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今日一日

土曜日はいろんなことができる日だ。今日もそんな一日。午前中は洗濯。午後は図書館と買い物(猫の砂)。夜はテレビ三昧。
夕方からテレビがつけっぱなし見ぱなしというのは土曜日くらい。「土曜はダメよ」で面白不動産に笑い、ニュースを見、7時半からはNHKの時代劇「咲くやこの花」、8時からはサンテレビ「熱血!タイガース党」、9時からはまたNHKでドラマ「君たちに明日はない」。1日にドラマを2本見るのも土曜日くらい。大体いつもドラマは見ない。民法のドラマもほとんど見ない。どれも同じように見えるからなんだけど。時代劇の「咲くやこの花」は、主役の成海璃子に注目。デビュー間もないころから気になる存在なのだ。天才的なかるた名人という設定はぴったり。時代劇なのにチャンバラがまったく出てこないのも趣味に合う。余貴美子ほかの脇役陣もしっかりしているけれど、やはり主役の成海璃子に注目してしまう。いつか朝の連ドラで主役をすればいいのに。視聴率も上がるのではと勝手に思ってしまう。いや、きっとNHKもその思惑があるに違いない。そしていつかは大河の主役、と夢は広がる。こっちが勝手に広げてどうする。
同じNHKの9時のドラマ「君たちに明日はない」は、リストラ請負会社の社員の話。単なる「元気を出せ、社会人」という励ましのドラマになっていないのがいい。もう民法のドラマではお呼びがかからないかもと思われる役者陣が(失礼な)、さすがと思わせる演技をしていてかえって安心してみていられるのは皮肉な話。アイドルの人気だけで安易にドラマ作りをしている局とは違うというところを見せている。
こういうのを見ていると、NHKの底力を感じる。きっと大河ドラマ「龍馬伝」もいい出来なんだろう。評判もいいみたいだし。でも1年間付き合う覚悟ができないので、見ないで済ましているのだ。


あっという間に1月も終わり。日付も変わったのでほんまに今日が1月の最後の1日。月日の経つのは早いなあ。今日は一日中鼻詰まり。昨日から予兆はあったのだ。今日は図書館でくしゃみ、コーナンでもくしゃみ。ひょっとしてこれは、もうすでに花粉が飛んでいるということなんだろうか。今日は天気もよく暖かかったからなあ。花粉飛翔にはもってこいの一日だったわけだ。明日は天気はぐずつくらしい。そしたら花粉の勢いもおさまるか。よしよし。と思ったけど、じゃあ洗濯物はどうなるのだ、というのを思い出した。物事はそううまくいくものではない。思惑どおりにことが運ばなくても落ち込むことはない。それが普通、自然なのだ。物事が自然に動いている、そのことに感謝しよう。
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フィギュアスケート四大陸選手権:女子フリー

週間のラテ欄では、別番組だったので、今日はほとんどあきらめていたんだけど、急遽速報のように番組差し替え。日本選手を中心にたっぷりと放送してくれて、フジさんありがとう。関テレさん、またこんど。

日本の3選手。
やりましたね、浅田真央。3アクセルを2回決めての、堂々の逆転優勝。まあ点数的にはまだ上を狙えるかなというところ。ラフマニノフの「鐘」の、恐ろしくも美しい世界をここまで演じきるとは。去年の仮面舞踏会も、世界選手権の時にはすばらしい滑りだったけれど、今回の鐘はまさに圧倒される感じ。華麗に演じるという女子フィギュアの真逆をいく滑りをやっているのだと再認識させられました。滑っている間、笑顔はほとんどなく、ラフマニノフの世界に浸りきってるような気がします。それにつられて、見てるほうも入り込んでしまう。もちろんそうなるにはジャンプの失敗があってはあかんのですが。お腹にずっしりとくる演技。言葉を変えれば、「はらわたにしみこむ」ようなスケートでした。五輪でも見せてほしいなあ。
鈴木明子、ジャンプの失敗もあったけれど、まずまず。滑り終わってのウィンクは、最初から狙ってたのかな。そうだとしたら、そこに向かう目標みたいなものができていいのかもなあ、なんて思いました。ノリがもっとあったらなあ。でもジャンプで失敗しても、最後のステップで見せられるという自信みたいなものが感じられたな。
今井遙、演技前はかわいい笑顔だったのに、音楽が鳴り出すと真剣モード。緊張してたのかなあ。終始うつむき加減の演技で残念。滑りそのものははつらつとしてただけにね。演技力はあると思うから、これからかな。

3位に入ったジャン。あれ? パールスピンはしないのか。体が大きくなったか。柔らかさは以前のままなんだけど、なんとなく横幅が・・・というのは失礼になるのかな。トウ系のジャンプのときに、足を振り上げる癖があるのだね。体をひねって勢いをつけてるからかなあ。それがルッツのロングエッジにつながるのでは、というのは素人的考え。ループ系のジャンプはきれいなのになあといつも残念に思う。妙なひねり方に見えるからね。

さあ、これでいよいよあとはオリンピックに向かうのみ。わくわく。

【暗闇の中で子供】舞城王太郎(講談社ノベルズ)

昨日、出勤の電車の中でこの本を読んでいて、うっかり乗り過ごしてしまった。それくらい面白い・・・というのとはちょっと違う。活字の奔流に巻き込まれてその世界に入り込んでしまい、抜け出せなくなるのだ。恐ろしい。
物語の内容は、ハードボイルドのような推理小説のような暴力小説のようなもので、確かに筋はあるんだけれど、最後の方になると作者本人が語っているように「嘘の上に嘘を重ねる」ような書きぶりになって、じゃあここまで読んできた読者はどうなるのだと言いたくなる。デビュー作「煙か土か食い物」と同様、奈津川家の4人兄弟が物語の中心で、今回の語り手は三男の三郎。推理小説を書き、奈津川家の兄弟がすべてそうであるように、暴力的で理屈っぽい。兄弟の中ではもっとも頭の回転が悪いとされているようだが。
猟奇的な殺人事件が起こり、弟の四郎(外科医)と一緒に解決したりする、というのもある。だったら推理小説か。いや、トリックとかは荒唐無稽でとりとめもなく、トリックとも呼べない。単なるエンターテイメント。
随所に引用されているT・ハリスの「ハンニバル」に触発されているのは間違いないが、ハンニバルのような洗練された表現などかなぐり捨てて、暴力的なエッセンスをパロディ風に仕上げたともいえるし、「エッセンスだけならこうなるんだよ、こういうのをあんたらは読んで楽しんでるんだよ」と、読者に向かって挑発しているようにも取れる。
ともかく、面白いかどうかを通りこして、息が切れる。子供に読ませたくない。しかし独特の才能は感じる。だから芥川賞の候補作も書けるんだろう。噂によると、この作品は初期のもので、今では作風も変わっているらしいが。最近のものはどうなっているだろう。ちょっと興味はある。


朝から雨。出かけるのも億劫だったけれど、仕事には行かないと。晴耕雨読というのはいい暮らしだと思うけれど、そんな身分にはまだなれないのだ。幸い午後からは天気は回復。仕事から帰るころには、まだ曇っていたけれど雨は降らず。それにしても暖かいなあ。ぼちぼち花粉も飛び始めているらしい。そう聞くと急に鼻がむずむずしだす。そういえば仕事中はなぜかよく鼻が詰まる。メンソールののど飴をなめて対処。ある程度鼻は通るのだ。家に帰ると鼻むずもややましに。つまりは仕事がストレスということかな。たいしたことはしてないのに。

フィギュアスケート:四大陸女子ショート

テレビ中継はないので、ISU(国際スケート連盟)のウェブサイトをチェックしていたのだ。今日は四大陸選手権の女子ショートプログラム。お目当てはもちろん日本選手。過剰なナショナリズムは嫌いだけれど、オリンピックを前にして世界の一流どころはこの大会を回避しているし、逆に「本番なれしておきたい」と思っているらしい浅田、鈴木両選手はエントリーして、まさにオリンピック前の調整がどれくらいうまくいっているのかを確かめることもできる。でもウェブサイトでは得点のみの表示。それを今か今かと思いつつ見てるんだから、ほんまのフィギュアファンなのかどうか自分でもあやしいと思う。いや、こういうちょっとした情報でも見たいと思うのはやはりよくできたファンなのだと、自分をほめてやる。
後半のほうにかたまっていた日本選手たち。まずは鈴木明子が順当にトップに立つ。58点台はまずまずかな。しばらくして浅田真央。その得点に驚いた。できれば一気に70点台、悪くても60点台ぐらいの点は出しておきたかっただろうに、まさかの57点で3位。しかも1点減点されてるやんか。3アクセルで転倒したか。

テレビ欄をチェックすると、「すぽると」で特集があるらしい。さっそくチェック。うれしいことにふたりの演技をノーカットで流してくれたよ。鈴木明子、ジャンプで失敗したのだね。やや緊張してるみたい。全日本のときのような演技の切れというか、スピードというか、アピール力がもう一歩かな。でも最後のステップなんかはひええええと言いたくなるくらいのすばらしさ(何という表現の仕方)。
さて浅田真央。始めの3アクセル-2トウループ。決まったように見えたけど、後でスローで見ると足首曲がりすぎ。体はまっすぐでも足首がほぼ90度横向いてたなあ。さすがにあかんかなあ。そのあとの3フリップが1回転。ぶたこが「滑り急いでるみたい」。確かに、どたばたとはしていないんだけど、どこか焦って滑ってるように見える。気持ちが先走りしているのか。スパイラルもちょっとふらついてたし。確かにこれくらいのふらつきはどの選手でもあるんだけれど、浅田真央は今までぴしっと決めてて、ちょっとのふらつきもなかったのになあ。で、減点があったってことはどこかで転倒・・・・・最後までしませんでしたね。じゃあ何で? と思ったら、タイムオーバーですか。そんなん初めて聞いたわ。そういえば演技の最初、音楽が始まってしばらくじっとしているけれど、あれは音楽が規定の時間よりも長いからなんですね。だから最初の3秒ぐらいは動いたらあかんということになってるらしい。音楽の始まりじゃなくて、選手の動き始めからカウントするなんてことも知らんかったなあ。
まあ、回転不足にパンクと、ふたつのジャンプを決められなかったのは痛かったね。それでもこの得点やからまあよし、ともいえるし。3アクセルで転倒しなかったのがよかったのか、でも回転不足っていうのはショックなのか。あさってのフリーはどうするのか。いろいろ考えてしまう。
浅田真央の調子がこうだと、今日の鈴木明子の演技を見ていると、ひょっとすると本命は鈴木? という気もしてきた。見てるほうは気楽なもんです。でも、鈴木の演技には見ているほうが応援してしまうなにかがある。何か持ってるね。

ふたりの演技をノーカットで放送してくれたのはうれしかったけれど、今日の「すぽると」は解説浅田舞、司会陣ともに頼りない感じ。頼りないのに長々とあれこれ解説するのがどうにもうっとおしかった。焦点が浅田真央だけというのもどうなんだか。まあ浅田舞を解説に呼んできた時点で番組の構成は決まってしまっていたんだろうが。まあ四大陸がそれだけ気楽な大会ということなのかなあ。でも鈴木はがんばってたよ。なんか、おじさんはいっそう応援したくなってしまったよ。長久保コーチともども。

【サイダー・ハウス・ルール】

せっかく買ってきたDVDだから、順番に観ているのだ。正月映画の録画もまだ観てないのもあるんだけど。
アメリカはメイン州の孤児院で育った主人公ホーマーは、孤児院での生活から飛び出し、リンゴ園で働くようになる。新しい世界、今まで知らなかった世界で生活し、恋をし、やがて自分のなすべきことに向き合うことに。
主役のトビー・マグワイアが、感情を押し殺したような演技でとてもいい。一見奔放なシャーリーズ・セロンと好対照。マイケル・ケインほか、周りの役者もそれぞれすばらしい。孤児院の子供たちももちろん。暗い話になりがちなストーリーが、どこか明るい希望を持たせる。いい映画を観た。


会社に着くと、靴からスリッパに履き替える。そういう人は多いと思う。特に男性は。ぼくも靴のままよりはスリッパのほうが気持ちがいいので履き替えている。仕事中、足の裏にちょっとした違和感を感じた。何かを踏んでいるらしい。手探りで足の裏を確かめたら、地肌に触った。何かを踏んだのではなく、靴下に穴が開いていたのだった。はらら。もちろん替えの靴下の持ち合わせなんかないから、一日中足の裏には違和感であったよ。傷を負うよりましだけど。

今夜は寒くなりそうだ。暖かくして寝なければ。

雨模様

朝から曇っていた。やや肌寒い。というか寒い。午後から一時雨の予報。でも出勤時、帰宅時には雨は降らないだろうと決め付けて、傘も持たずに出勤。二駅ウォークで出社。ちょっと寒いくらいが気持ちいい。帰りもちょっと寒そうだったので、久しぶりに二駅ウォーク。帰りは電車の時間をみながらなので(一台遅れるとかなり遅れる)、やや早足になる。おかげさまでいつもの電車に間に合った。

今日は仕事中もやや寒かった。このところ「ウォームビズ」(変な日本語というか英語だ)ということで、暖房の温度を控えめにしているらしい。それにしても寒気がするなあ、ひょっとして風邪でもひいたか。ぶるるる、という態度を見せたら、「寒いですか?」と訊いてくる。はあ、ちょっと、というと「やっぱりねえ」何がやっぱりなのか。と思ったら、ぼくの席のすぐ後ろにおいてある加湿器の噴出し口(というかエアコンの噴出しのようなところ)が、ばっちり背中にあたるようになっているではないか。
「いや、ちょっと角度を変えただけなんですけど」
確かに気をつけてみると、柔らかながらひんやりとした風がこちらに吹いているのであった。もちろん角度を変えてもらいましたよ。ぶるっ。

夜、昨日リサイクルショップで買ってきたDVDから「カポーティ」を観た。いやあ面白かったなあ。人間のいろんな要素というか、弱さ強さ賢さ愚かさ正も悪もすべてを含んで複雑に入り組んだ主人公カポーティが見事に描かれていて。演じきったフィリップ・シーモア・ホフマン。そらもうオスカーは納得やね。

【筒井康隆全集1-東海道戦争/幻想の未来】筒井康隆(新潮社)

大学の図書館のいかにもアカデミックな特徴として、全集や叢書ものが多いというのがある。日本文学大系、古典文学大系、アメリカ文学、アジア文学、現代文学、そして個人の全集。個人全集だと、その著者の著作がほぼあまねく読めるという利点がある。もちろん難点もある。単行本にして2冊から2冊半分ぐらいの分量が1冊にまとまっていることが多いのでなかなか読み終わらない。まあ多分に資料的な意味合いもあるから、面白くなさそうな話はどんどん飛ばして読めば言いのだれけれど、読んでみないことには面白いかどうか分からない。さらにそれだけの分量を単行本化するわけだから、字がやや小さい。最近は文庫でもやや大きめのフォントが使われるようになっている(新聞も昔に比べると大きな活字になった。始めは内容が薄くなるだけやんけと思ったけれど、老眼が進んでいる最近は、なんという英断をしてくれたことだろうと感謝の念でいっぱいだ)。これは老眼にはきつい。電車の中では読みづらい。逆に家の中でも、ちょっと暗めになったら読みづらい、電車の中のほうが明るくて読みやすいということもあるけれど。
そんなこんなで、ようやく読み終わった1冊。筒井康隆は昔からちょこちょこ呼んでいたけれど、大きな作品を読んだことはない。そこでまとまって読んでみたらどうなるかなあと無謀にも思って読み始めた。だいたい時代別に並んでるみたい。第1巻は最初期ということか。
初期から筒井ワールドは全開である。長編「幻想の未来」は超未来小説。戦争で人類は滅亡して、新しい生物が生まれ、それがまた変異していって・・・・・どこまで行くねんっていう話ですが。滅亡ものは好きなほうなので。
あとは短編がたくさん。表題の「東海道戦争」はグロテスクな筒井ワールド。理屈も何もなく、戦争はこうなるのだ、というメッセージかも。戦闘に巻き込まれたら、理屈も思想も何もない。頭も吹っ飛ばされますわな。決して楽しくはないけれど、超まじめでもない。グロいんだけど気持ち悪さのちょっと手前でおさまってる感じ。きっとすべては計算づくなんだろう。


午前の教会での礼拝のあと、午後はリサイクルショップへ。カッターシャツ2枚(500円+50円)、DVDを5枚(300円×5)をゲット。

【山ん中の獅見朋成雄】舞城王太郎(講談社ノベルス)

舞城王太郎を読むときは注意が必要だ。途中でやめられない。それは話の展開が面白すぎてとか、先が読めなくてとか、わくわくしてとかというのとはちょっと違う。文字がページ中にがっと詰まっていて、一気に読まないとわけが分からなくなる感じがするからだ。だから読み始めたら「きりのいいところまで」の「きり」がなかなかやってこない。まさに活字のジェットコースター。その爽快感はちょっとほかにはなないかも。知らないだけかもしれませんが。芥川賞候補になったのは驚きとともに納得もした。こういう文章を書くのは書けるのは特別な才能としか思えないから。受賞したら授賞式に来るんだろうか、顔をさらすのかという期待もあったけれど、結局今回は該当作なし。ちょっと残念。
で、「山ん中の獅見朋成雄」だけれど、ひと言で言うと「はちゃめちゃな展開の通俗小説」である。
主人公は背中に鬣(たてがみ)を持って生まれた獅見朋成雄(シミトモナルオ)。13歳で山の中に住む書道家「モヒ寛」に弟子入り。そのモヒ寛が何者かに襲われたかして大怪我を負う。モヒ寛の住んでいた山の家で一夜を過ごすと、そこに正体不明の男たちがやってきて、そいつらをこてんぱんにやっつけて、逃げるところを追いかけると、どこか知らない大きな屋敷にたどり着き、そこで住み込みで働くことになり・・・・・・と、「どこまで行くねんこの展開」と思う間もなく物語の渦、というより言葉の渦に巻き込まれているうちに物語の中に放り込まれてしまう。この主人公に共感できるかどうか。そんなめんどくさいことは考えずに読むのがいいのでしょう。地の文が語りなので、ほんとに人の話を聞いている気分。地の文は標準語だけれど、会話文は福井の言葉。そして会話が続くところには改行もない。だだだだっと読んでしまう。物語を楽しむというより、活字の流れを泳いでる感じがする。


今日は午後、大学の図書館へ行った。朝から天気がよかったので(洗濯もした。1週間分ためると2回に分けて洗濯しないといけない。せめて週に2回はやらないとね)きっと暖かいだろうと思ったら、空気はひんやりしていた。大学に入るのには通行証がいる。登録してあるので家にあるのを持っていく。これを校門で守衛さんに見せて通り、構内にいる間は首からぶら下げておかなければならない。別にずっと着けていなくてもいいのかもしれないけれど、なにしろ女子大なので、証明をぶら下げて「おじさんは許可をもらってここにいるんだよぉ」とはっきりさせておかないと、通報されるおそれがある。
図書館では2時間ほどぶらぶら。ぶたこが言っていたが、書庫にずらっと並んだ本を見てると、わくわくするというよりも、「これだけの本をすべて読むのは、一生かかっても無理」というのがはっきりして、なんとなくあきらめの境地になる。同感。人類の英知には限りがなく、一人の人間の読書量には限りがある。
途中で尿意をもよおして、トイレに。女子大だけどちゃんと男子トイレもある。ただし、あまり優遇はされていない。扉は開けっ放しで(中に誰もいないというのをことさら強調しているようだ)、電気もついていない(これで人がいたら通報されてもしかたがなかろう)。中に入って電気をつけてドアを閉めて用をたす。ここだけの話、便器は月に一度程度しか洗われていない様子。まあ、月に一度くらいしか利用する人がいなければ仕方がないか。なにしろここは女子大。中に入れてもらって本を読ませてもらって、さらに貸し出しもしてくれるんだから。それ以上のものを要求してはいけないのだ。

【ラブリー・ボーン】アリス・シーボルド(片山奈緒美訳・アーティストハウス)

「世界中で大ベストセラー」とか「映画館が泣いた」とか「今年最初の感動作」とかいう新聞の広告文句に踊らされたわけではないけれど、図書館で見かけて、ならば読んでみようと思ったわけ。こういう宣伝文句がつく作品には要注意、といつも思うのだけれど、読んでみないと分からないではないかとも思う。だから読んでみるのだ。
で、今回は、思ったとおりといったところ。

きれいな題名や映画の宣伝文句とは裏腹に、レイプされ殺された13歳の女の子が天国から見続ける、かつて自分が関わっていた家族や友達、恋人といった人たちの生活は、感動的とかいうものとはちょっと違うような気がする。天国からの視点は、どこか突き放したような醒めたもので、淡々としているともいえる。自分を殺した犯人の男が、やすやすと警察の手から逃げていく。これは犯人探しのサスペンスか? と思ったら本題はどうやら違うところにあるらしいというのが、終盤になってようやく分かってくる。じゃあファンタジーかというと、途中の物語はどうみても「娘を亡くした家族の再生の物語」になっていて、そういう展開かなあと思ったら・・・・・という風に、ころころ話が転がっていく印象。結局なにが言いたいのだ。いろんなことを詰め込みすぎて、どこに基盤を置いて読んだらいいのか分からなくなってくる。主人公の女の子が語り手なんだけど、話が現在と過去を行ったり来たりするのについていくのもしんどくなってしまった。長いし。疲れる。映画ではどうなるんだろうという興味はあるけれど、物語としての興味はあんまりないなあ。


テレビのニュースは朝から国会国会国会。予算委員会が始まったからね。それにしても、同じ映像を何度も見せられるとうんざりしてしまう。面白そうな発言失言を何度も流す。議員さんたちも何度も流されるのを見越したかのように、面白そうな発言をする。本来の論争はどこにある。昨日の谷垣総裁の質問は、マスコミでは「ツッコミが甘い」とか言われているけれど、中継を見ていたぶたこの見立ては「今までにない、まじめで的を得た質問をしていて好感が持てた」と言っていた。どちらを信用するかといえば、マスコミよりもぶたこの感覚が信じられる。政治の「面白い」部分を取り上げるのも結構だが、論戦の本質はどこにあるのかを伝えてほしい。言葉の面白さじゃなくて、内容で勝負してほしい。中身のある論議はできるはず。しているはず。そういうところを伝えてほしいのだが。「首相は宇宙人と呼ばれた人ですから」との菅発言は、受けを狙っただけの中身のない発言。それをまた思惑通りに流すマスコミもどうかしている。せめて政治ぐらいはまじめくさって面白くなくやってもいいと思うのだが。

【終わりし道の標べに ほか】安部公房(新潮社)

「安部公房全作品」(全集ではない)の第1巻。初期の代表作「終わりし道の標べに」のほか、短編が収められている。
安部公房の作品は、正直楽しくない。読みづらい。特に初期のころはカフカの影響がもろに感じられて、だったらカフカを読めばいいじゃないかという気にさえなってくる。それでも、夢とも現実ともつかない漂泊感が気持ちいいときもあるんだけれど。
冒頭の「何故に人間はかく在らねばならぬのか」というひと言からして、読者への挑戦が始まっている。そして多分、死ぬまでその挑戦は続いたんだろう。読み進めないと分からないけれど。途中で作風が変わったという話は知らないし。
ぼくの少年時代、読書への道を開いたのは安部公房と北杜夫だった。どちらも兄が好んで読んでいたのだ。この相性がよろしいとはとてもいえない二人の作品を、中学生ごろのぼくはよく読んでいたのだ。北杜夫はまだ分かりよいけれど、安部公房なんてどこがよかったんだろう。重苦しく分かりにくく、表現が入り組んでいて、言葉のアイロニーに溺れている。
長編「終わりし道の標に」は、終戦間近の中国が舞台。闇の運び屋をしている日本人の主人公が、中国人の野盗につかまって阿片漬けにされてしまう。その手記である。英雄譚でもサスペンスでもない。だらだらと心情が流れていくような、それでいて言葉の一つ一つが裏の意味を含んでいるような(それは作者の作戦か)文体。シチュエーションはただの隠れ蓑で、作品の本質は主人公の頭の中でうずく観念。暗くじめじめした観念小説だ。昔はこういうのが流行ったんだろう。今だったらまったく売れないだろうなあ。こんな作品。
そのほかの短編も、夢か現実かよく分からないところをうろちょろして、SFっぽいんだけれど、それはそういう隠れ蓑をもった観念小説なのだ。そう思うと、この作家が何のために小説を書いていたのかが分かるような気がする。ちょっと理屈っぽすぎるところはあるけど。


今日の大阪の最高気温は、午前0時50分ごろの気温だったらしい。つまり一日を通して気温が下がり続けたわけだ。朝は湿気が多く(雨が止んだあとだったし)、もやがかかっていた。あしたはもっともやっているかも。寒くなるらしいし。

【ムサシ】井上ひさし(集英社)

井上ひさしの戯曲。普段は戯曲なんか読まない。戯曲が好きな人っているのかなあ。詩集と戯曲は本の中でもうれないものの代表のような気がする。シェイクスピアぐらいになると逆にみんな読んでいるのだろうけれど。戯曲は音楽における楽譜と同じようなもので、実際の舞台にかけられないと、実際に役者が演技をしながらせりふを言うというプロセスがないと生きてこないんじゃないか。
基本的にはそう思うんだけど、時々、戯曲そのものだけでも十分内容が伝わるときがある。音楽だと、楽譜を眺めているだけでは音は聞こえてこないから、楽譜だけを読む楽しみは制限される。でも戯曲は、役者の動きとかせりふを言ってる様子だとかを想像できる。ある程度目の前に思い浮かべることができる。この違いは何だろう。
そういう分析は専門家に任せて、ともかく読んでみた。そういえば数少ないけれど今まで読んだ戯曲は、シェイクスピアとチェーホフと、井上ひさしだけか、ということも思い出しながら。

舟島(後の巌流島)での決闘から6年後。鎌倉のお寺で偶然、宮本武蔵と佐々木小次郎が出会う。小次郎は巌流島での決闘では命を落とさず、武蔵への復讐に燃えていた。そのお寺に「篭禅」をしに来ていた柳生宗矩、沢庵、その他の人々は、なぜかふたりの果し合いを先延ばしにしているようで・・・・。

武蔵と小次郎というふたりの因縁の対決を軸にしながら、井上ひさしの主張は至極はっきりしていて、最終場でそれが明かされるという寸法だ。舞台で見たらいろんな仕掛けがしてあって面白いんだろうな、と想像しつつ読んだ。物語としては普通の流れだけれど、いちいちの小道具やら台詞回しやらが、丹念に下調べとかがしてあって、さすが井上ひさしと思わせる。ほんま、舞台ではどうだったんでしょう。


夕方から天気が下り坂。ずいぶん曇ってるなあと思ったら、夜になって雨。今日は大寒だったらしいが、各地で春の陽気。爽やかというよりちょっとむっとするくらいの陽気であったよ。それでも電車のシートには暖房が効いていた。どういう基準で暖房を入れてるんだか。

【橋をかける】美智子(文春文庫)

象徴天皇制がどうだとか、日本における皇室のあり方とかの論議は別にして、現皇后美智子さまはいい人だと思うし、その上才能にあふれている(こういう言い方をするのは失礼かもしれないけれど)と思う。その才能もどこまであるんだと思うくらい。以前外国訪問の際にピアノを弾いてはったけど、きれいな音で丁寧に弾いてはって驚いた。そして、まどみちおさんの詩を英語に訳して(その詩の選定もしたらしい)アンデルセン賞まで受賞している。
で、この本はそのアンデルセン賞を受賞したのを記念して(だろう)行われたバーゼルでの講演(2002年)と、その4年前の1998年にインドで行われた国際児童図書評議会(IBBY)にビデオで講演したときの、それぞれの元原稿から起こした文章である。

まさに非の打ちどころのない美しい文章。しかも難しい言葉は一切使わず、分かりやすく心に届く。こんな文章を書けるとはなあ。
副題に「子供時代の読書の思い出」とあるように、子供時代に影響を受けた本の思い出、そして子供たちに寄せる言葉、どんな読書経験を積ませてあげたいか、などが語られている。
子供だからとバカにせず、また子供だからとよいこときれいなこと美しいことだけを語るのではなく、悲しみや苦しみも人生にはあるのだよと教えることも、それに耐えて生きていくのも人生なのだと教えることも、大人の責任ではないかと問いかける。
慎ましやかなんだけど力強い。皇室の人が書いたからとかいう装飾なしに、感動してしまう。


寒さは和らいで、駅から歩くのもさわやかな気分。会社に着くころにはちょっと汗ばむくらいだった。
テレビのニュースは政界のごたごた、ハイチの地震、日航の再建と、毎日のメニューが決まってきている。食べ飽きてくるなあ。

ICOCAのおつり

月曜日は週の初めだ。日曜日が週の初めという人もいるけれど、日曜日はやはり(土曜日とともに)1週間の疲れを癒す日、休息日(安息日?)、それまでの5日間を「ご苦労さん」と自分にねぎらいの言葉をかけて休む日、1週間働いたご褒美の日という気がする。だから月曜日が週の初めという気分が強い。この日から仕事が始まるわけやし。

週の初めということで気分も新たである。二駅ウォークも復活。なんだか週初めになると二駅ウォーク復活、と言ってるような気がする(実際言ってる)。やる気があるからというより、リセットされるんだろう。体調が。

昨日が震災の日だったことも大きいかもしれない。毎年この時期になると生きることの大切さと虚しさを同時に感じてしまう。この日の前後にテレビや新聞で大々的に特集を組むのでなおさらだ。おかげで正月よりも「新しい年が始まった」という気分が高まる。

さて表題。ICOCA(JR西日本のプリペイドカード)を使って通勤している。ICOCA定期といって、定期券でもありICOCAカードでもあり、という便利なものだ。ICOCAは割引がないのだが、JRはどういう路線を通れば一番安上がりになるのかというのが難しい。ちょっと遠回りに見えて、実は料金が安いという場合がある。特に定期が使える区間を利用するときは。どの駅までの乗車券を買えばいいか、よく考えないといけない。が、ICOCAを使って改札を通ると、自動的に一番安い料金を計算してくれるのである。この説明で分かったかな?
ともかく、ICOCAは便利なのだ。近鉄とか地下鉄とか(回数券が安いので使わないけど)でも使えるし。これを使おうと思ったら、前もっていくらか現金をチャージしておかないといけない。プリペイドカードだから当たり前だが。で、チャージする機械はJRの駅構内に置いてある。これは1万円まで使えて、おつりも出てくる。先日2千円分をチャージして、1万円札を入れたのだ。そしたら8千円のおつりなんだけど。おつりが出てくるところには、「お札は1枚ずつ出てきます」と書いてあるのだ。ウィーンと音がして、ゆっくりと千円札が1枚出てきた。しばらくすると2枚目が重なって出てきた。なるほど、こうやって一枚ずつが順番に重なって出てくるのだな、と思っていしばらく見ていたが、3枚目が出てこない。うむむ。あせって先に出てきた2枚の千円札を引っこ抜いた。するとまたウィーンと音がして4枚目が出てきた。なんじゃこりゃと思いつつそれを引っこ抜くと続いて5枚目。こんな風にして1枚ずつ取り出さないと次が出てこない仕組みになっていたのだった。なるほどね。これだととり忘れも数え間違いもないでしょう。でも時間かかりすぎ。後ろに誰も並んでいなかったのが幸い。

教会と読書と掃除と整理

15年前の今日は火曜日だった。夜明け前に激しい揺れに目が覚めた。テーブルの上のスタンドは派手に倒れ、ぶーこ(当時は1匹しか飼っていなかった)は部屋中を飛び回り、ぶたことベッドの上で抱き合って揺れがおさまるのをただただ待っていた。あの日から生き方は多少変わったかもしれない。「ボランティア元年」と言われるくらい、みんなは救援に向かっていた。ぼくだけでなく、日本中の人たちの生き方はちょっと変わったかもしれない。一時にあれだけ大量のボランティアをする人とされる人が出たことはなかっただろう。その両方を体験したことで、今まで分からなかったことが一気に分かったかもしれない。今までは推論でしかなかったことが確かめられ、あるいは否定され、あるいは新しい理論が生まれたような気もする。なんにしろ、あの時いろんなことがちょっとだけ変わった。それは間違いない。

日曜日なので朝は教会。と当然のように言えるほど敬虔なクリスチャンでもない。今年の日曜礼拝参加は今日が始めて。不謹慎極まりない。
午後からは掃除。懸案の換気扇ネットの交換。ぶたこは楽譜の整理。ルネッサンス・バロックとそれ以外を、作曲家別に封筒にまとめて整理して本棚に並べていく。途中からぼくも手伝って、雑多に積み上げてあった楽譜をほぼ整理完了。やったあ。
テレビを横目で見つつ、しばらく読書。井上ひさし「ムサシ」。感想は後日。

夜、訃報。元巨人・阪神の投手だった小林繁氏。57歳は若すぎる。江川卓さんが自身のスポーツ番組で心境を語る。二人が28年ぶりに対談したCMの様子(実際CMでは流れなかった部分も)を放送。「空白の一日」は、一生背負うことになるだろうねえ。誰しも一生背負うことを持って生き続けるのだ。多かれ少なかれ。

寝る子は育つか

休みの日は早起きする必要がない。まだ正月の習慣が抜けきれないのかもしれないが、ともかく休みとなると遅くまで寝てしまう。時計を見ると10時を回っている。起きなあかんかなあと思っていると、モモちゃんがすりすりと寄ってきて「寝ようよう」とそこに腰を落ち着ける。和むなあと思っているうちにまたうとうと。布団の上ではクリちゃんがごろごろと喉を鳴らしている。暖かくて気持ちいいんだろうなあ。そんな癒しの時間を楽しんでいるうちに、とうとう11時を回ってしまった。なんというぐうたら家族。猫のような生活だ。そんな日があってもいいよなあ。

今日はたまっていた洗濯もしたし、図書館にも行ったし、ぶたこはちょこっとだけやけど買い物もした。やることやったらあとはよし。1月の中日である。

パソコンの種々の問題

午前中はコーラスの練習。午後から仕事。
金曜日はのんびりしたもんだろうと思ったらあてが外れた。メールの調子がおかしいんです。ウィンドウズをアップデートしたらパソコンが立ち上がらなくなりました。古いデータを読み込もうとしたらソフトが対応してないんです。ウェブサイトを開こうとしたらタイムアウトで落ちるんです。
やれやれ(M上H樹風)

ウィンドウズのアップデートによる不具合は、ウェブで調べたらいろいろ出てきた。DELLのVostro200という機種にオプションでついているビデオカードのドライバが、最新のものになっていないと落ちるらしい。ATIのRadeonというビデオカード。立ち上がらなくなったパソコンもすべてVostro200。怪しい。立ち上がらない機種をセーフモードで何とか立ち上げて、ウィンドウズアップデートを元に戻す。ATIのウェブサイトから、最新のドライバをダウンロードしてインストール。インストール画面がゲームの画面でなんだかなあという感じ。しばらくして無事インストール完了。再起動してウィンドウズアップデートを再開。再々起動で問題なし。ほっ。

ウェブサイトを開いたら、タイムアウトでウィルススキャンの画面。「タイムアウトで接続できませんでした」(大意)と出て、「サーバ管理者にご連絡ください」。ブラウザを変えてもウィルススキャンの時間設定を変えてもどうにもならなかったので、「サーバ管理者に連絡してください」と、スキャン画面どおりの返事をしておく。

古いデータの読み込み。平成13年というから8年前。さるプログラムで入力したデータである。そのプログラムはウェブサイトで公開されていたもの。これを使えと強制されて使っているのだ。しかしそれから年々バージョンアップされ続けて今は3代目(バージョン3ということ)。当然昔のデータも読み込めるはずと思いきや、まったく反応なし。なんどやり直しても一緒なので、これはどこかにQ&Aがあるはず、そこに解決方法が書いてあるはず、とプログラム提供先のウェブサイトを検索。すると、ありました。
「過去のデータは新しいプログラムに取り込むことはできません。出力したデータをコピー&ペーストしてください」
なにいいいい。データが出力でけへんからプログラムに取り込もうとしてるんやんけ。こうなったら古いプログラムを探し出して読み込むのみ。ところがどこを探しても旧版のプログラムは見つからず。しかたなく、古いデータはそのまま提供(テキストファイルだったのがせめてもの救い。でもパッと見ただけでは何がなにやらという文字の羅列。がんばって判読してください、担当の方)。

メーラー「Thunderbird」を立ち上げると、何か動作している様子。新着メールを読みにいってるのかと思ってしばらくほっておく。画面下方のメーターがちょっとずつ増えている(想像してください)。それが数分。やがて画面中央に「このプログラムは不正な動作を云々」という窓が登場。「報告しますか」しません。でプログラムが消える。何度やっても同じこと。これもGoogleで検索。「Thunderbird」「起動しない」
すると、ヒットしましたがな。
「要約の作成に時間がかかっているのです。そして要約のファイルが破損している可能性が高いです」「Thunderbirdには、破損したファイルを回復させる機能はないようなので、ファイルをいったん削除し、再起動します」「すると必要なファイルを一から作り直して正常に動作するようです」
というわけで、LocalfolderのInbox.なんとかを削除。そして再起動。するとまた画面下方にメーターが。そのまましばらく待つ。数分後、メーターが消えた。が、画面中央には何も出ず。やったあ。どうやら回復に成功。しかし時間切れである。その後ちゃんとメールが受信できるかどうかはやってみてください。月曜日にご報告を。

なにやらバタバタした一日であった。日本国もどうやらバタバタしているようである。おごる者久しからず。それでも政権交代は、あってよかったと思っている。じっとしているより動いているほうがいい。寒さも忘れる。寒いけど。

【パラドックス13】東野圭吾(毎日新聞社)

今年最大級の寒波が来ているらしい。他人事ではなく、外を歩いているとほんまに寒い。芯まで寒いとはこのことか。つい最近まで忘れていた。地球温暖化なんて言うてるけど、寒いときは寒い。安心もするけど、寒いのはかなわないとも思う。勝手なものだ。こういうときは二駅ウォークなどすれば体も温まるというもんだが、寒い中を歩くのは体に悪いに違いないきっと悪いに違いない無理をして風邪などひいたら元も子もないと、たくさんの言い訳を胸に地下鉄に乗るのである。大阪の地下鉄は暖房が効いている。ついでに駅のホームも暖房が効いているような気がする。ただ空気がこもっているだけのような気もするけど。それでも暖かいのはうれしい。

寒い中を家に帰ると晩ご飯が用意されていて、それを平らげるとほっとしてテレビを見たりパソコンでゲームをしたりして時間をつぶしてしまう。冬休みにたっぷり読めるぞと思って図書館から借りてきた本は、半分以上が手付かずのまま冬休みを終わろうとしている。読書そのものが冬休みになってしまったようだった。そんなときもあります。なにしろお正月やったし。テレビでは面白い番組もいっぱいやってたしなあ。録画したまま見ていない番組がまだたまったままだ。そのうち見るやろう。

ようやく読み終わった「パラドックス13」。推理小説じゃなくてタイムパラドックスのSFもの。宇宙の変動(だったかな)で13秒の時空の歪みができる。そこに取り残された数人の男女のサバイバル劇である。周りの人間だけが消え去って廃墟となった東京で生き残る道を探る11人の老若男女の物語。次々に襲い掛かる苦難に立ち向かい、互いを助け合い時にぶつかり合い。兄弟や親子の絆についても考えさせられる。ただのサバイバル・エンタテイメントになっていないところが、さすが東野圭吾。さらに常識的な道徳観が通用しない世界を描くことによって、ぼくたちが拠って立っている世界の道徳観倫理観がいかにあやふやなものかをも浮き出していく。そこらへんもこの作家らしい。SFなんだけど、科学的な事態の説明なんかはとても分かりやすく(省略して)、焦点はあくまでも生き残った人たちの人間劇に当てられる。途中でやめられなくなるほど面白かった。と言いつつ、時間はかかったけどね。

寒波

お昼休みに外に出たら、雪が降ってただよ。それぐらい寒かった。朝起きたときはそんなに寒いと思わなかったのに。これが寒波というやつか。風も強くて、大阪はまだましだけど、北陸とか九州とかも大変らしい。

夕方、プリンタのインクを買いにヨドバシまで行っただよ。ぶたこと待ち合わせだったんだけど、時間があったので歩いて行っただよ。結構な運動だあ。歩いていると寒さもまし。途中、阪急百貨店が大幅改装中で、梅田近辺の地理には詳しいはずのぼくも、一時「ここはどこ?」状態になっただよ。初めて工事中の大阪駅ビルを見たけど(暗くてちょっとしか確かめられなかったけど)、とんでもなくすごい工事をしているみたいだあ。阪急も32番街ビルの横が、骨組みだけになっててまさに工事中。廃墟の一歩手前に見えたのはひねくれた性格のせい。
ヨドバシに着いて、ぶたこがくるまでいつものようにキーボードコーナーでぱちぱちと遊んでいただよ。ぼちぼち仕事で使っているキーボードがへたってきたので。ヨドバシのキーボードコーナーはとても充実していて、暇つぶしにはもってこいであるよ。
ぶたこと合流して、お目当てのプリンタインクを購入。純正品じゃないほうを買った。「300円お得!」と堂々と書いてあるのを鵜呑みにした。
せっかくここまで来たから、ってことで、三番街のKYKでとんかつを食べた。ご飯もキャベツもしっかりとおかわりして。贅沢した気分。

夜になって風が強くなってきた。今夜はさらに冷え込むみたい。暖かくして寝よう。

ダイ・ハード4.0

お正月にテレビでやっていたのを録画して、ようやく今日になって見た。
いやあ、面白かったなあ。
アクションものはぶたこもぼくもあまり好みではないんだけれど、この「ダイ・ハード」シリーズだけは、なぜか心うきうきして見てしまう。この魅力は何だろう。
おそらくは、主役のマクレーン刑事が、特別スーパーマンでないところが面白いんだろう。どちらかというと敵の方が強そうに見える。頭もよさそうで(今回は天才ハッカー集団だ)知力、体力ともとても勝てそうにないんだけれど、それでも持ち前のタフさを武器に突き進む。そこに痛快さがあるんだろうなあ。
もうひとつは、敵の目的は一見「テロ」のように見えて、実は「金」で、マクレーンは「世のため国のため」に正義を振りかざして活躍する、というよりも「仕事だからがんばる」という、ちょっとさめた目線。だからあれこれ難しく考えなくてすむ。
暴力シーンとかもあるんだけど、なぜか爽快な気分になる。安易なストーリー展開じゃないところもいい。ああ久しぶりにすっきりした。

お買い物

最近近所にできた、リサイクルショップに行ってきた。去年大型家電量販店が閉店した跡に、同じ建物で開店したのだ。かなり大きな店舗だっただけに、跡地はどうなるかと思っていたのだ。リサイクルショップの大きなものは近所になかったので、大いに期待して行った。

とはいえ、今日は初めての訪問なので、手始めにというか視察というか、どんなものかざっと見てみるだけにしておこうと思っていたのだ。
だが、中に入ってみると、広い店内にかなりゆったりと、しかし大量のリサイクル品が置いてあって、とても楽しかった。そして古着コーナーでは信じられないほどの安価で(ま、リサイクル品の相場は知りませんが)シャツ、上着、スカート、コートなどが売られている。ぶたこが、サイズの合うスカートがありそう、ということで試着したら、それこそぴったりのものが見つかって思わずお買い上げ。建物は3階建てで、1階が駐車場、3階がリサイクル品、そして2回はディスカウントショップ。2階もいちおう、というつもりで見て回ったが、お菓子やクーラーバッグや靴下やらがこれまた安価で売られていたので思わず購入。散財だ散財だあと思ったが、それぞれがとても安いので出費はわずか。こんなんでよかったら、つつましい生活はどこまでもつつましくできるなあと思ったのだった。

帰りに吉野家で牛丼を食す。こちらも割引中。別にケチケチ生活をしているわけではないのだが、こういう日はなぜか頬がゆるむのである。得した得した。

3連休

ぼくが小学生のころは、土曜日は半ドンとはいえ学校があったし(半ドンというのも死語なのかもしれない。午前で授業が終わりということ)、祝日が日曜日と重なっても振り替え休日というのもなかった。さらにハッピーマンデイとかいうありがたい制度もなかったから、ともかく連休が少なかったのだ。3連休があったのは小中学年を通じて1回だけだったのではないか。5月3日の憲法記念日が土曜日で、5日のこどもの日が月曜日だったことだ。その当時は次に3連休が来るのは11年も先だと言われていた。そのころにはもう社会人ですがなと思った。

今はともかく休めるときは休もうという機運が高まって、ぼくにとってはありがたい世の中になったものだと思う。あくせく働かなくてもいい。自分の好きなことをすればいい。好きなことが見つからなければ、見つかるまで休んでいればいい(ただし、3日間だけ)。

3連休のいいところは、1日目に前日までの疲れを取り、2日目にはゆっくり休養し、あれ、何もできずに休みをつぶしてしまったなあと思っても、まああと1日休みがあるからいいや、と思いなおせることである。今日は何もできなかったが、明日も休みがある。明日という日を無為に過ごしたとしても、4日ほど経てばまた休みはやってくる。そうやって、いつか必ず休める日がやってくる。なんてありがたいこと。

アカペラ・ワークショップ

「音楽」のカテゴリーも久しぶりかも。今日はぶたこがNYで知り合ったというかお世話になったというか友達になったというか(そういうことが、世界中のどこでも起こせるぶたこである)、アカペラコーラスのアレンジャーでシンガーでもある先生が講師に招かれての、ワークショップに行って来たのだ。
こういうコーラスはほとんど経験がない。「はもネプ」とかもチラッと見たことはあるけど。それっぽい歌はそこらじゅうで聴く機会もあるけど。自分でやったことはない。それっぽい曲を合唱で歌ったことはあるけど。でも「アカペラ」となったら、ほとんど一人一パート。つまりはソロではないか(ソリ、ともいう)。
そして、いわゆる「おしゃれな」ハーモニーがしょっちゅう出てくる。三和音(ドミソとかドファラとか)の曲に慣れ親しんでいる身には、なかなかハードルが高かった(見た目ももちろん、おしゃれにはほど遠い)。若い人たちがそんな難しい曲(ぼくの耳には)を歌っているのだなあ。

3部構成で、第1部がモデルグループのレッスン、第2部がアレンジ教室、第3部が「みんなで歌ってみよう」。各2時間、合計6時間をひとりで仕切った講師の先生には頭が下がる。第3部のおしまいには、「じゃあ一人ずつのグループで歌ってみよう」と言われて、ぶたこと同じグループで歌った。小アンサンブルは気持ちいいけど、おしゃれなハーモニーはほとんど初めての経験だったので、緊張した。でも楽しかったね。若い人たちがたくさん(先生のファンが多いらしい)来ていて、アカペラ熱っていうのがあるんだなあって思った。

寒さ対策

昨日は仕事中に鼻水がずるずるで、斜め前の社員さんの席にあるティッシュボックスを、半分がた使ってしまったのではないかと思う。申し訳ないので今日は出がけにポケットティッシュ(無料で配布している)をいくつかリュックの中に放り込んでいったのだ。ついでに飴ちゃんも(関西人はなぜか飴に「ちゃん」づけする)放り込んでいった。
今日は仕事が忙しかった。息つく暇もないくらい、というのは大げさだが(息をしながら仕事していた)、「今日中に」と涼しい顔で仕事を頼まれるので、「ひえ~っ」と言いつつ、「5時には帰るのだ」の一心で仕事に励んだのだ。
おかげで、鼻水をすする暇もなかった。頭はちょっとボーっとなっていたが、それ以上に「5時に終わるのだ」という意思のほうが強かったようだ。
緊張感が症状を緩和するということがあるのだな。

夜、何気なくテレビをつけていたら、ユリ・ゲラーの後継者とかいうのが出てきて、いろんな「超能力」を披露していた。いまどきこんなことをテレビでやるとは。変な時代になった。つい先日はダイエット企画を何時間も放送していて、そのときもたまたま何気なくつけていたんだけれど、ダイエットを応援するとか夢をかなえるとか言いながら、結局は太ってる人を哀れんでいたり、ひどいときには笑いものにしていたりするだけのような気がして、嫌な感じだった。この放送局は最低だ。

【木精(こだま)】北杜夫(新潮社・北杜夫全集)

20数年のときを経て書かれた「幽霊」の続編(完結編?)。「幽霊」は幼い日々から少年期に至る時期を描いていたが、「木精」は副題に「或る青年期と追想の物語」とあるように、さらに成長して青年となった主人公がたどる、若き人妻との恋愛模様を、ヨーロッパで医者の修行をしつつ回想するという形で話が進む。現在の自分、かつて信奉したトーマス・マンの足跡を辿る旅、そして日本での甘い生活(甘くもないが)。
「幽霊」では、常にどこかに漂っていた死の影が、この作品ではやや薄らいでいる。その分、回想される恋愛模様はやや美化され、滑稽でもある。
人妻との恋愛は、やがてその夫に知られることになり、その状態から逃げるように主人公はドイツへとやってきたのだった。しかし彼はそこで、かつての恋愛を忘れることはできずに、うじうじと回想を繰り返す。やがてかつて信奉していたトーマス・マンの作品を片手にヨーロッパを旅する。そしてその追憶を記すことで作家としてひとり立ちすることを決意する。そこで書かれる最初の作品が「幽霊」につながる。

過去の回想と現在の心境が、折り重なるように語られるスタイルは「幽霊」と同様。ただ、こちらは男女の恋愛(それも不倫だ)に焦点があたっていて、味わいはずいぶん違う。そこここに「幽霊」でのモチーフが現れて、両作品が緊密につながっていることを感じさせるけれど。「幽霊」が死の影の漂う作品なら、こちらは希望が見出せるような作品といえるかも。
ただ、ちょっと甘すぎるかもなあ。気持ちは分かるけど。

寒さ厳しく

暑いときに「暑いですなあ」といっても、暑さのほうでは無頓着に居座っているのと同様に、「寒いですなあ」と言ったところで寒さがましになるわけはない。それでも口に出して「寒いねえ」と言うと、それに答えてくれる人がいて、「寒いのは自分だけではないのだ。こんな不幸は自分だけに訪れているわけではないのだ」と安心する。それでも寒いのは寒いのだが。

寒さとともに辛いのが空気の乾燥だ。歌うときには特に気になる。冬場に演奏会などがないようにしたいものだが、学生のコーラスは年末から1月にかけてが定期演奏会のシーズンだ。一年間かけて練習するので、一番声が育っている(1年生も声が出来上がりつつある)時期だから仕方ないのだろうが、本当はもっと暖かい季節にしたいものだろう。もう学生コーラスとは縁がなくなってしまったが、年末といえばクリスマスがあり、賛美歌をいつもよりたくさん歌ったなあ。寒いときに歌うのはやはり辛い。できることならもっと暖かい季節に生まれてほしかったとイエス様に言いたいものだが、「馬小屋で生まれた私の身にもなってみなさい」と言い返されそうだ。

喉の乾燥も辛いが、ぼくにとっては肌の乾燥も辛い。もともとアトピー持ちで肌が弱いのだ。この季節は肌がかさかさになる。特に手の乾燥がひどい。対処法として、寝るときには布の手袋をしている。これだけでずいぶんましになる。

今日は鼻むずが一日中続いて辛かった。かんでもかんでも鼻水が出てくる。そのうち頭がボーっとしてくる。「鼻にティッシュを詰めといたらどうですか」と職場のアルバイトに言われた。それでは鼻が詰まってしんどいやろうと言うと、
「詰まりに詰まったところでスポッと抜くと、めっちゃ気持ちええんですよ」
という返事。まるでサウナで極限まで汗を流すような行為。そんな我慢強さはぼくにはないので、この案は却下である。頭がボーっとなっても、鼻が詰まると気持ち悪いので鼻をかむのだ。そのうちなんともなくなるだろう。

それにしても、この寒さはいつまで続くのか。といってる間に、あの嫌な嫌な花粉の季節が来るのだろう。受難は続く。「そんなことを受難というな」と、また言われそうだが。

寒い日は続き

通常生活2日目。昨日同様、ふた駅ウォークで出社。昨日にも増して寒さが厳しいように思うのは気のせいか。途中で中之島の端っこを渡っていくのだが、今日はカモメが(ユリカモメかなあ)低く飛び交っていた。冬にカモメ。なんとなく相性がいい。

新年になって、毎日続けようと思うことがふたつ。ひとつはこのブログの更新。もうひとつは読書。で、出勤途中の電車の中はとてもよい読書空間。ぼくが乗る電車はそれほど混んでいない。時間帯によるのか、大幅な赤字路線かのどちからだろう。赤字でも廃線にならないようにしてほしい。おかげでじっくりと読書が楽しめる。といっても実際に電車に乗ってる時間は15分かそこいらだろうけど。それにいつも座れるわけじゃないし(その程度の混み方、ということでご想像ください)。

で、帰りの電車の中でも本が読めるか、というと、これがちょっと最近はかなわない。それというのも、寒すぎるから。出勤時はまだ日も差していて、電車の中はちょっと暖かいのだが、帰りの電車はどういうわけか(暖房をつけているはずなのに)そんなに暖かくないのだ。駅のホームも同様。ホームには暖房は効いていない。そして、行きよりも帰りの方がホームで電車を待つ時間が長いのだ。待っている間に体は冷えてしまう。その状態で本を出して読む、という気にはならない。

暖房の効いた待合室を見ると、電車の中より混んでいる。ま、みんなの気持ちは分かるけど。しばらくは寒波が続きそうだ。体に気をつけよう。

【ツチヤの口車】土屋賢二(文芸春秋)

お茶の水女子大教授(哲学、だと思われる)の土屋氏のエッセイ。あいも変わらず自虐的かつ自意識過剰的(そのふたつが合わさって表現できているところがエライ)な文章の数々。時にじんわりと、時にあからさまに面白く、そしてその論理展開はさすが哲学科教授と思わせる。誤った三段論法の使い方など、実生活にも役立ちそうだ(実際に使ったら社会からは疎外されるだろう)。
冗談はともかく、一時期学部長まで勤めたのだから、実際の土屋先生は頭の回転が速く、凡人には計り知れない才能に溢れておられるのだろう。それがこういうエッセイという形で、しかもユーモアたっぷりで、エラそうでなく(逆に自虐的だ)かける才能には頭が下がります。

今年の年賀状

遅ればせながら、今年の年賀状です。



今年もよろしく。

仕事始め

朝ちゃんと起きられるかどうか心配だったので、ゆうべ寝る前に目覚ましを二つかけて寝たのだ。だがその心配は無用だった。なんといっても今朝の強風。5時過ぎだったか、ベランダの物干しスタンド(別名タコ足物干し)がばたんと倒れる音もしたし、それ以上に風の音そのものがすごかった。風が強いとか弱い我が家はがたがたみしみしぴしぴしと音を立ててよく揺れるのだ。幸い玄関以外の三方に隣家が迫っているため、倒壊してもどこかで引っかかってぺしゃんこになる心配はないだろうが(その代償として一日中日当たりは悪い。それはないものねだりというものだろう)。

また、今日は新年最初のごみ収集日でもあったので、猫のトイレを掃除したり、台所の三角コーナーを洗ったり(昨夜は洗い物をしていなかった。ついでに洗い物も済ませた)。通常生活の再開なんだけど、いきなりいろんな通常業務がいっときにやってきたようなものだ。あまり何も考えることなくこなしていったのが、返ってよかったかもしれない。

正月の買い物で買った靴を履き、手袋をはめて出勤。二駅分を歩いて、気分も上々である。仕事も忙しすぎず暇すぎずで、新年の初めとしてはいいスタートを切れたと思う。ぼくに仕事を頼んだ側はどう思っているかは知らないが。

帰り道はとても寒かった。仕事中はビルの外に出ることもないので、暑いか寒いかはあまり関係ない。しかし帰り道は、夕方だというのにすっかり真っ暗で、空気そのものが寒い。明日も寒くなるらしい。防寒対策をしないと。ちょっとぐらい寒すぎるくらいが、身が引き締まっていいのかもしれないなあ。それにあと3日出勤すれば、また3連休が待っていることだし。と、すでに次の休みに気が行っているのである。ああ、通常生活。

年始

明日からの通常生活に備えて、やや早めに目覚まし時計をかけて寝たのだ。正月以降、目覚ましのセットなどしていなかった。だからお昼前のほとんど太陽が南中している時刻に目が覚めたりしたのだ。今日はそうはいくまい、と思っていたが。目覚ましがなったのは覚えているし、それをとめたのも覚えている。だが起きたら、セットしていた時間より1時間も遅かった。
明日から、大丈夫だろうか。今日は早く寝よう。

今日は実家に行ってきた。お年始というほどのものでもない。ただ父母に「元気で新年を迎えています」という報告のようなものである。兄とふたりの姉も、それぞれ一人ずつの子供と一緒にやってきた。都合5家族計10人が、ひとつのコタツに入って食べるわしゃべるわの大騒ぎであった。このうち、誰もお酒を飲まない。しらふの状態で大騒ぎできる特技をみんな備えている(わしはそんなことない、という人間は数名いるだろうが)。
父も「こんな賑やかな正月は久しぶりや」と喜んでいた(多分)。
ぼくも兄姉甥姪からパワーをもらった気分だ(パワーを吸いとられたのかもしれないが)。
ともかくも、おかげで今夜はぐっすり寝れそうだ。あとは、明日起きる体力が残っていることを祈るのみ。

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