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広島4-6阪神

カープのホームゲームなのだから、このように書くのが正しい。広島-阪神である。
序盤の得点がモノを言った試合だった。金本のホームランは、右手一本。体の回転で「えいっ」とばかりにくるりと回ったら、その勢いでスタンドイン。これで勢いづいたのは確か。もっと効いたのは2死満塁での久保の一撃。その前の桜井で追加点! と思ったらデッドボール。ああ、これで無得点かと思ってたところに出た一打やっただけに、大きかったね。確かにバッターボックスに入った時から打つ気は満々やったね、久保くん。好調な打線が投手のバッティングにも影響したか。

とはいえ。2点差まで詰め寄られてはなあ。ほんで打線の方も4回以降はチャンスで得点できず。ちょっとした不安も残るね。
でもまあ、勝ちは勝ち。抑えの投手陣は磐石やし、しばらくは楽しい時間が持てそう。

今日の広島は雨模様で、寒かったみたいですなあ。ざっと各球場の試合経過を見てみると、どのチームも打高投低の感がありますな。まだ寒くて投手は本調子じゃないのかもねえ。今日で3月も終わりやし、明日からぼちぼち本調子になるのかもね。そうなるともっと面白い展開もあるかもしれませんな。楽しみはまだまだ続く。
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阪神6-3広島

仕事の都合で途中からしか見れなかった。しかもテレビ中継は途中で終わってしまうし。30分ぐらい延長したれよ。しかもブラゼルの2連続ホームランは見られず。ううむ、残念。でもマートンの一発は見れたから、いいかな。あの高めのボール球(見逃せばボールだったと思うなあ)を、レフトの場外まで飛ばすとはね。打球は、たまたまジョギングしていたおっちゃんが(アナウンサーがそう言ったよ)、そのまま持って帰ったとか。来日1号の記念球やのにね。まあこれからもちょいちょい打ってくれるでしょうけど。
先発能見は、はじめのうちは調子が良くなかったみたいですな。変化球が常にワンバウンド。暴投もあったらしい。僕が見始めた頃から調子が良くなったみたいで、球のキレも上々。今日は寒かったからね。体がなかなかあったまらなかったんでしょう。ネックウォーマーをしてプレーしてる選手も何人かいてたもんね。
そんな中なんだけど、お客さんは少なかったなあ。とくに3塁側の内野。寒かったんでしょうけど。もちょっとみんな応援に行ってあげてほしいなあ。

ところで、今日の気になるプレー。8回表、無死1,2塁からの平野のバント。投手の真正面に転がって、3塁ホースアウト、送りバント失敗。どうも平野ってこういうイメージがあるんやなあ。肝心なところで手痛いミスをする。まあミスはしたくてしてるわけじゃないだろうけどね。足も速いし守備もうまい。きっと打つ方の技術も高いものがあるんだろうと思うのだけれど。こういうところで作戦をきっちり決める、ということができるとできないとで、144試合の勝ち負けの数が変わってくるんだろうと思う。ちょっと苦言。

今日はクリンナップにそれぞれ打点もついたし、勝ち方としては言うこと無しでしょう。でもさらに高い目標を持ってもらわないとね。


ぶたこから「このタイトルだけやったら、いつの試合かわからんやん」というクレームあり。確かに。でも去年と一緒やねんけどなあ。と思ったら、去年は絵入りだったのだね。さて、今年はどうするかな。と考えているうちに4試合も終わってもおた(^◎^;)

寒波

なんか去年も同じようなことを言っていたような気がするなあ。一旦「春だ!」と思ったら、寒さがぶり返し。雪と桜を同時に楽しめたところもあるんじゃないかな。今晩から明日にかけて冷え込みそうだ。

とはいえ。仕事中は外に出ないわけだから、そういう気候変動には鈍感になりがちである。だから余計に気をつけないと、ということだろうけど。

阪神2-3横浜

今日は珍しく、日曜出勤だったので、試合を見ていないのだ。これが昨日か一昨日か、タイガースが負けてたら、仕事どころではなかっただろうけど。ま、開幕したとこやしね。

得点はソロホームラン2発ですか。肝心なところでタイムリーが出ないのは、ますますジャイアンツ化しているのでは、といういらぬ心配をしてしまう(真弓監督も「打のチームです」と言い切ってしまったし)。

試合経過をウェブで確認すると、どうやら江草が勝ち越しを許したらしいなあ。今年も調子の波があるみたいで、ちょっと不安。その分、久保田、筒井が調子がいいみたい。昨日初勝利をあげた西村も。このへんが勝ちパターンの中継ぎということになるのかな。

3試合通じて、いずれも先取点をとられているのが気になるところ。去年もそうやったけど、どうもエンジンのかかりが遅いようですね。早めに得点すれば、投手陣も楽に投げられるのにね。
ま、勝てば大きな1勝、負ければ「そんなこともあるさ」で、この1年も乗り切っていくのでしょう。まずは勝ち越し。

フィギュアスケート世界選手権 女子フリー

実は前日に、ネットで結果だけを追いかけていたのだった。ISUのウェブサイトで。次々に滑る選手の順位に一喜一憂。鈴木明子選手、盛り返したなあ。で、順位は先に知るところとなった。浅田選手、やりましたね。

さて、録画ではあるけれど、やはり動く映像が見たい。そんなわけでフジテレビの放送である。
キム・ヨナが、あれだけミスをしてもフリーは1位なのだなあ。浅田真央は大きなミスはないのに2位。長洲未来はジャンプがダウングレードか。演技後のインタビューは、ほんまに悔しそうやったなあ。まだまだ来年も再来年もあるよ。鈴木明子はショートの時ほどの落ち込みはなかったですね。ただちょっとしたジャンプのミスが演技全体の勢いを削いだような感じ。音楽に乗りきれなかったのは残念かな。安藤美姫は、こんなプログラムやったか。オリンピックからもいろいろ変えてきてたみたいやな。必死にこなしているというより、楽しんでる感じが一番出てたみたい。

それにしても、浅田真央の演技はすごかった。あんまりいい表現じゃないけど、「すごい!」と思った。昨シーズンの仮面舞踏会も、ほとんど休みなく滑り切るという過酷なプログラムだったけど、今回のはもっとすごい。オリンピックでちょっとつまずいて、そしたら3ジャンプを跳ぶひまがなくなった、みたいなことを言ってたけど、それがよくわかるというか、ちょっとした演技のつまずきですべてが狂ってしまうぐらい目の詰まったプログラム。「メリハリが無い」といわれればそれまでやけど。止まるところが一回もないもんなあ。
最後のストレートラインからスピンは息もできないくらいの迫力。音楽に合わせて綺麗な演技を披露する、というのと対極にあるようなプログラムやなあと思う。喜びとか悲しみとか、そういう感情を表現するスケーターはいっぱいいるけれど(それがほとんどだろうけど)、このプログラムを見ていると、もっと根源的な、人間の運命とかを表現しようとしているように思われる。それもある程度まで成功したと思うなあ。今まで女子でこれだけの演技をしたスケーターっていたんだろうか。
女子の新しい可能性を、浅田真央が開いたような気がする。ちょっと持ち上げすぎ?

昨日も思ったんだけど、まあいつも思うことなんだけど、どうしてより多くの選手の演技を放送してくれないかなあ。6分間練習をじっくり見せられてもねえ。それと、この実況アナ、なんとかならんもんかいな。ウザイという言葉がこれほどぴったりくるアナウンサーも珍しい。ずっと続けてやってるってことは、これが人気あるってことかいな。いやはや。もっと選手の演技に集中して楽しみたいものです。

阪神4-3横浜

めぐり合わせというのか運というのか、そういうのを持ってる人っているのかなあ。今日の城島を見ていてそう思ったよ。9回裏、もう球児も投入して、あとはサヨナラしかないという場面で、フェンスまであと一歩のセンターフライ。延長戦になって、11回裏もツーアウトランナーなし。引き分けもあるんかなあとテレビの放送時間ともにらめっこしながら見ていたら、やってくれましたね。タイガース移籍第1号がサヨナラホームラン\(^◎^)/
その前の10回裏、1死満塁で点が入らず、あーあと思ってたのが、ここに来てこういう結末を用意していたのかと思ったくらい。いやはや見事でした。

タイガースの先発は、大方の予想を裏切って上園。かつての新人王も昨年は活躍できずでしたからね。どうなっているのかと思ってましたが。はじめから飛ばしていて、球は速くないのにみんな打ちあぐねてくれる。おお、かつての上園だ。気合で投げとる。
ところがちょっと気合が空回りしたか。2個のボークはいただけませんな。直接点に結びついてしまったしね。これからの課題でしょう。

中継ぎの投手陣は、今のところ充実しているようですな。メッセンジャーは失点してしまったけれど(ちょっとベイ石川を甘く見ていたところがあるね)。筒井、久保田、球児、江草(^◎^)、西村。みんなよかったね。久保田、完全に復活かな。力で押しまくるだけじゃなくて、チェンジアップが効果的やね。これからどこまで通用するかがみもの。江草くん(なんで君付け?)、城島に「ランナーもちゃんと見とかんかい!」と言われた(らしい)直後、見事に牽制アウトにしましたね。サインプレーやったんかな。そして西村。内川、村田にも真っ向勝負で投げ勝ちましたね。勝ち投手に値する投球ですな。

でも一番びっくりしたのは、マートンの盗塁かな(^◎^;)。ラジオ解説の福本豊さんも「だまされた・・・」と脱帽していましたね。走ってくる、と思わせることで、これからの活躍の幅も広がるかな。

阪神7-3横浜

祝! セ・リーグ開幕。いよいよ野球の季節ですよ、だんな。
安藤-城島の注目のバッテリー。いきなり横浜4番村田に一発を浴び、ちょっと嫌なムード。さらに4回には連続タイムリーで2失点。ううっ、今年も安藤には気をもませられるのか。

しかしその裏、新井のタイムリー「天井」2塁打(^◎^;)。城島の同点タイムリーに、桜井の勝ち越し二ラン\(^◎^)/
7回には再び城島がダメ押し2点タイムリー。
6回から筒井、久保田、メッセンジャー、球児のリレーでピシャリ。
逆転し、投手リレーで逃げ切るという勝ちパターン、かな。まだ早いって。

とはいえ。心配な点がなきにしもあらず。キャンプからずっと調子の良かった鳥谷が、ひとり蚊帳の外の無安打。7回には3番バッターながら送りバント。しかしこれは真弓監督の「1点をとる」野球のスタイルの表れかも。今季はこういう攻め方をするのだね、きっと。
6回には無死1,3塁で、代打攻勢(代打桧山にさらに代打の代打で矢野)をかけたけど、結局無得点。こういうところできっちりと得点していくチームにならないとね。取りこぼしのないチームになってほしいね。長打攻勢で一気に大量点というのも気持ちイイけどね。

フィギュアスケート世界選手権 男子シングルフリー

やりましたねえ、高橋選手。4回転フリップ。回転不足やったけど、果敢に挑戦したのはすごいなあ。転倒もなかったし。それに、その後の演技が破綻なく続けられたのも立派。早朝のライブ映像を録画して、夜見直したんだけど、再び感動してしまったよ。実は今朝、頑張って早起きしてライブでも見たんだけど、何故かその時以上に、結果を知った上で見ているはずなのに、ドキドキと感動が強かった。それぐらいいいプログラムだったということだなあ。ケガで1年間を棒に振ったとは思えない。ライサチェック、プルシェンコといった大物が欠場していたとはいえ、この結果には文句はないんじゃないかなあ。

その他、録画で見れた人たち。
ジュベールの、まさかの転倒にはびっくり。4回転はよく決めたと思うけど。ちょっとずつジャンプの精度が・・・。と思ったらやっぱりの点数だった。

パトリック・チャンも、ジャンプの失敗が響いたかな。あと、オーケストラをバンバン聞かせた大仰な音楽は、どうも此の人のスケートに合っていないような気がするんだけどなあ。

チェコのブレジナ。まあ失敗はなかったけど、普通のスケートのように見えたけどなあ。それでも高得点。会場のブーイングはなんだったんだろう。

アボットのスケーティングは、それだけでうっとりさせられるものがあるなあ。ジャンプの失敗が残念。

オランダのバンデルペレン。初めて見ましたよ、4-3-3のコンビネーションジャンプ。今季が最後のスケート鴨しれないという気迫みたいなものに満ちてたね。滑り終わって氷に額をつけていたのが印象的だった。

イタリアのコンテスティ。地元開催という利点もあるのかなあ。意外に点数が伸びたなあ。

小塚選手。緊張してたかなあ。ちょっと力んでたかなあ。よしっ、という意気込みが空回りした感じ。バランスを整えるのは難しい。

あと、気に入ったのはスウェーデンのシュルタイス。まさに異星人。こういう個性はこれからも注目していきたい。この気持ち悪さ、大好きです。

それほど大騒ぎをすることか

付き合ってる女に家の鍵を渡したり、路上でキスしたり(見せびらかすのはどうかと思うけど)するのが、どうして首相に「事実関係を調べさせる」などと言われる事になるのか、僕にはさっぱりわからない。あ、中井国家公安委員長のことですけど。

はじめにこの話を聞いたときは、てっきり「愛人」(妻がいて、浮気相手ということ)だと思ったので、これは言語道断だと思ったのだが、ニュースを見るとこの議員は独身で、結構ちゃんとした付き合いをしているらしい。だったらなんの問題もないんじゃないか。議員の特権を分け与えるとか、公金をお小遣いとして渡しているだとかだったら大いに問題だけど。

ただ、この話題の中で、相手が「銀座のホステス」と聞いた途端に「ああ~」と、納得顔というか呆れ顔というか、そういう表情であれこれ言うコメンテーターと呼ばれる人達が多いらしい(以上、ぶたこ情報)。そういう人達は、職業職種について偏見を持っているとしか考えられない。そんな人達がテレビの世界で大きな顔をしている、そういう国なのだな。

またまた自分の価値観に、ズレを感じてしまう出来事であったよ。

フィギュアスケート世界選手権 男子ショートプログラム

昨日の夜、中継がないのでネットでこそこそと結果をチェック。織田信成が50点台という信じられないような点数だったので、何があったのかとても気になって(スコアを見る限り、転倒とかもないみたいやし。プログラムコンポーネントはマアマアの点数やったし)、スポーツニュースをやっていないかと慌ててテレビをつけたら、ちょうどフジテレビで高橋選手の演技を生中継しているところだった。思わぬ形で生で見られたわけ。

で、正直、このショートプログラムを見慣れてしまったせいか、スピードが今ひとつやなあとか、ステップのキレがもっとあったらなあとか、スピンがちょっと遅いかなあとか、そういうところが見えてしまう。つまりは「より素晴らしいもの」を見たいわけで。前と一緒ぐらいでは満足できないのだね。ファンは勝手なもんだ。それでもショートトップの得点。さすがですね。

今日の午後に録画で放送していたのを録画して(変な言い方になってしまったな。意を汲んでください)おいたのを見た。
小塚選手。綺麗な滑りやったな。オリンピック時よりさらに良くなってるみたい。ちょっと硬さがあるように見えたけど、これは彼の特徴というか、こんなものかもしれないなあ。フリーに期待してしまうよ。

織田選手。どうしたのかなあ。元々好不調の波が激しいところはあったけど、ここまでとはなあ。ジャンプの踏み切りに失敗しても、何故かきっちり降りることができる選手なのに。演技終了後、モロゾフコーチに腕を支えられながらも表情はうつろ。大丈夫かなあ。今回はちょっと落ち込みがひどい。「フリーで思い切って」と演技後のインタビューに答えていたけれど、フリー出場はかなわなかったし。ちょっと心配。

パトリック・チャン。なんてきれいな滑り。これで高橋選手の方がプログラムコンポーネントで上位にくるとは信じられないというか、まあちょっとしたつまずきはあったけどね。意外といっては失礼やけど、3-3のジャンプがとてもきれいだった。あとの3トーループの方が高さがあったね。

ジュベール。4-3は圧巻やったな。その後のジャンプもことごとく成功。ただ、何度も繰り返すガッツポーズにはちょっと閉口してしまう。ステップも、細かくエッジを使い分けてるんだろうけれど、美しさが足りないような気がする。その分、迫力は十分なんだけど。このあたりは好き嫌いの問題でしょうが。このガッツポーズといい、素早いステップといい、どこかプルシェンコを彷彿とさせるものがある。彼が休んでいる間、「4回転を引っ張ってきたのはオレなんだぜ」と言いたげな。

アボットも含めて、オリンピックで不調やった選手が本領を発揮しているという感じです。フリーが楽しみやね。高橋選手、失敗してもいいから4回転に挑戦して欲しいなあ。

【モーティマー夫人の不機嫌な世界地誌】トッド・ブリュザン編(三辺律子訳・バジリコ)

19世紀に書かれた世界の民族と風俗を紹介する書籍。その復刻というか編集版。紹介する地域は世界各国に及ぶ。まだ独立間もないアメリカや未開のアフリカも少しだけ。ちょっと引用してみると、

スペイン「とても美しい国です」「ところが、スペインには狼のように恐ろしい者たちがいます。そう、盗賊や人殺しです」「自分たちの国や言語を大切にせず、ヨーロッパでもいちばん立派な言語なのに、スペイン語の本にはろくな本はありません」
アイルランド「アイルランドの小屋やコテッジほどみすぼらしい住居はそうありません」「主食はじゃがいもです」「手にはいれば牛乳を、あとはウィスキーをしょっちゅう飲んでいます」
イタリア「家はとても汚くて」「家を清潔にすることより、天井に絵を描いたり、玄関に彫像を置くことで頭がいっぱいなのです」

ここらへんはまだヨーロッパなのでおとなしい。これがアメリカ大陸に行き、さらにアジア、アフリカになるともう目もあてられない偏見に満ちた表現が目白押し。

さらにモーティマー夫人の価値観は、プロテスタントでイングランド人であるということが最高であり、それ以外は価値が低いものなのである。しょっちゅう出てくる批判的な表現は、
「彼らは酒飲みなのです」
という一文。どんなに立派な人間でも、酒に溺れる人は悪人なのだ。さらにカソリックに代表される偶像崇拝も「誤った道」で、神様が沢山いるインドや中国や日本は「救いの無い国」と映るようだ。それと、聖地を征服した(当時)トルコに代表されるイスラム教は目のかたき。語るだけで涙がこぼれそうになるらしい。

ところが著者のモーティマー夫人、実際はイングランドからほとんど出たことがなかったらしい。彼女の見聞はほとんどが書物か人からの又聞き。それもうわさ話程度だったのではないかと思われる。そのあたりは編者のまえがきに詳しく書いてあるので、このまえがきはとばさずに読むことをおすすめする。むしろ、このまえがきだけでも楽しいものだ。

予断と偏見に満ちた内容なのだが、読み進めるうちにどこか納得していく自分がいてはっとする。間違った情報でも、きっぱりとした物言いと、信念に裏打ちされた価値観のもとでは説得力を持ってしまうものなのだろう。

ふと、ベストセラーに名を連ねるハウツー本や占い本、スピリチュアル本に共通するものを感じてしまった。本に書いてあるからといって、すべてが真実であるハズもない。しかし、多くの場合はそれを忘れて、信用してしまう。気をつけないとね。笑いながら読んでいる場合ではないのかも。

Google日本語入力

いつの間にか、日本語変換システム(IME)はMS-IMEとATOKだけになってしまった。昔はいろんなIMEがしのぎを削っていたのだがなあ。昔僕が愛用していたのは「松茸」(管理工学研究所)というIME。だがこれはWindowsMEまでしかサポートされなかった。その後もVJEだとかWnnだとか。次々に姿を消していった。

そこで登場、GoogleのIME「Google日本語入力」である。第一の特徴は無料であることだ。ATOKもすでに高価なソフトとなっているだけに、無料の価値は高い。無料なのに価値が高いというのはちょっと矛盾だけれど。あ、ME-IMEはWindowsに付いてくるから、まあ無料っちゃあ無料なんだけど。

昨年末頃に出てきた時には、ちょっとした期待を抱いてインストールなぞをしてみた。
結果、大いに期待外れ。
売りの一つとなっていた「予測変換」は、携帯に馴染みのない身としては使いにくい。MS-IMEに比べると、変換効率はいいらしいが。
さらに最大のネックは、キーカスタマイズができないこと。

僕はローマ字入力なんだけど、いろんなキーをいじっている。特に「x」には「ん」を設定している。これは外せない。普通は「nn」と入力すると「ん」と表示されるが、そんなのはめんどくさいので「x」キー一つ押せば「ん」になるようにしているのだ。もう長年これで入力しているので、今さら変更できない。MS-IMEでも、これだけは外せない。
ところが、Google日本語入力は、キー割り当ての変更ができないのであった。ガックシ。

ところがところが、である。この19日に、知らない間にバージョンアップしていたのだ。Google日本語入力は、インストールさえしていれば、最新版に(勝手に)バージョンアップするらしい。ちょっと怖い機能だけれど。
そしてそして、バージョンアップした結果、キー割り当ての変更が可能になっていたのだ。ひゃっほう。

さらにさらに。その割り当ての自由度が強力なのだ。ATOKやMS-IMEでもキー割り当ての変更はできるが、MS-IMEではひらがなキーしか変更できない(割当先もひらがな)。ATOKでは記号キーにも割り当てはできるが、割り当てられる数は決まっている。詳しく覚えてないけど、300はできなかったんじゃないかな。その上、割り当てられる文字数も決まっている。ひらがな6字まで。その中にはもともとのひらがな変換である「a」と押したら「あ」と変換する、というのも含まれる。つまりは割り当ての自由度はとても狭いものだった。
Google日本語入力のキー割り当ては強力だ。かつての「松茸」並み。いやそれ以上かも。
今、とりあえず450ほど登録したが、エラー表示も出ていない。ひらがなだけでなく、漢字や記号も登録できるので、漢字直接入力もできる。「tk」と入力して「月」と一発で出てくるのだ(変換の必要ナシ)。長文もキー登録できるらしい。つまりは何でもありみたい。

久々に強力なIMEが出てきたって感じ。何でもかんでもGoogle頼みというのが、ちょっと気になるけどね。もうここまできたら、「毒を食らわば皿まで」ってことですか。

批判し解任され撤回され

僕の感覚は世間とずれているんだろう。今さらそんなことは気にしないが。

言論の自由がないだとかとんでもない政党だとかいう人が多いらしいけれど、執行部にいながら、つまりその組織の中心に居ながら、その組織のあり方を批判する。まあそれでも、直接その組織内の会議とかで文句を言うのならまだわかるけどね。聞くところによると、会議とかではほとんど発言もない、おとなしい人らしい。そんなふうに、中ではおとなしくしていながら、いきなり外部に向かって「執行部がなっとらん」とか言うかなあ。さんざん中で批判して、立てなおそうとして、それでもみんなが聞く耳を持たなかったとかだったら分かるけど。それでも、そうするんだったら、辞任は覚悟の上でしょう、普通。
だから、解任撤回のニュースは驚きだった。きっぱりと「組織の中心を批判する人は、その中心にいてもらっては困る」というふうに言えなかったのだねえ。逆に組織のしまりのなさが出たように思ったな。

と思う人はそんなにいないらしいよ、この国には。やっぱりずれてる。

休日出勤

年度末の仕事の立て込みで、休みの一日を仕事をして過ごす。平日に休みを取るととても得した気分になり、休日に出勤するととても損した気分になる。こんな僕は社会人失格だろうか。

休むことを考えず、寸暇を惜しんで働く人は、とかくちやほやされる。テレビを見ていても、持ち上げられるのは、倦まずたゆまず努力を続ける人だ。特にNHKは。「プロフェッショナル」も「あしたをつかめ」も。もう放送終了したけれど「カンテツな女」なんていうのまで。とにかく一生懸命働くことが美徳なのだ。

過労死が問題になって久しいのに、この国の価値観は結局まったく変わっていないということなんだろうなあ。その価値観からすれば、僕なんかはまったく価値のない人間なんだろう。別に自分に大きな価値を見出そうという気はないから、一向に構わないけれど。

さて、明日も仕事だ。

【アンドロイドは電気羊の夢を見るか?】フィリップ・K・ディック(浅倉久志訳・早川書房)

妙な題名だけれど、映画化されたときは「ブレードランナー」。ずいぶんかっこいい。F・K・ディックはかなり名うてのSF作家らしい。
最終戦争後の未来社会。主人公のリックは政府公認の賞金稼ぎ。法を犯したアンドロイドを「処理」して生活している。妻イーランとはあまりしっくりいっていない様子。楽しみは、今では希少となっている「生きた動物」を飼うことで、アパートの屋上で羊を飼っている。あるとき、賞金稼ぎ仲間がアンドロイドに重傷を負わされる。代わりにお尋ね者の(火星から脱走した)アンドロイドを追うことになるリック。だが高性能のアンドロイドは、人間とほとんど見分けがつかず、リックは苦戦する。その上、アンドロイドを「処理」することに、徐々に嫌悪感まで生まれてきて・・・・。

犯人を追いかける賞金稼ぎというのは、どこか西部劇っぽい。そんな単純な話かと思いきや、話が進むにつれて、「自分は本当に人間だろうか」という疑問が湧いてきたり、「アンドロイドと人間の違いはあるんだろうか」などという考えも出てきたりする。リック自身もあやうくその罠にはまりそうになるし。

実際に生きている動物がほとんどいなくなる世界。人間たちは「人造の」動物で代用しようとするが、それでも希少な「生きた動物」が効果で取引されるというのは、何か象徴的。でも「生きている動物」と「人工物」との違いは何なのか。どちらも「癒される」という点では変わりはないのかも。そうすると、人工知能と人間との違いは?というところに思い至る。そこがこの作品のミソ。単なる冒険SFになっていないところ。もちろん、SFらしい(というべきか)パラドックスな世界も楽しめるし。

育ちすぎやろう

昨日の散歩で見かけた光景。

その1。

びわの木が家の壁を覆いつくす。


その2.

サボテン。ここまで大きくなるとは予想していなかっただろう。


その3.

家の中に入るときは、お辞儀をしなければなりません。自然のにじり口。春になって葉が茂ったら、どうなるんだろう。どうやら人は住んでいるようなんだけど。

歩こう歩こう

風は強いがいい天気。朝から散髪に行って(何ヶ月ぶり?)、さっぱりした気分。そこでぶたことお散歩に。てくてくてくてく。1時間半ほど歩き続けると、広い広い公園に出た。
以前、この公園に来たときは、どこでもかしこでもバーベキューで、うんざりしたものだ。CO2排出削減! だいたいここはバーベキューをする場所ではない。子供もいっぱいいてるのに。きれいな木や花がいっぱいなのに。炭の煙にいぶされてかわいそうだった。

今日はそんな人はいなかった。子供連れの家族とか、カップルとかが遊んでる。まあ中には木の間にハンモックを吊るして、そこに座ってギターを爪弾いている非常識なヤツとか、桜の木に登って遊んでる子供を喜んで写真におさめてる馬鹿親父とかは居ましたけどね。

そうそう、天気がいいので花もいろいろ咲いてるやろうと思ってたんですけどね。まあ桜はまだやろうけど。
ところが。



いっぱいの桜(^◎^;)。
この陽気に目覚めたように。
ま、ソメイヨシノはまだつぼみ固し、といったところでしたが。

S-1グランドチャンピオン

M-1やらR-1やらいろんな「お笑い大賞」ができて、百花繚乱、どれがなんだかよく分からない状態である。そしてS-1グランプリ。これはソフトバンクが主催しているらしい。くわしくはソフトバンクのHPかどっかでどうぞ。つまり詳しくは知らないのです。どうやら携帯サイトで開催されているお笑いコンテストらしい。

毎月1位が決定し、チャンピオンとなる。今回は1月から12月までのチャンピオン11組(トータルテンボスは2回優勝)と敗者復活1組に、M-1、R-1、キングオブコントの覇者が加わった15組による対決。それぞれのネタ時間は3分間。生で演じてもいいし、ビデオ作品でもいい。つまりは何でもありというところが面白いところ。さらに審査は携帯からの投票で決まるというのもソフトバンクらしくて。

3つのグループに分けて予選があり、それぞれの1位が決勝でまた新たなネタで闘う。

面白かったですよ。それぞれ特徴があって。漫才とかコントとかひとり芸とかいう縛りがなく、しかもどんな作品でもいいということで、意外なゲストが登場したり(阿藤快には驚いた)、ビデオでも友人知人が応援出演していたり。
決勝に残ったのは浅越ゴエ、NON STYLE、陣内智則。おっと関西勢ばかりだ。しかしネタはどれも標準語だったりする。ドラマ仕立てとかになると、ついつい標準語になるんだろうか。そちらのほうが受けがいいということもあるんだろうなあ。
決勝を見終わって、ぶたこと予想のしあい。ぶたこはNON STYLEがよかったと言い、僕はNON STYLEか陣内か、難しいところやなあと言った。ぶたこは陣内をあまり高く買っていなかった。この時点で浅越ゴエは期待薄。予選のときのほうがよかったな。

で、結果は。
じゃあん。
NON STYLEが見事優勝。賞金1億円を獲得しました。ぶたこの予想、見事的中。
トロフィーのプレゼンターは、サプライズで樋口可南子が登場。さすがソフトバンク。
そういえば、途中のCMもソフトバンク。当たり前かもしれんけど。CMも長めのバージョンで、それ自体が見ごたえがあった。こちらに点数をあげたくなる。あ、僕らは携帯人間ではないので、投票もしませんでしたけどね。

それにしても。
携帯から始まったコンテストとはいえ、ネタを3分でというのは辛い。もっと見たいと思ってしまう。逆につまらないネタだと、3分はいらないと思ってしまう。あ、だから3分なのか。評価が下しやすいのかも。

マグロ

どうやら今回は、マグロ禁輸(ワシントン条約)は否決されたようだ。漁業関係者には朗報だろう。
それにしても。この間の「マグロマグロマグロ」の大騒ぎにはまいった。確かに日本はマグロの最大輸入国、消費国なんだろうけど。
わが家の食卓にマグロが乗る日は、年に何回あるだろう。
高級クロマグロとなると、お目にかかることもめったにない。

「人はマグロのにみにて生きるにあらず」

マグロが食べられなくなったら死んでしまう、ということはない。第一、冷凍ものが大量に保管されていて、すぐにマグロがなくなるわけでもないらしいし。
とはいえ。
これで生計を立てている漁師さんたちにとっては、さらにマグロをメインに売り出しているおすし屋さんたちにとっては死活問題なんだろう。不安になる気持ちも分かる。

でも、食べられなくなったらそうなったで、何とかなりそうな気もする。それは楽天的すぎるのかなあ。
ま、今回はさすがに、「絶滅の危機」というには、科学的な根拠に乏しかったような気がするけど。

【ゲルマニウムの夜】花村萬月(文芸春秋)

現代画家フランシス・ベーコンの装丁から想像できるように、そしてなんとなく気持ちの悪そうな題名から想像できるように、実にグロテスクな話である。
ある修道院の中で起こるさまざまな出来事。陰惨でグロテスクでエロチック。神父に手淫を強要されたり、同僚を痛めつけたり、シスターとねんごろになったり。まあまともな生活とは思えない。そんな行動に走りながら、神の存在を突き詰めて考えていたり。いやはや。
主人公の、ここに至る道のりもあいまい。どうやら「外の世界」で殺人を犯して逃げ込んできたらしいのだが、詳しいことは語られずじまい。もっとも、これはあとに続く大長編の一部として書かれたようなので、のちのち明らかになっていくのかもしれないけれど。
暴力的な描写は、淡々としているぶんいっそう迫力があって、これは子供に読ませるわけにはいかないなあ。子供が読んでも、どこが面白いのか理解できないだろうけど。
舞台が修道院で、宗教観の話が随所に出てくることから、中世の「ボッカチオ」とかを思い起こさせるところもある。(「ボッカチオ」は読んだことないから、これはちょっといい加減なたとえ。)

修道院の外に話は広がっていかないので、読んでいるとだんだん鬱屈した気分というか、閉塞した気分に襲われる。これが主人公の「王国」となるのだろうか。「王国」とはしょせん、そんなもの、みんな井の中の蛙ということなのかもしれない。あるいは井の中にこそ王国はあるのだ、と言いたいのか。よくわからないが、ここまで性と欲とをあからさまに表現されてしまうと、こっちまで素っ裸になって物事を考えないといけないのかなと思ってしまう。そんなこと、できるわけないんだけど。だからできる人をうらやましく思うのだろうか。
それにしても。最後まで読むと疲れる。ふぅ。生肉を食べたい気分になった人、どうぞ。

【完訳アンデルセン童話集(1)】(大畑末吉訳・岩波文庫)

きっかけは「ポニョ」である。
「崖の上のポニョ」を見終わったあと、ぶたこが、
「これって原作はあるの?」と聞くので、
「たぶん『人魚姫』をモデルにしてると思うで」と言うと、
「人魚姫ってどんな話やったっけ」
「えっと、王子様に会うために、人間の姿になる人魚の話で・・・・」
「ああ、知ってる知ってる。ほんで舞踏会に出るねん」
「舞踏会?」
「ほんでハイヒールを履くねんけど、これが痛うて痛うて」
「なんやそれ」
「せやかて、うろこがあったところに靴履くねんから、痛いやん」
「いや、そんな話ちゃうで」
「ええ? 痛うて痛うて泣く話やろ?」
「いや、人魚が王子様に会いたくて、魔女のところに行ってやなあ・・・・」
「あ、分かった、ほんで魔女に薬をもらって飲むねん」
「薬を飲むんやったかなあ・・・・」
「ほんならその薬が、苦しゅうて苦しゅうて」
「どうしても痛いとか苦しいとかいうところに行きたいみたいやな」

だったらもとの話はどうなのか、確かめたらええやん、ということになり、読んでみることにしたのだ。
だからまずは人魚姫の話。
海に住む人魚のお姫様が、難破した船に乗っていた王子様を助けます。おぼれて気を失った王子様を、海岸まで運んであげたのです。人魚姫は王子様に一目ぼれ。魔女に頼んで尾ひれを人間の足に変えてもらいますが、その代わりに声を奪われてしまいます。陸に上がった人魚姫は王子様に見つけられ、お城に引き取られます。王子様は人魚姫を妹のように可愛がりますが、声を失った彼女は自分の思いを伝えることができません。やがて王子様は、海岸で王子様を見つけたお姫様(王子様は彼女が命の恩人だと思い込んでいるのです)と結婚することになります。恋に破れた人魚姫は海に飛び込み、あぶくとなってしまうのでした。
というのが、僕がだいたい覚えていた筋書きで、ほとんどこのとおりなんだけど。ぶたこが覚えていたとおり、人間の足になったら、それはもう一歩一歩がナイフでえぐられるような痛みをおぼえる、という話もちゃんと出てくる。それから、人魚姫は6人姉妹の末っ子で、妹の命を助けようと、お姉さんたちは美しい髪を魔女にやって、短剣を手に入れる。その短剣で王子様の心臓を貫いて、その血を浴びれば、姫は元の人魚に戻れる、という話もあった。人魚姫は悩んだ挙句、その短剣を海に捨ててしまうのだが。そして、人魚姫にはなんの救いもないかと思っていたんだけれど、空気の精になるんですね、最後は。そして300年(それは人魚の寿命でもある)よい行いをすると、魂が救われる、という話も。人魚は300年生きられるけれど、そのあとはあぶくになって消えてしまう。人間の命は人魚ほど長くはないけれど、死んだあとは魂が永遠に救われる、という設定も。なんだかキリスト教的。

知ってるつもりでも知らない話が多い。そして単なるおとぎ話ではない面白さがある。教訓的な話もあるんだけれど、むしろどちらかというと(さっきも書いたけど)キリスト教的。よく神様の話が出てくる。聖書の話とか。でも、救いの話とかは出てこない。「小クラウスと大クラウス」はちょっと恐ろしい話。「幸福の長靴」はSF的。「しっかり者の錫の兵隊」はややせつない。「皇帝の新しい着物(裸の王様)」はユーモアたっぷり。

原本がどういうものか分からないが、お話口調がいやみでなく、楽しめる。なんとなくストーリーを知ってる話でも、改めて読むとまた楽しい気分になる。演出が変わる芝居のようでもあり、演奏者が変わった音楽のようでもある。もっとも、これはもともとの形に戻る、ということなのだが。そして、元の形がいちばん面白いと思う。

「曲げられない女」

とうとう今日が最終回。最初は何気なく見ていた、というより、ぶたこが見ていたのを横目でちらちら見る程度だったのだが、すっかりはまってしまったのだ。
今の世の中、気に入らないことだらけ、間違ったことだらけ。そしてそれでもかまわないという風潮が蔓延していて、どこかでそれに異議を唱えたい。でもそんなことは世間の目もあるからできはしない。それを、我慢に我慢を重ねて我慢しきれなくなったところで思い切り吐き出してくれる主人公に、共感し、すっきりした気分になれる。もちろんドラマだから、本当にこんなことがあるわけはない、という話なんだけど。でもリアリティだけがドラマの命じゃない。むしろリアリティから外れたところに、連続ドラマの面白さはあるのだなあと改めて思った。言ってほしいことを言ってくれる主人公に、架空の話と知りつつエールを送ってしまうのだ。
それにしても、主演の菅野美穂、永作博美の演技力にはまいった。一気に吐き出されるセリフの数々が、言わされている、あるいは定型の中のものと思わせない力。特に永作博美は、笑いながら心の中は煮えくり返っているとか、自然に見えるところもケレン味のあるところも併せ持っていて、実に(いい意味で)ドラマ的。

テレビ

近所に新しくスーパーがオープンしたので、会社の帰りにぶたこと待ち合わせをして買い物をしてきた。JRの駅ができてから、このあたりはどんどん活性化していくようで、ますます住みやすくなっているような気がする。
夜、のんびりとテレビ番組を楽しもうと、漫才バトルを見だしたのだけれど、とてものんびりと楽しめるような番組ではなかった。最近のお笑いはすべてそうなんだけど、時間に追われているようなものばかり。演目一つ一つの時間そのものが短いし、内容も短いものばかり。小さなネタで笑いをとってそれを何回も繰り返す。まあそういうやり方もあっていいと思うのだけれど、誰も彼もが同じパターンでやってくると、だんだん疲れてくる。さらに会場の笑い声。ゲストの女子の笑い顔のアップ。なんだか「笑わされている」気分。お笑いはもちろん面白いんだけれど。疲れてきて嫌になってきた。僕はもうこの時代にはついていけないのだろうか。

チャンネルと替えると、整形美容推進番組。僕は整形美容は、本人が満足するんだったらやればいいと思うんだけれど、出来上がり(失礼な言い方だ)がどれも一様なのが気になる。以前新聞のコラムで(島崎今日子だったか)「結局は男目線できれいに仕上がるかどうかが問題」になっていると書いてあった記憶がある。
一方でパラリンピック。ハンディキャップをものともせずに生きている人を礼賛したり、見た目の美しさをほめそやしたり。テレビは今日も忙しい。

しめは爆笑問題の「ニッポンの教養」。今日はナマコ。驚異的な再生能力と省エネ生態。脳のない生物の生命力。爆笑しつつ見ながら、人間の生きる意味を考えてしまった。本川教授の言うとおり、「テレビは見ていると、面白くて困る」

鹿

奈良公園の鹿は野生なのだそうだ。つまり、餌付けなどはしていないのだ。どうして餌付けせずにすんでいるかというと、奈良公園に人がいっぱい入っているからという、人間との不思議な共存関係があるからなのだという。人間が公園内(広くはあの界隈の敷地一帯)を踏み固める。人は自由に公園内を散歩するから。本来、人が入らなければあの界隈は森林地帯となってしまう。そうなると鹿の餌となる芝が育たない。踏み固めた土でも生育することができる草だけがあの一帯に生えることになる。芝を主な餌とする鹿は、広い豊かな餌場がいつも確保されている、ということになるんだとか。観光客が与える鹿せんべいなどは、ほとんどおやつ程度のものらしい。もっとも、おやつは(人間も同じだけれど)嗜好品だから、鹿にとってはありがたい食事に変わりはないらしいが。ついでにいうと、「なぜ鹿せんべいの屋台は鹿に襲われないか」というと、屋台のおばちゃんが、せんべいを勝手に取ろうとする鹿をこっぴどくしかりつけるからだそうだ。鹿は賢いので、一度こっぴどく怒られると、もう手出しをしなくなるらしい。もっとも、鹿にとって鹿せんべいが必需品ではないからこそ、必死になって手出しをすることもないのだろうけれど。

そういう野生の動物と人間が共存しているという点で、奈良は稀有な場所だと言えると思う。広島の宮島にも鹿はいるけれど、奈良の鹿に比べるとちょっと凶暴だ。餌場が十分でないからだろう。
そんな鹿に、矢を向けるなんて、考えられない。奈良の鹿は人間にとても慣れている。慣れているという言い方がおかしければ、まったく敵意を感じていない(この点も宮島の鹿との違いである)。敵でもないものから、矢を向けられたらどんな気持ちがするだろう。

新聞やテレビで横たわる鹿の姿を報じているけれど、本当はあんな姿は見たくない。残酷さの基準はどこにあるんだろう。そんなことまで考えてしまった。

ドラマ「火の魚」

昨日の夜のNHKドラマ。芸術祭大賞受賞作の全国放送。
主演の原田芳雄もよかったけど、共演した尾野真千子が最高。意固地な老作家に翻弄されているかと思いきや、そこに安らぎを見つけていたというラストが意外。感情を抑えていた編集者の女性が、ふっと緊張の糸が途切れたように噴出す感情。その落差というか、噴出の仕方にとても心をゆすぶらされる。めいっぱい溜まったコップの水が一気にあふれ出たような凄みも含んでいて。そういえば毎週見ている「曲げられない女」も同じような。普段は感情を表に出さず、理性だけで生きているようで、ある瞬間に一気に思いのたけをぶちまける。あちらはそれが漫画チックに描かれているが、「火の魚」はもっとシリアスであるだけに、心に残る。最後の最後まで、というか、映画的にいえばどちらかが死んでおしまいというようなのがありがちなんだけど、そうならないところがまたうれしい。


暖かい一日だった。午前中の礼拝のあと、コーナンへ買い物。いつもの近所のところじゃなくて、ちょっと離れたところにあるコーナンproという、建築資材なんかを、つまり業者向けのものを主に売っているホームセンター。もともとホームセンターといえばそういうスタイルだったような。ともかく、今日の買い物の目的は「鉄板」。家の前にある散水栓の上蓋が取れたままだったのだ。なんどか作り変えたが、車が上を通るかしてすぐに割れてしまう(本来の上蓋は陶器製らしい)。それでしばらくは、木の板とかでふさいだりしていたのだが、それもすぐに割れたり風で飛ばされたりする。いっそ蓋なしでもいいんだけれど(どうせ散水栓なんか使わないし)、子供が足を引っ掛けたりしたらやっぱり危ない。というわけで鉄板でもかぶせればいいんじゃないかと思ったわけ。
コーナンproの品揃えは、さすが業者使用と思わせる。いっぱい並んだ建築資材なんかを見ているとわくわくする。昔実家が鉄工所をやっていたせいだろう。懐かしさがこみ上げるのだ。それに最近のリフォームブーム。建物にも興味があるから、その資材をみるのは楽しい。あれとあれを組み合わせるとこんな家が出来そうだとか考えたりして。出来るわけはないけど。
望みの鉄板はすぐに見つかって万々歳。家に帰ってさっそく蓋。ばつちりだ。

一日暖かかったので、ぼーっとして昼間を過ごしてしまった。昼寝というやつ。いい気持ち。猫になった気分。猫も寝てたけど。

あるはずの本がないとき

土曜日はいろいろ忙しい。見たいテレビ番組が土曜日にかたまっているのもあるけれど。もうひとつは、図書館に行くタイミングが土曜日に集中する。まあそれだけ時間があるのがこの曜日だけということなんだけど。あれ? ということは土曜日が一番忙しくない、ということになるのか。矛盾。

読みたい本があったので、図書館のパソコンで検索。すると「利用可」となっていた。つまり図書館にあって、しかも貸し出しもされていないということだ。しかしいくら探しても見つからない。しかたなく係りの人に図書番号を言って探してもらう。
しばらくして、「あることになってるんですが、どこを探してもないので。もしよかったら、ほかの図書館にはあるみたいなので、予約してもらったら」ということだった。
うむむ。「あることになってるんですが、見つからない」というのは、どういうことなんだろうか。何万冊も蔵書を抱えていたら(しかもかなり昔からある図書館だし)、そういうこともあるのかなあ。ま、取り寄せてもらえるんだったらまあいいか、と思うが。

【グランド・フィナーレ】阿部和重(講談社)

寒さもひと段落。こうなると今度は花粉が問題。鼻をすすりながら電車の中で本を読む。図書館で借りてきた本だから、汚さないように気を使う。あんまり鼻水がたれるようなら、電車内での読書は諦めなければならない。

阿部和重を初めて読んだ。「グランド・フィナーレ」は芥川賞受賞作。すでに売れっ子作家であった作者が受賞するのは珍しかったらしい。物語は、ロリコン趣味(趣味を超えた次元に達していたようだ)が妻の知れるところとなり、離婚された男が主人公。接触禁止命令が出された娘に会いたいという願望が抑えきれず(その娘の写真も多数撮っていた)、うつうつとした日々を送っている。そんな男が、郷里の小学校の芸術祭で、演劇の指導を頼まれることに。ところがほとんどの子供はやる気がない。そのなかで、ふたりの女の子だけが以上にやる気をみせるのだが。
で。
この作品のテーマはどこにあるのかなあ。妻に逃げられた孤独なロリコン男の再生の物語か。
芥川賞受賞作にありがちなんだけど、すっ飛ばして読んでいると筋が追いにくくなってしまう。YだのⅠだのの人物名とちーちゃん(娘です)とかジンジャーマン(言葉をしゃべるぬいぐるみ)とか、そうかと思うと突然伊尻だとかいうちゃんとした名前の登場人物。なんか一貫性がないように思うのは古い考え方なのか。ともかく、読みにくい。前に読んだ金原ひとみはやっぱりうまいんだなあと思った。表現力に差があるかな。
話の筋としても、前半は主人公はどうしようもなく変な奴で、自分でもそう思っている。それで主人公の内面が深く描かれるのかと思いきや、後半は一転、ふたりの少女を通しての再生の話。その間の主人公の心変わりは、一応説明がつくものの、やっぱり突然、という印象が残る。
それと、車谷長吉の一連の作品を読んでしまうと、この程度の話の展開では衝撃が弱すぎると感じてしまう。弱ったなあ。

ほかに「馬小屋の乙女」「新宿 ヨドバシカメラ」「20世紀」の3つの短編入り。「馬小屋の乙女」がとても面白かった。どんでん返しにもほどがある、てなもんでね。僕は好きです。どうして主人公の名前が「トーマス井口」なのかは分からないけど。

【忌中】車谷長吉(文藝春秋)

寒さもひと段落なんだろうが、昨日までの寒波の影響か、肩がこっている。血のめぐりが悪いんでしょうと会社の人に言われてしまった。そのとおりかもしれないから、返答も出来ない。文字通りの五〇肩が始まっているのかもしれない。

車谷長吉は、故あって私小説は書かないようになったらしい(詳しくは本人のウィキとかでどうぞ)。とはいっても、エッセイとかになると本人の考えや来し方を語るのであるから、あまり関係ないとも思える。どのみち、自分のことを書くときには嘘はかけないらしい。いや、ひょっとしたら全部嘘かもしれない。井上光春だったか、自分のプロフィールがすべて嘘にまみれていたという作家もいたなあ。
それはともかく。
6篇の短編集です。「古墳の話」は死刑存続論から発して、昔の女友達が強姦殺人事件にあった話。「神の花嫁」は憧れていた良家の才媛が、普通の嫁になる失望(もちろん嫉妬もある)。「「鹽壺の匙」補遺」(「しおつぼのさじ」と読む)は、かつて自分が書いた小説のモデルとなった教師の、元教え子たちとの交流。これが意外とほのぼのとしている。「三笠山」「飾磨」「忌中」は、どれも「落ちていく人生」の物語。特に「三笠山」と「忌中」は、心中事件を題材としていて、気が滅入る。感情移入を排したドキュメントのような文章が、その気分を増しているといえるだろう。そこには「普通の人も狂気に陥り、人生を堕落させ、死に至る」という、人間の性が浮き彫りにされているようだ。「落ちていく人生」は、いままでもこの作者は自分の話として書いていたが、これが他人の話となるといっそう凄みを帯びてくるのが不思議。ほんとに気が滅入る。落ち込みたい人、自分以上に落ち込んでいる人を見たい人はどうぞ。

【ホエール・トーク】クリス・クラッチャー(金原瑞人、西田登訳・青山出版社)

寒い一日だっただよ。みぞれも降ったらしい。一日ビルの中にいたから知らないけど。ぶたこによると、昼間はほんとに寒かったらしい。家に帰ってニュースを見たら、いたるところで大雪、強風。春の訪れはまだ遠いのだ。

久しぶりにヤング・アダルトものを読んだだよ。アメリカはワシントン州のカッター高校が舞台。身長190センチのスポーツ万能、頭もいいT.J.ジョーンズ。だが彼は白人と黒人と日系の混血で、肌の色が違うことでいろんな差別を受けてきた。ドラッグにおぼれた母親に捨てられ、白人の養父母と暮らしている。カッター高校はスポーツが盛ん、というより、体育会系クラブ(とそのOB)が幅を利かせていて、T.Jはそんな奴らとは関わり合いになりたくない。ところが、クリスというちょっと頭の弱い同級生をかばったことから、フットボールのチームリーダー、バーバーと対立することになり、フットボールに対抗して水泳チームをつくることに。クリスの亡くなった兄はフットボールと野球の選手で、カッター高校の優秀なスポーツ選手の証であるスタジャンを贈られていたのだが、兄を慕うクリスはそれを着て学校に来ていたのだ。T.Jは水泳チームで成績を残せば、自分のスタジャンが手に入る、と考えた。
集まった水泳チームは、ひとくせもふたくせもある連中ばっかりで、さてこれで本当に「優秀な成績」が残せるのか。

いわゆるスポ根ものとは違うんだけれど、スポーツ物語のさわやかさはある。その一方で、たむろする白人至上主義者たちや、子供の虐待、さらには過去の過ちを引きずってどう生きていくのかとう問題までを含んで、物語はとても肉厚な感じ。
しかし主人公であり語り手でもあるT.Jの口調に引き込まれて、楽しく読めた。まあ、ちょっと予定調和的なところはあるけれど。特に後半は。でも最悪に後味が悪くなることはない。この年代の青年を取り巻く問題、さらにはアメリカの抱える問題に、まじめに取り組む視点があるからだろうなあ。どんなに口調がくだけていても、その視点がしっかりしていれば大丈夫、ということか。

寒い

寒波再来である。もう出番がないかもと思っていた毛糸の帽子、手袋、マフラーが活躍している。朝から雨だったし。冷たい雨。しかし大降りにはならず、どちらかというと冷たい風のほうが身にしみる。どんよりとした曇り空。何層にもなっているような雲が、頭上低くたれこめていた。

寒くなると、どこでも暖房がしっかりと入るようになる。地下鉄の駅二駅分を歩いて出社するのだが、会社に着くころには程よく体が温まっている。ところがそこで暖房がしっかり入っているのである。暑い。こうやって、季節の変わり目には体調を崩すのだろう。気をつけないと。

しばらく寒波が居座りそうだ。雪も降りそうな勢いである。しばらく休んでいた湯たんぽを引っ張り出さないと。

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