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フィギュアスケート GPシリーズ フランス杯

フィギュアスケートの話題を書くと、アクセス数が急増するという傾向が続いている。多分、この書き込みも多くの人が(といっても、このブログレベルでの話)アクセスするんだろう。

テレビ朝日の中継は、少しは民意を反映するようになったのか、より多くのスケーターを放送してくれて嬉しい限り。お目当ての日本選手の滑りは確かに気になるけれど、競技という性格上、他の選手と比べてどうなのか、ということを伝えないことにはお話にならないと思う。できればペアやアイスダンスも、そのうちいつかは。今回は惜しくもファイナル進出はならなかったけれど、高橋-トランとかが頑張ってくれたらね。

さて、何と言ってもわが家を興奮の坩堝に巻き込んだ、小塚選手の演技。もともとスケーティング技術には長けたものがあったけれど、今季は課題であった(多分)表現力もたっぷり。ジャンプの安定感も増してきて、すばらしいの一言。歴代2位のフリー得点もうなずける。スケーティングはチャンに匹敵すると思うなあ。ファイナルでの対決が楽しみ。
ムロズをようやくゆっくり見ることができた。そうか、こういう選手なのか。ジャンプの能力はありそうなんだけど。途中の表現力はまだまだこれからかな。ゆっくり滑っているように見えたのは、体が大きいから? もっとスピードが出るようになったら、大きな演技もできるようになるのだろうなあ。

アモディオは、ファイナル進出が決定。ムロズに比べると、確かに表現力も優っているから、順当なところかな。とはいえ、やはりどこか「あざとさ」が見え隠れする。モロゾフ・タイプはみんなそうなんだけど。

女子。
シズニーは、SPではかなり緊張していたのかも。フリーで持ち直してファイナル進出決定。相変わらずスピンで魅せてくれる。それはそれで素晴らしいんだけれど、スピンを見るためにフィギュアを見るんじゃないからね。

長洲未来は応援してるんやけどなあ。2位は立派。ようやくの表彰台なのだね。ただ、フリーの「さゆり」は、外国人目線の芸者振り付け。曲と演技が合ってるように思えない。というところに「あざとさ」を感じる。なにか、カラを打ち破ってほしいと思うのだが。

コルピ、念願の(多分)優勝。でもファイナル進出はならなかったのだね。意外にも1回もファイナルに出たことがないらしい。どこといって特徴がないのは確か。でもギリシャ彫刻が滑っているかのような美しさはある。とはいえ、女子フィギュアが「きれいだったらいい」という時代ではないからなあ。

期待の日本人。
村主は実力を出したと思うなあ。今の実力では、ここまで、ということのような気がする。かつては、高い表現力を誇っていたけれど、今の選手はそれぞれ個性を前面に出して、それぞれの表現をするからね。
今井のフリーは、緊張してたのだろうなあ。最初のジャンプを失敗すると、後々まで引きずってしまう、というのはやはり若いからだろうか。キス&クライで点数が出たときのがっくりした表情、そして長久保コーチの「残念でした」というつぶやきが印象的。そう、つぎ、頑張ろうね。
さて、浅田真央。以前ほどではないにしても、やはりCM前のちょっとした時間には取り上げられてしまうのだね。仕方のないことだけれど。そっとしてやってほしいと、おじさんは思ってしまうのだが。ショートもフリーも、ジャンプが決まらずに低い得点に終わってしまったけれど、スケーティングはとても綺麗になったと思うなあ。特にフリーのリストは、とても気持ちのいいプログラムだと思うから、ジャンプの失敗さえなければ、高い得点は当然見込まれる。それよりも、滑りの滑らかさ(おっと2重に変換してしまう)が、見ていてとても気持ちがいい。うっとりしてしまったよ。ここにジャンプが決まってくれば、と思わずにはいられないね。ルッツのロングエッジが相変わらず、というのが気になるけど。NHK杯の時より、ずっとよかった。演技に集中できてたと思うなあ。あまり騒がず、見守ってやりたい気分。
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【ゆき】斎藤隆介

ぶたこが司会をするマンドリンオーケストラの演奏会で、この「ゆき」を原作とする作品を演奏する、というので、元の作品はどんなものなのか興味があって読んでみたのだ。

雪の精「ゆき」が、「地上の世界をきれいにする」という使命を帯びて下界にやってくる。そこは東北の貧しい農村。村人たちは野盗におびえ、侍同士の争いに巻き込まれ、地主には年貢を取られと、苦しさの中にあった。野盗や戦で親を失い、こじきとなった子供たちの集団に入り込んだゆきは、村人を苦しめるものたちと戦っていく。

そういうわけで。
ゆきと子供たちは、野盗をやっつけ、村人たちを巻き込んで侍どももやっつけ、地主もやっつけて、自分たちだけでやりくりをする「コミュニティ」をつくっていくわけですな。
なんかねえ。一方的に「野盗が悪い」「侍が悪い」「地主が悪い」となって、さいごには「神様(神人さま)が悪い」ってことになって、それを半ば力づくで駆逐していくっていうのは、どうなんですか。力の弱いものが団結して力の強いものをねじ伏せていくっていう図式は、一見英雄的で素晴らしいように見えて、ほんまに相手に落ち度はないのか、相手が全部悪いのか、という疑問を全く挟んでいないのがとても気になる。

武器を持つ者(軍隊)を破り、地主(支配層)を破り、農民が主役の社会を作る、というのは、どこかロシア革命を彷彿とさせる。そういう時代の作品なんでしょう。

どんな手段でもいいから、「より良い社会を作るのだ」という姿勢に、少々疑問が残ったのでした。

【凍裂】喜多由布子(講談社)

札幌で、50歳の主婦が夫を包丁で刺すという事件が起こる。一見、平穏に見えた家庭に、何があったのか、を、周囲の人々の視点から描いていく。

夫は職場では真面目、非の打ち所がなさそうに見える。妻は得意の料理を活かして、料理教室を開くほど。そして評判も悪くない。教室も、また人格も。
しかし、家族に中には、他人にはわからない様々な問題があった。

というわけで。
ひとつの事件をきっかけにして、友人、子供(夫婦には学生の娘と中学生の息子がいる)、ジャーナリスト、兄弟などを中心とした話が展開されていく。そして徐々に、家族の問題が明らかとなっていくのだが。

素材はとてもいいのだけれど、なぜか話しに深みがなくなっていく。これはなぜ?
おそらくは、「ちょうど都合のいいところ」に、それぞれの話が落ち着いてしまうからなんだろう。
夫の家庭での顔。姑の価値観。どことなくステレオタイプで、2時間ドラマを見ているよう。
さらには、それぞれの章の話の中心となる人物についての説明があっさりとしていて、そこにワクワク感がない。地の文でサラッと説明されてしまうと、まるでそれぞれの履歴書を読まされているようで。ああ、これこそ2時間ドラマ。2時間ドラマでは、いろんな説明を手早く済ませなければならないので、難しいところはすべて誰かに説明をさせる。たとえば、
「ああ、隣に住んでいた、ちょっと気取った感じのする、大学生のお子さんを持っていて、旦那さんが毎晩遅くにしか帰って来ない奥さんね」
とか。ドラマならまだ、しゃべっている俳優にうなずけばいいだけなのでマシなんだけど。文章でこれをやられるとねえ。
はっきりとそういう文章があるわけじゃない。でもどこかで「手早く説明を」というところが見えてしまう。惜しいなあ。

【悪魔くん(全)】水木しげる(ちくま文庫)

漫画である。今年話題の水木しげる。「悪魔くん」は、たしか少年マガジンに連載されていて、子供の頃に読んだ記憶がある。でも話の筋とかは忘れてるなあ。

この時期の水木作品は、多くがTVドラマ化されていて、しかもTV放映と同時進行のような形で漫画の連載もされていた(と思う)。
だから、なんだろうけど。この漫画、面白いことに、テレビに合わせて途中でいろいろ変わっているところがあるのだ。
例えば、悪魔メフィストを苦しめる(てなづける)「ソロモンの笛」は、第1話ではたて笛のような形をしているのだが、回が進むといつのまにかオカリナ型になっているのだ。これはテレビドラマの設定に合わせたに違いない。メフィストも、途中からマント姿にステッキを持つようになっていく。なんの説明もなく。

また「ビチゴン事件」に出てくる怪獣「ビチゴン」(ちなみにビチというのは、汚物(うんち)という意味で使われている)は、テレビドラマでは「ペロリゴン」という名前で出ていた。メフィストが「あれはビチゴンだ」という場面があり、誰かが「え、ペロリゴンじゃないの?」と尋ねなおすというシーンがある。このあたり、水木しげる流のユーモアなんだろう。

そう、ただの妖怪マンガではなく、ただ恐ろしい、怖いものではなく、どこかユーモアを感じさせる、それが水木漫画の魅力なんだろう。なんて、今さら書くのも恥ずかしいね。

懐かしさと、今読んでも面白いという新しさに驚いて楽しんだ一冊であった。

【地球の上でビザもなく】青山真治

青山真治って、映画監督なのだね。で、これは題名が素敵だったので読んでみたのである。

映画の現場が舞台になっている。カンヌ映画祭だとか。はじめは語り手である映画評論家ナシダの友人Gが自殺する話から。その理由が、どうも伝説とも言える老監督高遠にあるらしい。はじめは高遠に憎悪のようなものを抱いていたナシダだが、監督にインタビューする機会を与えられ、徐々にその魅力にはまっていく。

インタビューで語られる老監督の「映画論」のようなところは、さすがに読み応え充分。映画の製作現場の描写もさすが。いや、実際に現場にいるから、というだけではここまでは書けないだろう。著者の文章力のたまもの。

それだけに、地のストーリーというか、本流の方がやや薄味気味にみえてしまう。ナシダがギックリ腰になって、高遠の知り合いの鍼灸医と急に仲良くなるとか。ちょっと都合が良すぎてね。
友人の自殺に絡む高遠に、あっさりと感服してしまうナシダもどうかと思うなあ。
そういう作品としてのギャップのようなものがあちらこちらに。これを独特の魅力と思うか、落差が激しすぎてついていけないと思うかは、好みの問題かも。

フィギュアスケート GPシリーズ ロシア杯

深夜の遅い時間帯とはいえ、男女のフリーをたっぷり放送してくれて、テレビ朝日さんありがとう。ちょっとは反省してくれたのか。ただ単に時間枠がいっぱい空いていたのか。女子がライブで放送できる、という時点で放送方針が変わったのか。そういう詮索は抜きにしよう。ともかく、女子のフリーが全選手、男子が日本選手ふたりだけじゃなくて、上位3選手全部を放送してくれたのは嬉しい限り。そして、それぞれとても見応えがあったであるよ。

女子フリー。腰を痛めている安藤美姫の演技に、なにか神々しい物を感じてしまったよ。ただひたすら、自分のできることに全力をつくす姿勢。まるで修行僧のよう。中国杯の時は、点数狙いのプログラムとしか映らなかったものが、しっかり自分のものになっていて、ひとつのプログラムとして違和感なく見ることができた。3-3を回避したものの、ジャンプはすべて完璧(のように見えた)。まるで横綱相撲。1位は納得。

鈴木明子に、個人的には期待していた。惜しかったなあ。ジャンプのミスが出てわずかに安藤に及ばず。フリップが決まってたら、3-2-2が決まってたら、と思わずにはいられない。でも、いままではまるで歯が立たなかった相手に、ここまで迫ることが出きたってことがすごい。そしてプログラムの美しさ、盛り上がりは、ショートもフリーもとても好き。ファイナルに期待しよう。大いに。


男子フリー。3回もこけて、これでまた1位になったら、反則やで、と思ったパトリック・チャン。総合2位は順当なところ。意外に点が伸びなかったアボット。慎重になりすぎたか。今回は演技が硬かった。反対に柔らかさが出てきたベルネルが逆転で1位。ショートの「雨に唄えば」もよかった。まるでアボットとベルネルが入れ替わったかのような印象だったよ。4回転がなくてもここまでこれるとなると、ベルネルくんはこれからどうするんでしょう。
羽生、町田は、まだまだこれからの選手。スタミナが問題かな。4回転を飛ぶのにも体力がいるし、失敗しても滑り続ける体力もいるらしいから。ね。


ここまで放送したんだったら、いっそペアの日本選手、高橋-トランも放送してほしかったなあ。シリーズでこの1試合しか出場がない川口-スミルノフとともに。

【ウィーン家族】中島道義(角川書店)

寒いねえ。こう寒いと、読書が進むなあ。晴耕雨読ならぬ、晴耕「寒」読といったところ。

中嶋道義は、有名な哲学者らしい。この本はどこかの雑誌で紹介されていて、面白そうだったので読んでみたのだ。まずはぶたこが先に興味を持って読み終わり、その後読み始めたんだけど。ぶたこ曰く、
「読みにくいで」
ということだったんだけど、読み始めてその意味がすぐに分かった。

ある哲学者の、妻と息子との3人暮らしのウィーン生活を描いたものである。が、そののんびりとした題名とは裏腹に、夫は家を追い出されてホテル暮らし。たまに妻から電話がかかってきたりファックスが届いたりして、会いに行くこともあるが、しょっちゅう約束は反故にされるし、会えば会ったで言い争いになるだけ。息子にも「あいつには会いたくない」と、面会することさえ拒否される始末。
この状況を、自分なりに解釈し、なんとか修復できないかと思案したり、あるいは「もうダメだ」と諦めたりを行ったり来たりする夫の話なのである。

が。

あくまでも夫側の視点に立っているので、妻の言い分、息子の言い分がさっぱり伝わってこない。三人称小説なんだけど、限りなく一人称に近い。だったらいっそ、私小説にしてしまえばいいのに、と思う。語り手の一方的な思い込み小説(カズオ・イシグロみたいに)したら、もっと面白かったろうに。

つまるところ、これは「夫が書いた言い訳小説」なんだろう。言い訳小説の最高峰は島崎藤村の「新生」だと思うが、残念ながら藤村ほどの筆力がないために、作品としての充実もいまひとつ。そんな話をぶたこにしたら、藤村は知らないけれどと前置きして、
「太宰治やね」
との評価。なるほど。それですんなり納得できた。太宰的に書こうとしたんだろうなあ。でも太宰は太宰ひとりで十分なのだけれどね。「俺は苦しい」と書かれても、何も伝わらないであるよ。

【ガダラの豚】中島らも

中島らもの、日本推理作家協会賞受賞作。これが推理小説? と疑ってしまうが、面白さは格段である。
似非超能力者による新興宗教物語の第1部。アフリカでの、呪術?トリック? という第2部。日本での超能力対決?の第3部。

第1部で、超能力や超自然現象に「眉唾もの」という印象を植え付けておいたうえで、アフリカ編では「どっち?どっち?」とハラハラさせ、第3部で一気に爆発させるという展開の面白さ。「え? まさか、まさか」と思っているうちに、物語が活劇風に進んでいく見事さ。すっかりハマってしまう。一気に読まないと、という気にさせてしまう。エンターテイナーやなあ。

僕が読んだのは双葉文庫版で、あとがきを娘の中島さなえが書いている。第1部が出来上がる顛末(これが長い前フリだったのだ)も。

それにしても、膨大な資料と呪術体験(薬物を含む)がなければ書けないような内容だろう。中島らもの面目躍如といったところ。持てるものを、一気に出しました、という感もある。特に第1部は。で、そういう「新興宗教批判小説」と思わせておいて、という展開が(やはりそこに話が行ってしまうのだけれど)うまい。映像が目に浮かぶ。映像化は、されないだろうけど(たぶん、無理)。

【鹽壺の匙】車谷長吉

車谷長吉の、自伝的な初期小説集。といっても作品の書かれた年代を見ると、結構幅はある。表題作は平成4年か(たぶん。もう図書館に返してしまったので)。

いわゆる「私小説」なのだけれど。昨今、私小説は書きにくくなっているらしい。自分のことを書くのに、小説という形は流行らないのだろうか。
それでも読み応えがあるのは、この人の人生が破天荒であるから。さらにその親族も、破天荒であるからにほかならない。それを包み隠さず(おそらく)書いてしまったのだなあ。

とはいえ。その後の「赤目四十八滝心中未遂」などに比べると、素材によりかかってる印象もある。「赤目四十八滝」に至る道は、ここにあるのかという発見は、楽しかったけど。ちょっと怖いってのも、あったけどね。

フィギュアスケート GPシリーズ スケートアメリカ

なんか妙に腹が立って、なかなか書けなかった。腹がたったときは、さっさと書いたほうがいいのかもしれないが。
新聞のテレビ欄には「男女のフリーを中心に」と書いてあったので、まあメダリストだけかもしれないけれど、フリーだけかもしれないけれど、でも男子も女子も、とにかく日本人選手は(少なくとも)全部放送してくれるんだろうと思ってたよ。
蓋を開けたら、まずはNHK杯のショートのVTR。さらに試合前のインタビュー。

そらねえ。村上佳菜子が1位になったのは嬉しいですよ。よかったですよ。喜ぶ気持ちも分かるけど。
テレビは妙にはしゃぎすぎ。
男子の金・銀というのも快挙でないの。そのフリーはダイジェスト。そして番組最後はエキシビジョン。これも村上と高橋。しかもダイジェスト。ううむ。

まあBSでいっぱい放送してはるんでしょうけど。つまりはそっちで見ろ、ということなのか。

それにしても、村上佳菜子を持ち上げすぎ、という印象。逆に心配になってきてしまうよ、おじさんは。

【100km!】片川優子(講談社)

はい、続けて読みましたよ、片川優子。見返しにプロフィールが載ってるんだけれど、今は麻布大で獣医の勉強をしているのだね。

三河湾の周り100キロを歩く、というイベントに参加するはめになった、高1の女の子の話。実際に著者が100キロウォークに参加したことから着想した、というだけあって、その道のりのスリリングさがよく伝わってくる。
主人公は、両親が離婚、母親と弟との三人暮らしだったのだが、いつもみんなを引っ張っていったお母さんが交通事故に遭い、その後遺症ですっかり元気がなくなっている。100キロを歩くことで、何が変わるか分からないけれど、「ひょっとしたら、何かが変わるのかも」という期待を持って、主人公は歩みをすすめる。

幽霊にとりつかれる同級生を描いた「佐藤さん」と比べると、「ジョナさん」も「100km!」も、普通の青春小説で、直球勝負!といったところ。それでも読みごたえがあるし、面白いし。この才能はどこから来るのか、うらやましいかぎり。

ラストは、ちょっと出来すぎという感もあるけれど、途中の道のりは感動的ですらある。プチ・ロードムービー、といったところ。学業も大変だろうけど、これからも期待しよう。

【ジョナさん】片川優子(講談社)

ヤング・アダルト作家片川優子の、高校2年の時の作品。
主人公(とその友人)も高校2年生だから、そのまんまではないかい、というところが面白いというか、「これが本音か」というのが読めて、しかもしっかりした文章、というよりとても面白いのだ、理屈抜きに。

高校2年生のチャコは、親友トキコの「大学へは行かない、就職する」宣言に戸惑ってしまう。
1年前に亡くなったおじいちゃんの忘れ形見のような犬のギバちゃんを、毎週日曜日にゲートボール場まで散歩させるのだが、おじいちゃんのことは早く忘れたいと思っている。そこで、イケメンの男性に声をかけられ、悩みを少しずつ話しだすのだが。

名前もわからない相手に「ジョナさん」というあだ名をつけて、密かに憧れるなんて、ちょっと昔風とも言えるんだけれど、純情話ではない。
友人のひと言から、今まで自分の周りで当然と思っていたこと、常識だと思っていたこと、避けて通ってきた問題がいろいろ浮かび上がってくる。こういうテーマは不変だなあ。

チャコとトキコのコンビがとてもいい感じ。でもって、これを高2で書いてしまった作者の力量を考えると、末恐ろしくもある。

わたしは、なんだか怖いのです。
人々が。人々の、考えていることが。
どこか、ひとつの方向に、知らない間に、
みんな、同じ方向を向いていて、
同じことを、言っているようで。
少しの、違う意見も、受け入れられないようで。
わたしは、このごろ、なんだか、とても怖いのです。


そう思っていたら、ぶたこが、今日のお昼の「ちちんぷいぷい」での、街頭インタビューのことを話してくれて、
多くの人が、
「ビデオのことなんか、もうどうでもええから、早よ予算をしっかり審議してくれ」
と言っていた、というのを聞いて、ちょっとだけ、心が休まるのです。

【ヤノマミ】国分拓(NHK出版)

2009年にテレビ放送されて話題になったドキュメンタリーの、取材記。アマゾンの奥地で、昔どおりの生活をおくっているヤノマミ族と一緒に暮らした記録である。

残念ながら映像は見ていないのだ。何度か再放送もされたようなのだが。だが映像を見ていなくても、文章だけでも十分ショッキングだし、ある種の感銘を受ける。

男は狩りをし、女は川で漁をし。畑も耕す。今は保護区に住んでいて「保護」されている状態。しかし生活習慣はほぼ昔のまま。もちろん、取材スタッフが一緒に生活できるぐらいだから(それでも言葉の壁は大きかったようだ)、ある程度文明も受け入れている。何人かの男性はパンツを履きサンダルを履いている。しかしほとんどのヤノマミは裸で暮らしている。

こういう「原初的」と呼ばれる生活の姿を見ていると、なんと自分たちはいろんなものに守られて、いろんなもので武装して、自然とは隔離した暮らしをしているのだろうと、憧れに似たものを感じてしまうのだが、読み進めると、そんな感傷は吹き飛んでしまいそうになる。

一番のショッキングなシーンは、やはり森の中での「出産」だろう。女は子供を生むときには森に入る。そして生まれた赤んぼうは「精霊」で、精霊のまま天に帰すのか、子供として育てるのかは、生んだ母親が決めるのだ。実際にスタッフは、精霊のまま天に帰す様子を目の当たりにする。それがこの「社会」での「習慣」なのだ。生も死も、あるがままにあり、日常の流れの中にある。

そういうシーンを含めて、文章は撮影の苦労話や、ヤノマミの生活・習慣の全般を(家族構成も含めて)、感情移入を深めずに(わざとだろう)書いている。すらすらと読みやすい文章が書けるのは、プロデューサーとしての才能もあるのか。

本の終盤は、このヤノマミ族にしみこんでくる「文明」の波について書かれている。新しい文明が入り込んできたら、古い文化はひとたまりもないだろうと思う。この取材からもう2年が経っている。今、ヤノマミはどうなっているのだろう。

【ゲド戦記】ル・グウィン(岩波書店)

全5巻+別館(外伝)という長編。でも読み終わるとそんなに長さは感じない。といってすらすらと読めるわけでもないけれどね。

超有名なベストセラーなわけで、以前から題名だけは知っていたけれど、読んでみる気にはなれなかった。だいたい「戦記」という題名がよくないね。本来は「アースシー物語」とか「アースシー伝」とかにすべきかも。それぐらい「戦い」の場面がほとんどないのだ。

読む気になったのは、コーラスでジブリアニメの主題歌「テルーの唄」を歌うことになって、ちょっと調べてみたら、原作者はあの映画にはどうやら不満がいっぱいあるらしいということがわかり、さらにどんな話かのあらすじもちょっと分かって、興味を持ったからだ。

あらすじは、この際すっ飛ばしてしまおう。本編の全5巻は、それぞれがつながっているけれど、また別の話でもある。アースシーという架空の世界での出来事。魔法使いがいて普通の人間もいて、遠く西の島には竜もいる。僕が読んでみるきっかけになったテルーが出てくるのは4巻目。そこまでも長かったよ。ふぅ。

巻を読み進めていくうちに、作品世界というか、語られることはどんどん精神的なこと、感覚的なことになっていく。こんなの、児童文学の棚に置いておいて大丈夫かいなと思うぐらい。すぐに理解できる少年少女がいたらおそろしい。

とはいえ。作品としてはとても面白い。勧善懲悪ではないところがいい。話の筋が一筋縄ではいかないところがいい。闇の世界も竜の世界も、「あるものはあるがままに」という、作者の立ち位置が気持ちいい。はっきりとした物言いがないところがいい。「これはどういう意味?」と思いつつ読み進め、結局分からずじまいということもあるけれど、それでも「こういうことかな」という思いが残る。そういう思いを抱かせる作品世界がとてもいい。


別館(外伝)の巻末には、アースシー解説として、作品世界の解説が載っているんだけれど、あえて読まないでおこうと思う。あれはこうだったのかな、それともこういうことだったのかな、といろいろ空想するのも楽しいのだ。もう一度、自分の中で作品を再構築する楽しみを、残しておこうと思う。

フィギュアスケート GPシリーズ 中国杯

どうも今年の採点方法はよく分からない。グランプリシリーズが始まって、なんとなくおかしいなあと思ってたんだけど。試合が重なるにつれていよいよ分からなくなってきているなあ。まあ、採点競技は審判の視点というのもあるんだろうけど。

中国杯の男子フリー。まあ確かにジュベールは滑って飛ぶだけの演技だったけど、大崩れはしてなかったよなあ。それで点数があんまり伸びないのだねえ。スケートカナダのチャンとの違いはどこ? 滑りの美しさとか確かさとかつなぎのよさだとか音楽とのマッチングだとかか。確かに「第九」はないやろうとは思ったが。
小塚くんの滑りは、1位に値すると思うよ。技術の高さは以前からのもの。今季はより力が抜けて、動きに無駄がなくなったように見えるなあ。浅田真央と一緒に練習するという効果もあるみたい。
地上波ではムロズの演技が見れなかったのだ。ショートもフリーも。放送局はムロズが入賞するとは思ってなかったんだろう。前日のショートのVTRなんかを流して、上位選手の演技を飛ばしてしまうとは。はっきり言って大失態。人気のある選手だけを放送しようという意図が裏目に出た形。結果を予想して放送枠を決めるのは、もうそろそろやめてほしいなあ。できれば進行役も交代してほしいんだけど。

女子。長洲未来の点数が低かったのにびっくり。そんなに悪かったかなあ。技術点がとくに悪かったようやけど、ジャンプの回転不足とかが大きかったんだろうか。
1位の安藤美姫。まあうまいんだけど。どうにもしっくりとこないというか、心に伝わらない演技で、どうしたものやら。後半にジャンプを固めて「点数取り」に行った結果か。「時計を見て、(後半の)2分になっていないので、タイミングがずれて」2アクセル+2ループになったという記事を見て、なんや、音楽に乗っているようで実は時計を見てるのかと、ちょっとがっくりである。ステップはそうでもないんでしょうけど。後半に難しい技を集中させたおかげで前半は「何をやってるの?」という間がありすぎ。5連続ジャンプは確かにすごいけれど。あんなのでいいのかなあと思ってしまった。それで5コンポーネンツも高いのは、どうなんだろう。
それに比べると、鈴木明子の演技は最初から最後まで流れがあって、こちらの方が好みである。ジャンプの失敗とかはあったけど、滑り終わったときに「ええもん見せてもらいました」という気分にさせてくれる。滑っている最中は「うまくいけ!」と応援したくなる。
フィギュアスケートを見るときに、自分はそういう目で見ているのだなと改めて気づかせてくれたな。ただジャンプだけを見てるわけじゃない。ただ順位だけを追ってるわけじゃない。いい演技ってなにか、うまくは言えないけれど、「見てよかった」と思うものを見たいのだ。
あ、密かに応援していたエレノワが3位に入賞してうれしかったよ。ショートもフリーも、良いプログラムやと思ったな。これから仕上がっていくのが楽しみになる。

プロ野球 日本シリーズ

終わりましたな。ロッテとロッテファンの皆さん、おめでとうございます。ドラゴンズとドラゴンズファンの皆さん、残念でした。

このシリーズは、なんかおかしかったな。いろんな意味で。テレビ中継がない試合があったりというのもあったけど、それだけじゃなくて試合そのものがね。鉄壁の守備を誇るドラゴンズの外野にミスがあったり。ミスといえばロッテにもあったなあ。もうありすぎて分からんぐらい。昨日の試合でも、送りバントがことごとく決まらない。こんなんペナントレースでも見たことない、というプレーが随所に出ていて。まあこれはシリーズの緊張というのもあったのだろうか。

昨日はシリーズ最長試合。今日も延長戦。両チームの選手の皆さん、最後の最後でこんなしんどい試合をするなんて思ってもみなかったでしょうねえ。両方とも、最初から最後まで見てしまったよ。なんとなく(セ・リーグのよしみで)ドラゴンズを応援してたんだけど、残念やったな。

これでホンマにシーズンはおしまい。すでに秋のキャンプに入ってるチームもありますな。もう来年に向けて動いているわけやね。来年も、楽しませてください。お疲れ様でした。

11月1日

夜中を過ぎて日付が変わって、月も変わった。というわけで、今年もあと2ヶ月となってしまった。月日の立つのは早いなあ。
昨日、10月31日はハロウィンだったのだね。これが昔の(ケルト地方?)いわゆる大晦日にあたるらしい。つまり、今日11月1日が新年の始まり。新年の始まりの前に、ご先祖様が集まってきてお祝いをするのがハロウィンの始まりだとか。以上はウィキからの受け売り。

人間はこうやって、いろんな機会に人生を改めるのだなあ。日本にも「節句」というのがあって、そのたびに何がしかの儀式めいたことをして、ひとつの区切りをつけていくという習慣が残っている。そういえばお盆には「送り火」というのがあるけれど、先祖が帰ってきて、かがり火をたく、というところが、どこかハロウィンの風習と共通しているみたいで面白い。古今東西を問わず、何かのおまじないとかお祝いとかお祓いとかに「火」を使うというのは共通しているのかも。それが、文化的に交流があったとは思われない地方同士で共通している、というところに、何か面白みを感じてしまうのだ。

で、新しい月になりました。そういう機会ごとに「何か新しいことを始めようか」と思うのだけれど、何をしたらいいか分からず、いろいろ考えているうちにその月も終わって、「また来月から何かを始めようか」と思い始めて、そうやって毎月を過ごしていくうちに一年が終わってしまったりするのである。

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