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【容疑者Xの献身】東野圭吾(文芸春秋)

年末ですなあ。この時期はバラエティもドラマもスペシャルばやり。ドラマは再放送ものが多いけどね。放送局は楽なんだろうということは予想がつきます。ドラマだけじゃなくて映画もスペシャルが多い。地上波初登場とか。で、人気ドラマ「ガリレオ」シリーズの劇場版、「容疑者Xの献身」もやってましたな。
でも、先日図書館で借りて来たんですよね。だから映画のほうは録画しておいてあとで楽しもう。
ちなみに、代わりといっては何ですが、同じ時間帯にやっていた松本清張の「顔」を見てました。面白かったなあ。1時間10分でこの内容の濃さ。それを考えると、民法の2時間ドラマはなんと水っぽいことかと思いますな。

さて本題。東野圭吾の直木賞受賞作。さすがにその面白さは群を抜いていますな。先に読んだ「手紙」は、推理小説というより人間ドラマでしたが、こちらはまっとうな推理小説。とはいえ、構成は普通の推理小説とはかなり違っている。

家に押しかけてきた元夫を、はずみで殺害してしまった母娘。その母親にかねてから心を寄せていた隣に住む高校教師が、完全犯罪を持ちかける。殺人事件の担当となった刑事草薙は、友人の物理学助教授湯川とともに、事件の真相を探るのだが。高校教師は湯川の大学時代の同級生で、天才的な数学者だった。

まず事件が起こる。犯人は最初から読者には分かっている。となるとあとは探偵(ガリレオ先生登場)がどうやって犯人のトリックを見破るか、ということになるんですけど。読者のほうは事件のあらましが最初に提示されているので、だれがトリックを作っているのかもわかっている、はずなのに・・・・・。いやあ、すっかりだまされてしまいました。おみごと。

そして単なるトリック崩しじゃなくて、その中になんとも言いようのない人間同士の葛藤というか、全と悪との葛藤というか、そういうのもきっちり描かれている。どちらかというと同情したくなる犯人なので、トリックを崩してほしい、でもそれが見破られたらどうなるの? という、読み手も葛藤を強いられる作品です。途中の「あれれ?」と思わせる伏線の張り方も見事。
さて、あとはゆっくりと映画を楽しみましょか。
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フィギュアスケート 全日本大会

まあ大興奮の大会でありました。いろんな意味でね。競技を見終わったときには「これはジャンプがダウングレードかな」とか思ったときでも、高得点をたたき出すのは、さすが国内大会というところはありましたが。
五輪代表に決まった6人+1組。おめでとうございます。と言っても誰も聞いてないでしょうが。
男子の3人は順当なところ。女子の3人は誰になるのか。すでに内定している安藤を除く2枠。浅田はほぼ確実としても、残りの1枠は。などという関心もありましたが、そういう外野の関心以上に、選手にとっては全日本はどうも特別な大会らしい。みんなばりばりに緊張してたもんなあ。雰囲気に飲まれてしまったんじゃないかと思われる選手、多数。
そんな中で結果を出した選手はやはりえらい。
一番気がかりだったのは安藤。特にフリーでは気合が入ってないように見えたなあ。ただ疲れてるだけだったらええんやけど。
と思いつつ、今日のエキシビを見たら、見違えるような気合の入り方で一安心。それにしてもこの人、どうにも調子の波が大きくてねえ。安定しているのやらどうなんやら。
浅田のフリーは、今季一番のできやったかな。というか、一番感動しました。今まで曲の雰囲気に押しつぶされてたような気がしたけど、今回はしっかり表現していたように思ったなあ。ジャンプはグレードを落としたし、まあ全体に安全策といえばそのとおりなんだけど。それでも人をひきつけるものを持っているというのはすごいと思う。テクニカルをダウングレードした分、曲の表現に入り込めたような印象。どちらが好きかは好みによるかも。でも点数はもちろん、3アクセルを2回入れたほうがいいんですよねえ。それと、ショートプログラムとの対比とか、そんなことを考えると、なんてことを私らが考えんでもええんですが。ひとり別次元の世界に入ってしまったような印象だったので、それで点数が出ないのは惜しい、と思ってしまったのでした。
鈴木明子は今回一番のノリでしたな。SPのフィニッシュの「どうじゃ」という表情。フリーの最後のステップ。最近涙もろくなったおじさんの涙腺を刺激するには十分でした。中野がほぼ完璧を思われる(ジャンプのミスはあったけど鈴木も転倒があったし)演技をしたので、どうかなと思ったけれど、僅差の2位はほんまにすごかったです。
中野なんですけど、ほんまに一生懸命滑ってたなあ。細部を磨き上げてきたって感じ。ほとんど職人の手作業の世界。だから見事な仕上がりなんだけど、芸術的な魅力はどうかというのは別問題なんですねえ。火の鳥はいいプログラムだと思うけど、何回も見るのに絶えられないというか。そこが中野の弱点だったかも。分かりにくい表現ですみません。

男子。織田のフリーはどうもしっくりとこないんですよねえ。ものすごく楽しい、とも思えないし。笑えないし。なぜか。今日エキシビを見ておもったんですけど、織田選手の滑りってとても美しいんですよね。ジャンプも柔らかくて美しい。ちょっと見はあの体系であの顔(失礼)だからコミカルな感じがするんだけど、ほんとはもっと滑らかな、ゆったりとしたスケートの方が似合うんじゃないかなあ。
小塚選手はリズム感がいいと思うねんけど、曲の表現はどうなんでしょう。ギターが好きなんだろうなあというのは分かるけど、好きだから合ってるということはない。そこが難しいんですよね、きっと。
高橋選手。もう何も言うことないですね。というのはエキシビを見終わったから言えるんだけど。4回転は跳べなかったし。それでも挑戦し続けたのはえらいと思うなあ。で、4回転を失敗しても、あとで取り返せるだけの自信がついてるみたいやなあ。4回転なしでも五輪の上位は狙えそうなんだけど、でも跳んでほしいね、4回転。エキシビを見てて思ったんだけど、今日はジャンプは3回転ばっかり(全部単独)で、特別難しいステップもしてない(ほんとはしてたのかもしれないけど)みたいだったんだけど、それでも目を離せない雰囲気をもってるんですね。何もしてない滑りそのものがとても美しい。とても自然に滑っていて、それだけでも見ていて気持ちがいいんです。こんな選手ほかにはいないね。海外でも。フリーはほとんどショーを見ている気分でした。ショートのかっこよさ。やっぱり一段違うわあ。


すでに仕事は冬休みに入ってます。毎日だらだらと過ごしていて(あかんがな)、ブログの更新も滞りがち。パソコンに向かうとゲームに触手が動いてしまうという、まるで子供のような状態。いかんいかん。ただ体を休めるだけじゃなくて、ちょっとは年末の整理とかいうものもしないとね。それにしても、冬休みってどうしてこんなに楽しいことが周りにいっぱいあるんだろうか。

【手紙】東野圭吾(毎日新聞社)

小説というのは実際にはなかった話を書くことが多い(時々実録ものみたいな伝記のような、あるいは歴史ものとかで事実に基づいたものもあるけれど、想像の部分がまったくないわけではないから、やっぱりすべてが事実というわけではないと思う)。その「なかった」度合いがとても現実とかけ離れているとファンタジーになり、現実と寄り添っていると私小説とかになるんだろうか。ありそうなんだけどなかった話というのは、実は難しい。話の筋書きがありそうなところ、言い換えると「常識的なところ」に落ち着きそうになるからだ。読み手もありそうな話になると、なんとなくありそうなところ、常識的なところに話が落ち着くんじゃないかと期待して読んでるときがある(僕は期待してしまう。というか、予想してしまう)。そしてどこかでそれを裏切られることをも期待していたりする。裏切られると「やられた」と思って嬉しくなる。でもあまりにも「なさそうなところ」に行ってしまうと、「何で?」と疑問に思う。その加減が難しいのだと思う。

強盗殺人を犯して服役している兄を持つ弟が、社会の差別に苦しみながら生きていく、という話は、「ありそうなところ」に落ち着くのに格好な題材だろう。途中までは僕も「ありそうなところに落ち着くのかなあ」と思いつつ読んでいて(ありそうな筋書きになるところも途中はあったので)、ちょっと退屈な話かなあと思っていたんだけれど、終盤になってそれが次々に裏切られていって、俄然面白くなってきた。常識的なところに落ち着かない、というところがとてもいい。

読み終わってから、いろんなことを考えた。僕らは小説を読むときに、起承転結がいつもあるものだと思っている。物語は発端があって盛り上がりがあって、最後に結論が出るものだと。しかし現実社会ではどうか。結論が出てジ・エンドとはならない。ある物事の結論が出ても、その先にはまた別の人生が待っている。僕たちはその時間も生きていかなければならない。人生にジ・エンドを打つのは死ぬときだけ。しかも自分がジ・エンドとなっても周りの人間は行き続けるわけだから(世界が同時に破滅しない限り)、結局結論が出るのは永遠のその先ということになる。果たして自分の生きている道は正しいのかどうか。それは誰にもわからない。ただ生きていくためには、その節々で結論を下さなければならないときもある。その結果がどうなるかはわからない。分からなくても結論は出さないといけない。そしてその結果の上に人生を続けるしか道はない。物事がうまくいかなくなったとき、よくその原因は何かということを考えるけれど、原因が分かったところで結果が変わるわけじゃない。ただ後悔することしかできない。だから僕らの人生はいろんな原因で今があるんじゃなくて、いろんな結果の上に成り立っているだけなんじゃないか。それは動かすことはできないんじゃないか。

小説世界ではメデタシメデタシで終わることがあるけれど、実人生ではジ・エンドはまだまだ先の話で(多分)、言い換えると、小説世界が終わったところから実人生が始まるんじゃないかと思う。その先はどうなるのか。分からないけれど生きていこう。生きていくしかない。そんな勇気(いやな言葉だけど)を感じることができる小説です。
読み終わってからいろいろ考えさせられるなんて、久しぶりかな。

M-1グランプリ

冬のテレビの楽しみは、フィギュアスケートとM-1グランプリなのだ。僕個人の下馬評としては、NON STYLEか、モンスターエンジンか、笑い飯か、というところだったんだけど。新聞の記事などを見ると、ナイツ、パンクブーブーが本命どころらしい。NON STYLEは敗者復活組ということらしい。決勝戦に出てこれるかどうか。
で、敗者復活戦から続けてみたんだけど。敗者復活戦は、内容はほとんど流れずに、楽屋の様子とか出演者の様子とかを流すだけ。まあいい選択でしょうね。ここでネタが流れると、本選に残ったときにやるネタがひとつ減ってしまうわけやから。
そして本選番組スタート。上戸彩が去年に比べるとちょっとふっくらしたかなあと思いつつ番組は始まって、敗者復活で勝ち上がったNON STYLEを含めた9組がネタ披露。

期待してたモンスターエンジンが、大して面白くなかったのにはがっかり。ネタが粗末過ぎな上に、早口でたたみかけてこられて、笑うツボを逃してしまう。間が大事なんだけど。東京ダイナマイトは前に見たときもたいしたことないなあと思ったけど、今回も同様な感想。どうして決勝戦に残ったんでしょう。まあ毎年「どうしてこんなコンビが決勝戦に」と思うコンビは出てくるんだけど。ハリセンボンのネタは面白かったんだけどなあ。緊張してるのが伝わりすぎたか。笑い飯のネタは最高。これを考えつくことができても、笑いとして完成させることはむずかしいだろうに。ダウンタウンが出始めたころの衝撃を思い出した。ハライチはひとつのパターンを追い込んでいくやり方が(しかも突っ込みのほうは大して労力を使っていないように見える)新しいかもと思った。これからに期待できるかも。南海キャンディーズは芸風がちょっと変わったかな。面白かったけどなあ。キャラに頼らないやり方と、ツッコミの間がもっとよければ。パンクブーブーのネタは普通。爆笑をとったのは確かだけれど。ナイツも漫才の王道ともいえるけれど、面白いかどうかで言うと、僕の笑いのツボにははまらない。

で、決勝。3組の3つのネタはどれも1本目を上回ったとは思えなかったなあ。マシなのはパンクブーブーかなあと思ったら優勝。まあ順当なところでしょう。笑い飯が腹をくくって、2本目もさらにシュールなネタで来ていたら。ノンスタイルが(もう英語で書くのもめんどくさい)1本目とまったく違うスタイルのネタを持ってきていたら、なんてことを考えてしまった。個人的な好みではノンスタイルに取ってほしかったけどね。

ずっと見ていて思ったのは、最近の漫才のスタイルは決まってきたなあということ。一人がボケるともう一人がツッこむ。そのつっこみ方はほとんどのコンビが一様で、ぐわっとテンションが上がって、叫んでるようになる。それが最初から最後まで続くのですな。前は、はじめのほうはツッコミも普通で、なんどもツッこむうちにテンションが高くなって、どうしようもなくなったときにポトンと落とす、というスタイルが多かったのに(ブラックマヨネーズとかサンドウィッチマンとかもそうだったよなあ)、今は最初からツッコミはハイテンションなんですね。パンクブーブーも最初からテンション高くツッコムので、おじさんは途中から息切れしてしまうのです。ふぅふぅ。
といって、ただボケる相手を淡々とツッコミを入れるだけの、そこから発展のないような、小ネタをつなげていくだけのような漫才も、どうにもだれるのですな。じゃあ何がいいかと言われると困るんだけど。

そんなわけで、今年のM-1はいろいろ考えさせられたのでした。笑いに関しては僕よりも数段厳しいぶたこは、「今年の決勝戦は、笑われへんかったわ」と落胆していました。ぶたこよりやや寛容な僕は、ある程度楽しんで見れましたが。笑い飯の1本目のネタは、ほんまに面白かった。島田紳介委員長が言ったように、確かに、あれが最後の輝きやったかもしれませんが。それが見れただけでも今年のM-1は価値があったかも。

【智天使(ケルビム)の不思議】二階堂黎人(光文社)

推理小説の形として、いろんな形態があるんだけど、そのひとつが、最初から犯人が分かっていて、そのトリックを探偵が解いていくものがありますな。古くは「刑事コロンボ」最近では「古畑任三郎」といったものですね。読んでる方は、いつこのトリックが見破られるか、完璧と思えたトリックのどこに「穴」があったか、というのを探るのがひとつの楽しみ方ですな。
で、この「ケルビム」ですが、それを逆手にとった展開になっているところがミソ。推理小説へのエチケットとして、これ以上は言われへんけどね。
売れっ子漫画家の天馬ルリ子は、元使用人であった杉森に命じて邪魔な男どもを亡き者にしていく。時効となったその殺人のトリックとは? そしてその謎に挑む青年サトル。さらに新たな犯行が・・・。

作品の印象はですねえ・・・・よくできたトリックだけど、これってちょっとルール違反のような気が・・・・。でもないか。どうしてこんな中途半端な時代設定にしたんだろうと、最初は思ったけどね。なるほどね、と最後で納得。

作品の構成として、まずは犯人の独白があって、それから事件を推理する探偵役が出てきて、事件に関わった刑事さんが事件の詳細を伝える、という流れなので、同じ事象が繰り返されるので、初めの方はちょっと退屈気味。いたずらに長くなっている印象。途中から、あれれ、これは私ら、騙されてるんちゃうの、と思い出してからは急展開。ラストはどうなるの? と思いつつ読んでいきました。ラストは・・・・・ううむ。まあ、そんなところかなあ。あともうひとひねりがあればなあ、と思うのは欲張りか。

「智天使」と書いて「ケルビム」と読ませるところや(合ってるんだけど)、まがまがしい装丁は、作品の本質からちょっと離れてしまっているような。怖ろしい描写とかがなくても十分なトリックと内容やと思うんですけど。

【怪物ガーゴンと、ぼく】ロイド・アリグザンダー(宮下嶺夫訳・評論社)

気管支炎にかかって学校を休まざるを得なくなった主人公の少年。家庭教師をつけるお金もない。というときに名乗りを上げたのは遠縁のアニーおばさんだった。これが少年にとっては謎の人物。おばさんだけどおばあさん。あだ名を「ガーゴン」と名付ける。怪物「ゴーゴン」のもじりだ。それを知った当のガーゴンおばさんは、少年を「ザ・ボーイ」と呼ぶようになる。初めはこわごわといったおばさんの家庭教師が、だんだんと面白さを増してくる。なんといっても脱線する話のおもしろいこと。おかげで「ぼく」も想像力が増してきて、いろんな話を書き、絵を描く。

不況の嵐が吹き荒れつつある、フィラデルフィアでの物語。主人公の「ぼく」とガーゴンおばさんとの心の交流を中心に、その時代の人たちの生き様もかいま見れる。家族小説なんだけど成長小説でもあるんですね。もちろん、少年とおばさんとの交流がメインで、心温まるドラマが生まれてくるんだけど。

実際の時間の流れの合間に「ぼく」が想像する物語が挟まれる。これ、どうかなあ。物語の中に物語というのは結構あるんだけれど、うまくいく時とそうでない時とがあるね。この場合は、どうかなあ。それぞれの話自体は面白いんだけど、全体の流れからいうと、ちょっと邪魔にも思えるなあ。微妙なところです。地の話がとてもいいだけに、よけいにね。

【月と10セント】北杜夫(新潮社)

久しぶりに北杜夫を読んで、懐かしい気持ちになった。少年時代、10歳前後に初めて北杜夫の「さびいしい王様」を読んだのだ。僕の読書体験の一番始めと言っていいと思う。「大人のための童話」となっていたから(実際、内容は子供に読ませたくないような箇所もあった。子供だったくせに)、本格的な小説を読んだ、それが初めだったのだろう。読書好きの兄がこの本を買ってきていたのだ。兄のすることをまねる癖があったので、兄の読んでいたその本を、あとから読んだのだ。分厚い単行本をよくも読めたものだ。そしてすっかり北杜夫にはまってしまった。それから続けざまに「高みの見物」とか「怪盗ジバコ」とか「どくとるマンボウ航海記」なんかを読んだ。どれも皮肉たっぷりで、面白かった。考えてみれば、僕の人格形成はこのときに決まったような気がする。マンボウ的生き方に憧れてしまったのだ。(もうひとり挙げるとしたら、安部公房ということになるんだろう)

人格形成がこのときに決まった、というのを、「月と10セント」を読んで感じたのだ。アポロが月着陸に向かって着々と計画を進行していた1960年代後半、著者は2度に渡ってアメリカを訪問した。その顛末記である。一度目はまだ月に行く前。計画進行中のNASAの訪問。2度目はいよいよアポロ11号の打ち上げ、その場所、ケープケネディ。
よく知られているように、著者は精神科医でありながら自身も躁鬱病もちである(作家になったので、めでたく医者は廃業したらしい)。躁期と鬱気が周期的にやってくるらしいのだ。そしてこの旅行記(と言っていいと思う)を読む限り、旅行に行く前はすこぶる躁の状態であり、はしゃぎまわって旅行の準備をする。2度目の時には「月乞食」なるものになることを思いつき(月よりの使者じゃ、と言って金銭を恵んでもらうということ)、その準備に大わらわとなる。しかしいざ本番というときには鬱期にはいってしまい、なんらの成果(?)もあげられず、さらにNASAには邪険にされる始末。その「人類初の月着陸」とは、およそ関係のなさそうなはちゃめちゃぶりを、冷静になった(たぶん)目で、ユーモアを交えて語っているのが面白い。

僕が読んだのは、新潮社から出ている北杜夫全集の中の1冊。後半に「マンボウおもちゃ箱」というエッセイ集が入っていて、こちらは創作の苦労とか、自身の躁鬱病についても語っている。これを読んでいると、病気を持ちながら、それを楽しんでいるようにさえ見えてくるから不思議。ま、病気でもいいじゃないですか、という気になってくる。周りは大変だろうけど。

赤星引退

2007年8月3日の甲子園です。



ほんとに残念ですね。ケガには勝てなかったね。
ゆっくり休んでください。

【フライ・ダディ・フライ】金城一紀(講談社)

フィギュアのことでは、モロゾフコーチの発言がいろいろ物議を醸しだしているらしいですね。まあどんなスポーツでも「勝てば官軍」なんでしょうけど。選手に関係のないところでいろいろ騒がないようにしてほしいところです。

映画にもなった、金城一紀のベストセラーです。平凡な40代後半のサラリーマンが、殴られて入院までした娘の復讐をしようとします。しかし、殴りこみに行った先は別の高校だった。さらにそこの生徒にコテンパンにのされてしまいます。ところが、その高校生たちは、逆に父親の復讐の手伝いをかってでます。さてそこから、ケンカに勝つための特訓が始まるのでした。
出だしを読むと、ハードな話になっていくのかと思いましたが、読み進むと、もうエンタメ色全開です。在日コリアンのシュンシンに、訳もわからず特訓を受けるさまは楽しめます。そこにちょこっと在日の心情も見え隠れして、ただのエンタメに終わっていないところが、さすが金城一紀。「GO」を読んだ時に思ったけど、在日の壁をふわっと飛び越えてくれるかも、という期待が持てる。これまでの日本になかったタイプの作品をもっと書いていって欲しいなあ。

フィギュアスケート・グランプリファイナル

まずは今日のエキシビジョンからもんくの始まり。なんで安藤、織田の演技を何度も放送するかなあ。しかもダイジェスト。主要なジャンプのシーンばっかりで、全体の出来とかは関係なし。もっと見せ場もあったのに。キムヨナの、アメリカ大会でのSPを放送するくらいなら、ジュニアのフリーをもっとちゃんと放送してほしいよなあ。ダイジェストでジャンプのシーンばっかり。失敗したところも含めて、演技やと思うねんけど。
まあペアとかダンスの上位のエキシビを放送してくれたから、ちょっとはマシやったけど。それにしても、映画の番宣はいらんよなあ。

さて。エキシビジョンで一番盛り上がったのは、ライサチェック。今年の世界選手権でのフリーの後半部分ですね(曲目は変更されていたのでしょうか。画面ではフランク・シナトラとなってたけど、あれはどう聞いてもガーシュイン)。あの優勝の瞬間を思い出してしまいました。そんな記憶より、ともかく素晴らしい滑り。やはり今回の1位はこの人でしょう。ショートもフリーも、文句のつけようのない演技でしたからね。
高橋選手。ショートであれだけ高い点を取ったので、「ひょっとしたら」という期待もあったんですが、そう甘くはなかったですね。でも4回転に挑戦したのは、正解やったんちゃうかな。そういう挑戦する姿勢はなくさないでいてほしいと思っていたので、失敗しても、あるいは順位が落ちても挑戦したことに拍手を送りたいですね。目標はオリンピック。そこからぶれていないことが確認できたかなと思いました。
逆に、織田選手には、4回転を期待していたんですが。ううむ。安藤選手の演技のときも思ったんですけど、モロゾフコーチは、いつになったら「安全策」から脱却しはるんでしょうね。まあスポーツですから、勝たなあかんというのはわかるんですけど。でも「後悔しない負け」というのもあると思うんですけどね。安藤、織田の両選手は、後悔はしてないんだろうか。いや、この二人も、高橋選手とは違う意味で、オリンピックを見据えているのかもしれませんけどね。ともかく、めでたく代表に内定したわけやし。

【センセイの書斎】内澤旬子(幻戯書房)

フィギュアスケートの男女ショートプログラムを見て、感動し感心し、ちょっと考えさせられた。高橋選手の演技の始まり、カメラが正面からその表情を捉えた瞬間、ぶたこが「いやん」と言って涙目になったであるよ。おいおい。しかしその気持ち、分かります。素晴らしかった。詳しい感想はまた明日。フリーが終わったらね。

ということで「センセイの書斎」であります。作家、評論家、エッセイスト、学者などなどの書斎を取材して、スケッチなどをさせてもらうという企画。スケッチは「河童が覗いた」に準ずるような立体図と、目についた小物や特徴など。そして書斎の主へのインタビュー。いや、いろんな書斎がありますな。そしてみなさん、当然の事ながらたくさん本を持ってらっしゃる。その上(これも当然のことだけど)本を大変愛してらっしゃる。中には「必要な部分だけ破りとってあとは捨てる」という猛者もいらっしゃいますが(誰でしょう)。
わたくしは現在、ほとんどの本を図書館で調達しているおかげで、書斎というものを必要としていないんですけど、こういうイラストとかを見ているとなんとなく気分が和みますな。いや、こういうのに憧れた時期もありましたからね。今は家の中には何もない方がいいと思ってるけど。
ところで、ここに出てくる人は、ほぼ例外なく「本を眺めて喜ぶ」という趣味はなく、あくまで「実用」として本を扱ってるんですね。本を活用している。活用方法はためになるかな。いや、わたしのような凡人には真似できないから、やっぱり役には立たなくて、ただ眺めて「ええなあ」と思うだけにしておいた方が無難なんでしょうけど。

【トムは真夜中の庭で】フィリパ・ピアス(高杉一郎訳・岩波書店)

年賀状げっと。まだどんなデザインにするか決めていないのだ。もう師走、なんですねえ。12月ももう3日も過ぎた。もういくつ寝ると・・・・という時期。町中のクリスマス・イルミネーションを見るにつけ、こころそわそわ。そわそわしても仕方ないんだけれど。なぜかそわそわ。そのそわそわの原因は何? 自分でも分かりません。もうすぐ一年が終わるっていうこと、この一年に起こったこと、できなかったこと、やろうとして手もつけられなかったこと、後悔することが思い出されて、「ぶぶぶ、いつかはできると思っていたのに、もう一年も終わろうとしている。ぶぶぶ」と思うからなんだろうか。一人の人間に与えられる時間はとても短い。あれもやってしまいたい、これを成し遂げたいと思っても、なかなかできるものじゃない。だから最初から諦めてしまってるところもあるなあ。諦めて、それで気持ちが軽くなることもあるし、反対にオレはなんてダメな人間なんだと自分に憤慨することもある。そんなあれやこれやがかたまってやってくる季節なんだろうなあ。そしてクリスマスがあって新年があって、という「夢」の部分もある。いろんなことが心の中を通り過ぎる季節なのであります。

前に「8つの物語」がとても面白かったピアスの代表作。夏休み、弟がはしかにかかったので、ひとりおじさん、おばさんの住むアパートにしばらく住むことになったトム。おじさんもおばさんも悪い人じゃないけれど、そこでの生活は退屈きわまりない。ところがある夜中、ベッドの中で眠れずにいたトムは、大時計が13時を打つ音を聴く。そしてそっと、何もないはずのアパートの裏庭に出てみると、そこはある夏の昼間の庭園だった。トムはそこで、ハティという女の子と仲良しになる。
ある場所を通り抜けると別世界、というのは児童文学にはよくある話ですな。だからそういうファンタジーだろうと思って読み始めたんですが、途中から時間・空間をとらえたSF風になっていって、児童文学なのにしっかりできてるって感じ。いや、児童文学やからとバカにする方が良くないのですが。それだけきちっとできあがっているから、今の時代にも読み継がれているわけでね。
そしてこの作家の視点が、構成も理論もしっかりしているのに、理屈っぽくなくて、難しくなりそうな時間と空間の話が(作中、おじさんがトムに「時間」の理論を教えようと悪戦苦闘する場面がおかしかった)、すんなりと理解できるようになってるんですね。あくまでも子供のトムの視点からはずれない。これはすごいこと。
エンディングも心に沁みました。いいなあ。

【c-Japan宣言 情報を糧とした日本の未来ビジョン】小泉成史、曽根原登、東倉洋一(丸善)

オバマ大統領は平和主義者だと思ってたから(たぶん今でもそうなんだろうけど)、アフガニスタンへの増派は意外やったなあ。平和のための戦争というのは認められるんだろうか。「健康のためなら死んでもいい」という人と似てるような気がする。そんなことを言ってると、ぼーっとしてる間に刺されて死んでしまうのかも。でもそれを怖がって、「だから先に刺すのだ」とは思わないなあ。むしろ刺された方が気が楽なんじゃないかなあ。刺されて傷つく(あるいは命を落とす)ことより、相手を刺した悔いの方が重たくて、あとの人生が耐えられなくなるように思うからなんだけど。

それとは全然関係のない、本の話。「c-japan」って何? 副題を読んでもよく分からない。内容を読むと(今ひとつよく頭に入ってこなかったけど。新書を読むのも久しぶりやったし)、情報化が進んだ社会において、日本の進むべき方向を探っていこうということらしい。デジタルコンテンツ、映像配信にスーパーコンピュータまで出てきます。
確かにね、そういうソフトの技術力で先進性を保っていこう、あるいは開発していこうという意気込みは伝わってくるけれど、ちょっと具体案に欠けるような気がするなあ。理念が先走っていてね。
こんな風に思うのは、事業仕分けの見過ぎかなあ。
でもね、実際のデジタル社会(IT社会? なんと言ったらいいのやら)は、もっともっと先を行っているような気がするねんなあ。僕らの想像もつかないくらいに。どれくらいかというと、想像もつかないから説明できないんだけど。

【猛スピードで母は】長嶋有(文藝春秋)

文学界新人賞の「サイドカーと犬」、芥川賞の表題作の2作。
「サイドカー」のようこは、父の愛人らしい人。「猛スピード」の母は、父親と別れて、何人かの男と付き合うけれども、結局うまくいかずに別れてしまう。その上仕事もどうやらうまくいかないらしい。どちらも幸せな状況とはいえないのに、読み終わったらなぜか爽やかな気分が残る。なんなんでしょう。
たぶん、この生き方が颯爽としていて、かっこいいからでしょうねえ。憧れはしないけれど。
どちらも子供の目線から捉えているのも、余計な詮索がなくていい感じ。気持ちのいい本に出会いました。

未確認飛行物体

UFOと書いて「ゆーふぉー」と読むのは日本だけらしいです。アメリカでは「ゆー・えふ・おー」と分けて言うのが普通らしい。だいたい略語になったのを、そのままローマ字読みというか、元々の英語のように読むのは日本だけなのかも。ぶたこがニューヨークで、VIPを「ヴィップ」と発音したら、誰にも通じなかったというのを思い出します。
で、そのUFOですが。
目撃しました。
おとといの日曜日。朝、教会に行ったんですが、途中で忘れ物に気がついて、ぶたこに先に教会に行ってもらって、ひとりで家まで取りに帰る時。
近所の神社のはるか上空に、丸い白い物体が飛んでいました。球体ではなく、回転焼きのような形でした。ちょっと動いてまた方向を変えてとか。

これは写真に撮らねば。家にはいってカメラを取り出し、再び外へ。
不思議なことに、すでに上空には何も飛んでいませんでした。カメラを構えて神社の方向に歩いていくと、近所のひとが犬を散歩してはりました。どうもおはようございます。挨拶をして、照れかくしに神社のイチョウの木(みごとに色づいています)をカメラに収めました。



で、肝心の白い物体の正体ですが。
いまだに分かりません。ま、未確認、ということですから。UFOということで。

100円カレンダー

先週、近所の100円ショップでカレンダーを買いました。1階と2階にひとつずつ、ということで2つ。まったく同じものだと面白くないので、予定がたくさんかけて、でもちょっとだけデザインが違うものを2つ。
家に帰って、ぶたこが来年の予定を埋めつつページをめくっていきます。
(^oo^;)「ありゃ」
と、めくっていく手が止まりました。
1月、2月、3月、4月ときて、次をめくるとなぜか8月。その次は6月、7月ときて、またまた8月。
8月が2回あるカレンダーなのでした。
いや・・・・これは確かに不良品。もう一方のカレンダーを確かめましたが、そちらは異常なし。

次の日、100円ショップに交換しにいきました。店のカウンターで、
(^oo^)「えっとね、1月でしょ、2月でしょ、で3月、4月で、ほおら! 8月がきてるんです」
店の人もちょっとびっくり。
わたくしは、同じ商品を売り場から持ってきました。これと交換してもらおう。
「念のために、中を確認させてください」
同じ会社の製品だから、ひょっとしたらひょっとするかも。工場で一括生産だろうから、全部の商品が乱丁(カレンダーでもこう言うのかなあ)になってる可能性もあるしね。
あ、このカレンダーはビニールの袋に入っていて、出して確かめることは(普通は)できないようになっているのです。でも交換するからにはね、袋から出してもらって確かめないと。
で、新しく持ってきたカレンダーをめくっていきます。
1月、2月、3月、4月、異常なし。次が問題の5月。ばっ、とめくると、ちゃんと5月が出てきました。
ああよかった。と思って5月をめくると。
また5月が出てきました。なんじゃそら。
で、その次に6月。めくっていくと、7月、8月・・・・と12月まで揃っていました。つまりは5月だけが2枚になっていたわけですな。

ま、これやったら、5月を一枚取ってしまえば使えるから、と納得して交換してもらいました。
久々に、とんでもない商品にでくわしましたわ。最近には珍しい。

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