされてる昨今ですが。「住まいのつくり方―建築家といかに出会い、いかに建てるか」を読んだのは、そういう問題があったからではなくて。元々建築に興味があったから。

しかしこの本の前半では、建築家の仕事や経費、その他が具体的に書かれてあって、なるほどなるほど、こういう仕組みになってるのかと納得することしきり。本来ならたいして面白くもないこれらの章が、なかなか興味深く読めたのは皮肉やったな。

それはさておき。本書の中程には著者の経歴のようなものもあって。どういう経緯で建築家になったのかとか。その時代はどうだったかとか、どんな先生にどんなことを教わっただとか。このあたりはよくある話。よくある話で個人的な話。

著者が設計した住宅に関する章もあるけど。平面図とかを示してくれて、どこにどう気配りがあるかを説明してくれていて。専門家というか平面図を見ていろんなことが分かる人には楽しいんでしょうけどね。あんまり変わったことをしてるわけではないので、そういうデザイン的な面白みはないな。ただ、個人の住宅でデザインを重視するあまり、「住みにくそお!」と思えるものを見るのよりずっとマシやけど。専門家には勉強になるんでしょう。

一番面白かったのは最終章「人生は暮らすためにある」やったな。短いけどね。家のつくりばっかり考えてないで、如何に住むかを考えるべきっていうのは同感やね。子供部屋中心の家づくりっていうのはどうかなあと前々から思ってた。ここではそれ以上に「書斎を欲しがるおとうさん」に疑問を呈していてね。家を造って家庭がないっていうひと、多いような気がするなあ。

各章に建築に関する本の紹介もありまして。ううむ。これは一長一短。中には辛辣な批評もありますがね。批評として面白いかどうか。なんて、こんなHPを書いてるわしが言うことではないか。すみません。

で。この著者に共感するところは、とっても映画好きらしいんですね。映画のシーンの話がよく出てくる。「ローマの休日」の影響がどうでてるかとか、ちょっとした部屋の説明でも映画のシーンになぞらえてたり。何かの映画賞の審査員もやってはるらしい。調べたら分かるんでしょうが、調べてないな。



一度にいろいろ書きすぎた。反省。ウソ。反省なんかしてない。なにしろ自分の趣味のページやからね。

「ベル神父 街を行く」もとっても面白かってんけど。またヒマなときに(何時や)ゆっくり書くことにしよう。

少子化=人口減

人口が減ったってことで、ニュースになってますな。少子化、少子化っていうけど、どういう問題があるのか、今ひとつピンと来てないんですけど。
だって、働き手が少なくても生産性が高いねんから、産業がすぐに衰退するようには思われへんし。保障制度がどうとかいうてるけど、いつかは全体のバランスがよくなるんちゃうんかいなと思うしなあ。

こういう考えはおかしいのかと思ってたけど、昨日のWBSで猪口少子化対策大臣と榊原英資さんの議論で、榊原さんが同じようなことを言っていたのでほっとしました。いや、同じやと勝手に思っただけかもしれへんけど。
WBSには珍しく、議論が白熱して面白かったな。白熱してというか、かみ合ってなかったけどね。
だいたい大臣の主張は「如何に少子化を防ぐか。人口増を目指すか」という視点で、榊原さんは「少子化は抑えようがないから、その中での施策を考えるべき」という視点とは、まったく相容れないものやったからな。

大臣が「女性の就業率と出生率」のグラフ見たいなのを出してきて(国別の)、
「女性の就業率が高い国は、出生率も高いんです!」と自信満々に説明しようとしたら、榊原さんが
「その二つだけで相関関係を見て、他の要素を切り捨てていては、統計の意味がない」「よく行政が使う手だ」と一蹴してたのは、気持ちよかったな。

榊原さん、個人的にはヘラヘラした物言いが(ちょっと人をこばかにしたように見える)気に入らないんだけど、主張には同感するところがあったな。ただ、去年の今ごろ
「円高はどんどん進んで、来年には1ドル100円を割るだろう」と予想したのが見事にはずれたから、全部を信用するわけにはいかんのやけど。

マナー

最近、電車のなかのマナーが悪くなったような気がするなあ。いや、前からそうやったのかも。

電車が着く。乗る。と、奥に行く人が少ないんですよね。奥はすいてるのに。だいたいドアの前で立ち止まって。どうかするとドアのすぐ横の把手にしがみついてたりして。入口も狭くなるっちゅうに。

駅に着いたらすぐに出られるように、と思ってるねんやろなあ。しかしね。ドアの近くに立っていなくても、駅に着いたら何とかして降りることはできるであるよ。普通。よっぽどのことがない限り。ドアの前で通せんぼでもされへん限り。

わしはできるだけ、ドアから遠いところ、ドアとドアの真ん中辺りに立つようにしてる。混み合うのがイヤやねん。混んでると本を開くのもママならんし。逆にドアから遠いと、ほとんど混むことがないんですね。よっぽど満員にならん限り、真ん中まで人は寄ってこないんですね。変な話やけど。そうすると、余裕で本を開いて読むことができるんですな。

と思ってたら、このあいだドアの近くに陣取りながら、雑誌を開いて読んでるサラリーマン(らしき人)が居たよ。大きめのスーツケースを地べたに置いて。ドアの横の把手に寄りかかりながら雑誌を読んでる。どう見ても窮屈やし、ドアが開くたびにいっぱい人が乗り降りするのに、頑としてそこから動けへん。スーツケースを動かすこともない。はっきり言って邪魔者以外の何者でもないねんけど。そこまでして読みたい雑誌やったんかいな。ほんでドアの近くに居てるってことは、すぐに降りるからかいなあと思ってたんやけど、わしが降りるときもまだ乗ってはったな。わしの立ってた真ん中らへんはすいてたのになあ。

「ちょっとアンタ、そこで一生懸命雑誌なんか読んでたら、じゃまになるガナ!」
と言ってやりたかったけど。そんな気概は持ち合わせてないし。
それにひょっとして、読んでる雑誌が「アサヒ芸能」で、読んでる記事が「○○組と××組の知られざるウラ闘争」なんていう記事で、床においてるスーツケースの中身が銃刀法違反に引っかかるようなしろもので、サラリーマン風に見えるおっさんが実はその仲介人で、雑誌に載ってるどちらかの組織に今からスーツケースの中身を売り込みに行く途中で、ほんまにそこに売り込んでエエもんやらどうやら、いち早く情報を得ようと必死になってる最中かも知れへんと思うと、とても声をかける勇気など沸いてはこないワナ。

などということを想像するとちょっと楽しくて、イライラもちょっとはおさまるのである。

寒さ極まれり

朝から雪ですガナ。傘はいらんかなあと思ったけど、出かけるときになったら風も雪も半端なものでなくなってて、傘なしでは出かけられへんかったな。邪魔になるけど。
電車は、案の定遅れてて。大阪の地下鉄では停電で一時不通になってた路線もあったな。しばらくしたら動いたらしいけど。わしの通勤には支障なし。ま、ちょっと遅れてしまったけどね。会社には。

近鉄電車は遅れてるだけで、不通にはならなかったのでよかったです。近鉄奈良線はすごく高い高架になってるので、電車の窓から町並みを、上から眺めるようになるんですね。今朝はどの家の屋根にも雪が積もっていて、ちょっときれいやったな。吹雪いてたから、ちょっと怖くもあったんやけど。いつもよりゆっくり電車が走ってたし。

午後からはいい天気になりまして。ちょっとひと安心やな。ちょっとでも暖かくなってくれたらええねんけど。日本海側では大雪のようですね。なんか12月にしては珍しいとか。どうなってるんでしょうね、天気。

こんなに寒いと、できるだけ外に出んとこうと思いますな。わしだけか。家でぬくぬくと過ごしたい。明日から3連休になるんですけど、まあどこにも行かずに過ごすことになるかな。クリスマスやけどね。家で過ごすことになるかな。ま、その時の気持ちにもよりますが。



映画も本も、書きたいネタというか、そういうのがあるねんけど、時間がとられへんね。って、暇なときに書いたらええってなもんやけど。うまくヒマがない。うまくヒマがないっていうのもオカシイかな。

暇つぶしの方法として、パソコンに向かっていてパチパチと思ったことを打っていくっていうのは、まあ好きなんやけど。それって、ほかにすることがなければ、という条件付き。

たとえば家では、ヒマがあったらテレビを見てるか本を読んでるか。「わざわざパソコンを打つかいなあ」てなもんである。やっぱり仕事上、パソコンの前から離れるわけにはいかず、といってヒマでもあるときしかこういうのは書けへんねんなあ。「わざわざ」って言ってるところからして、どうもなあ。

でも、イザヒマになったとき、そしてパソコンの前で過ごすとき、という絶好の機会になって、さてなにも書くことがない、ということになったら、ますます暇をもてあますワケで。そうならないように、ちょっと書きたいネタを書き留めておかないと。「おかないと」というほど、律儀にやることでもないんやが。

読んだ本。筒井康隆「短編小説講義」。面白かったですよ。しかし、前に読んだ植草甚一以来、本の解説本っていうのにハマってるなあ。そういえば最近のベストセラーに、あらすじをまとめた本があったな。どういう話かを前もって知るっていうことはええことかも知れへんけど、それだけで満足してはアカンのではないかというのがわしの考え。あらすじと解説本だけ読んで「あの作品は」とか「あの作者は」とか論じるのは、写真集を見て山に登ったり外国に行ったりしたつもりになって「あの山は」とか「あの国は」とか言ってるのと同じ。せめて「いつか登ってみたい」というように「いつか読んでみたい!」と思う程度にしておいてほしい。

昨日は面白そうなテレビがないなあと思って、何気なくチャンネルを回してたら、「橋蔵のやくざ判官」という時代劇をやっていて。ほんまの暇つぶし、そのまま居眠りをするつもりで見てたんやけど、面白くって、最後まで楽しんでしまったよ。大川橋蔵主演の時代劇。別に時代劇づいてるわけやないけど。「やくざ判官」っていうタイトルから分かるように、遠山の金さんが活躍する。けど。ちょっといつもの、わしらが見慣れた「金さん」ものとは違っててね。ああ、こういうことも映画のページに書きたいかなあ。となると映画のページも体裁を変えて・・・などと考えるのは楽しい。考えるだけやけど。

お昼休み。いつもMDを聞いて昼寝するねんけど。今日もそのつもりでヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターの「ゴッドブラフ」を聞いててんけど。あまりの素晴らしさに一所懸命聞いてしまったよ。なんでこのグループが日本で人気が出えへんかったんかなあ。本国(イギリス)でも人気があるのかどうかは知らんけど。
あ、音楽までこの調子で書いてたら、全部同じようなページになるな。ううむ。そうしてしまうかどうか、考え中。

現実逃避中

いつも暇つぶしのために書いてるんやけど、今は現実逃避(^◎^;)。ああ忙し。ややこしいことをやってるわけでないのが救いかも。ちょっとひと休みせな。

ここ数日、寒いです。エアコンをあんまりつけないわが家では、部屋の中で暖かい格好をするのが習慣。
先日、ぶたこの実家に泊まりに行ったとき、寝間着代わりにと、ユニクロでフリースのスウェット上下を買ってもらった。これがとっても暖かい。まるで毛布にくるまれてるみたい。フリースやからね。
で、家でもフリースを着て、厚手の靴下をはいて、その上ダウンジャケットを着て過ごしている。考えたら、家の中とは思えないくらいの重装備やな。冬山の、山小屋にでもいてそうな。どうかすると、出かけてるときより、会社にいるときよりあったかかったりして。会社ではシャツにジーパンやからね。フリースの方があったかい。靴下かて、普通の靴下やしな。

それはさておき。
書く時間があんまりないので、最近読んだ本とか、最近観た映画とかのことを書いてないな。あんまり書かずにいると、忘れてしまいそうや。

京極夏彦の「姑獲鳥の夏」は面白かったな。本のページに書かないと。阿部昭のベストセラーになった「短編小説礼賛」は、まあまあかな。今読んでるのは筒井康隆の「短編小説講義」。まだ途中やけど、こっちの方が面白い。

映画は、ちょっと先に書いたけど、ぶたこの実家に泊まったときに、ケーブルテレビの時代劇チャンネルで、尾上松之助の「忠臣蔵」を観ました。1910年~17年の映画やて。もちろんモノクロ。サイレントじゃないけど、セリフは後入れで、講談調もしくは歌舞伎調。ボロボロの映像で観にくかったけど、観ようによってはとても面白い。ちょっと諧謔的にね。映像とセリフがずれてたりしてね。多分なくなってるフィルムとかもあるんやろうけど、急に画面が変わったりね。今と違うのは、アップがほとんどないこと、カットが少ないことかな。あと、よく見ると背景が書き割りやったり。時代を感じさせて面白かったな。

さて、仕事に戻ろかな。

その瞬間のテレビ中継

朝から慌ただしかったな。どのテレビ局も。一斉家宅捜査であるよ。耐震強度偽装問題の。
主要な捜査先には大勢の報道陣。姉歯元建築士の事務所(兼自宅か)にも。
姉歯氏が捜査員と一緒に自宅に入ろうとしたら、ものすごい数のカメラがどっと押し寄せて、警察が張っていた境界のテープを越えて、ドアのところに折り重なって。

フジテレビのレポーターが「騒然としております!」と言ったら、さすが小倉智昭さん、
「騒然としてるのは、マスコミだけでしょう」

捜査に入るってことだけで、どうしてその瞬間の映像がいるのかね。もっと違うところに取材に行かんでええのかね。よお分からんであるよ。自宅にはいる瞬間に何か起こるのかね。警察の包囲テープを越えてまで映さなあかんことって、なにかね。

ふと思い出したよ。豊田商事社長の殺害事件。あのころと、変わってない体質があるってことやな。問題の本質を取材してくれ。

フィギュアスケート中継

いやあ、びつくりしましたな。浅田真央。グランプリファイナル、1位でっせ。
これでオリンピックに出られへんとは。まあ、ルールはしゃあないとわしは思うけど。
このルールを知りつつ、日本のフィギュア連盟は出場させたわけやしな。もちろん、期待以上やったやろうけど。

そんなことより。
今回の地上波放送は最低やったな。朝日放送。特に松岡修三。やかましいだけで。朝日はいつまで彼をスポーツキャスターとして使うのかね。元スポーツ選手としてのコメントも出されへんのに。
金曜日のショートプログラム。2時間の枠を取ってるのに放送したのは女子シングルすべてと男子の日本人選手だけ。松岡のしゃべりと今までの映像なんかの時間を削ったら、もっといろいろ放送できたやろうに。
選手のキャッチフレーズを考えるヒマがあったら、もっと時間を有効に使うことを考えろよ。

元スケーターの伊藤みどりと佐野稔が解説について、ちょっとはマシかと思ったけど。佐野稔なんか「うまいねえ~」しか言えへんし。なんやねん。専門家の意見を言えよ。何しに呼ばれたと思てんねんやろう。

さらに言うと。
今回のみんなの注目は女子シングル、その中でも浅田真央と安藤実姫に集中してて。何かというとすぐに「マオ」すぐに「ミキ」。そして映像もだいたい「マオ」と「ミキ」。
おいおい、今回優勝したのは浅田真央やけど、3位に入ったのは中野友加里であるよ。特別強化選手でもなかったのに、NHK杯で優勝して、ファイナルでも3位って、めちゃくちゃすごいことやと思うのに、なんでドコも取り上げへんのかいな。

なんか「応援してます!」といいつつ、選手を苦しめてるような。選手をどこか、アイドル視してるような。芸人のように思ってるような。そんな気がしてならんのだなあ。特に松岡修三。あ、やっぱり松岡に戻ってきてしまう。オリンピックに、出てこんといてほしいと、心から願うのみ。

映画の話

昨日は「モリー先生との火曜日」をサンテレビでやってたのを見逃してしまったな。前に一回見たけど。ジャック・レモンの遺作。ええ映画やったな。

映画感想文も書こうと思ってて。でも億劫になってる。なんかね。更新がめんどくさいのだな。映画のページも日記風にするか。本気で考え始めてる。

そうなるまでに。忘れないうちに、先週観た映画。

「キューティー・ブロンド」はテレビで。
前に見たのは飛行機の中やったな。半分ぐらい英語で見てて。面白かったので今回は筋をちゃんと分かろうと、吹き替えで。
スカッとする映画やな。女性に人気が高かったけど、男が見ても十分面白いであるよ。

「緑色の髪の少年」はネットで。
古い映画やけど。なんというか、不思議な映画やったな。冒頭の暗~い映像からして。突如緑色の髪の毛になる、戦争孤児の少年の話。おとぎ話風、なところもあり。いきなり孤児の集団が現れたときはびっくりしたけどな。いちおう、反戦映画なんやろう。

「ファム・ファタール」はテレビで。
ブライアン・デ・パルマ監督は期待を裏切らない、と信じててんけどなあ。あんまり期待してなかった「スネーク・アイズ」も「ミッション・インポッシブル」も面白かったからな。しかし。これは失敗作やな。策士策に溺れる。意外な展開、どんでん返し、衝撃映像っていうのはデ・パルマ流やねんけど。このどんでん返しは、あまりにしょうもなさすぎ。冒頭の宝石強盗もスマートさとか緊迫感とかが全然ない。次回作、速く撮ってください。

「素晴らしき哉、人生!」はネットで。前回見逃した後半を。
「そんなアホな」といわれようと「世の中、そんなに甘くないで」と言われようと、感動する映画は感動する。ジェームズ・スチュアートは「群衆」とか「スミス都に行く」とかとおんなじように見えてしまうけど、それでもエエやんって気になる。純朴で善良なアメリカ市民の典型か。背が高いのも条件やろな。

映画じゃないけど。「ローザ・パークス物語」をNHKでやってましたね。アメリカの「バスボイコット運動」のきっかけになった人。新聞での死亡記事でそういう話を初めて知ったんやけど。アメリカでは有名なんですね。公民権運動のシンボルみたいで。
ただ信念に従って突き進むという感じじゃなくて、悩みつつ、むしろ淡々と運動を進めていった風に描かれていて、共感が持てたな。それ以上に、当時の黒人差別の様子がよくわかる描写がいっぱいでね。裁判の時に宣誓する聖書も、黒人用と白人用があったんですね。びっくり。
そしてこれが、1955年の話やというねんから。わしの産まれるちょっと前であるよ。戦争が終わって10年もたってからかい。それに一番びっくりしたかな。まだまだ知らんことがいっぱいあるねんな、アメリカにも。

証人喚問

昨日、国会中継をしてましたね。ぶたこがNHKを録画しておいてくれて。午前中の姉歯元建築士のところだけ見ましたが。

前も思ったけど、これNHKは深夜枠でも敢然再放送すべきやね。なんでって、証言の内容より、質問する議員のアホさかげんがわかるもん。ニュースで流れるダイジェスト版ではわからんよな。エエとこだけ流すから。みんながみんなしっかり質問したみたいに見える。

午前中しか見てへんからエラそうには言われへんけど。最初に質問にたった自民党の渡辺某は最低やったな。40分の質問時間のうち、自分がしゃべったのが9割9分ぐらいあったのではないやろか。姉歯さんがしゃべった時間は全部で2,3分ちゅうとこかな。パネルまで用意して、なんかホンマにアホみたいやった。参考人招致の時の吉田某がいちばんアホやと思ってたけど、上には上がおるもんやな。

同じ質問をそれぞれの議員さんがしはるのも、ずっと見てるとイライラしてくる。各党の議員がさんざん質問して、姉歯さんが「具体的に法を犯せとは言われていない」と答えてるのに、共産党の吉井某が「具体的に言われたことはありませんか?」やて。
さっきから「ない」って言うてたやろお!
しかし、報道ステーションでは吉井某の質問してる場面が使われてたな。自民党の渡辺某も、質問してる部分だけ流されてた。しっかり質問してるように見えるから不思議であるよ。

「十分な時間を取るために」3つに分けて証人喚問したのに、内容がこれでは。とほほ。
続き(木村建設、総合経営研究所)を見るかどうか。どうしようかな。

どれくらいの本を読めるか

どれくらいの速さで本を読めるかというと、だいたい1ページが1分前後というところ。もちろんページ内の文字数にもよるけれど。児童書みたいに1ページの字数が少ないと2ページで1分ぐらい。文庫はだいたい1分で1ページかな。と思ってたけど、講談社文庫はもうちょっと速く読めるみたい。10分で15ページとか。

電車に乗って本を読む。だいたい電車に乗ってる時間は(電車を待ってる時間も含めると)毎日往復で1時間ちょっと。で、だいたいこれくらいの分量は読めるかな、と見当がついてきた。乗ってる間にこれくらい。そんなのを先に見るのもどうかと思うねんけど、やっぱり気になってね。それに図書館で借りた本は返さなあかんので、期限までに読めるかっていうのもあるしな。最近は図書館で借りるときも「これくらいやったら2週間で読めるかいな」(最長で2週間借りられる)と考えて借りてるな。まあ、読みきれへんかったらそれでもエエねんけど。お金を払ってるわけやないしね。読まれへんかった本はそういう運命にあったと思って、次に出会う機会を待ちましょう。

先に読める量の見当をつけるというのは、電車に乗ってるときは大事なときもあると思うなあ。ちょうどキリのいいところで終わって、次のひと段落を読むかやめておくか、次に降りる駅までに読めるようやったら読もうと思うけど・・・なんて思う。まあキリの悪いところで電車を降りることになっても、もう一回、そのキリのいいところから読み直したらエエだけのことやねんけど。



図書館で借りてくるとなると、本屋で買うときには「買おうかどうしようか」迷うボーダーラインの本も気軽に借りて読むことができる。そんな本で、前から気になって、ゆっくり読んでみたかった水木しげるの「カラー版 妖怪画談」(岩波新書)を借りてきた。

新書の見開きに1枚ずつ(時々1ページに1枚)、妖怪やらの絵が描いてあって、水木しげる本人のコメントが添えてある。初めのほうは実際に訪れた「怪しい場所」、真ん中は「妖怪画」、最後は奇妙な「現象」のはなし。カラーの絵がいいね。

小学生のころ、夏休みに特別にもらったお小遣いで、妖怪画集みたいなのを買った。雑誌と同じ大きさの体裁の本でカラー版。描いたのはもちろん水木しげる。100枚ぐらい(もっとあったかも)の絵が載っていた。毎日飽かずに眺めてたなあ。

よく言われることやけど、水木しげるの描く妖怪って、どことなくユーモラスなんですよね。マンガチック。間が抜けてるようにも見える。それでいて妖怪の背景になってる寺とか神社とか、海とか山とか、そういうものはものすごく写実的なんですね。それがひとつの画面に収まってるのが、なんというかアンバランスで面白いなと思ったな。改めて見て。

それと、文章の方も「こんな恐ろしい妖怪が居るのだぞ」というのではなく、「昔はこれこれこういう風習とかがあって、こういうことが不思議に思われてて、それでこんな妖怪が生まれてきたのだなあ」っていう、どことなく懐かしむような文章でね。「怖い」ということがまったくなく、「懐かしい」っていうのがまず浮かんでしまう。昔買った画集を思い出してるから、というのもあるのかな。

ただ、こういう本は期限を区切って見るのはどうなんかなあとも思ったな。ホンマは自宅の本棚に置いておいて、ときどき思い出したように広げてみる。そういうのが本当に好きな人のやることなんでしょうねえ。そこまで気合いは入ってないな、わし。



妖怪の本ではないねんけど、ジェラルディン・マコーリアン「ジャッコ・グリーンの伝説」(金原瑞人訳・偕成社)には、西洋の(特にイギリスの)伝統的な妖怪がこれでもかっていうくらい出てくる。欄外に説明が書いてあるのはありがたかったな。

なんという特徴もない、どちらかといえば気弱な少年フェイリムの前に、突然妖精が現れて、「ジャッコ・グリーン、世界を救ってください」と言いだす。その妖精たちに追い出されるようにして旅に出るフェイリム。果たしてジャッコ・グリーンとして、世界を救うことができるのか。

何ということのない少年が冒険を重ね成長していき、最後には敵を倒して英雄になる。という話は子供のころからいっぱい聞かされてきたので(そう思ってるだけ?)たいして面白い話にはならない。が、この本は面白かった。

最初に書いたように、出るわ出るわの妖精たち。それぞれが作者の創造じゃなくて、昔の言い伝え、伝説に基づいているところが面白い。「指輪物語」を読んだだけでは分からへんかった妖怪の名前や特性やらが、それぞれの行動とか仕業とかでよく分かるように書かれてある。

さらには伝統的な祭りやまじないなんかも、よくぞこれだけ、この短い物語の間にと思うぐらい詰め込まれていて。余分なものをどんどん省いて書いてあるっていう印象やな。

作者のマコーリアンは以前に「不思議を売る男」を読んで、いろんなジャンルの物語を作る才能に感心したもんやけど。「ジャッコ・グリーンの伝説」も物語として素晴らしいと思うなあ。「不思議を売る男」は短編集の色合いが濃かったけど、こちらはれっきとしたひとつの物語。ただしその中にも、主人公と一緒に旅をするスウィーニーやエレクシアの「伝記」ともいえる半生の話もあって。どうして二人が妖精(みたいなもの)になったかってことやけど。これだけでも面白い話やったな。

どうやらマコーリアンという人、こういうお話の発想に富んだ人みたいやな。むずかしい人物描写やこまごまとした背景設定とかには関心がないようにさえ見える。真実っぽく見えるかどうかっていうのはどうでもよく、とにかく「お話」を聞かせるような、そんな感じ。だからこの話、とっても長い旅を(それも波瀾万丈の)してるんやけど、いろんなことがあっさりと片づいていったりするねんな。子供向けに書いてるっていう意識もあるんやろか。

それとエンディング。「不思議を売る男」もそうやったけど、手放しで喜べるハッピー・エンドやないんですね。どことなくうら寂しいというか。「え?ほんで、どうなるの?」と思わず言ってしまいそうになるんやね。それが例えば、勝利と引き替えに誰かの命が奪われたとか、そういう単純なことやなくて。読みようによっては、少年が大人になったのかなあ、この寂しさは大人の寂しさなのかなあ、ともとれるけど。そういうところも含めて、こういう話、好きやなあ。

訳者の金原瑞人さんのオフィシャル・ウェブサイトがありまして(本の巻末にもurlが載ってる)、そこに「ジャッコ・グリーンの伝説」の用語解説などが載っています。これ、とっても便利。というか助かった。なにがってね。「ジャッコ・グリーン」っていうのがよく分からんかったんですよね、最後まで。他の妖怪の説明とかは載ってたんやけど。それに最後の章は「ジャック・グリーン」ってなってて。おいおい名前が変わっとるがな、と思ったんやけど。この解説を読んで分かりましたな。
「Jack o' Green」なんですね、綴りが。「o'」は"of"か"on"の意味かな。日本語にするとどうしようもなく「ジャッコ・グリーン」ってなるけど。
ほんで森の精霊の意味やて。ウェブサイトを見て初めて分かったよ。

まだまだ寒さは続くみたいで

ちょっと今朝はマシやったかな。というわけで久しぶりの洗濯。さすがに1回では処理できず。やり残したな。ま、ずっと洗濯してなかったフリースとかジーパンとかも洗濯かごには入ってたからな。そいつらは、急いで洗濯することもないのであとまわし。寒いけど乾燥してるから、きっとよく乾くであろうよ。心配なのは雪と想像以上の寒波かな。雪が洗濯物に積もるとどうしようもないし、気温が0度を下回ると洗濯物そのものがカチンコチンに凍ってしまうしな。

さて、今日は待ちに待った証人喚問。いままで何をしてたのかね。検察とか。まだ逮捕もされてないってことやんかいな。建築士も設計屋さんも。今朝の「とくダネ」では、質問予定の自民党の吉田六左衛門とかいう人に話を聞いてたな。なんで? 前回の参考人招致の時、一番頼りなかった議員さんやのに。また質問に立つんかいと思っただけで、気分が萎えたであるよ、わし。
「ズバリ、聞きます」
みたいなことを言うてたけど、前回の実績(?)から想像するに、まったく期待でけへん第1位やねんけどな。そんなヤツ、取材してどないすんねん、フジテレビ。前の参考人招致をあんまり見てへんってことがバレたな、スタッフのみなさん。まあ、他のことで忙しかったんでしょう。

今回はひとりに2時間ずつで3回に分けて。は? なんで?
全員を一堂に並べて、「誰がウソついてんねん!」と質問するのが一番手っ取り早いと思うのになあ。時間が足らんのですて。あほかいな。アホみたいな質問するからやろう。「わが党は・・・」という演説をやめたら、2時間3人で(実際は4人か)十分な質疑応答ができるやろうに。どう考えても、あとで出席した方が有利。先に、自分に不利な発言をされても、「いや、それは違います」という言い訳ができる。しかも、その言い訳が正しいのかどうかっていう検証は、もう先の証人が居ないわけやから、できない。そこでオシマイ。なんやそれ。

どうも国をあげてのシステムが、事業者に有利に有利に働いているような気がしてならんなあ。結局は国が尻ぬぐいをするわけやし。税金で。いや、それはエエねんけど。検査業者が天下り先になってることはほぼ間違いないみたいやねんから、まずその辺のシステムをどうするかっていうことを、はっきりしてほしいなあ。今もそのシステムの上で建築業が動いてるわけでしょう。まあ、厳しい情勢になってるやろうことは想像できるけど。

えっと、これを書いているのは14日のお昼でありまして、ニュースとかを見てないから午前中の証人喚問がどういう具合になったのかは全然知らんと書いてるんですけどね。さて、何がどこまで解明されるんやろか。

更新するのをさぼってるだけ

ここ2,3日、仕事が忙しかったので、ちょっとしか書いてないんだな。なんで山下清口調やねん。なんとなく。大阪弁は書き言葉とチャウから、文字にするのはなかなか難しいから、ついつい書き言葉の口調が出てしまうのだな。またや(^◎^;)。ま、それはともかく。

ちょっとしか書いてないと、更新するのも「まあエエか」という気になるんですな。
これを書くのは主に職場で、ちょっと手の空いたときのヒマつぶしなんやけど、更新するのは自宅パソコンでないとできない。で、どうしてるかっていうと、CD-RWに保存して持ち歩いてる。職場で更新したファイルをCD-RWに(時にはCD-Rに)保存して、自宅パソコンのHDにコピーして。そこからFTPで更新。と、こうなるわけですね。

以前は職場から直接更新することもありましたがね。ウェブからHPサーバーのサイトにログインして、ファイルマネージャーを起動してね。

今それをしてないのは、HPサーバーを変えて、そしたらFTPしかでけへんかったんですな。まあしゃあないなあ、ということで。ま、はっきり言ってFTPの方がずっと楽やし。便利やし。便利っていうのはおかしいか。とにかく楽。ちなみにFTPには「RootFTP」というソフトを使ってます。速い。もちろんフリー。

で、更新をサボってるのは書いてないからじゃなくて、アップロードするのをサボってるんですね。こんなHPでも、カウンターを見たら1日に4~5人の方は見に来てくれてるみたいやから、一応ご報告しておきますと。12月12~14日の3日分を、いっぺんにアップロードしてます。あ、これを書いてるのは自宅ではないので(^◎^;)、ひょっとしたらまたアップロードし忘れるかもしれへんけど。今のところ今日は、アップロードします。って、この文章が読めるようになってたら、アップロードできてるってことやんな。

電車で読む本

電車に乗ってるときはだいたい本を読むようになった。以前はMDを聞いてたんやけどね。本の方が楽になってきた。活字を追ってるから疲れるように思うねんけど。案外そうでもない。MDを聞いてる方が疲れたりして。

電車で読む本は文庫本が多い。というか、電車で読む本をと思って文庫本を借りてきてるな。ハードカバーは、まあ読めなくもないけど、やっぱり文庫本の方がいい。片手で持てて読める本。ハードカバーも持てるねんけど。なんとなく文庫本の方がいいような気がする。ハードカバーはもっぱら家で読むようになるな。

前回借りた本では、「黒猫の三角」と「姑獲鳥の夏」が文庫本。そのほか、同じような体裁ということでは、新書もありますな。これもかさばらないのでいい。今、「姑獲鳥の夏」(京極夏彦・講談社文庫)を読んでるんだけど、文庫にしてはやや分厚い。分厚すぎるくらい。なんとか上着のポケット(ジャンパーを着ている)に入るので、まあ何とかなるサイズかな。

分厚いんやけど、読みやすいんやな。講談社文庫の特徴かな。字が大きいし。「黒猫の三角」もスラスラと読めたからな。



で、自宅で読んだ本の話。ベンジャミン・ゼファニアの「難民少年」(金原 瑞人、小川美紀訳・講談社)を読んだ。

エチオピア人の父とエリトニア人の母をもつ少年アレム。両国が戦争状態になったことで居場所を失い、イギリスへと逃れてくる。難民申請をし、祖国の情勢が安定するまで住むことを望むが・・。

国と国との争い、民族間の争いというのは、アフリカでは日常茶飯なのかも。エチオピアとエリトニアの間で紛争があったなんて知らんかったよ。もちろんほかにも知らんことはいっぱいあるんやろなあ。

日本での難民受け入れはそうとう遅れてると思う。イギリスは日本ほどひどくはなさそうやけど、それでも他国の状況については、詳しく調べたがらないというのはあるのかもな。まあ、この本だけで判断するのもどうかとは思うけど。

そういう問題提起はよしとして。物語としてはちょっと中途半端。主人公の少年があまりにも良くできた子で、読みようによっては胡散臭くも感じられるかも。勤勉でまじめでしかも勇気もある。父親がアフリカ統一を目指す活動家ということから説明もつくねんけど、どうもね。よくできすぎてる。

だから難民問題とか、各地の紛争とか、そういう問題を考えるのはエエねんけど。誰も彼もがこの少年と同じであるかどうか、は別問題やな。

もともとは少年向けに書かれたようやから、そういう分かりやすさを心がけたのかも。しかしなあ。同じ孤児を主人公にした「エドガー・ミント、タイプを打つ」(ブレイディ・ユドール著・ソニーマガジンズ)の方が、人間臭さが勝っていてずっとおもしろい。まあ比べるのが間違いやろうけど。物語のテーマも全然違うねんから。

寒波は続く

ほんまにいつまでも寒いな。エエカゲンニセエと言いたくなるけど。まあ、寒いのが好きっていう人も居てはるから、一概に文句を言ってはアカンと思うねんけどな。昔指揮を習っていた先生の奥さんが東北出身の方で、今日のような寒い日にレッスンに行ったときに、
「寒いですねえ・・・」
と言ったら、
「ああ、これで雪が降ってくれたら完璧なんだけどね(^^)」
と言われたときは、ああ世の中にはいろんな感覚の人が居てはるねんなあって思ったよ。自分の感覚だけでものごとを判断してはいかんということですな。自分の常識が世間すべての常識やと思ってたらアカンのです。

最近はどうも自分の常識こそ世界の常識やと勘違いしてる人が多いような気がしてね。都合の悪いことに、その人が権力とか財力とかを持ってたりすると、反抗でけへんようになるねんなあ。

寒くなるとHPの更新もままならない・・・わけはなく(^◎^;)。なにかとバタバタで暇がなくなってきてるんですな。更新するヒマが。バタバタはだいたい仕事の関係ですが。12月になったからというのもあるのかなあ。ともかく「今年中に」と思う人が多いようで。その気持ち、分からなくもないですが。

自分はどうかというと、そういう区切りみたいなものにはあんまり関心がないので、年を越してもええやんと思うんですけどね。

寒さ増す

「寒いですねえ」って言うのがイヤになるくらい寒いです。さらに冷えてきそうな勢いやな。

寒いと朝、起きられへんね。起きなあかんねんけど。今日なぞは、明日の声楽のレッスンに備えて練習せなアカンかったし。まあ歌ってるうちに、目が覚めてくるねんけどな。

土日も暗~いニュースばっかりで、気が滅入ってしまうであるよ。世の中どうなっておるのかねえ。年の瀬やというのに、なんか未来が曇ってきてしまうような気がするなあ。来年は来年の風が吹くと、脳天気なわしは思ってるんやけどね。そんなわしでもちょっと気が滅入る、今日この頃であるよ。

この土日は、映画をよく観たな。テレビでやけど。あ、1本はネットで。「キューティー・ブロンド」と「緑色の髪の少年」と「ファム・ファタール」。先週は「素晴らしき哉、人生!」の、見てないところ(最後の方)をネットで見たし。新しく本も借りてきたし、読んだのもあるし、感想もあるねんけど。
そんなこんなを書きたいねんけど、ちょっと時間がないな。まあ、ぼちぼちと。

300億円はどこに

みずほ証券が株式の誤発注で300億円の損害やと。想像でけへんナア。300億円。

こういう巨額の損害の話が出ると、いつも思ってしまうんですよね。その300億円は消えてなくなったわけやなくて、誰かの懐に入ってるわけやから、「ごそっと儲けたヤツはだれなんやろう」ってね。

まあ今回の場合は自業自得というか。それをだれかが得したとしても何とも思わないんですけど。これが国の税金やとなると話が別になるワナ。
前に国が面倒を見た銀行の不良債権。何億ものお金が、消えてなくなるわけはないワナ。誰かの懐に入ったままってことやろうに。どこに行ったか分からんまま。
もっと言えば国の借金。何兆ものお金が使われてるけど、どこに行ってるの。国が損してるってことは「誰かが得してる」ってこととちゃうんかなあ。

消えてなくなるわけはないやろうに。

スポーツ・ライブ

朝日新聞のスポーツ欄に「スポーツ・ライブの行方」という連載があって。短期の連載やろうけど。これがなかなか面白い。

スポーツとメディア、特にテレビ中継の問題ですな。昨日は野球の視聴率についてで。各球団の視聴率の表を載せてたけど。驚きましたな。巨人って視聴率ワースト3なんやね。パ・リーグより悪い。なにそれ。巨人戦を中継したくなくなる気持ち、分かるね。

それと球団による中継本数の違いにもびっくりやったな。今年はセ・パ交流戦があったからまだましやったんやろうけど。巨人が100試合を越えてるのに、一けたのチームもあっただよ。地元でも中継せえへんということか。いや、これは民放系列の視聴率の表やったから、ひょっとしてローカルUHF局では(サンテレビみたいに)放送してくれてるのかなあ。

この連載の初めのほうは(今日が4回目)、スポーツ中継のバラエティ化はどうか、という話やったな。何かというと前面に出てくるタレントたち。どうも中継してるスポーツとはあんまり関係なさそうな。しかし視聴率を取るためには仕方がないのか。

TBSが「筋肉番付」のスタッフでマラソン中継したら、非難の的やったとか。ああ、古舘伊知郎が中継したやつな。思い当たる。それぐらいひどかったな。しかし今や、あのスタイルがスポーツ中継の主流を占めとる。

フィギュアスケートは、今やほとんどNHKが独占で放送してるみたいやけど。以前民放でもやってたことあったなあ。あれもイヤやったな。確かテーマソングを松田聖子が歌ってて。もちろんバックには原田真二。それが話題で、競技の始まる前のステージを一所懸命中継してて。肝心の演技の中継をカットしてね。何を中継したいんだか。

そういう過剰演出がないぶん、NHKは信頼できる。来年のトリノ五輪の中継も、NHKを中心に見ることになるかもなあ。

洗濯

洗濯物がたまっていた。洗濯しなければ。天気がよいうちに。と思いつつ、朝寝坊が続いていたので出来なかったんだけど。今日は昨日よりちょっとだけ早起きできたので、洗濯実行。

わが家はベランダに洗濯機を置いている。乾燥機も一緒。で、洗濯かごもベランダに置いてる。断っておくけど、ベランダはめっちゃ狭い。どれくらい狭いかというと、洗濯機の幅がぎりぎりぐらい、狭い。おまけにベランダとの間のサッシは、30cmくらいの高さがある。ときどき足をひっかける。小指とか。そうするとめっちゃ痛い。今日は大丈夫やったけど。

ここ数日、洗濯しなければナア、と思ったのは、その洗濯かごが溢れかえっていたからである。この洗濯かご山盛りが、1回の洗濯料の目安なのだ。1回で7kg洗える。大容量はありがたい。

で、昨日あたりから、実は一昨日あたりから洗濯かごが溢れていたのである。洗濯物で。洗濯かごに入りきれへん物を洗濯機に直接ほりこむようになってしまっていた。こうなると洗濯も1回では無理かなあ、と思っててんけど。

今朝、ともかく洗濯機に放り込んでいったら、ほとんど入ってしまったであるよ(^◎^)。やっぱり大容量は違うなあ。ちょっとやそっとの量ではびくともせんということかなあ。頼りになるなあ。

空気も乾燥してるから良く乾くであろうナア。ほほほ。

紅白の司会

ふたり追加されましたね。仲間さんと山本さん。
山本さんは「スキウタ」のことをまったく知らんかったらしい。ははは。

このふたりが、どんな司会が出来るんやろなあ。
先日、FNS歌謡祭の司会に黒木瞳が出てたけど。ぶたこが
「セリフ以外はしゃべられへん人が、司会してどないすんねん」
と言うてましたな。そのとおりやね。
紅白のふたりは、大丈夫なんかいな。

いや、しかし。
紅白の場合、決められたセリフ以外言う時間もないやろうから、むしろセリフを間違いなく言うだけの人がよいのかもね。

となると、みのもんたは?

ミステリーを読みたくなった。

久しぶりに推理小説、ミステリーを読みたくなった。これも植草甚一効果やな。「効果」と言うか。いまだに影響されている。カブレているといっていいな。

先日市立図書館に行ったとき、文庫本の棚の前でミステリーの面白いのはないかと物色していたら、制服を着た高校生らしき女子二人連れが棚を見て、
「なあ、この赤川次郎って、知ってる? 聞いたことある?」
「さあ・・・・」
「なんかなあ、こないだテレビでやってたらしいで」

そうか。最近の子は赤川次郎といってもピンと来ないらしい。確かに一時のように出せばベストセラー、出せば話題沸騰ということは無くなったみたいやからな。といって、今まで出した本の価値が下がることはないやろうけど。

僕も昔、何冊か読んだことがあるけど。才能にあふれた人、って感じやったな。推理小説としてどうか、というのは難しいところがあるけど、ミステリーとしては王道を行ってたような気がするなあ。設定の面白さとか登場人物のキャラクターとか。物語の構成もしっかりしてて、サササッと読めてしまうねんけど、そのあとで「ああ、しょうもなかった」と思った記憶がない。ただ、「何を読んだか」と聞かれると、サッパリ思い出されへんのだな。

で、赤川次郎を読んだんやなくて。読んだのは森博嗣の「黒猫の三角」(講談社文庫)。かつての赤川次郎と同じく、出せばベストセラーになってるようなんですよね。どこが面白いんやろうと思ってね。最近のミステリーにも興味があったし。最近のミステリーというと、宮部みゆきぐらいしか読んでへんからね。

実は森博嗣の本を読むのは2冊目で。前に読んだのはミステリーではなく「アンチハウス」という、自宅を建てる顛末記やった。その時は森博嗣なんて聞いたことがなくて。これで「もり・ひろし」と読むのも知らんかったしな。ただ変わった建築の話は面白いやろなあと思って読んだんやけど。あ、以前の読書感想文を見たら、最後まで読んでないわ(^◎^;)。それに自宅やなくて、作業場兼ガレージの話やったわ。エエかげんな記憶やな。

ま、それくらいの印象やってんけど。ある時新聞の書評欄で、今週のベストセラーとかに名前が載ってて。へえ。ミステリーを書く人なんやあ。それも出してすぐの本がベストセラーになるくらいやから、人気あるんやろうなあ。と、その時初めて作家として認識したのだな。

それから図書館で改めて見てみたら、もうめっちゃいっぱい本を出してはるんですね。ミステリー、エッセイ、その他。それだけ需要があるってことで、きっと人気もあるんやろなあ。と思いつつ。その時はエッセイの最初の方を読んだら、どうも自意識が高いというか。ちょっと胡散臭いような気がして読む気が無くなったのだったな。イラストとか本の体裁とかがちょっといっちゃってる感じでね。ポップっていうこともいえるんやろうけど。僕の趣味にあわへんかったんやな。

ほんなら、ミステリーの方はどうか。と思って読んでみたわけ。ようやく本題やな。

ミステリーの本道を行く「密室殺人事件」。3年続けて同じような殺人事件が起こる。それも最初と2回目は7月7日。3回目は6月6日。そして被害者の年齢が、最初は11歳、二人目が22歳、3人目が33歳。ということは、今年の6月6日に44歳の女性が狙われるのでは。
そういう脅迫状を受け取った女性が、知り合った探偵に見張りを依頼するのだが、それも虚しく殺人は挙行される。さて犯人は。そして目的は。

と、こう書くと、なにやら「本格ミステリー」風に、横溝正史かなにかの「伝奇風」なってくるけど。文章の調子が軽いので、印象は全然違うんですな。軽い軽い。

まず、しょっちゅう出てくる比喩表現がサッパリ面白くない。「なんでここでこんな表現?。こんなたとえ?」と思うのが多い。「ミイラが入れそうな置き時計」とかね。なんか変。シャレてもいないし怖くもないし。ただの言葉遊びにしか思われへん。言葉遊びと言えば、題名にもなってる黒猫のデルタやけど、種明かしをされても「へえ・・・」と思うだけで「してやられたり!」という面白みが全くない。まあ、バックボーンの知識がないせいやけど。それがなかったら楽しまれへんというのは、どうなんかなあ。こういうエンターテイメント系の本の場合。

さらに本書の軽さを増してるのが、登場人物の名前。B級の少女漫画を彷彿とさせるややこしい名前のオンパレードで、「面白い名前でしょう?」と言ってる作者の顔が思い浮かぶようや。その顔、あんまり見たくない顔やな。「僕って、面白いでしょ?」って言ってる芸人のようで。芸人やったらそんなことをするヤツは確実に売れへんやろうけど、この人はベストセラー作家やねんな。面白いな。

本業は理系の大学教授らしい。これだけ売れてたらどっちが本業ということもないやろうけど。で、その理系の頭の良さというか、そういうのが前面に出ていてね。
それと、常識の範囲というか、「これくらいは説明しなくても」というのが多いような気がするなあ。よお分からんのだよ、というのがいっぱい。そこを解き明かしていく面白さみたいなのが、この作家にはまっていく道らしいけど。僕はあんまり興味がないな。なんでってね。解き明かしたところで「解き明かしましたね。このなぞなぞは、面白かったでしょ?」と満足げにほくそ笑む作家の顔が見えるような気がしてね。あんまりいい気持ちでない。

軽い軽いと書いたけど、後半の謎解きの部分では一転、哲学的な色合いを帯びてきて。この部分はこの部分で面白かったから、ここだけ切り離してまとめたらよかったのにな。前半3分の2は、はっきり言って余分。後半部分だけやったら、まとめようによっては一級の心理小説になったと思うのになあ。

推理小説のセオリーを逸脱してるとか、そういう問題もあるけど、それよりもっとこの本の残念なところは、そういう全体のバランスの悪さやろな。



本の内容とは関係ないけど、講談社文庫って字が大きいですね。それで、行の間隔がわりと詰まってる。何と比べて、というと、岩波文庫と比べてやけど。特に「タイム・マシン」は、字が小さくて間隔が広かったな。行の間隔がとても広い。

講談社やと行間はほとんど文字の幅の半分ぐらいなんやけど、岩波文庫は文字幅以上の行間がありましたな。字が小さいから、余計にそう思ったのかも。

1ページの文字数はどうなんやろうか。どちらが多いのか。ま、どっちでもええ問題なんですけど、ちょっと気になる。それぞれポリシーがあって、本の体裁、字のポイント数、行間は決めてると思うからね。

おなじ岩波でも、他の本は「タイム・マシン」ほど行間の空いたものはないようなんですね。何かの事情があってそういう体裁になったのかなあ。

で、問題は読みやすさなんですけどね。どっちが読みやすいか。これ、決めにくいですね。字の大きさは大きい方が読みやすいような気がするけれど、あんまり字が大きいと(変な言い方やけど)字が笑ってるように見えるんです。ページの中で字がワイワイ騒いでいるような感じ。まあフォントの種類にもよるんでしょうけど。講談社文庫は字がワイワイ騒いでる。で、ページの余白とかもちょっとしかないから、ページいっぱいに広がってワイワイしてるような感じを受けるんですね。

逆に「タイム・マシン」は、字が沈んでるというか。ちょっと寂しげに見えたりするんですよね。字と字が。寂しい。

これが図書館で借りるんやなくて、自分で買うことになってたら、やっぱり1ページに字がいっぱい詰まってる方が割安なような気がして、そちらを選ぶんでしょうけど。読みやすさという基準だけやと、やっぱり決められないんですね。



大学の図書館のHPがありました。いや、あるのは知ってたけど。蔵書とか新刊とかの検索が出来るんやね。うれしいな。便利やな。

さっそくちょこちょこっと検索。ううむ。プルーストは世界文学全集でしかないのか。リリーフランキーの「東京タワー」は。あった! しかし貸し出し中だ。貸し出し中かどうかも分かるのか。これは便利!

読んでみたい本のタイトルとか、作家名とかでも検索できるみたいやから、せいぜい利用しよう。

国会中継をビデオで観る

前回の参考人招致の時、かじりつきで見ていてなかなか面白かったので、昨日の国会中継もビデオで録画して、夜見ていた。さすがに休まれへんからね。

本当に追究したい、真相を聞いてみたい二人が出席しなかったこともあって、ちょっと肩すかし気味やったね。だんだん飽きてきたであるよ。そんな見方はアカンのやろけど。

ひとつには、ビデオで録画したものっていうことの気楽さもあったんやろな。ビデオを見るまでにニュースとかでちょちょっと映像は見てしまったわけやし。主要な話も大体聞いてしまったわけやから、「これから何が起こるんやろか」というドキドキ感もないしな。いや、そんな見方はホンマに良くないとは思うねんけど。

前回の中継でもちょっと思ったけど、質問する議員の資質って大事やと思うなあ。大体が参考人の態度とか受け答えに、怒りをあらわにしてはったけど。どうもポーズに見えて仕方なかったな。なんというか、演説に慣れてはるひとが言うとね。演説に聞こえるんやね。エエ声のひとが多いし。

そのうえ「わが党では今回の事件に際し、委員会を立ち上げ・・・」とかいう自分たちの取り組みを紹介するのも忘れてないしな。そんな話は聞きたくないねんけど。別にどうでもエエねんけど。まあ、一番話を聞きたい人が欠席したわけやから、言うことがほかに無くなったんかも知れへんけどなあ。

前回に比べて国会議員さんの演説が長かったであるよ。いろいろ用意してきはってんやろなあ。民主党は得意のパネルまで用意して。こんなこんなことを追究したかったのであるよ! というアピールにはなったけど。裏付けが今回の参考人招致では実現でけへんかったね。残念でした。



中継のあと、ぶたこがついでに録画しておいてくれた「ちちんぷいぷい」での解説がとてもよかった。あいかわらず分かりやすい。庶民の視点から外れてないのがいいね。

その中で、毎日新聞の解説員の人(名前忘れた。与島さんやったかな)が言うてたけど、みんな証人喚問、証人喚問と言うてるけど、証人喚問やったら欠席はしにくいけど、逆に自分に都合の悪いことは、証拠として使われたくないということで証言を拒否することもできる。証人喚問の前に起訴されると、そういうことが起きる可能性があるんですね。一種の黙秘権かな。昔々、鬼頭弁護士がそんなことを言って、国会での証言を堂々と拒否してたな。誰やねん、それ。誰も知らんて。そんな昔の話(^◎^;)。

もっと面白かったのは(言い方が不遜ですみません)、国土交通省の対応で。政府・自民党は今回の件でどうも業者側に寄っているような印象を与えてしまっている。国土交通省が早急に対応策を発表したのは、そういう印象を払拭しようとしたからではないかという話。それは考えられるね。

どうも今回の件では、ウラに大きな利権構造があるような気がしてならへんねんけどなあ。イーホームズの検査官って、ほとんどが国土交通省の天下りらしいし。だいたい民間が検査できるようになったのはなぜ? 国がすべての検査を行うのが、量的に難しいから。でも、やってることがずさんやったら何にもならへんやんなあ。ただの天下り先を作っただけであるよ。

と、ここまで考えると、そこに利権というか保身というか、そういうものが構造としてあるんではないかということに考え至るんやな。さて、そこまで解明されるかどうか。

文字多重放送

「こんなん読みました」を読書日記風にしたら、とても書きやすくなった。どうも決まった書式よりもダラダラ書くのが性に合ってるらしい。

こうなったらついでに映画の話も音楽の話も、同じようにダラダラ書くようにしたらええんかいなあ、と思ったんやけど、ヨオ考えたら映画は本ほどには毎日見てないから、日記風にはでけへんし(^◎^;)。音楽は、まあ毎昼休みはMDを聞きつつ昼寝しているので毎日聞いてることは聞いてるけど、気に入ったのを繰り返し聞いてるだけやから日記にするのもナア。

ソオいえば、昔はよおテレビで映画を観てたよなあ。深夜映画とか。最近観ませんね。深夜映画でも「観たい!」と思うのが少なくなってきてね。Vシネマの使いまわしとかが多いような気がするし。どうせなら古ーい映画をやってほしいねんけどなあ。戦前のハリウッド映画とか戦後すぐの日本映画とか。ノーカットならなおいいねんけど。時間的な制約も少ないやろうからね。深夜やったら。

何で深夜にこだわるかというと、ゴールデンで放送される洋画は今でも吹き替えが主流なんですよね。で、これがあんまりしっくりこない。というか、最近とくにしっくりこなくなってきた。
先日放送された「ハリー・ポッター」は最悪やったな。「秘密の部屋」は、面白いかもと思ったけど、吹き替えがどうもね。まあいかにもハリウッド映画っていうのもイヤやってんけど。
ともかく吹き替えの話。ハリーくんがなんであんな甘ちゃん坊やにならなアカンのか。スネイプ先生はもっと威厳があってほしい。というようなことは、原作を読んでなくても元の俳優の声を聞けばイメージが沸くと思うねんけどなあ。吹き替え担当のスタッフが、そこまで思い及ばなかったということか。うむむ。

で、そういう気に入らない吹き替えを何とか字幕で楽しめないかと思ったわけ。そすると、今やほとんどの番組で「字幕放送」をしてるんですよね。ということは、英語で映画を観ながら、字幕放送で日本語字幕を読む、ということができるのかしらん。

そう思い至って、字幕放送のことをちょっちょっと検索してみた。
「文字多重放送」というんだそうで。そういえばそんな言葉を聞いたことがあるな。専用のチューナーも売られてるけど、種類は少ない。
で、専用チューナーが少ないのは何でやねん? と思ったけど、デジタル放送やとデフォルトで文字多重放送が受信できるらしいのですな。地上デジタルになったら、デジタルチューナーが内蔵されたテレビなら、字幕放送が楽しめるというわけ。そうか。

2011年からは、ともかくデジタル放送だけになるわけで。そうなるとテレビも買い替えやな。今のテレビ、どれくらい前に買ったやろか。10年くらいにはなるか。まだまだきれいに映ってるので、買い替えるのはもったいないなあ。って、あと6年も経ったら、どうなるか分からんのに(^◎^;)。もう心配してる。

もうひとつ心配なのは、どうやって運ぶか。テレビ、重たいんです。たぶん50kg以上はあると思う。ひとりではとても運ばれへん。
あ、そのときは業者さんに運んでもらえばええのか。いや、まだまだ先の話ですよ、もちろん。
ただ字幕放送が観たいためにテレビを買い替える気には、ならへんもんね。

もひとつ。文字多重放送でグーグル検索してみたら、出てくるわ出てくるわ、パソコンの宣伝(^◎^;)。いまやパソコンでテレビ番組を観る時代か。
そこそこの機能で、テレビまで観られる。しかも大画面。20インチ液晶とかもあるねんなあ。

昭和の住宅

建築の写真集とかを見るのが好きだ。特に好きなのは住宅。それも狭小住宅と呼ばれるものには憧れすら感じてしまう。
本屋で立ち読みするときも、ついつい「新建築」とか「モダンリビング」とかを読んでしまう。そういう本は、買ってしまうのにはもったいないような気がするのもあって。立ち読みで読んでしまうんですよね。

図書館で借りてくる本でも同様。買うのはちょっともったいないけど、じっくり見てみたい。まさに図書館様さまなわけなんですな。

借りたのは「昭和住宅メモリー-そして家は生きつづける。」(HOME編集部・エクスナレッジ)。昭和初期から建てられた住宅について、いろんな人が取材し、いろんな人が論を述べてます。対談とかもある。著名な建築家の話も。「タンポポハウス」で有名な(ほかのことでも有名やけど)藤森照信さんとか。

大型の本で、いろんな角度から昭和の住宅について語られてるし、取り上げられている住宅もいろいろ。こうなると本としての統一性とか、そんなものはありませんな。まあ読み手にしてみると、気に入った住宅がどれかあればええねんから、あんまり関係ないともいえるけどね。
それに、通して読んでみても、これで昭和の住宅について概観できるかっていうと、どうもそれは難しそうやな。なにしろ個性がいろいろすぎて。ひとつの体系とか、そういうものにまとめるのがどだい無理な話やからなあ。

以前、中村好文の「住宅巡礼」で、ル・コルビュジェの「休暇小屋」を見てから、ずっと狭小住宅に憧れてるんですよね。それからいうと、この本の中では立原道造の「ヒアシンスハウス」が、とっても気に入ったな。だいたい立原道造が建築家やったとは、全然知らんかったし。

あとはね。川合健二の「コルゲートハウス」と鯨井勇の「プーライエ」。
後者は狭小住宅の続きで好きなんやけど。
「コルゲートハウス」は、初めて見たときはいつやったやろう。テレビで「奇妙な家訪問」みたいな番組で見たんやったな。思えばあれから住宅建築に興味を持ったといえるかもなあ。工事用のコルゲートチューブ(だったかな)をそのまま住居にした建物。土台も基礎もなく、円形のチューブやから「地震の時は転がるだけ」らしい。

この二つとも、もう何十年も前の建築なんですよね。それが驚きやな。いいものは長持ちするのかも。というより、その家に住む人の愛着とか、冷たい言い方になるけどきちんとしたメンテナンスとか、そういうのがあって初めて家が家として生き続けられるのかなあ、という思いはしたな。

寝坊

とうとう寝坊してしまった。いや、きのうも寝坊といえば寝坊やってんけど。仕事に遅れることはなかってんけどナア。今日はばっちり、遅刻であるよ(^◎^;)。駅に着いた時間が始業時間であった。あ、降りる駅ね。
腕時計をしてないので、時間はそこら辺にある時計を見るクセがついている。駅には必ず時計がありますよね。しかも正確。腕時計より正確やろう。
で、駅を降りたらちょうど始業時間。ちなみに10時です。ゆっくりやね。すみません。誰に謝ってるんだか。

遅れているので急いで会社へ、とはならんのである(^◎^;)。いつもどおりにコンビニで昼食用のおにぎりを買って。いつもどおりのスピードで歩いて、いつもどおりにエレベーターで職場フロアへ。

もちろん遅刻なんやけど、みなさんあんまり気にしてる様子もなく。ま、午前中にというか、11時過ぎに出かけるのでそれまでに片付けて!という仕事はあったけどね。危ない危ない。あ、出かけるのはもちろんわたくしではありません。

遅刻したのは最初に書いたとおり寝坊したのが大きな原因やけど。寝坊したくせにいつもどおり、朝刊を読んで朝御飯(トーストとコーヒー)を食べて、いつもどおりに歯を磨きヒゲをそり(昨日剃ってなかったからね)、などとしていたせいで、昨日より早く起きたのに遅刻したのである。たはは。われながら、何をやっておるのかと思うね。

仕事に遅れたといっても5分程度やし。と、勝手に納得してる。最低なヤツやな>わし(^◎^;)。

今年の紅白は

おかしな話やけどなあ。他局の番組をこれだけ話題にするのって。紅白歌合戦以外、ありませんな。
誰が出場するか、誰が出ないか。みんな話題にしてるけど。

普段はそんなことはしませんよねえ。他局の話題。不祥事とかは別として。
紅白歌合戦は例外中の例外やねんな。

あんまり面白くなさそうなんやけど、やっぱり今年も見てしまうんやろな。
殴り合いで今年を締めくくるより、ちょっとはマシやろうからな。

どんなページにするのか考えあぐねている

だらだらと本のことを書くだけにしようと思ってるんやけど、どういう体裁にするのがいいのかを考えあぐねている。いちおうフレーム表示にして、左側に本の題名をズラズラと並べてはいるのだけれど、はっきり言って見にくいよなあ。
でも、いい考えがすぐには浮かびそうにないので、しばらくはこのままかなあ。



僕は昔の小説っていうのが大好きで。それっていうのはたぶんある程度保証されてるっていうか。今になっても出版され続け読まれ続けられてるってことは、面白いかためになるか、ともかく読んで損はないっていう予想がつくからなんやけど。

それと、教科書とかに載ってる名作を、実際どんなものなのか体験したいっていうのもあるな。よく「高い評価を受けた」とか「歴史に残る名作である」とか書いてあっても、自分にとって面白いかどうかは別問題やからね。実際に読んでみないと、自分の中での評価はでけへん。
しかし、そういういわゆる「名作を読んだ!」という喜びみたいなものはあるけどね。どんなに退屈な話やったとしても。

で、何を読んだかっていうと、H.G.ウェルズの「タイム・マシン」(橋本槙矩訳・岩波文庫)なんやけど。SFの古典やね。

タイム・マシンを作って80万年後の未来の地球に行くっていう話で。そこは地底人モーロックが地上人エロイを家畜のようにしている世界やった、という話。
昔映画を観ましてね。その印象が強いねんけど。後ろに円盤を背負った、なんというかミシンのお化けのようなタイム・マシンがね。白い肌に大きな目のモーロックも覚えてるなあ。つまりはビジュアル的に印象が強いので、読んでてもそういうイメージが沸いてきてね。
ありがたいことにストーリーはほとんど変わってなくて。ほぼ原作どおりに作っててんなあ。最近再映画化されたらしいけど、こういう古典のSFは、最近のCG映像にはそぐわへんのではないやろか、などと考えてしまった。映像技術が昔の想像力を超えてしまってるからね。むしろレトロな映像で見たいかな。

映画のことより。本の内容やけど。
今読みますとSFというよりファンタジーかスリラーに近いですな。一緒に収められた9編の短編も含めて。これとシェリーの「フランケンシュタイン」と、どう違うかと言われたら、さてどうでしょう。どちらも「古典的SF」とも言えるし「古典的スリラー」とも言えるよね。

そして、どれにも共通して言えることは、その当時の「未来」に対する考え方やね。当時のというよりウェルズの、と言った方がいいのか。
労働者と貴族の対立とか。産業の発展とか。その結果、世界がどうなるのかっていう、不安のようなものが大きく働いてるような気がするなあ。全体に。

一緒に収められてる9編は「水晶の卵」「新加速剤」「奇蹟を起こした男」「マジック・ショップ」「ザ・スター」「奇妙な蘭」「塀についた扉」「盗まれた身体」「盲人国」
今につながるSFとしては「水晶の卵」が、視点の面白さがあるな。あとわしの好みとしては「マジック・ショップ」が、どうみてもSFじゃないけど (^◎^;)、話としては一番面白かった。何かが起こるようで起こらない、でもこれから起こるんじゃないか、という不安がとても怖い。あ、やっぱり「不安」なんや。



植草甚一さんの「小説は電車で読もう」は面白かったな。本の紹介がほとんどなんで、実際に読んでないとわからんことも多いねんけど。それに僕なら絶対に読まんやろうという本もいっぱいあったしな。

この本は植草さんが月刊・週刊の中間小説誌を読んで、その感想とかを書いてはるんやけど。前に書いたとおり小難しい分析やら蘊蓄やらがなく書かれているのがとても気持ちいい。
これを読みながら、全然畑違いなのかもしれないけれど、モームの「世界の十大小説」を思い出した。
モームが、どっかの雑誌社だか新聞社だかの求めに応じて、十冊の小説を選んでその評論をしてるんやけど。評論というより紹介に近いかな。それも植草さんと似てる。

いや、なにより似てるのは、モームの視点が「楽しみのために読む」ということに徹底されているところでね。それが植草さんと共通するんやないかなあと思うのですよね。
で、面白いかどうかということが主眼なので、取り上げている小説でも途中退屈な箇所があれば「飛ばして読めばいいのである」と堂々と言ってのけてるのである。
「飛ばして読む」なんて・・・(^◎^;)。それを読んだ当時のわしには考えられへんことやったけどね。話の筋が分からへんようになったら、どないすんねんやろうとか考えてしまったよ。

しかし、このまえに書いた「タイム・マシン」では、中にはちょっと退屈な作品もあって。それはぱぱぱっと読み飛ばしてしまったな。
思いきって「飛ばして読む」ということは出来そうにないけど、「読み飛ばす」ことはできるようになってきたかも。

で、植草さんの本によると、「大体の筋道はわかってしまうので、適当に読んでも大丈夫」になってくるのだということが分かってきた。ある程度のパターンが自分の中で分かってきてしまっているのか。
まあ植草さんによれば、それは「中間小説」というジャンルのなせるわざともいえるらしいねんけど。

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