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【さよなら、スナフキン】山崎マキコ(新潮社)

題名がよさげだったので、なんとなく読んでみたのだ。
ダメダメな女子大生(一度入った大学で挫折、農学部に入学し直した)が、アルバイト先に選んだのは編集プロダクション。そこでのはちゃめちゃな仕事ぶりと、そこから自分を見直す主人公。
といった、よくある話なんだが。

始めは同居同然だった友人(主人公と同じくダメダメな女子大生)とケンカ別れのようになり、自立を目指す。
真ん中あたりは、編集プロダクションの社長にちやほやされて、作家気取りで自分の居場所を見つけたような気になって、喜びにあふれた充実した生活。
と思いきや、最後になって社長のやり方には着いていけず、結局は大学の研究に戻る。
で、あなたは何を見つけたのだろう?
結局、作者は何を言いたかったのだか。
たとえ話やジョークや言い回しの面白さもちょっとはあるんだけれど、やりすぎてイタイ場面もしばしば。かと思ったら、急にまじめな私小説風になったりして。
読んでる方としては、「わしはいったい何を読んでいるんだろう」という思いにとらわれてしまう。
一読してユーモア小説かと思わせて、実際はまじめな問題に取り組んでいて、最後にそれに気づかされるというような小説もあるけれど、これはそんな計算が成り立っていない。読み始めて、ああ楽しいなあ、と思ってその期待のままにいくと、裏切られてしまってなんだかなあと思ってしまう。

初出は、パソコン雑誌の連載。なるほど、パソコン用語もバンバン出てくる。そういう雑誌を読んでいる人には身近に感じる物語なのか。それにしても、結末は予定調和的。ありがち。しかも、ざざざざっと流れてきた物語が、そこで突然収まってしまうので、読んでる方は戸惑うばかり。主人公の頭がおかしいんじゃないかとさえ思う。サイコ小説か。
面白いところもあっただけに、残念。エンタメ小説ならそれに徹すべし。
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中日5-4阪神

どよん(-◎-;)
というより・・・
はれ~~~~~~(_◎_)

こちらタイガースは先発山井を攻め立てて、初回に1点、2回に3点。序盤で4得点なんて珍しい。
だから油断したわけでもないでしょうけど。
1回から3回までパーフェクトやった下柳が、4回からつかまりだして、毎回ランナーを背負う苦しいピッチング。4回には森野の犠牲フライで1点。5回の無死2,3塁はなんとか抑えたものの・・・6回ウラの1死満塁は、「1点ならしゃあないか・・・」と思っていたタイガース関係者を沈黙させる藤井の満塁ホームラン(_◎_)

へこむ(_◎_)

終わってみれば、タイガースは序盤の勢いがなんやったんやろうと思う、3回以降ノーヒット。
まあ、ドラゴンズ相手の試合って、こういうのが多いんですけどね。
先制しても、中押し、だめ押しがないと勝てないですな。ちょっと守りに入ったというか、攻撃が淡泊になったのは否めないですな。で、逆転されて慌てて攻撃態勢をとったけど、時すでに遅しやったか。リリーフ陣はしっかりと仕事しましたけどね。

ま、いろいろあったけど、勝てなかったのは残念やったけど、今の実力はこんなものか。途中まで中日を苦しめた、よし明日こそ、という気持ちになるじゃあありませんか。なりませんか? なりましょうよ。
そろそろ、達観し始めたファンが、ここにひとり(^◎^;)

ぶたこぶのコレ書いて~鉛筆

全身石鹸洗いのたこぶです。シャンプーも使わない。昔は、シャンプーを使わないと頭が臭くなると言われていたけれど、最近の石鹸は頭を洗っても臭くならないみたい。自分で臭うことはないけれど。石鹸の質も良くなったんだろう。石鹸本来の匂いが、今は気に入ってます。

先日、「田辺聖子文学館」に行った時のこと。昔の作品などの展示物の中に、自筆の原稿というのがいくつかあって、それがぜんぶ鉛筆書きだった。四角い升目が書かれた用紙に、鉛筆で書いているのだね。なんとなく、「自筆」というのは温かみがあるなあ、と思った。それと「鉛筆」っていうのがいいなあと思った。ほら、よく「文豪」と呼ばれる人は、パーカーか何かのふっとい万年筆で書いてるイメージがあって、あれって高級感があるなあなんて思ったりするんだけど。
それにくらべると「鉛筆」は、いかにも庶民のもののような気がする。田辺聖子さんのイメージどおりだなあ。

そう思って展示物を眺めていたら、中に「使い切った鉛筆」というのが箱にいっぱい詰まっているのが展示されていた。2Bだったかの鉛筆を、削って削って、5ミリぐらいになるまで使っているのだね。無駄がないというか。しぶちんというか。ますます「おせいどん」のファンになってしまったよ。

実生活では、鉛筆を使う機会はめっきり減ってしまった。小学校、中学、高校と、授業にはだいたい鉛筆を使っていたなあ。いや、高校になったらもうシャープ・ペンシル略してシャーペンになっていたかも。
なにしろ削る必要がない。いつでも細い線が引けるという点で、シャーペンの登場は衝撃的だった。出始めたころは高級品やったなあ。今は100円程度で買えるけど。

小学校のころはもちろん鉛筆。芯が折れたときのために、スペアで4,5本は筆箱に入っていたかも。たまに友達で、1ダースの鉛筆を筆箱いっぱいに詰め込んでいるヤツもいたけど。そんなに持ってどうするんだろう。よっぽど芯が折れた時、というのがこわかったのか、1ダース揃った鉛筆を見せびらかせたかったのかの、どちらかだろう。

そういえば、何年生かの進級の時、「記念に」といって名前入りの鉛筆を1ダースもらったことがあった。あれは親戚のおばさんだったか、家族の誰かからだったか。覚えてなくてすみません。
一本ずつに名前が彫り込んである。飴色の鉛筆に金文字。かっこよかったような恥ずかしかったような。ああいう「名入れ」は今でもあるんだろうか。

名前を自分で彫る、というのも一時期流行っていた。六角の一部分をナイフで削って、そこにマジックで名前を書くのだ。こうすれば人の鉛筆と紛れることがない。人の鉛筆と紛れて、だからどうなんだと今では思うけど。

変わった鉛筆もいろいろあった。アニメのキャラがデザインされたものは今でもあるなあ。どういうわけかそういう「色もの鉛筆」は、六角ではなく丸かったような覚えがあるなあ。変わったところで三角や四角形の鉛筆もあった。もっともそういう「変わり種」が出てきたのはずっと後の方だけど。そして、あんまり流行らなかったなあ。

鉛筆削りもいろいろあった。一番ポピュラーなのは、ハンドル式の手動鉛筆削りだろう。高級なものになると「削り具合」を調整することができるようなものもあって、ぴんぴんにとがらせて喜んでいたなあ。
電動の鉛筆削りもポピュラーだったけど、音がうるさかった。手動の鉛筆削りは、回しているハンドルに手応えがなくなることで削り終わりのタイミングが分かったけど、電動の鉛筆削りは、鉛筆を突っ込んでいる間は際限なく削り続けるので、なんとなくもったいない気がしたものだ。

手動の極地は、「肥後の守」などのナイフだ。鉛筆削り用に、カミソリの刃を差し替えるタイプのナイフもあった。子どもでもそれで鉛筆を削っていた。いい時代だ。ときどき手がすべって・・・・ということもあったけれど、痛みを伴ってこそ分かることもあるからね。
とはいえ、僕は4人きょうだいの末っ子ということもあって、そういう危ないことはすべて姉兄に頼っていた。削ってほしい時は頼めばいいのだ。きれいに削ってくれる。もちろん自分でもやろうと思うんだけど、どう頑張っても姉兄ほどにはうまく削れなかった。かえって悔しい思いをするだけで終わってしまうので、やっぱり姉兄に頼むことになる。

削り方をよく見ると、まずは角の部分をそぎ落としていき、それからナイフの背に親指を当ててしゅっしゅっと削っていくのである。芯が出てきて、ある程度先端が三角錐らしくなってきたら、最後の仕上げに芯の部分をしゃしゃしゃしゃしゃっととがらせてできあがり。いやあ、実に見事です。
もちろん、鉛筆削りを使う方が簡単で、きれいにできあがるんだけど、この方法を覚えておけば、思ったとおりの太さの芯を作り出すことができる。
というわけで、きっと今でも、美術やデザインで鉛筆を使う人は自分で削っているんだろうなあ。
田辺聖子さんも、あれだけ短くなるまで使うんだから、きっとナイフで(ひょっとしたら肥後の守で)しゃしゃしゃしゃしゃっと削ってるんだろうなあ。

鉛筆がシャーペンよりも温かみを感じるのは、周りを覆っている「木」のせいだろう。鉛筆を削った時のあの木の香り。それだけでなぜか心も落ち着くというものだ。木の香りには、心を落ち着かせる作用があるに違いない。
そういえば、鉛筆削りに溜まった削りかすの臭いを嗅ぐのが好きなヤツも居たなあ。僕も嫌いじゃないけど。なんとなく懐かしい気分になるのはなぜだろう。子どものころ使っていた記憶のせいか。いや、多分もともとの「木」の力なんだろう。

始めに書いたように、鉛筆を使う機会はすっかり減っている。おかげでわが家にある鉛筆はいつまでもなくならない。お尻に消しゴムのついたやつとか、タイガースの模様の入ったやつとか、いろんな鉛筆が引き出しにはいったまま。なんとなくもったいないような気がしている。ちょっとずつでも使ってやりたいなあ。おせいどんほど、使い切ることはできないかもしれないけれど。


だらだらと書いてみました。さて、次は何にしようかな。

6月も終わりに近づいているので、「半年」というのは、どうでしょう。

ではぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

阪神3-2横浜

今日も出かけておりまして、帰ってきたのが夜8時半。ちょうど7回裏。おっと2点リードされてるけど、ノーアウト1,2塁のチャンスやんけ。こりゃええところに帰ってきたかも。
ところが(^◎^;)、赤星は送りバントを2回失敗し、ヒッティングに切り替えるもショートゴロ・ダブルプレー(_◎_)。続く関本も凡退で無得点。とほほ。

横浜に本拠地で負け越しか・・・・と、早くも覚悟を決める。
9回表に球児が出てきたのにはびっくりしたよ。まあ、登板間隔が開いてたからなんだろうけれどね。

0-2のまま9回裏へ。
もうあかんのかなあと思ってましたよ(^◎^;)
でも、この試合、ぶたことふたりで甲子園に見に行ったときと同じ展開やったんですね。あの時も久保とマストニーの投げ合いで、0-2で9回裏に逆転サヨナラ・・・・・
まさか、そんなにうまくいくわけはないわな、と思てたら(^◎^;)

やりましたな\(^◎^)/
1死満塁から桧山の犠牲フライ、関本のタイムリー3塁打\(^◎^)/
まさに起死回生。

試合途中では、解説の岡田さんがいつもの愚痴モード(^◎^;)。ほんまやったら、もっとすっきり勝たないといけない試合だったようですね。特に新井の不振には、新井がアウトになってバッターボックスに金本が立っても、まだ文句言うてましたからね。よほど腹に据えかねているんでしょう。実況アナのペースをまるっきり無視して話し続けているのが面白かったです。

さて、中身はどうあれ(^◎^;)、ようやく勝ち越したわけやから、ここから奮起して「必死のパッチで」(@お立ち台の関本)頑張ってほしいであるよ。

ぶたこぶのコレ書いて~バランス

ぶたこへのお題は、何か関係ないもので思い浮かんだもの、というので最初は「スッポン」が浮かんだんだけど、ものの名前じゃない方がいいかなと思って、そこから思い浮かんだ「すっぽんぽん」か「すってんてん」か「すっからかん」か、悩んだあげく(ウソ)決めたんですけど、意外にあっさりと返答されたのでがっかり。もっと難しいお題を考えたろう。といっても、どんなことを書いてもいいから、難しい題でも関係ないんですけどね。


山田耕筰の「夕やけの歌」の作詩は、木下杢太郎でした。杢太郎の戯曲「南蛮寺門前」(修善寺物語じゃないよ)の冒頭に、教会の前で子どもたちが歌う、という設定で作られた歌詞だそうです。ちょっと調べれば分かるのにね。「南蛮寺」という題名から、「寺」が「教会」かなという想像もつきますわな。
歌詞の全文は、こんなのです。

夕やけ小やけ。
摩訶陀(まかだ)の池の
さんしよの魚は
きらきら光る。
玻璃(びいどろ)のふらすこ
ちんたの酒は
きらきら光る。
鐘が鳴る。鐘がなる。
寺の御堂(みだう)の
十字の金(かね)は
きらきら光る。

まずは訂正でした。


体調がすぐれない時、精神的にまいってる時、「あ、今バランスが良くないな」と思う。どこのバランスがどう良くないのかは分からないんだけれど、きっとどこかでバランスが崩れいているのだ、だから体調がおかしいのだ、気分もすぐれないのだ、と思うようにしている。
そこで体を動かしてみる。ラジオ体操なんかをしてみる。ちょっと散歩をしてみたり。
あるいは逆に、何もしなかったり。ここだけの話だけれど、仕事中におかしいなと思ったら、トイレの便器に座ってしばらく何も考えずにぼーっとしたりもする。
無駄な時間のようだけれど、おかげですっきりした気分になる。

人間には無駄な時間もきっと必要なのだろう。考えてみたら、毎日6時間ぐらいは寝てるんだから(多少の差はあるけど)、一生のうちの4分の1、あるいは3分の1ぐらいは何もしない時間があるわけだ。寝ていなくても、ぼーっとして過ごす時間もある。
それが「無駄な時間」と考える人も多い。「死んだらいつまでも寝られるし」そんなに生き急ぎたいのか。今のうちにやっておかないといけないこと、そんなにたくさんあるんだろうか。

ユダヤのことわざに、
「お金を貯めるためには、二つのことをすればよい。明日の仕事を今日のうちにやり、今日食べるものを明日にまわせ」
というのがあるけれど、今の自分の生活は全く逆で、明日にまわせる仕事があったら、焦らずに明日にまわそうよと思ってしまう。一分一秒を争うような仕事をしていないせいもあるけれど。
それより、今の楽しみを大事にしたいと思ってしまうのだなあ。
おかげでいろんな人に先を越されてしまっているんだろう。「ぼちぼち行こかぁ」といってる間に。
「あとから来たのに追い越され/泣くのが嫌なら、さあ歩け」
と歌の文句は言うけれど、先に行きたい人があるのなら「お先にどうぞ」と道をあけてしまうだろう。その人が切り開いた道を、「どうもありがとう」と言いながらぼちぼちとたどっていく。そんな生き方があってもいいんじゃないか。


話が変な方に向かうのはいつものこと。「バランス」でしたな。
人によってバランス感覚というのはまちまちだ。外から見ていると「どうしてこんな風に?」と思うけれど、本人の中では納得できているんだろう。「人間は矛盾に満ちた存在だ」というS・モーム先生の意見には賛成だ。だから面白い。だから「わたしは全くぶれてません!」と宣言する人ほど信用できない。そうありたいと思うのは勝手だけれど。人間はぶれるものだし、考えも変わっていってあたりまえなのに。変われる余裕も必要だと思うのだけれど。

ぶたこも書いているけれど、お金の使い方のバランスは難しい。とくに大きなお金は。国のお金となると特に大変なんだろう。それは分かるけど、使い方に疑問を持つことが多い。疑問を持つことばかりが報道されるというのもあるんだろうけど。
最近「エコ」ということがよく言われるけれど、どの程度何をすればいいのか、よく分からない。経済を活性化させるのと環境を守るのと。
最近、自転車通勤とかが流行っていて、それ以前にも町には自転車があふれているし、ときどき人との接触事故が起こったりして、駅前にも駐輪している自転車がいっぱいで、「迷惑です」という宣伝もしているけれど、自転車用道路とか駐輪場とかのインフラ整備はどこも全く進んでいる様子がない。自動車専用道路はいたるところで工事をしているのに。自動車はどんどん走らせて排気ガスもいっぱいばらまいて。エコカー減税で、いちおう排気ガスを抑えるという名目はあるけれど、排気ガスを抑えたいんだったら、車の台数を今の半分で済むような社会づくりを考えた方が早いんじゃないかと思う。
車嫌いのたわごとなんだけど。
どうせ無理だと分かってるんだけど。日本は車社会だし(車産業社会、ということ)。


こういうことを書き出すと、文句ばっかりが並んでしまうなあ。基本的には、どこかで全体のバランスは取られていくんだろうと思っているのです。今「おかしいなあ・・・・」と思ってるところでも、いつかはまともなところに落ち着くような気がしています。いつか、というのはいつか分からないけれど。10年先か100年先か1000年先か。


さて次のお題。なにか身近なものにしたいなあ。
「石鹸」でどうでしょう。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

阪神3-5横浜

今日は試合を見ていないのです。
で、結果を見て・・・・
うううむ(-◎-;)

いくら三浦でも、勝てないことはない、打てないことはないと思うのですが・・・・

ウェブで試合経過を確認。
ああ、11安打もしながら、得点は金本と高橋のホームランだけかあ。
能見(-◎-;)、1回の立ち上がりが問題やったか。

細かいプレーを見てないから、何とも言えませんが。波に乗れないですねえ。このまま波は過ぎ去ってしまうのか。そして気がつけば秋、ということになるのかなあ(-◎-;)

でも、可能性が1%でもある限り、応援は続けますよ、ええ。暑いけど頑張ってほしいなあ。気を引き締めてね。

阪神9-4横浜

「コレ書いて~」にかまけていて忘れかけてたけど、今日からリーグ戦も再開。その最初が横浜との三連戦というのは、ベイスターズには悪いけどちょっとラッキー。でも先発は安藤かあ。ちょっと不安。
初回、いきなり不安的中。3連打で先制される。
その裏、ブラゼルのラッキーなヒットで逆転。2回には四球の鳥谷が盗塁(お誕生日おめでとう)、続く狩野がタイムリーと効率のいい得点。この調子ですかっと!
と思ったら、3回表に安藤自らがエラー(^◎^;)。こういうとき、こらえ性がないんだよなあ、と思ったら案の定、佐伯に2点タイムリーを打たれてゲームは振り出しに。

しかし、4回ウラ、狩野のホームランでようやく虎打線が息を吹き返したか。小刻みに追加点を入れて。守っては投手陣の踏ん張りもあって。これはやはり、快勝というべきでしょうね(^◎^)

頼りになるのは、やっぱりブラゼルかなあ。逆に心配なのは金本。どこか悪いのかなあ。甘い球を見逃したりしているし。積極性がなくなってきてるなあ。守りも、ちょっとねえ。前からそんなにうまい方じゃないけど。
それと桜井。交流戦の最後の方は調子よかったけど、今日はダブルプレーに4三振。全くいいところなし。好不調の波がこれだけ大きいと、信頼できないであるよ。
あと、安藤ですな。これはいつものとおり(^◎^;)


お立ち台は狩野と江草。ええ? 江草っ(^◎^)
6,7回のリリーフ、6者連続三振が光りましたね。リードして、そのあとをぴしっと抑えられたら、相手はやる気をなくすわな。こうやって中継ぎに光が当たるのはいいことです。

新型インフルの影響で自粛されていたジェット風船も復活。お立ち台で江草くんが、
「7回表は、今日から再開された風船が割れないうちにと思って投げました」
おもろい! お立ち台に立てるのは少ないと思うけど、これからも頑張ってくれ。ファンとしてはできたら先発で投げてほしいところやけど(^◎^;)、今年はこの場所で力発揮じゃ。

#ノォトはまた今度(^◎^;)(_◎_)

ぶたこぶのコレ書いて~キラキラ

マイケル・ジャクソンが輝いていた時代というのは、実はほんの少しの間だけだったような気がする。世界的なヒットになったアルバム「スリラー」、その5年後かにリリースされた「バッド」、次代に残る作品といえばそれくらいじゃないだろうか。実は「スリラー」で、新しい世界を開いたように見えて、やれることは全部やってしまったような印象だ。当時、ホラー映画の巨匠として人気を集めていたジョン・ランディスが監督した「スリラー」のビデオを(深夜のMTVで)見て、驚いて呆れて引き込まれてしまった。でも、「これ、何回も見たいとか聞きたいとか思うかなあ」とも感じた。もともとソウル・ミュージックには興味なかったし、ディスコ・ミュージック(死語か)にも興味なかったし(踊れないし)。集団のダンスは見事だと思ったけど(振り付けも斬新だとは思ったけど)、「だからどうした?」という思いも強かった。「スリラー」からシングルカットされた曲はどれもミリオンセラー。そんなアルバムは過去には存在しなかったから、大変な話題になったけれど、逆に「次は?」というプレッシャーはあったに違いない。5年後に出た「バッド」は、「スリラー」から発展できたのだろうか? 聴いてないから知らないけれど。MTVの「バッド」の映像は、「スリラー」ほども、「ビート・イット」ほどにも驚きもなく、なんだかなあという感じだった。その後にアルバムを出していることなんて、まるで知らなかった。別に興味がないから知らなくてあたりまえなんだけど。

マイケル・ジャクソンは「キラキラ」というイメージからはほど遠い。
ただ、「スリラー」のビデオクリップを作ったことで、時代を変えたとは言えるかも。それまではただ「歌ってる姿を流す」だけだったビデオクリップが、お金をかけて映像に凝って、話題を作ってアルバムも売れる、という図式を作ったのだから。これはビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を作って、LPレコードの意義をすっかり変えてしまったのと同じくらいの出来事だったかもしれない。

それでも「キラキラ」というイメージからはほど遠い。

「キラキラ」というと「いつも輝いている」ということと、「周囲に輝きをふりまいている」というイメージがある。それでいて「ギラギラ」というほどまぶしさがいやらしくなく、「ヒラヒラ」というほど軽くもなく、「チラチラ」というほど目を凝らす必要もない。

思いつきでいろいろ書いたけど、重ね言葉っていっぱいあるのだなあ。読み返してみて思うのだけれど、それぞれ一瞬の動きではなくて、継続しているというか、持続している動きのような気がする。これが「キラリ」だとか「ギラリ」だとか「ひらり」だとかだと、一瞬の動きだけで、でもそこに惹かれるものがあるような印象だ。
マイケル・ジャクソンは「キラリ」と光ったのかもしれない。


「キラキラ」という言葉は、次に「光る」と続けて言ってしまう。「キラキラひかる」というドラマもあったなあ。元は小説か。
「キラキラ光る」というと、僕には昔歌った合唱曲がすぐに思い浮かばれる。山田耕筰の「夕焼けのうた」という曲で、多分「修善寺物語」のなかで歌われるのだと思う。歌っていた当時は、そんなことはまったく気にもかけずにただ歌っていたのだが。あの歌詞は誰が書いたのだったか(今、楽譜を探せば出てくるんだろうけれど、めんどくさいので記憶を頼りに書いています)。多分詩も山田耕筰だったのではないか。夕焼けこやけがキラキラ光る、というだけの歌詞だったが。中に、
「鐘が鳴る鐘が鳴る/寺の御堂の/十字の鐘は/キラキラ光る」
というのがあり、「十字の鐘」というのが何のことかさっぱり分からなかった。楽譜に書いてある歌詞だけを追いかけていくと「十時の鐘」かと思って、夜の10時に鐘が鳴るのかと思ったが、それでは「夕焼け」にはならない。
誰かが漢字の歌詞を見つけてくれて、「十字の鐘」と書いてあったのだ。それでも、何のことだかますます分からなかった。分からないまま歌っていると、指揮者の先生が
「教会の尖塔の、十字架の下にある鐘が光ってるんだよ」
と言ってくれて、そこでようやく「寺の御堂の」というのがキリスト教会のことを指すのだと分かったのだった。分かりませんよ、そんなん。寺と言われたら日本の寺しか思いうかべへんもん。
さらにこの歌の「キラキラ」という表現が一番の決め所だ! というわけで、「どんなキラキラにしたいの?」と問いかけられながら歌ったことが忘れられない。
言葉から、どんなイメージを受けて、それをどう表現するか。歌う時に一番大事なことなんだろうなあ。しょっちゅう忘れるけど。


「キラキラ光る」といえば星。ときどき夜空を見上げることはあるけれど、都会ではポツポツとしか光る星を見ることはできない。満天の星は、空気のきれいなところに行かないと見えないだろうなあ。
昔、「天の川」を見たことがあった。琵琶湖で合唱団の合宿をした時だ。雨上がりで天気もよかったんだろう。夜空を見上げると、天気がいいはずなのにすじ雲のようなものがかかっている。友人が「天の川や」と言ったのだが、信じられなかった。ただのすじ雲だと思った。だが、「合間から星が見えるやろ。ということは、あのすじ雲のように見えるのが、星の後ろにあるってことや。せやからあれが天の川や」という物知りの友人に言われて、改めてほほーっと思ったのだった。
天の川を見たのはその一度きりだ。またいつかどこかで、見られる時があるだろうか。都会では無理だろうなあ。


「キラキラ」を書きながら、さて、次の題は何にしようかと考えていた(キラキラは、難しかった(^◎^;))が、「星」だとか「天の川」だとかだと、まるで連想ゲームみたいでかえって面白くない。
なので、全く関係ないものにしましょう。

次のお題は、「すっからかん」でお願いします(_◎_)

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

フンコロガシ・トラップ

僕の勤めているところは、環境調査を主な仕事にしている。公害なんかを調べるひとたちと、生物(動物、植物)を調べる人たちが勤めている(僕はその両方ともの知識はあんまりなく、調べたデータをまとめるのが主な仕事)。
特に、生物調査をする人たちというのは、ひと癖もふた癖もあって、一緒に仕事をしていると楽しい。
昆虫類の調査は、まるっきり「昆虫採集」である。大きな網を持って、嬉々として現場に出かける人たち。採集した「虫」を分類して写真に収める。その写真を並べてまた喜んでいる。いい大人が。それもトンボとかチョウチョばっかりだったらまだしも、クモやイモムシ、カメムシそのほか、普段は見過ごしてしまいそうな、あるいは見逃してほしいような虫の写真を眺めて喜んでいる。いや、それが仕事なんだけど。

虫の採集は、網だけではない。「トラップ」すなわち「わな」を仕掛けて採集することもある。どちらかというと、その方が効率よくたくさんの虫を採集できるらしい。代表的なのは「ライトトラップ」と「ベイトトラップ」と呼ばれるもの。
「ライトトラップ」とは、夜、紫外線灯(蛍光灯)をともして、そこに集まってくる夜行性の虫を一網打尽に集めるのだ。光のわな。
「ベイトトラップ」のベイトとは、えさ。地面に穴を掘って、紙コップを埋める。紙コップの中には虫が好きそうな甘いにおいのするもの(砂糖水とか)を入れておく。においに誘われて、アリとかの地面を這う虫が穴(コップ)に吸い寄せられる。コップに水を張っておくと、哀れ虫たちは溺死状態で採集されるのである。

そういう採集方法を細かく描いてあるマニュアル本というのも、ちゃんと存在するのだ。
で、今日、隣りに座った社員さんが見ていたのが「フンコロガシの採集」のマニュアル本。
ファーブルによってポピュラーな存在になったコガネムシの一種であるフンコロガシ。その名のとおり、動物の糞をころころと転がす姿がユニークだ。
で、エサの替わりに「糞」を置いておけば、フンコロガシが採集できる、というわけ。
「だったらその場で、自分が用を足せば話は早いわなあ、あはははは」
と冗談半分で言ったら、そのとおりの方法がマニュアル本に載っていた(^◎^;)

「トラップとなる糞は、近辺に牧場などがあればウシやウマの糞などを分けてもらうのがよいであろう。そのほか、道ばたの犬の糞などでもよい。また、その場で採集者自らが用意してもよいが、うまい具合に適量が用意できるとは限らないので、注意が必要である。前もって用意するのであれば、家庭で飼っている犬の糞などを冷蔵庫で保管しておき、調査日に採集場所に運ぶ方法もあるが、保管に関しては周囲の了解を得るなどの努力が必要となる」
この本を書いた人は、「周囲の了解」を得られたのだろうか?

そして、本文のあとには、ご丁寧に「糞トラップ」と題された現場写真が、カラーで載っているのだが、どうみても山道に落とされた野グソにしか見えないのが悲しかった。

【フランク・ロイド・ライトの伝言】ブルー・バリエット(ブレット・ヘルキスト絵、三輪美矢子訳:ヴィレッジ・ブックス)

「今週は梅雨らしいうっとおしいお天気が続くでしょう」と言うてたのに、昼間は日が照って蒸し暑くってたまらんであるよ。どうなってるの、今出さん! まあ、昨日の夜は大雨やったから、大きくはずれているわけではないけれど。

「フランク・ロイド・ライト」というのは、実在の建築家。シカゴにあるライト設計の「ロビー邸」が解体されるという話を聞き、6年生(12歳)の仲良し3人組が行動を起こす。3人の学校の担任ハッセー先生が中心となって、抗議行動に出るのだが。
著者はこの本の前作でエドガー賞を受賞したのだと。随所に現れる暗号記号のたぐいが楽しめたらしめたもの。挿絵にも謎がいっぱい隠されていて、一冊で何回も楽しめそう。おじさんには一回読んだだけでお腹いっぱいですけどね。
「ロビー邸」も実在する建物で、そういう現実と空想とがうまく絡み合っていて楽しめる。
もうちょっと、仲良し3人組の絡み合いに深みがあればなあ、とも思うけど。なんとなく納得してしまう結末にも。でもこれは、あまりにも高望みなのかも。挿絵の謎を追いかけることで、我慢しよう。

ぶたこぶのコレ書いて~仕事

僕も勉強は嫌いな方で、結局大学まで行ったけど、卒業することなく現在に至っている。年を追うごとに勉強嫌いになっていったのも同じ。小学校ではまだ「良くできる子」で通っていたけれど(それは4人きょうだいの末っ子という特権があったからに違いないと、今では思う。学校で起こるどんなことも、すでに上3人が体験済みというのは大きい)、中学校からはだんだん並みの子になっていき、高校では中の中。一浪して入った大学では、部活(合唱団)にうつつを抜かしているうちに、勉強嫌いの性格が爆発して、授業はさぼりまくり。
大学は夜間部だったので、昼間はヒマ(部活も夜だった)。ぶらぶらしていたら、知り合いに「働いてみぃひんか」と言われて、アルバイトをしたのが就職の始まり。いわゆる就職活動の経験がないのですね。
しかし、学校でのさぼり癖は仕事にまで及んで、仕事についた始めのころこそまじめに働くものの、遅刻、欠勤の常習者となり、減給、あるいは首になることもしばしば。
何度目かの「おさそい」で(なぜかぶらぶらしていると、誰かが声をかけてくれるのだった。ええ時代やったのかも)勤めたのは本屋。仕事は店番と、月刊定期誌の配達。初めて「免許」なるものを取得。原付バイクにいっぱいの荷物を積んで、店を出て左にハンドルを切ったとたんに横転。幸い擦り傷だけで済んだけど。練習もなしにいきなり30キロ超の荷物を積んで走らせるとは、本屋の店長も無謀だった。

しばらくは本屋に勤めつつ、合唱団の指揮をしつつ、という多忙な日々。
「しんどぉて、かなわんわ」
と愚痴ると、当時合唱団員だったぶたこが、
「ほんなら、やめたら」
その一言で仕事を辞めて、またしばらくぶらぶら。失業保険が切れかけたころ、元合唱団の団員からまたまた「おさそい」。「うちの主人の勤めてる会社でバイトを募集してるけど」
というわけで働き始めたところに、20年勤めることになったのでありました。

こういう人間なので、まともに働いている人には頭が上がらない。どんな小さな仕事でも、まじめに働いている人はえらいなあと思う。仕事の大小に関わらず。地下鉄のホームで掃除をしているおばさん、スーパーでレジを打っている女の人(女の人が多いなあ)、道でチラシを配っているどこかの飲食店の店員さん。どの人も輝いて見える。どんな小さな仕事でも、それがないと社会は成り立たないのではないかと思うからだ。

昔々、僕が若い頃は「社会の歯車のような仕事はしたくない」という人が多かった。今でも「起業家」とかはもてはやされるのかなあ。
でも、思うのであるよ。出来のいい歯車になるのも、悪くないと。「こんなことして、何の役に立つのか?」と思うような仕事、世の中にはいっぱいあるけど(今の僕の仕事も似たり寄ったりかなあ)、どの歯車も、ひとつでも欠けると世の中は回らないのだよ、きっと。


僕は、このように流されて流されて、成り行き任せのままに生きてきて、たまたま仕事にありついて、お金をもらえるようになっているわけで、これはとてもラッキーなことだったといつも思っている。特に今の世の中ではね。
多くの人が将来の夢とかを抱いて、学校で勉強したり就職活動したりするわけだけど、僕はそういう夢みたいなものはあんまりなく(仕事以外の夢はたっぷりあった)、努力とか勉強とかも嫌いだったから、ほんとに今でも生きていられるのは、たまたまが続いているせいだと思う。叶うことなら、これからもたまたまはずっと続いてほしいところだ。

自分の現状には不満はないけれど、夢を実現したひととかを見るとうらやましく思う。それと、自分の仕事に誇りを持っている人は「かっこエエなぁ」と思って、尊敬の眼差しで見てしまう。「ドリームハウス」で、建築家の奇妙なデザインの設計にも「なんじゃこらぁ?」と言いつつ、設計図どおりに仕上げてしまう大工さんの腕前には感動する。枯れかけの桜を再生させるために、努力を惜しまない「桜守」と呼ばれるおじさんは、その努力をたたえられても「植木屋でっさかい」の一言でかわしてしまう。かっこエエなあ。

こうやって考えてみると、僕が感心しているのはどうやら「自分の力で仕事をしている人」みたいだ。才能とか才覚とか、やり手だとかじゃなくて、自分の力で努力している人。大勢のそういう人たちが居て、この世界は動いている。通勤の電車に乗っていて時々思う。ここに居る人みんなで、この社会が成り立っているんだなあ、と。


かっこつけすぎ(^◎^;)

つぎのお題は「エエかっこしぃ」にしよう(^◎^)

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

ぶたこぶのコレ書いて~ラジオ

かつて広島東洋カープに、ラジオという選手がいた。甲子園での阪神戦で、サンテレビ実況の谷口アナが、
「バッターボックスにはテレビ・・・・ではなくて、ラジオ」
と、ベタ過ぎて笑うしかない中継をしていた。

子どものころ、すでにラジオはトランジスタの時代だった。テレビはまだ真空管で、「トランジスタ・ラジオ」というのは、文明の香気を感じるような響きだと思ったものだ。
トランジスタといっても、大きさは大きめの弁当箱ぐらいはあった。裏蓋はネジで留めてあるだけなので、ドライバーで簡単に外すことができた。中を覗くと、小さな部品が並んでいて、未来都市の風景だなあなどと思っていた。小さな部品といっても、文字どおりのトランジスタが並んでいるんだけれど、それも今のトランジスタと比べると、塩の結晶とご飯粒ぐらいの差はあるんだけれど。そういう小さな部品が整然と並んでいる風景に、なぜかとてもわくわくしたものだ。

科学好きの男子なら、そこから発展して自作ラジオ、ということになるんだろうけれど、僕はただ並んでいる部品を見ているだけで満足していた。
ことに気に入っていたのは「バリコン」と呼ばれる部分だ。
正確には「バリアブル・コントローラー」というらしい。つまりはチューニングの部分なんだけど、なぜかこの部分は小さなラジオの本体の中でも大きなスペースが当てられていて、その存在感が大きかったのだ。さらに、裏蓋を開けたままチューニングつまみを回すと、バリコン本体が動くのである。
バリコンの形は、何と言ったらいいんだろう、何枚かのディスクが重なっているようなもので、その円盤部分がつまみの動きと共にグイーンと回るのが、なんともロボットの動きのようで楽しかったのだ。

考えてみたら、ラジオのチューニングというのはおかしなものだ。テレビならチャンネルを合わせるだけで目的の放送局にピタリとチューニングできる。だがラジオのチューニングはいつまで経ってもつまみで調整するタイプだ。自動チューニングというのもあるけれど(わが家のミニコンポもそのタイプ)、基本はダイヤルタイプ。これは何か意図があるんだろうか。おかげで昔は、深夜放送で東京の放送を聴こうとして、韓国語が流れてきたこともあった。いまでも同じかもしれないけれど。試してないのでわかりませんが。

韓国の放送が聴けるというのも、おかしなものだ(テレビではあまり考えられない)なあ。なにしろ電波は行く先を決めずに流れていくものだから、つかまえることさえできれば、その放送を聴くこともできるのだな。ひょっとしたら、テレビ電波も同じようにつかまえることができるのだろうか? 長波と短波で届く範囲が変わってくる、という話も聞いた覚えがあるなあ。

電波というのも、面白い存在だ。目には見えないけれど、いろんな情報を運ぶことができる。こちらでツー・トトト・ツーと打てば、あちらでもツー・トトト・ツーと聞こえる、ということを発見・発明した人はえらいなあと思う。まあ、何事でも最初に見つけた人、最初に作った人はえらいんだけど。
中学か高校かの理科の時間に、電波の原理というのを習ったような気がするんだけれど、今ではすっかり忘れている。そんな原理なんか知らなくても、1008kHzにチューナーを合わせれば、タイガースの野球中継は聴くことができる。同じように、テレビのスイッチを入れてチャンネルを合わせれば、好きな番組は見ることができる。原理なんか知って、どないなるの?
でも、原理を知っていると、何かと便利なのかも。
第一、何で今になってテレビの地上波はデジタル化せなあかんのか、ということが分かったりするのかも。
分かってどうする? 分かってようが分からなかろうが、デジタル化はされるのだ。そしてテレビを買い換えなければ。とほほ。

さて、ラジオといえば、僕らの若い頃(35年以上前!)は、深夜ラジオの全盛期であった。時代的に全盛、というより、その時代の自分が一番よく深夜ラジオを聴いていた、というだけやけど。ラジオを聴きつつ寝る。起きたらラジオはつけっぱなし。そんな日が週に何日もあったなあ。DJが終わる午前5時ごろにようやく寝始めるとかね。もちろん次の日の授業中は、その分の睡眠時間ということになるのである。ははは。

ということで、次のテーマは「授業」ということにしましょうか。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

芥川賞、2作

楊逸(ヤン・イー)の「時が滲む朝」と、津村記久子の「ポトスライムの舟」を読んだ。

僕は石原慎太郎は大キライなのだが(上からのもの言いしかできない人間には我慢ならない)、「時が滲む朝」についての「私には通俗的な小説にしか思いませんでしたけどね」という意見には同感だ。くやしい。あんなおっさんと同意見とは。しかし、こればっかりは仕方がない。
中国の田舎出身の大学生。北京の民主化運動に同調して活動するが、「天安門事件」であえなく挫折。鬱屈したまま飲み屋で運動を批判されて、暴力沙汰を起こして大学を退学。日本に亡命して(亡命とは言わんか)、中国残留孤児の娘と結婚し・・・・なんていう話。
なんというか・・・・・
天安門事件を中心に話ができあがってるのですが、作者の寄って立つところはどこなんやろう、という思いがいつまでもつきまとう。事件に対する感情は? 何もないの? あってもそれは表から隠されているだけ? 見つけられないこちらが悪い?
結局は感情の部分ですべてが片づけられてしまうようで、なんとなく釈然としないのであります。尾崎豊も、どうして出てくるの? という感じ。
ほんで、この人、これからどんな作品を書いていくのでしょう?

「ポトスライムの舟」は、読み始めはなんだか妙な感じ。よくある「私は誰? 何がしたいの?」女の子の話(30前)かなあ、なんて思ったんやけど。読み進めるうちに、主人公に感情移入してる自分が居てるんですな。
工場のラインでの単純労働を続ける30前の女性。ふと見かけた「世界一周旅行」のポスター。その費用は彼女の年収とほぼ同額。そこで一大決心(?)をして、世界旅行を夢見つつ、節約生活を始めることに。ところが友人知人その他の人たちとの関係で、思うようにお金は貯まらず・・・。
なんか、途中で胸にぐっと迫る言葉があったり。あれ? なんで? と思いつつね。
あ、舞台が関西で、セリフが全部関西弁というところがまた感情移入しやすいのかなあ。
この本にはほかに「十二月の窓辺」という短編も収められていて、こちらの方が話の展開としては波瀾万丈、ややミステリじみたところもあって、読み物としては面白いんだけど、話の深さとしては、というか、後味の濃さとしては前者の方がはるかに深い。
なんとなく将来に期待してしまうのも、関西人としての思い入れからか。ま、ええじゃないの。

【ウェブはバカと暇人のもの】中川淳一郎(光文社新書)

著者はインターネットのニュースサイトの編集者。だから、「サイト運営のノウハウ本」と思って読んだら(この題名からはそんなことは期待しないと思うけど)、全く違う内容です。
サイト運営している立場からの本音がバンバン、という感じでつづられます。
インターネットでの双方向情報とかが、全くの幻想だとさえ思われてしまう。まあ、一部当たってるけどね。

つまりは、ネットは全く新しい世界ではあるけれど、取り立てて大騒ぎするほどの素晴らしい世界でもなく、かといって全く当てにならない世界でもない、という至極あたりまえの結論にいたるのでありました。
でも、いちいちの話にはすごく納得。思わず「そのとおり!」とヒザを叩いてしまう(ウソ)。

一般の人にも分かりやすいように、本音がより伝わるように、というわけでくだけた言葉で書かれているんだけれど、ときどき日本語として意味の通じない箇所有り。こういうのは著者ではなく、編集の責任でしょう。しっかりしてぇや、光文社。

「書く」

ぶたこぶのコレ書いて

そんなわけで(どんなわけやらは、上記リンクを参照してください)、ぶたことの交換ブログを始めました。
ぶたこも自己紹介をしているので、わたくしもついでに(^◎^;)

ついこないだ、50歳になりました。半世紀も生きてきたなんて、信じられんなあと思ってたけど、こないだ日本最長寿の方が入れ替わって(^◎^;)、113歳かあ、それでまだあんなに元気やなんて、そっちの方が信じられん、人間、ほんまの寿命というのはどんなけあるんやろうと、自分とは全く関係のないことなのに感心していました。

趣味は読書と音楽、かなあ。絵を描くこと、とか入れたいけれど、絵を描くのはお金がかかる(^◎^;)。画材道具って高いんですよね。音楽も高くつくんちゃうんか、と思われそうやけど、楽しむといっても楽器じゃなくて歌う方、あとは聴く方やから、そんなに大したことはないのです。
読書は、どんな本でも。でもあんまり学術書とかは読めへんかなあ。好きなのは小説。ジャンルはあんまりこだわりがありません。その時々で、自分の中ではやりすたりがあるような気がします。一人の作家やひとつのジャンルを追っかける傾向にはあるかなあ。

さて、今回のお題は「書く」ですが、ぶたこは「書くのも読むの好きで」と書いていますが、書くことに何の抵抗もないらしいことは、「ぶたこな日々」の読者の方なら十分にご存じでしょう。ときどき、
「あんなけよお書かはりますね、大変でしょう?」
と言われる(わたくしに対しても)のですが、なにしろキーボードを打つ早さが尋常じゃないので(しかもローマ字じゃなくてカナ入力である)、あっという間にたかたかたかと書き上げてしまうのであります。ほとんどしゃべる速度と変わらないんじゃないかと思うくらい。だから、ぶたこにとってブログを書くことは、
「誰かとおしゃべりすること」
とほとんど変わらないのでしょう。
そして、普段のおしゃべりでも、言葉につまるようなことはほとんどないので、文章を書く時もほとんどつまることがない。あっという間に書き上げてしまうのはそのせいかも。

ブログを「書く」と言うけれど、本当は字を書いているのではないですね。キーボードを打ってる。字を書くのが早いわけではなくて、キーボードを打つのが早いというところが、現代やなあ。
その昔、パソコンがはやり始める前、ようやくワープロがはやり始めたころかなあ、
「ワープロで文字を打つのに慣れてしまうと、字を覚えなくなる。字を覚えるのは、何といっても手書きするからなのである。ただキーボードのキーを叩いて、変換した文字を確かめるだけでは、いつまで経っても字を覚えられない。すなわち、日本人は日本語を覚えなくなり、日本語は廃れてしまうのである。よって、ワープロは日本語にとって害悪なのである」
というような言われ方をしたことがありましたな。
でも、それから何十年も経ってるけど、日本語は廃れずに使い続けられてますね。文字を覚えない、なんてことはあるのかなあ。漢字検定は(いろいろ問題はあったけど)、まだ流行ってるみたいやし。

便利な小道具とかが出てくると、ついつい「そんな便利さにだまされてはいけないのだっ」という、旧来の方法を後生大事にすべきという意見というか、風潮が生まれるんですけど、それっていい時と悪い時とあるなあと思いますな。
ワープロから発展して、パソコンでもコミュニケーションがとれるようになって、文字を交換できるようになって、ひとりひとりの世界が広がったのは間違いないことやし。
もちろん、すべてがすべて、新しいこと便利なことがすばらしいとは言いませんけどね。わたくしも相変わらず携帯電話を持ち歩かない生活やし(どうにも慣れない)。

手書きで文字を書く機会は少なくなったとはいえ、全くなくなったわけではありませんな。今日も図書館での手続きは手書きで住所氏名を書かなあかんかったし。仕事でもしょっちゅう手書きでメモをとるし。ちょっとしたメモなら、パソコンよりも手書きの方が楽やし早いから、仕事中は手書きが多いかなあ。
でも、機会が少なくなっているのは間違いないので、しょっちゅう書き間違いをするのも確かです。
あれ? 結局、間違わないためには手書きに慣れた方がいいっていう結論になる?
そんなつもりはなかったのに・・・・


と、話がまとまらなかったところで(^◎^;)、次のお題。

蒸し暑い日が続きそうなんで、ちょっと涼しげに、「氷」といきましょう。

ぶたこ、コレ書いて(^◎^)

阪神4-2楽天

交流戦の最終戦、ようやく勝利しましたね(^◎^)
能見くん、今日は三振は少なかったけど、慌てる場面がほとんどなくて、安心してみてられたなあ。ホームランを打たれたのも、ついうっかり、という感じでね(^◎^;)
それがあかんがな(^◎^;)
でも、ピンチでも動じた様子がないのがいいです。いつか、エースになる素質、十分ですな。

勝ったけど、気になる場面もちらほら。
2回裏、鳥谷のタイムリーで先制して、なお1死1塁で。続く狩野が、セーフティバントを狙って、結局送りバントの格好になったんですけど。相手は初登板の新人ピッチャーやし、次は投手の能見の打順やし、なんてことを考えると、「なんでここでバント?」
その、ちょっと消極的とも思えるような攻撃に、疑問ですな。多分、狩野本人の考えでやったんでしょうけど、タイムリーを打たれてがっくりきてる新人投手に、たたみかける絶好のチャンスやったのにねえ。

も一つは、赤星。8回裏、先頭バッターでヒットで出塁。が、盗塁に失敗(^◎^;)。楽天キャッチャーは今まで出番がなかった中谷。まあ送球がよかったというのはあるけど。いままでほとんど失敗してなかったからなあ。まあ、いままで失敗してなかったのがすごいねんけどね。送りバントでもよかったのでは? という疑問もね。青山はいいピッチャーやねんし、そう簡単には点を取られへんと思ったからなあ。手堅くいく方法もあったのでは? ま、結果論ですけどね。

そんなこんなで、交流戦は終了しました(_◎_)
交流戦で借金返済を! と息巻いてましたが・・・・(^◎^;)
さらに借金を重ねる結果になってしまいましたね(_◎_)
ま、これも野球よ。

今日は昨日に引き続いて、満員の甲子園であった。これこれ。これでないと。どんな位置にいようと、最後まで応援するのだよ。今年が終わるまで、ファンの熱意は終わらないのだ。

阪神2-5楽天

今日は満員でしたね、甲子園。ファンはあきらめてないね。それでこそタイガースファン。負けても負けても負けても応援するのだ!

安藤は調子悪いですなあ。というか、失点を恐れてるのか、おそるおそるというか、ちょっと逃げ腰のようなピッチングに見える。いえ、本人は「丁寧に」と思ってるんでしょうけど、コースを狙いすぎるのか、球に威力があるように見えないんですよねえ。だから当たったらよく飛ぶような。
しかも今日の楽天打線は、なにか決め打ちというか、打つ方に作戦があったようで、狙った球をよくはじき返してましたな。狙い球でないのはやすやすと見逃すのに。
初回からよく打たれて。2回までは何とか無得点やったのに。3回に2本のホームランを浴びて、さらにタイムリーも浴びて、打者一巡で5失点。
安藤ほどの実力なら、少々コースが甘めでも打たれへんように思うんやけど、どうでしょう?

リリーフ陣が踏ん張って、結局楽天の得点はこの回だけやったから、惜しいといえば惜しい展開やったね。ま、本来ならもっと点を取るべし! でしょうけど。

ところで、3回に安藤が打ち込まれた時、だれもマウンドに行きませんでしたね。ちょっと気になったなあ。久保コーチがマウンドに行くかと思ったけどなあ。行くタイミングを失したか。にしても、新井とか関本とかが一声かけにいくとか、間をとるとかせなあかんでしょうに。

ちょっと、投打のバランスというより、チーム内がごたごたしてるのかなあ、なんていう心配までしてしまったよ。だいじょうぶ?

それでも、4万6千人超のファンが見に来てんねんから、これからもええ試合してくれな困るよなあ。いやほんまに、頑張ってほしいんです。あきらめずに応援し続けますから。はい。

というわけで、どよ~んとした気分に落ち込んだけど、こういう時こそしっかりせねば! と気合いを入れ直してノォトをアップします(_◎_)

虎辞書なる!!

野球中継のない、金曜日の夜。
タイガース中継命のサンテレビでは、「虎辞書なる!!」という番組を放送している。
なんのことはない。かつてのプロ野球の名勝負(もちろん、タイガースが勝利した試合)を再放送するのだ。
長年のタイガースファンにとっては、お宝映像である。
さらに、最近のチーム状態、試合を考えると、たまには「こういう時もあったやないか!」と、わずかながら溜飲を下げることができる。大げさな言い方だ。かつての栄光にしがみつく、なんていう風にとらないでほしい。あくまでも、昔を懐かしむ、懐メロを聴くのと同じ感覚です。

が。
今日の出し物は、1991年6月14日の対中日戦。もちろん甲子園。サンテレビですから、甲子園以外の映像はほとんどありません。
タイガース先発は中西清起、キャッチャーは木戸。1回ウラに先制点を上げたのは、3番岡田のタイムリー。3回には代打真弓の満塁ホームラン。6回からリリーフした久保が、4イニングを抑えてセーブ。
と、みんな監督、コーチ陣ではありませんか(^◎^;)(除く、岡田氏)

これって、「今はふがいない成績のチームやけど、かつてはこんなに輝いてたんやぞ!」という、テレビ局からの叱咤激励か。
久保投手の投球、ほとんど初めて見たかも。藤川ばりの速球をどんどん投げ込むタイプやったんですね。球のキレも抜群。こんなピッチャーやったんかと、改めて尊敬の眼差し(@◎@)

試合は、当時首位に立っていた中日に、大差で快勝。しかし、実況アナが、
「昨日まで10連敗しておりましたが・・・」
(^◎^;)
球団史上初の10連敗やったそうです。それをやっと止めた試合でしたか。
試合終了後、選手同士もハイタッチしてたけど、そこここでファン同士が握手を交わしていたのが印象的でした。ほんまに、お互いにお疲れさまということやったんやろなあ。
相手が中日で、まだ駆け出しの立浪、山本昌に、移籍したての落合を、星野監督が率いてはりましたな。いやはや懐かしい。

ともかく、初めから勝つことが分かっていても、気持ちのいいもんです。こういう映像は。

じゃあ~んぷ!

梅雨の晴れ間、なのだろう。そういう時って、湿気が多くてむしむししていて、いつもより暑いような気がするのだ。いつもって、いつ? そういうことは聞かないで(^◎^;)
ムシムシするのだけれど、電車に乗ると涼しい。というか、日本国中、建物も乗り物もどこもかしこもしっかりと空調(今だったら冷房)が効いているので、ありがたい限りだ。ちなみにわが家は滅多にエアコンをつけない。涼をとるのはもっぱら扇風機で。あとは窓を開けて風を通して、と。湿気が溜まりにくく、きっとカビ対策にもなっている、と汗をかきながら思っているのだ。

寝る時も、もう下着姿である。それでゆうべ、腰が痛かったこともあってうつぶせ寝していたら、いつもよりも元気に走り回っているガラくんが、いきなりベッドの上でジャンプ! わしの背中を踏み台にして(^◎^;)
もちろん、「ひっ」という痛みはあったけど、背中を自分でどうすることもできず、痛みに耐えつつ寝ていたよ。
今日になって、ぶたこが「せなかに傷あるよ」と言うので、よく見てもらったら、まさに足の形に、4カ所+1カ所(二段飛びしたか?)にわたって、ひっかき傷ができているらしい。
ま、元気があるのはいいですけどね。

阪神5-10日本ハム

夜、でかけておりまして、遅くに帰ってきたのだけれど、テレビをつけたら、さすがサンテレビ、9回裏の攻撃が始まるところ。ひえ~。何時間やってるの。こんなに遅くまでやっているということは・・・・
うおっと。
何という得点の入り方(^◎^;)
21安打で10点と12安打で5点ですか(^◎^;)
9回裏は、三者三振(-◎-;)(_◎_)
あっという間に、試合は終わってしまいましたとさ。
10時を回って、鳴り物なしの中で最後まで応援を送っていた京セラドームの虎ファンの皆さん、お疲れさまでした(_◎_)
何がどうしてこうなったのやら・・・・ 先発は下柳ですか。そして早々に降板して、江草が打ち込まれましたか。
昨日の勝利で、波に乗れるかと思いきや。なかなかうまく流れませんなあ。
なんとなく、大丈夫かいなあ、と思うこと、いろいろ。でも、今は何も言わないよ(^◎^;)
明日、あさってと休んで、さて、心機一転して、楽天戦で頑張ろう。
ま、夏は長いよ、これからだよ。

ちなみに・・・

ぶたこがラジオ番組に応募して、見事当選した、岡田彰布さんと道上洋三さんのサイン色紙です。
今日の勝利もこの御利益?(^◎^;)

阪神4-3日本ハム

連敗もようやく5で止まりましたな。今日負けたらいよいよ二桁借金やっただけに、ちょっとほっとしましたわ。
それにしても、ブラゼルはよお打ちますなあ(^◎^;) 4試合連続ですか。すごいなあ。
今日はブラゼル一人だけじゃなくて、長打の連打も出たし。久保のツーベースはラッキーやったな(^◎^)。いつもなら、それだけで終わるねんけど、今日は関本、新井と続いて、久々にたたみかける攻撃が見られましたね。関本、金本の3塁盗塁も光ったなあ。
それだけに、1死3塁から、追加点が入らなかったのが残念。さらにたたみかけることができたら、これからもっと期待できるのにね。

勝利のお立ち台に立った新井にも、笑顔もなければ、景気のいい話も聞けませんでしたね。ただ「選手はあきらめてませんから」というひと言だけ。
いや、今はそのひと言だけで、十分であるよ。
もちろん、ファンもあきらめてないよ。これから何が起こるかわからんもん。それが野球というものさ。

新聞休刊日

昨日、テレビ欄が別刷りになっていたので分かっていたはずなんだけど、毎日の習慣でついつい郵便受けを見に行ってしまうのです。で、何も入ってない。
特に何が変わるってこともないはずなのに、新聞がないと「知らないことが世の中で起こってる」と思う。
別に新聞にすべてのことが載ってるはずもないのに、そんな風に思うのだな。毎日しっかり読んでるわけでもないのに。そこにあるだけで安心する。
理屈をこねているのは、郵便受けまで新聞を取りに行って、空しく帰ってきた自分を慰めているのです。

ロッテ4-1阪神

今日も仕事で、知らないうちに試合は終わってました(^◎^;)(_◎_)
ううむ、5連敗ですか(-◎-;)
こういうのを泥沼というのかなあ・・・・
久しぶりに、弱いチームを応援してる気分を味わってます(^◎^;)

ブラゼルの一発だけでは、どうしようもありませんわな。
それにしても、よく打つけど、ブラゼル(^◎^;)
途中加入の助っ人ひとりに頼ってるようではねえ。

今日もどうやらリリーフ陣が踏ん張りきれず、ということやったらしいねえ。
まあ、途中までで勝ち越さないことには、という打線の弱さが前提にあるとはいえ、ちょっと心細いというか、心配ですね。投手陣には疲れもあるやろし。

しかし、これからが夏本番であるよ。交流戦も残りあとわずか。これが終わればまたまたペナントレース本番最下位、ちがう再開(^◎^;)
たとえ打率がリーグ最下位になろうとも、たとえ借金が二桁になろうとも(もうすぐそこだ)、応援は続けるのだ。それがタイガースファンというものです、はい(_◎_)

ロッテ9-1阪神

昼間は、出かけておったので、実際には見てないのです、はい。
帰ってきたら、こんな結果(^◎^;)
先発全員安打ですか、ロッテが(^◎^;)
で、タイガースの得点は、ブラゼルのホームランですか(^◎^;) よお打ちますなあ。
しかし、ブラゼルひとりでは勝てませんからね。

ええっと、試合結果をよく見れば、8安打もしてるんですな。しかしどれも、単発。1回に1安打、と言った感じですか。続かないと点は入らんわなあ。

てなわけで、なかなか調子に乗れないみたいですなあ。このまま今年もずるずるといってしまうのか、はたまたどこかでどーんと盛り返してくれるのか。神のみぞ知る(_◎_)

「ツレがうつになりまして。」

3回連続の短期ドラマ。今日が最終回。で、なにか大きな事件が! というのは全くなく(^◎^;)、うつの症状が回復していく、それを題材にしたマンガが売れ始める、といった普通の進行。
こういう、「大したことが起こらないドラマ」をやらせたら、NHKの右に出るものはいませんな。というか、NHK以外、こんな起伏のないドラマは作ろうともしないでしょう。
といって、しょうもないドラマなんかではなく、役者さんひとりひとりの演技も達者。変な強調とかオーバーな演出がない分、心にぐっとくるシーンもいっぱいあり。そうですよ、日常はこんなもんですよ。

以前放送していた裁判官のドラマも、同じように面白かった。ただただ裁判官の仕事をこなしているだけなんだけど、とても見応えがあった。(あれ、再放送せえへんかなあ。ぶたこにも見せてあげたいんだけど)

藤原紀香、原田泰造、いい感じでしたね。特に原田泰造は、いい役者なんやなと思った。ひょっとしたら、これから大化けするかも。ひょっとして僕が知らないだけで、もうすでに実績あります?

西武6-5阪神

下柳は、今のタイガースの投手陣の中で一番(唯一?)頼りになる投手なんですが。
今日はねらい打ちされてましたな。タイミングが合いやすかったか。2回で交代は、この展開では仕方ないですな。
惜しまれるのは阿部かなあ。3イニングス目につかまってしまって。ランナーが出ると突然弱気な投球になったのが気になるなあ。能見にも損なところがあるんやけど、「一点もやれない」というのが、気迫じゃなくて気負いになって、プレッシャーになってしまう。

結局、西武の得点は2回の5点と5回の暴投による1点、計6点。その2回だけですからね。
昨日サヨナラ押し出しをしてしまったウィリアムス。今日はまずまずでしたな。スライダーが曲がりすぎて(^◎^;)、バッターに当たりそうなのが、今日は功を奏しましたな。ほんまに当ててはいかんが(^◎^;)

新井、ブラゼルの、豪快な一発も見れたし。これで勝てたら文句なかったんやけど。
それにしても。
9回表、最初の代打がどうして葛城だったんでしょう。一発逆転を狙うならリン! やと思ったけどなあ。
鳥谷はほんまに調子悪そう。どこか身体が悪いんだろうかと思うぐらい。試合に出ながら調子を戻すのは大変やろうけど。丈夫な体が裏目に出ているか。休ませるわけには、いかんのでしょうなあ。
金本も、今日はいいところなし。

ま、こんな日もありますわな。って、よくあるけど(^◎^;)
借金7つか。今年の夏は、長くなりそうやなあ・・・・

梅雨?

朝から雨。シトトトトト降っている(いしいしんじ風)
昨日の夜は蒸し暑くて寝苦しかった。夜中に2回ぐらい起きたか。小便が近くなってるのもあるけど。もう50ですし。
蒸し蒸しムシムシむしむしとした一日。ずーっと雨が降り続けるのも久しぶりかも。もう梅雨なのかなあ。
インフルエンザは、空気が乾燥していると罹りやすいという話。湿気があるのはいいことなのかも。
それにしても、よく降るなあ。今夜中です。夜になって雨脚が強くなってきたような。
あ。
そういえば、昨日の朝、洗濯したのだった。
取り込む機会を失って一晩。そして雨。
すっきり乾く要素なし。

そうそう、インフルエンザといえば。もうすっかり、町中からマスク姿は消えてしまいましたね。ちょっと前までは人前で咳をするのも憚られたけど、今や思いっきりくしゃみをしても、誰も反応してくれません。
「そんな危機管理感覚でどうするのだ!」
どうもしません。その程度の危機感覚なんですよ、わたしらは。
目くじら立てて「予防予防予防」と騒いでいるのが、なんだか滑稽に思える。
「これを機会に、もっと予防意識を高めないといけません。流行が去ったからといって、安心してはいけません」
まだ、危機感をあおる人もいるらしい。もしものことがあった時、「それ見たことか」と言える立場にいたいのかもしれないなあ。

ま、ほっとこう。
問題は、この雨。「傘がない」じゃないけれど、目の前の問題がいつも一番大きいのです。

西武4-3阪神

夜、用事を済ませて帰ってきたら、もう試合は終わっていたよ。
「終盤になってもつれました」
というNHKのスポーツアナ一柳さんの言葉に、わくわくしながら結果を見たけど・・・・・
ううむ(-◎-;)
1死満塁で、投手交代ウィリアムス。しかし、ストライクが一つも入らず押し出し、サヨナラ(_◎_)

せっかく復帰した岩田くんの好投を生かせなかったみたいですね。岩田くん、お帰り。これからがんばってな。期待してます。

ああ、それにしても・・・・
万全の投手リレーができない悲しさよ。毎回絶好調というわけにはいかんのか。それも分かる気がするけどね。
なかなか借金はへりませんな(_◎_)

少子化

日本の少子化は少しは止まったらしい。1.37という数字は、夫婦一組にたいしての数字だから、それでも日本人は減っていくのは間違いない。
いろんなところで少子化に歯止めをかけるにはどうするかという論議がされているが(朝日新聞の社説にも意見が載っていた)、どうして少子化が悪いことなのか、未だによく分からないのだ。

日本の人口は多すぎる。もともと狭い国土に1億2千万もの人間がひしめき合ってるなんて、考えただけでぞっとする。国土そのものも狭いけれど、そのほとんどが山と森で、人が住めるところ(家が建てられるところ)はもっと狭い。そんなところで人間が増えていって、どうなるんだろう。

人口が少なくなれば、若い世代の負担が増えるらしいけれど。それってネズミ講式の年金制度をほったらかしにしていた政策のせいではないのかと思う。果てしなく下の世代が増えることを予想して、さらには果てしなく経済が成長することを前提にして、お金の計算をするという無策。

できるだけ豊かに。さらに豊かに。さらにさらに豪華に。人間の欲望は限りがないのだなあ。
いっそ、日本の人口は今の半分、せめて3分の2ぐらいにならないか。そうすればいろんなことがもっと楽になるんじゃないか。

そんな人口になったら、生産性が落ち込む、という話もあるけれど、今の日本の技術力から考えると、それくらいの人口のうちの半分か3分の1ぐらい(1500万ぐらい?)が生産活動をするだけで、日本全体の経済は動くんではないかと思うのだが。夢物語だろうか。

それでも日本の人口は維持しなければならないのだ、というのなら、簡単な話、人口が余っている国(アフリカとか)から、養子をたくさん連れてくればいいのだ。人種にこだわることはない。日本が救われるためなら、よその国から人をいっぱい連れてきて、日本人にしてしまえばいいのだ。人口は一気に増える。労働力も一気に増える。これだけ豊かな国なんだから、多少の出費はどおってことはない。

そこに、どんな問題があるんだろう。

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