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011:【マライアおばさん】ダイアナ・ウィン・ジョーンズ(田中薫子訳・徳間書店)

「マライアおばさん」という、気の抜けたような題名、表紙の、紫色の上着を着て肘掛け付きいすにでんと腰掛けているおばさんのイラスト(その前には鍵つきの日記)、表紙の折り返しには、あらすじのほんの最初の部分が書かれていて、それを読むと「世話やかれ好きおばさんにこき使われる母娘の奮闘記」なのかなあと思ってしまう。で、はじめの方こそそのムードなんだけど。途中でなんだか、魔法調になってくる。まだ幽霊が出てくるぐらいならいいけれど。うわっ、魔法の呪文。魔法にかけられたあ。しかも、いつのまにか自分も魔法を使えるようになってたり。いやはや。

お父さんが行方不明になって、おばさんの家にちょっと様子を見に行くことになったミグとクリスの兄妹とお母さん。マライアおばさんは杖をついていて歩くのも困難な様子。しかもご近所のおばさんたちもしょっちゅう集まって、お母さんはてんてこまい。そのうちクリスは自分の部屋に幽霊が出たというし。

最初のキャラクターを生かすんなら、なにも魔法が出てこなくてもなあ、と思ってしまってはいけないのでしょうか。ちょっとできすぎなような。途中から「なあんや」という空気で読んでしまったよ。結局は、選ばれた人間がいちばん強い、なんてなあ。

「ハウルの動く城」の原作者やねんて。なるほどねえ。まあ、物語は破綻はしていないけれど。
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クレーメル、マイスキー、アルゲリッチ

若いころは、クラシックというとオーケストラ、それもマーラーだとかベートーヴェンだとかの迫力のある、大仰なものをよく聴いていて、室内楽なんか、聴いてもすぐに寝てしまったり、まあ弦楽四重奏曲ぐらいになるとなんとか楽しんで聴けるかなあという程度だったんだけど、このごろは無性に室内楽に傾きつつあって、何かちょっと聴きたい、と思ったらピアノ曲であったり、バイオリンソナタであったり、なんてことになっている。
年をとったということかなあ。それでも聴くのはベートーヴェン、ということになるんだけれど。モーツァルトをゆったりとした気持ちで、という境地にはなかなか。ま、気分によっては聴きますけどね。

アルゲリッチをめぐる三角関係、というのはないと思うけど、この三人は仲がいいのかしらねえ。それぞれがベートーヴェンのソナタ(バイオリンソナタ、チェロソナタ)を録音しているのを聴いてます。
三人とも、個性がきつそうなんだけど、我が強いんだけど協調性もあるような気がするなあ。なんか矛盾した言い方ですけどね。それぞれがリードをとったりとられたり、そういうのを楽しんでいるような気がする。
クレーメル+アルゲリッチのバイオリンソナタを聴きつつ、そんなことを思ったのです。第1番ではピアノが音楽を引っ張っているような感じ。というか、はつらつと疾走する駿馬(ピアノ)に乗って、自由に走らせながら手綱を引き締めている騎手(バイオリン)みたいな。でも「スプリング・ソナタ」になると、逆に鞭を振るってたりして。それでもって、お互いがお互いの要求するものに余裕で応えられるだけの技量を持ってるもんだから、これでどうだ、ちょこざいな、ではこれでは、とやってるうちに音楽がどんどんすごいことになっていくような、そんなドラマを感じてしまうのです。
そうか、これが室内楽の楽しみなのか。指揮者のいない1対1勝負。とても楽しい。

フォーリーブス

訃報はぶたこから教えてもらいました。青山孝史さん。まだ若いよなあ。前に「徹子の部屋」で、
「これは一時の再結成じゃなくて、これからずっとやり続けるってことです」
と言ってたから、まだまだずっと、ひょっとしたらおじいさんになるまでやり続けるのかなあと思ってたのに。

「とくダネ!」で小倉智昭さんが、
「「ヤンヤン、歌うスタジオ」で一緒にやってたんです。今、権利関係が難しくて、古い映像が出せないのが残念です。再結成してからじゃなくて、むかしのピチピチした若いころの映像を是非お見せしたいのですが」
と言うてましたわ。そういえば、再結成してからの映像しか流れてませんね。去年の11月のコンサートの様子が出てたけど、あの「ブルドッグ」を、4人が座ったまま歌ってたなあ。
再結成したての最初は、ちょっとぎくしゃくしてたようにも見えたけど、ぼくが見たステージはほんとにエンターテイメントが素晴らしかったよ。
これから3人でツアーを続けるらしい。がんばってほしいなあ。

#ユーチューブで、ちょっとだけ昔の映像が見られるみたいです>ぶたこ、サンクス

エプロン姿

昨日、カレーを作ったのだ。で、今日はその続きというか、まあカレーは一回に何食分も作るので(今回は5食分できました)、温めなおして食べたのだが、ちょっと鍋を焦がしてしまったのだ。
まあ、たいした焦げでもないので、せっせと洗い物をしているところに、玄関のチャイムが。
2階の窓を開けて「はい」と返事をすると、
「あ、新聞の集金です」
という若い女性。一瞬、ひるんだ様子。

さて、この女性は、エプロン姿で2階から顔を出した中年のおっさんを見て、どう思ったでしょう?

1.インフルエンザに罹って寝込んでいる妻の代わりに、家事をすることになった優しい旦那

2.中国人の奥さんが、旧正月で実家に帰ったので、ひとりで食事の用意をする国際カップルの夫

3.奥さんと子供に愛想を尽かされた、家事全般を自分でやらなければ気がすまない家事マニア

4.料理研究家、奥村彪生の親戚

どれもハズレです(あたりまえじゃ)

大阪国際女子マラソン

今日あるなんて、思ってなかった。あんまりニュースとか気にしてみてなかったし。
で、昼間、何気なくテレビをつけたら、もう先頭集団が10人くらいになってた。29キロ。渋井陽子がスパートしたところ。
いやあ、強かったですねえ、渋井。終盤になって後ろを振り返って、誰もいないので「あれ?」という顔をしてたのが面白かった。
本来の強さを発揮したかなあ。なにしろ、前のレース(東京国際女子)から2ヶ月しか経ってなくて堂々の優勝。おめでとう、ですな。

それにしても、もうアルフィーはいらんよ。関テレさん。
「コマーシャルが長いなんて、言わないでください」
ナイス! 大橋アナ。

m10:【ザ・ビートルズ】ザ・ビートルズ

寒いですねえ。寒波到来、って何回言ったかなあ。インフルエンザも流行ってるし、気をつけなければ。

ビートルズのいわゆる「ホワイト・アルバム」です。CDになっても2枚組でした。
前にも書いたかなあ。わたくし、若い頃はビートルズを真剣に聴いたことがありませんで。音楽に興味を持ち始めたころにはもう活動休止していたし、で、毎年のように「再結成か?」という噂が飛んで、それにもなんかうんざりしてたし。
というわけで、ビートルズの曲を知ったのはほとんど人づて。ラジオから流れる曲とかを聴くぐらい。音楽好きの友だちがあれこれ講釈を垂れるのを聴くにつれ、さらに真剣に向き合うことがなくなりました。

で、初めて聴きました。ホワイト・アルバム。
いやあ、実にいろんなことをやってますなあ。聞き慣れてるはずの「オブラディ・オブラダ」が、こんなことになってるとは。まあ昔に比べていろんな音を聴き取れるようになってるのかなあという気はしますが。バックでいろんな効果音が「あれ?」とか思うぐらいに出てくる。おもろい。

ただし、巷で言われているように、トータルなアルバムの印象としてはバラバラ。一つ一つの曲はまあいいとして、いろんなことを好きにやりすぎて、まとまりがなくなってるみたい。まだ「サー・ジェント・ペパーズ」の方がまとまってたかなあ。あれは一つのアルバムでできることに挑戦する意欲みたいなものが詰まってる気がするけど、こちらはちょっと落ち着いて、落ち着きすぎてまとまりませんでした、という気がします。
実験的なことをいっぱいやってましてね。特に「レヴォリューションNo.9」なんか、まさに音のコラージュ。なんだけど、作品の完成度としてはいまいち。この曲がもっと完成度の高いものになってたら、アルバム全体の印象ももっとまとまりのあるものに感じられたかも。

で、余分なことを言うと、10ccファンのわたくしとしては、あ、10ccや、と思う曲が多かったです。って、主語が反対なんですけどね。

祝! まいど1号!

「まいど1号」って、いい名前やと思いませんか? 大阪らしくて。しかも、大阪の中心からちょっと外れた東大阪で作ったっていうところがまた爽快というか痛快というか。
昨日、どっかのチャンネルで長島一茂が
「もっといい名前を、公募とかしたらよかったんじゃないですか?」
などと言うてたが、この名前の良さが分からんやつは分からんのだろう。分かってほしいとも思わんが。

最初、「東大阪から人工衛星」という話を聞いたときは、まあ、なんちゅうアホらしいことを、と思ったもんですが、ほんま、反省します(_◎_)(_◎_)(_◎_)
やればできる、ってことがあるんですね。

で、まだちゃんと動くかどうか、分からんのですね。なんとか軌道には乗ったらしいけど。これからですな。期待しましょう。

010:【自然な建築】隈研吾(岩波新書)

建築家隈研吾が、自作の建築を通じて語る建築物語。20世紀を代表する建築材であるコンクリートを否定し、自然な建築とは、と問いかける。
だが、そこに「環境保全」とか「自然保護」とかいう、堅苦しい論はない。どちらかというと、「まあ、こんなもんでええんでないでしょうか」という柔軟さが目立ちます。
「予算が足りないなら、その中でなんとかしないとねえ」みたいなね。あくまでも我を通そうとするのではなく、その場その場の要請と予算と工期に柔軟に対応していく姿勢。むしろこの姿勢こそが「自然」という言葉にふさわしいような気がしましたね。

009:【縞模様のパジャマの少年】ジョン・ボイン(千葉茂樹訳・岩波書店)

夜になって、雨ですわ。あ、なんか久しぶりに書いてる気分。で、表題と関係ない話ですみませんね。
寒さが和らいでるようで、でも雨が降ると何となく気分は寒々。アメリカで新しい大統領が就任したのにねえ。時代は変わっていく。まあ、毎日毎時間変わっていってるんだけど、実感することはなかなかありませんからね、こういうことでもないと。

物語は第二次大戦中のドイツ、ポーランド。ドイツ将校の息子、9歳のブルーノは、家族で住み慣れたベルリンから引っ越すことになった。引っ越した先は野原にぽつんとたった一軒家。家もないから友だちもいない。でも、広い庭の向こうには鉄条網のフェンスがあって、その向こうにはたくさんの「縞模様のパジャマを着た丸坊主の人たち」がいた。探検好きなブルーノはフェンス沿いに歩いていく。そしてそこでひとりの少年と出会う。毎日フェンス越しに話をするようになって・・・・。

このブルーノという少年が、どうしようもなくおぼっちゃまで、無知にもほどがあると思ってしまったな。ユダヤ人という言葉も知らない。そんなことあるんかいな。9歳で。まあ、フェンス越しに話をする友だちという設定がファンタジーじみてるけど。
で、ファンタジーで終わるのかと思いきや、という結末になるのですな。ううむ。これはいろんな意味にとれるなあ。

配達員?

晩ご飯の用意をしようというときに、「ぴんぽーん」
窓から外をのぞくと、
「配達員の○○です」
という、若いおにいさん(暗くてよくわからなかったけど)
宅配便かいなと思って玄関を出ると、新聞の勧誘でした(-◎-;)
有無をも言わさず液体洗剤に詰め替え用ぱっくを2つ持たされて、今とってらっしゃる新聞は? という話。いや、変えるつもりはないですけど。そこをなんとか、といいつつ、今度はビール(発泡酒?)の6本セット。わたくし飲みませんが。じゃあどなたかお知り合いに渡してもらっても。そんなん言われても。だいたい契約するつもりもないし。
すると、契約書の綴りみたいなのを出してきて、
「ぼく、アルバイトなんですけど、これであと1件契約がとれたら正社員になる可能性があるんです。あと1件なんで、なんとか、先のことでもいいですからおねがいできませんか」
あほか。なんと言われても変えるつもりはありません。
「そこをなんとか、おとうさん」
誰がおとうさんや。
持っていた(というより、押しつけられた)液体洗剤一式を突き返して、さようなら。

けっこう若いにいちゃんやったのになあ。いまだに使うか、「おとうさん」というフレーズ。
なんか、そういうフレーズを使ったり、同情をひいたり、商品でひっかけたりという手段がそもそも気にくわん。「うちの方がこれだけ優れた新聞です!」と、なぜ言わんのだ。内容で勝負せえ。
内容は関係ないと思ってるねんなあ。読者は内容で読んでない、と思ってるねんなあ。バカにされた気分。

映画:地獄門

KBS京都テレビというのは、一度つぶれかけて、何とか持ちこたえたローカルテレビなのです。で、毎週水曜日の7時から「邦画招待席」というのをやっておりまして。1950年代、60年代の時代劇を中心に放送しておるのです。解説は映画監督の中島貞夫さん。
で、たいがいは古き良き時代の東映、東宝の時代劇(片岡千恵蔵とか市川右太衛門とか大友柳太朗とか中村(萬家)錦之介とかが主演する活劇)をやるんですが、ときどき面白そうなものも放送するんですね。
昨日は「地獄門」でした。面白そうなので見たのです。
なんで興味があったかというと、これ、カンヌ映画祭でグランプリをとったんですね。「羅生門」に続く、国際映画祭での日本映画の受賞でありました。だから、どんな素晴らしい映画か、と。

で、簡単に感想を書くと、「まあ、こんなもんか」というものです。確かに色彩は美しい(大映初のカラー作品だったそうです)。特に月明かりの青みがかった画面なんか。衣装も(源平の時代)きれいだし、主演の京マチ子はお雛様が動いているように美しい。
でも、見るべきところはそれだけかなあ。お話は、平家に使える野卑な侍(長谷川一夫)が、合戦の最中にある女に一目惚れ。ところがそれが人妻と分かって、その夫を密かに殺害しようとするが、誤ってその女を殺してしまう。夫に懇願して殺してくれと頼むが、
「お前は死ねばそれですむだろうが、残された俺はどうなる? ひとり生きて苦しみ続けるのか」
と言われて、出家を決意する。
とまあ、「地獄門」という題名とあまり関係のない筋なのでありますな。
解説の中島貞夫さんによると、
「「羅生門」が当たったので、二匹目のドジョウをねらったんでしょう」
と、ミもフタもない解説でありました。でもそのとおりでしょうねえ。しっかり国際的な評価ももらって、しめしめと思ったことでしょう、大映さん。

で、映画そのものはそんなところだったのですが、書きたかったのは映画そのもののことではなくて、この番組です。
7時に放送が始まって、わくわくして待ってたら、CMが長くてなかなか本編が始まらない。ようやく解説が始まって、「では、またあとで」と言って、さて始まるかと思いきやまたコマーシャル(関西でおなじみのやのぱんが通販の宣伝をしておりました)。
大方10分もたったころ、ようやく始まりまして。なんやこれ、と思いつつ見てたのですが。
なんと、映画本編が終わる8時40分ごろまで、CMが一回もないのです。
つまり、CMは番組の最初と最後にかためてたんですね。いやあ、良心的。おかげで本編の間はずっと映像にはまることができました。なんか、やるなあKBS。

ええかっこしい

政治家って、ある程度はええかっこができないといけないのかもしれないとは思うのです。だらしなくしてると信頼できない、というのは、見た目だけで判断してるっていうそしりを受けそうですけど、まあ、見た目で判断してるんですね。
でも「かっこええ」と「ええかっこしい」とはちょっと違うわけでありまして。前者はほれぼれするけど、後者は笑ってしまうか呆れてしまうか、まあ、底が浅いのがよく分かってしまうわけでありますな。
で、渡辺さんはどうもええかっこしいのような気がして、なんだかなーという気分なのです。もちろん、政治的信念というのは持ってはるんでしょうけど、どことなく、
「あ、今オレ、テレビに映ってる」
と思っているような表情に見えてしまうのですな。損なことかもしれませんが。
ま、そう思ってるなあ、というのはこの人だけじゃなくて、えっといっぱいいすぎて分からんぐらいです。ああ、一番偉い人もそんな感じに見えるなあ。

で、国は国でそんなんで、わたくしの地元東大阪では、市長と議会が対立して市議会が開かれない状態がずっと続いておりましたが(市長と議長の主導権争いにしか見えないのですが)。昨日、ようやく始まったらしいです、9月議会が。
それというのも、新年の会合で地元の名士、元国会議員のタヌキ親父が「しゃんとせえ」と言ったのがきっかけで、ということだから、まあ誰の言うことを大事に思ってるのかいなと思わずにいられません。上からの物言いしかできない人ほど、そのさらに上の人の言葉しか聞かないようでして。
この力関係は、250年前のムラ社会そのものやなあとしか思えません。いっそ議員も市長も世襲制にして、なあなあでやってもらえばすっきりするかも。どうやら身分格差も復活してきたようなご時世ですし。昔に戻るか、なにもかも。

008:【なみのひとなみのいとなみ】宮田珠巳(朝日新聞出版)

いやあ、今日は寒かったですねえ。台所ではあってため息をついたら、ため息が白い固まりになってふわりと浮かぶくらいに寒かったです。金曜日までは寒波が続くみたいやなあ。気をつけないと。

さて、宮田珠巳さん。時々朝日新聞紙上で、お名前を拝見するのですが、正直、どんな人なのか何の人なのかよく知らないのです。紀行エッセイスト。へえ、そんな職業なのか。ジェットコースターにも詳しいらしい。ということはこの本を読んで初めて知りましたけど。
で、紀行文でないエッセイが初めて、なのがこの本なのだそうです。
実は、題名に惹かれて読んだのでした。いいかんじじゃないですか。ぜんぶひらがなやし。なんとなく肩の力が抜けそうな気がしまして。

で、読んでみたら確かに肩の力は抜けるんですが。なんだかもどかしい気分になるのはなぜでしょう。ちょっとツッコミを入れたくなる文章のせいかなあ。これが土屋教授だと、そう思わないんだけど。同じような文章でも。そこまでまだ自分を低く客観的に見れてないのかなあ。などと偉そうに思ったりするのであります。でも、たのしいですけどね。気が楽になるし。

007:【ムーミン谷の彗星】トーベ・ヤンソン(下村隆一訳・講談社)

ムーミン童話の記念すべき第1作。だと思う。「だと思う」というのは「記念すべき」だと思う、ということ。記念しなくてもいいって? そんなことはない。ここからいろんなお話が始まるのです。初めてスナフキンに出会うし、ジャコウネズミもはじめてムーミン谷のムーミントロールの家にくるし、初めてスノークとスノークのおじょうさんとムーミントロールが出会うんだし。ヘムルのヘムレンさんは切手集めが「仕事」で、昆虫採集をしているヘムルとは同族別人なのですね。なんて、ちょっとマニアックに面白いところがいっぱい。

それよりなにより、彗星が近づいてきて地上は大わらわ。でもムーミントロールたちはかまわず旅に出かけたりして。ああ、いちおう天文台に行くという理由はあるんだけど。そんなことは忘れてしまいそうになるくらい、まあいろんな冒険に出会うのであります。

で、所々ナンセンスなところがあったり、ぐほっと笑ってしまうユーモアがあったりしながら、そして彗星がぶつかる! というスリルもありながら、「そろそろ逃げましょうかね」なんてちょっとのんびりしていたりして。いやあ、なんともとろりとした時間が流れて、楽しいのであります。それぞれの登場人物の特徴もとてもよく出ていて、ほんまに面白い。で、それぞれが完全でなく、でも助け合い、でもべったりでもなく、という関係が非常によろしい。こころ穏やかになるなあ。こんな生き方。生き方の本じゃないけど。

今年の年賀状(_◎_)

遅ればせながら(^◎^;) 今年の我が家の年賀状です(_◎_)

nenga2009.jpg

メインはぶたこです(^◎^;)

白い紙

今朝の朝日新聞は、真ん中に織り込むような形で「GLOBE Aashi」とかいうのが別刷りではいっている。内容は、世界的な視野で、なんてことなんだろうか。普通の国際面とはちょっと違っているのかな。その辺、国際面をいつもしっかり読んでいるわけでもないので、よくわかりません。オバマさんのことがたくさん載ってるなあと思ったくらい。

それと、この別刷りだけ、生地の色が白っぽいのですね。はっきり分かる。ほかの誌面と紙質が違う。
まあ、生地が白いとカラー写真なんかの写りがたぶんかなり違うんだろうなあと思う。よりオリジナルに近いというか。でも、なんとなく今まで黄ばんだ色の生地に書かれた記事(シャレではありません)を読み慣れた目から見ると、まぶしくて疲れそうな気もする。もっとも、今の新聞の色だって、昔に比べたらずいぶん白っぽくなっているはずなのだが。

生地の色の白さっていうのは、目の疲れと関係があるんじゃないかと思うんだけど、はっきりしたことはよく知らない。ただなんとなく、真っ白い紙よりちょっと黄ばんだような記事の上に黒文字でかかれている方が、見やすいような気はする。

そう思ってふと周りを見てみると、たとえば本の生地の色は真っ白じゃないなあ。はがきも、官製はがきは真っ白じゃない。なんとなく、その辺の色に落ち着いているのは、偶然じゃないような気がしてきた。
ま、ふと思っただけのことですけどね。

006:【伴奏者】ニーナ・ベルベーロワ(高頭麻子訳・河出書房新社)

映画にもなった「伴奏者」の原作。って、映画見てないけど。まあいいや。なんとなく題名に惹かれたのです。
ピアノ教師の母とその教え子の間に生まれた(教え子の方はどっかに行っちゃった)主人公の女性は、著名なソプラノ歌手の伴奏者となって、その演奏旅行に同行する。しかしソプラノ歌手には、夫に隠れて愛人がいた。主人公は「これこそソプラノ歌手を裏切るチャンス」と、密かに計画を練る。
なんていう話ですねん。えっと、もちろんそれぞれに名前がちゃんとあるんですけど、忘れた(^◎^;)。なにしろロシア文学(亡命ロシア文学)なので、登場人物がミーシャだミーショニカだ(ウソ)とややこしいのでありました。
主人公が処分し忘れた手記、という形をとっていまして、その死因も不明。家賃滞納の部屋から出てきたということだから、主人公はずっと日陰の生活を送ってきたのかなあという感じ。
そう、全編、主人公の女性(まさに伴奏者)の手記なので、なんだか重く暗いのです。主人であるソプラノ歌手に対する感情も微妙。憧れもあり嫉妬もあり、「いつか裏切ってやろう」というそのネタをずっと探しているなんて、陰険でやってられませんな。

あっという間に読めるような中編小説。ううむ、面白いっちゃあ面白いけど。暗いんだけどすごみが足りないような気もするなあ。

005:【性犯罪被害にあうということ】小林美佳(朝日新聞出版)

今日は寒かったですね。そんな中を大学図書館に行き、そこでこの本を見つけてざっと読みました。
えっと、ざっと読めるくらいに短い本です。著者が体験した性犯罪を、実名で綴った手記(表紙に写真も載ってる)ですね。
正直、読むのがつらそうかなあと思ったんだけど、序文のところに「同情はいらない。こんな本を読んだなあと思ってくれたらいい」と書いてあったので、ちょっと気分が楽になって読んだのでした。

わたくしはこういう犯罪を犯したヤツは懲役40年ぐらいが相当だと思ってるんですが(あるいは断チン)、そんなことをしても起こったことは消えないのですね。被害者はそれにどう向き合うか、どうつきあうか。なんかいろいろ考えさせられましたわ。
両親、友人の無理解とか、PTSDとか、いろんな話が出てきますねん。それが感情的でなく綴られるので、読みやすいと同時に、そういう風に書くことが著者の救いなのかな、とうがった見方もしてしまうのですが。でも、心に残ります。

ただ、何かの解決方法とか、立ち直りのきっかけとか、そういうものではないのですね。これを読んで問題意識が強くなるとかいうことも、社会に対する憤懣がわき上がるということもないのです。不思議。でもそれが、著者のねらいであったかも、と自分を納得させています。

004:【ナンシー関の記憶スケッチアカデミーII】ナンシー関編・著(カタログハウス)

記憶スケッチアカデミーの第2弾。残念ながら、「通販生活」に連載中にナンシー関は急逝。最後のお題「天狗」についてのコメントは残されないままでありました。それで、この本に収められている「天狗」は、いとうせいこうほかの面々がコメントを書いているのだが、さすがにナンシー関の域には届いていないのが残念です。
この本には、反対開きで「赤パソコン青パソコン」と題した、ナンシー関のパソコン奮闘記も載ってます。ただのパソコン設定記録なんだけど、そこはかとないおもしろさがあるのはさすがです。ま、オマケ感は否めませんが。

003:【ナンシー関の記憶スケッチアカデミー】ナンシー関編・著(カタログハウス)

久しぶりです、ナンシー関さん。これは、カタログハウスが発行している「通販生活」上で、読者からの応募があった「記憶スケッチ」を掲載。誌面で「アカデミー」理事長であるナンシー氏が「お題」を出し、それに読者が応募する。実物を見てスケッチしてはいけない。あくまでも記憶に頼ること。
試しに、何か描いてみたらわかりますけど、そらもう「カエル」にしても「エビ」にしても「ウルトラマン」にしても、見たら笑います。もちろん、描けませんけどね。
それだけなら、まあなんていう絵、ということで終わってしまうのですが、そこにナンシー関のこれ以上ないツッコミが入ると、これはもう完成したコントになっているのですね。
図書館でこの本を見つけて、ちょっとその場で読んでみようと思ったんですけど、最初のページから笑いがこらえきれず、仕方なく借りて帰って、家で思いっきり爆笑しながら読みました。ひとりで爆笑するのもなんですが。

最後に、押切伸一、いとうせいこうとの対談がオマケでついていて、これも面白い。30人ばかりのどこかの財界かなにかの集まりがあって、そこでニワトリの絵を描いてもらったら、5人ぐらいが4本足のニワトリを描いたのだそうだ。人間の記憶というのはそういうもので、むしろそれこそが健康的なことなのかもしれないと思った。
そういえばかつて、「最近の子供は、カラスの絵を描くと足を4本描く。あれは実際のカラスを見ていないせいだ」という論調があったけど、もともとそれが人間の記憶なのですよ。たぶんどの年代の、実際にカラスを見てるという人が描いても、何人かは足を4本描くのであります。
だからあかん、と決めつけるようなことには、なってほしくない、とこの本を読みつつ笑いつつ思ったのでした。

002:【未来をつくる図書館】菅谷昭子(岩波新書)

副題に「ニューヨークからの報告」とあるように、ニューヨークの図書館の紹介です。さすが世界の中心、というか、「中心たらん」とする意欲のようなものがありますな。まさに巨大図書館。
しかし、これが「公立」ではなく「公共」である、つまりNPOであるところがまた、アメリカの、ニューヨークの国民性というか、そういうものを感じるのであります。つまりは「自分たちの図書館」というイメージがあるのですね。だから寄付もするし(それも信じられないぐらいの高額の!)。
これを読んでいると、日本の「公共意識」というのはなんなんだろうと思ってしまいます。いや日本の、という但し書きを取ってもいいな。公共意識。
図書館によって育てられたので、恩返しをするという意識。こういうのは日本にはありませんなあ、残念ながら。
とはいいつつ、そこから日本の図書館システムに期待するもの、というところにつなげていくには、やや無理があったかなあ。最後の方はちょっとあわてて結論づけているような。これは別に論じるものでしょうね。そう、だから日本はどうすべきかってことね。

今日の晩ご飯

さぼりさぼり載せている、今日の晩ご飯です(^◎^;)(_◎_)



今日の体重:57.2kg
ウェストサイズ:54.5cm

うほほ(^◎^)
これが今年の出発点じゃ(^◎^)

001:【ベル・カント】アン・パチェット(山本やよい訳・早川書房)

2009年の一冊目です。

日本人実業家の誕生日パーティーが開かれた、南米のある国の副大統領官邸。実業家のお気に入りのソプラノ歌手も特別に呼ばれていた。が、そこにテロリスト集団が襲撃。全員を人質にたてこもる。テロリストたちの目的は大統領の拘束だったのだが、大統領は欠席していたのだ。どのように交渉していいのか分からなくなったテロリストたちと政府。拘束生活は長期にわたり、次第に官邸内の雰囲気も変わってきて……

拘束が長期になると、人質と犯人との間に連帯感が生まれるっていう理論がありましたなあ。それとは直接は関係ないんだけれど、そういうことも思い出させるような話の展開です。なにしろテロリスト(そんなに凶暴じゃない。誰も殺さないし)たちは、ほとんどが年の若い少年で、拘束されている側は政府の高官だったり実業家だったりするから、ここである種の逆転が生まれてるんですな。
そして、おきまりの恋愛沙汰などがあり、だらだらと話が続いていくので、これ、どうなるのかなあと思ったら、ちゃんと「結末」というのはあるんですね。もちろん。

1996年にペルーで起きた大使館の占拠事件に想を得たらしいのですが。確かにその雰囲気はあります。でも内容はこういうのではなかったと思うけどね。もちろん。

読んでるうちは楽しいというか、ある程度楽しんで読めるんですが、読み終わって「???」という気分。なんでかなあ。
登場人物が多いはずなのに、描かれているのがほんの少しのような印象。人物の掘り下げがうまくいってないのかなあ。いろんな言語、いろんな人種、いろんな階層が入り交じっているおもしろさみたいなのが、もっとあったらなあ。それと、ラストはちょっとハリウッド的かな。
原文はもっと、いろんな言語が飛び交って入り交じって、もっと雰囲気が違っているのかも。日本語に訳してしまうと、そのおもしろさは半減するんでしょうか。

一月一日

元日の夜は更けて・・・
今日は一日、テレビ(アニメ「メジャー」、さっきまで「ケータイ大喜利」)と、年賀状。いっぱいいただきまして、ありがとうございます。一人で楽しむのが悪いくらい。一枚一枚読んで一枚一枚に返事を書いて・・・・全部を書ききらないうちに一日が終わります(^◎^;)(_◎_)

そういえば昨日の紅白。近年になく見どころのないしょうもなさでした。総合プロデュースが前にみのもんたを起用したディレクターだと知って覚悟はしていましたが。みのもんたはいなかったけれど、代わりにテリー伊藤が早口でわけの分からんことをやかましくしかも上から目線でしゃべっていたのが邪魔でした。なんでああいう人が重宝されるのかわたくしには分かりませんが。
歌で気持ちよかったのは、ジェロ、くらいかなあ。
ずっと聴いてて、なんかいろいろ考えてしまいました。わたくし、歌謡曲(広い意味で。ポップスも含む)を聴く機会がめっきりと減ってしまいまして、一年に一度くらい、紅白くらいは日本の音楽を聴いてもいいなと思って、毎年見てるんですけど。一年の曲をかためて一度に聴くと、どれも同じに聞こえてしまいますね。テーマは愛だ恋だ友情だ絆だ。演歌だったら男だ女だ。ちょっと違っていたのはアンジェラ・アキぐらいかなあ。でも曲はいいけどあの歌うスタイルはわたくしにはちょっとイタイです。
それと、何年か前からとにかく人をたくさん使うようになりましたねえ。ひとひとひとひとひと。舞台の上に何人も登場させていっぱいいろいろさせる。踊らせたりコーラスしたり。見栄えはするかなあ。でも生かされてないような。バイオリンを弾く人、何人居たかなあ。フルオーケストラぐらいはいたんじゃないかなあ。
あと、一番センスを疑ったのは、羞恥心のあとにコブクロ。どういうバランス感覚だったんでしょう。全く間をおかずにこの二つを並べるなんて。
結局は音楽のことはあんまり考えてないのかなあ、なんて思ってしまいます。
そう、全体に思うこと。これは音楽「番組」であって、音楽「祭」ではないのですね。あくまでもテレビ番組であって。歌番組であって。テレビのために(ちょっとはラジオのために。でもだったらあの派手な舞台装置はいらんわなあ)ある番組なのだなあ。歌手のアップとか、どう考えても舞台だけでは無理。客席からでは十分に楽しめないのでは、と思ってしまう。舞台を使ってする企画ではないような。

なんか、書いてなかった紅白のことばっかりになりました(^◎^;)
そんなつもりはなかったのになあ。さて、寝るとしよう。

年明け

朝ご飯を食べようと台所に行ったら、昨日からの洗い物が溜まったまま。あらら。そう、紅白を見て、ぶたことチャットしながら年越しして、疲れたから寝よ、ということで洗い物をする時間もなかったのだ。

以上、言い訳です(_◎_)

さすがにこのままではなあ、と思いつつもお昼ご飯を食べる前までそのまま(おい)。
お昼はインスタントラーメンかなあとも思ったけど、新年早々なあ、というのもあり(そう言いながら、朝はトーストとコーヒーですましているのだ)、冷凍ご飯を解凍してお茶漬け。お茶漬けも、なんだかなあと思う人は思うでしょうが、ともかくもお米のご飯ということでお許しを。

朝からテレビを見て(アニメ「メジャー」の再放送)、でも昼からは面白い番組もなさそうなので、年末に聴ききれなかったワーグナーの「ニーベルングの指環」を聴きながら、年賀状を楽しみたいと思います。

ともかくも
あけましておめでとうございます(_◎_)

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