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【自然に、とてもスムーズに】綿矢りさ(文學界2011年1月号)

綿矢りさは文壇のおじさまたちに人気があるらしい。若くて才能があるということで、だろうけど。その上結構美人だし。
これが最新作になるのか。物語は、田舎を出て東京で暮らし、やがて男と同棲しはじめた女の子。そろそろ結婚を、と思って切り出したところ、男に嫌がられ(時期じゃないとかなんとか)、それで別れてしまう。が、数ヵ月後、そろそろ忘れられると思った頃に、彼氏から寄りを戻そうと言われて、有頂天になって、両親の反対を振りきって再び彼のもとへ。という、いかにもありそうな話。いや、現実にはないかもしれないけれど、小説世界では幾度も書かれてきたような話。

話の筋は既視感たっぷりなのだが、ときどきびくっとするような比喩や表現が出てくるのだな。それが気持ちいい人もいるんだろうなあ。それと、話の内容はいかにもおじさん好み。都合のいい女の典型じゃないかいな。それでいて表現は現代的。あは、これなら文壇のおじさんたちは大喜びだろう。出来のいい娘。自分たちには思い及ばない才能を持ってるけれど、中にある価値観は自分たちと一緒。なんて感じがするのだなあ。つまり、主張はちょっと古臭い。間違ってたらごめんなさい。
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【パークライフ】吉田修一(文藝春秋)

吉田修一の芥川賞受賞作。芥川賞なんて、と思いながらもなんとなく気になって読んでしまうのである。
昼休みの公園で出会った男女。お互いの名前も知らないながら、いつも公園にいるということで、どこかにシンパシーを持ってしまう。そしてこれは恋の始まりになるのか、ということになると面白くもなんともないのである。そこでうまくいきそうでうまくいかずという、なんともダラっとした流れになっていくのが、かえってリアリティがあってよろしい。今はやりの「縁」を求める小説、とも読めるけれど、そこを突き抜けた何かがあったら、もっとよかったのになあ。エンディングは結構気に入ったんだけど。

他に「flowers」という作品も収録。月に一度、高級ホテルに宿泊するという贅沢を楽しむ(楽しむ? いや、ただの習慣になりつつある)夫婦。夫の同僚元旦はどうにも食えない男。もう一人の同僚永井は、気の弱そうな男。その奥さんは夫のいない間に夫の同僚とセックスを楽しむ。愛人とかそういうのではない。そして主人公夫婦は、どこか心がすれ違い気味。どうなる?
小説世界としては面白い展開。でもこの手の話にしては、アクが足りないかな。もっと強烈なのを(玄月とか花村萬月とか)を読み過ぎたか。

【犬婿入り】多和田葉子(講談社)

多和田葉子の才能にもう、びっくりしどおしであるよ。
この本には、「ペルソナ」と、芥川賞を受賞した「犬婿入り」の初期2作が収められている。

「ペルソナ」は、ドイツに暮らす日本人女性の視線で、民族のアイデンティティ(陳腐な言い方ですみません)について書かれた小説。西洋人からみると、韓国もフィリピンも「東洋」でくくられてしまう。その中で「日本人」として、控えめに生きながら、しかし認められない、その葛藤みたいなもの。それが淡々とした文体で語られて、まるで昭和の文豪のよう。

一転、「犬婿入り」は、金井美恵子かと思わせるような、句点のないだらだらとした文章が続き、くらくらする。話の内容も、くらくらするもの。子どもが通うキタムラ塾。塾をしている北村みつこ先生は、子供らに「犬婿入り」の物語を聞かせる。お姫様のお尻の始末を嫌がった侍女が、犬に「お尻を舐めたら王子になれるのだよ」と騙して、お尻の始末をさせるという話。その結末はどうも曖昧。やがて塾に見知らぬ男がやってきて、みつこ先生のお尻を舐めてあげて、一緒に暮らすようになる。そのあとも、何が何やらという話の展開。くらくらっとしたまま。
いしいしんじ+金井美恵子+カフカといった感じ。
多彩な文体、多彩な筋書き。やっぱりすごい。巷では「難解」と言われているらしいけれど、気楽に楽しめばいいと思うよ。

【雪の練習生】多和田葉子(新潮2010年10月~12月号)

多和田葉子は、今まで読書の範疇になかった。たまたま読んだ雑誌「新潮」に載っていたので、ついでみたいな感じで読んだんだけど、これが驚き。一気にお気に入り登録だ。

ベルリンの動物園で有名になったホッキョクグマのクヌートって、覚えてますか? そのクヌートにつながる3代のクマの物語。
第1部はクヌートの祖母。いきなり「会議に出席して」などとなる。ドイツ語をあやつり、自伝を書く。第2部はその娘、つまりクヌートの母トスカの物語。そして第3部がいよいよクヌート。

実はこの第3部から読んだのだよ。で、結構面白かったし、書評とかを読んでも評判が良かったので、最初に戻る形で第1部、第2部と読んだのだ。いやもう、びっくり。というか、感動。

人間の思惑に振り回されるクヌートを描いた第3部。いきなり会議に出席し、自伝を書く祖母を描く第1部もシュールで、しかも有無をも言わさないがっちりした構成で、「クマが自伝を書く」という不思議世界が、なんとなく納得できてしまう。
書き手がクマから人間に変わる第2部は、圧巻だった。サーカスの猛獣使いとして、トスカを調教することになったウルズラ。いつの間にかトスカと心が通じ合うようになり、夢の中で会話までしてしまう。そして夢で話し合ったとおりに事は進んでいく。人間とクマとの心の交流、という陳腐な言葉以上のつながりに、頭がくらくらしてしまった。文体は時間を交差し、場所を交差し、ついには書き手そのものをも交差してしまう。ああ、まいった。

こんな話が書ける人を今まで知らずにいたとは、損した気分であるよ。しばらくは多和田探しが続くであろう。

四大陸選手権

浅田真央! もう感動してしまったよ。この子には今年(というか、去年の全日本から)感動させられっぱなしであるよ。エキシビジョンが見たかったなあ。
ほぼ完璧に見えたのに、2位かよ~。と思ったけど、ISUのスコアを見てみると、ルッツがロングエッジ(これは前からやなあ)、回転不足が2つ(回ってるように見えたよ~)、で、GOEもやや伸びず、だったのですね。さすがにジャッジはよく見ている。でも今年一番のできに見えたよ。3アクセルもきっちり飛んでたし。ああ、昨日のアクセルが決まってたらなあ~。

1位は安藤美姫。確かに安定してるんだけど、今日のフリーは全日本に比べて気合が入ってないように見えたなあ。それでも高得点が出るっていうのは、プログラムの勝利なんだろうけど。少し物足りない気分。あとのインタビューで、同じことを本人が感じているみたいだった。これで優勝してしまっていいのだろうか。昨日のショートはびっくりするくらいによかったから、余計にね。
あ、ショートといえば。浅田真央のショートは、滑りはとてもいいんだけれど、どうも音楽が合ってないような気がする。あのなめらかなスケートはタンゴには合わないよなあ。曲を代えたらええのに。

3位の長洲未来。わたくしの中では安藤美姫より上位に来ると思ったけどなあ。スケーティングがとてもきれい。「さゆり」は、あまり合ってるようには思えなかったんだけど(多分東京を意識した。あるいは本人が東洋系だから。でも滑りはシャープなんだなあ)、今日は違和感なかった。というか、気合が入っていて、それが空回りしていなくて、最後まで引き込まれて見てしまったよ。ああ、世界選手権に出てこないのが残念。


さて、ついでに(失礼!)男子。
高橋大輔、やりましたねえ。別次元という印象。完璧ではなかったのに完勝。東京では決めてくれるかなあ、4回転フリップ。
唯一4回転を決めた羽生結弦。最後はバテバテ。面白いもので、若ければスタミナがあるというわけではないのだね。しかしSPと合わせて2位に浮上。
小塚崇彦。惜しかったなあ。フリーでは2位やったのにねえ。でも、まだ世界選手権があるさ。
アボットのプログラムは好きなんだけどなあ。いい時と悪い時があるっていうのがね。


いろんなことがあって、世界選手権がとても楽しみになってきたよ。
ああ、エキシビジョンが見たかったなあ。と、なんども言う。浅田真央のエキシビジョンは、もう最高なんだから。

【流跡】朝吹真理子(新潮社)

芥川賞受賞で話題になった作家の、第1作品。受賞作「きことわ」に比べると、もっと感覚的で、したがってわけがわからない部分も多い。話の筋はあってないようなもの。「きことわ」もそうだったけど、もっと「ない」。物語の最後の部分で、文字を重ねていってこうなってしまった、というようなことが出てくるけれど、まさしくそのとおりと言いたいところも。

個人的には、「きことわ」よりもこちらの方が好み。わけがわからないという点で。現実的でないという点で。これがあって、「きことわ」があって、そして芥川賞、という流れがなんとなく分かったような気がした。そして多くの文学関係者が期待を寄せている理由も、なんとなく。

小説を読むときの楽しみ方に、物語の筋立てにハラハラドキドキしながら読むというのと、書かれてある言葉にひたって、その世界に入り込んでふわふわと小説世界の気分を味わうというのがあると思う。この小説は明らかに後者。そしてよく出来ている。ふわふわとしたムードを楽しめる。

ただ、感覚的で、詩的な作品だけに、ちょっと読むとただの散文かなと思うところも。あっという間に読める長さなんだけど、これがフワフワ感の限界のような気もする。今は長編を書いているらしいけど、どうなることやら。これがえんえん続くと、ちょっとしんどいかもなあ。

【アンジェラの灰】フランク・マコート(土屋政雄訳・新潮文庫)

フランク・マコートのピューリッツァー賞受賞作。65歳にして書いた自伝。子供の頃の物語である。
アイルランド移民としてニューヨークで生まれる。ジリ貧生活を送り、幼い妹は命を落とす。それをしおに、母親の故郷、アイルランドのリムリックに移住することに。しかし「北」出身の父親は周囲の偏見にさらされ、その上稼いだ金を全て飲み代に(その日のうちに)使い果たしてしまうダメ親。母親も、その親戚も、どうにも救いようがないような人たちばかり。住んでいるところは路地の奥。すぐ横には共同トイレ。日々の暮らしは食うや食わずどころではなく「食わず食わず」。

なんともはや。これほどひどい貧困を描いた(しかも自伝)作品は珍しい。その背後には、アイルランドへの愛国心(歪んだものも多いみたい)や、敬虔な(?)宗教心(もちろんカソリック)が色濃く出ている。

普通の小説なら、正しい行いをした者が成功することになるんだろうけれど、そうでもなく、ずるく立ちまわって犯罪スレスレ(というか、ほとんど犯罪そのもの)の行為をしなければ生き延びられない生活。実際多くの人が死んでいく。フランクの弟も妹も、どんどん死んでいく。フランクも目に病気を抱えて、いつも目やにをためている。父親は戦争需要でイギリスに行ったが、仕送りはほとんどない。
そしてフランクは、いろんなつてを使ってお金を貯め、アメリカへと旅立つ。というところで物語は終わり。

これ、今になって少年時代の話を、とも思うけれど、いや、今になったから、当事者のほとんどが(おそらく)いなくなったからこそ書ける話なんだろうなあ。
まあ、自伝にありがちな、小さなエピソードをつないでいくという形なんだけど、エピソードがありすぎてどうしたものか、というか、もうお腹いっぱいです、はい。続編? とんでもない。

直接話法が全くない文体。それぞれの訛りなどを訳出するのは大変だったろうけれど、その色合いの違いはある程度出ている。さすが土屋訳。

【1Q84-book3】村上春樹(新潮社)

はい、読み終わりました。
率直な感想。どうしてここまで書いてしまったかねえ。2巻で終わっときゃあええもんを。
(以下、ネタバレを恐れず書いてます)

まあ、いろんなことがすっきりしたとも言えるし、全くすっきりしなままに終わったとも言える。すっきりした、と考えれば、物足りなさが残るし、すっきりしないままじゃないか、と思えばこの3巻は要らない。
不思議世界への道案内は1,2巻で十分。案内される先がよく分からないというドキドキ感があったけど、この3巻にいたって、話はどうも男女間のつながりのようなものに集約されていって、興味半減。うむむむむ。

しょっちゅう出てくる本の引用や音楽の引用(そういえば、これが出た頃、ヤナーチェクのシンフォニエッタが話題になってたなあ)も、どういう必然性があるのか。架空の世界の物語に、リアリティを持たせようとしたのかなあ。でも、分かる人には分かるという書き方はどうなんでしょう。

3巻、全1500ページに及ぶ大長編。もっと短くてもよかったんちゃうの。エッセンスだけで成り立ちそうな小説やったし。いろいろごちゃごちゃありすぎて、感動する心もだんだん薄まっていってしまった感じ。やれやれ。

【1Q84-book1&2】村上春樹(新潮社)

言わずと知れた大ベストセラー。なかなか借りる機会がないままに1年以上が過ぎてしまったわけだけれど、大学図書館でたまたま3冊揃って棚に並んでいるのを見つけて、つい借りてきてしまった。book3まで借りてきたのだけれど、元々が2冊までの刊行だったわけだから、とりあえずここまでの感想を。

(ネタバレ覚悟で書きます。ご注意を。なお、先にひと言書いておくと、できることなら内容を先に知らずに読むほうが楽しめると思うので、まだ読んでなくてこれから読もうという方には、この先を読むのはおすすめしません)

もういろんなところで取りざたされつくしているし、すでに売れ行きも落ち着いている(はず)ので、今更何をどう感想を書くということもないのかもしれないけれど。ひとことで言うと、普通におもしろいです。「普通に」というのが、正直なところ。特別、今までに読んだことのない話ではないし。ありえない世界に知らない間に迷い込むと言う設定はプリーストの「双生児」を思い起こさせるし、自分の書いた本の中に入り込むというのは、「はてしない物語」や「ソフィーの世界」などとも共通する。宗教団体や虐待などの問題も含んでいるけれど、それらは物語の背景でしかないように感じられる。いろんなものを一緒くたにして煮込んだら、なんだかよく分からない世界の話になりました、とも読める。異なる2つの話が、二人の主人公のもとに進んでいくのも、すでにこの作家の作品にはある。違うのは、最後にこの二つの話に接点が、それもかなり明確な形で現れること。こうなるかあ、という結末。

ぼくはこの結末でもういいんじゃないかと思うけどなあ。結論を出さず、謎は謎のままで話を終わるのが、ある意味この作家のスタイルでもあるんだし。

できるだけ先入観がないように、あまり書評のたぐいも見ずに読んだ。それが正解だったかな。普通に楽しめた。なんども書くけど。で、青豆が登場する章は、結構ハードなんだけど、ハードさで勝負するんだったら、もっとハードな小説はいっぱいあるから、ハード好きな人には物足りないでしょう。天吾が主人公となる章は、やや軟弱。ある意味スリリングな展開なんだけど。ユーモラスなシーンもちらほら。こちらの方が僕好みなんだけど、同じ傾向なら「ガダラの豚」のほうが断然面白かったなあ。

で、せっかくなので3巻を読み始めています。

「R-1」は性に合わない

昨日のゴールデンに放送していました。R-1ぐらんぷり。すぐに書くと頭に血がのぼった状態になるので、一日寝かせて書いてるんだけれど、書き始めたらまた血が登ってきそう。

M-1グランプリは、いつも思ったとおりというか、そこそこ納得できる結果がでるんだけれど、どうにもこのR-1に関しては、いつも「???」で終わってしまうのである。
ぶたことふたりで見ていて、「???」と思った最初のツボは、ナオユキVSスリムクラブ真栄田。どう見てもナオユキのネタのほうが面白かったのになあ。この感覚はわたしらだけ?
一番面白かったのは、COWCOW山田與志の1本目かなあ。2本目で見事にすべってしまった感。1本目がおもしろすぎた。前回もそうやったなあとぶたこの弁。2本目がなあ。同じパターンなので、2回続けてはきついのかも。それでもAMEMIYAのように、1本目はそこそこでも2本目は「え?」と思わせてしまうのもあるから、やはりここは実力ということか。

それにしても。決勝に残った芸人でも、クスリともできないネタが多すぎる。M-1に比べて、レベルの低さは相変わらず。それはここので優勝しただいたひかるやほっしゃんや中山功太が、その後華々しい活躍をしているとは言いがたいところからもうかがえる。
佐久間一行、冠番組がもらえるらしいけど、大丈夫かなあ。

あ、それから、審査員で面白かったのはやはり板尾創路。「どこかの余興でやれ」というのは、的を射ている。そう、どの芸もどこか、内輪でウケてるという印象が強いのであった。なんだかなあ。

あああ、ナオユキがもっと見たかったなあ。いつか大物になりそうな気配。バッファロー吾郎さん、さようなら。

【イブラヒムおじさんとコーランの花たち】

かなり前に中古やさんで買ったDVD。ずっと見ずにいたのだ。オマー・シャリフ主演のフランス映画。フランス語なので、日本語吹き替えで見た。
パリの裏街ブルー通りで、父親と二人暮らしをしている16歳の少年モモと、通りに面した雑貨店店主イブラハムとの交流を描いている。なんとか大人になろうとするモモ。父親とはうまくいかず、しまいには父親はモモを置いて家を出る。イブラハムはトルコ生まれのイスラム信者。父に棄てられたモモを連れて、故郷のトルコに向かう。

前半部は、娼婦たちに可愛がられていくモモの姿。後半はロードムービー。狭い世界を映し出す前半部分。娼婦たちがたむろする通りは、どことなく下町風。なんとなく、懐かしさも醸し出している。

で、何が言いたかったのだろう。モモの心に、何が残ったのだろう。コーランの教え?
すべてをモモに託し終えたと感じるイブラハム。ふたりの交流は、ある距離感を保っているようにも思える。そこらあたりがハリウッドと違うところかなあ。意外と新鮮だったりする。
いい映画。でもとても感動する、というのでもない。うるさいのよりマシ。

【苦役列車】西村賢太(新潮2010年12月号)

こちらも話題の芥川賞受賞作。
「読んだ人が、自分より情けない奴も居るんだと思ってくれたらいい」と言うとおり、実に情けない男、寛多の話。
体はでかいが頭は弱く、それでいてプライドだけは高い。とことん悪い人間ではないのだけれど、胡散臭さとめんどくささが同居していて、絶対に友達に持ちたくないと思うような人間である。
よく居てるよなあ、「俺はだめなんだよ」と言いつつ、妙にプライドだけ高いやつ。ああいやだ。

友人がほとんどいない生活なのだが、日雇いの現場で、たまたま専門学校生と親しくなる。主にその関係が語られていくのだけれど、どこかで爆発するんじゃないか(どちらかが)とハラハラしながら(あるいは期待しながら)読んでいって、でも・・・というところが面白いなあ。実にリアリティがある。

で、文章はとてもゴツゴツしている。昭和一桁の文章じゃないのかと、初めの方は思ったぐらい。これは意図的なのか、あるいは勝手にそうなってしまうのか。ただ、そのゴツゴツ感が、リアリティを高めているともいえるなあ。「きことわ」とは、真逆な作品。

私小説を書き続けているという話。他のものも、読んでみたいかな。ちょっと、興味がある。

【きことわ】朝吹真理子(新潮2010年9月号)

読みましたよ。話題の芥川賞受賞作。
「永遠子は夢をみる。
 貴子は夢をみない」
という書き出しからして、何かを予感させる。
過去と現在を、主語を行き来する文体。
独特の世界であることは間違いない。ひょっとしたら、日本のヴァージニア・ウルフになりうるかもしれない。

という期待もありつつ、だが待てよ、という気もする。
なにか、モヤモヤっとしたものが残るのだなあ。それがいいという人もいるだろうけど。
話の筋らしい筋はあまりなく、二人の女性が主人公なんだけれど(たぶん)、ふたりの交流とか葛藤があるわけでもなく。でも背後になりかありそうな「気配」だけが漂っている。
嫌いじゃないけどね。でもときどき分かりにくい表現とかがあって、文体同様、行きつ戻りつしなければ読み進めない。
で、そういう読み方、あまりできないのだよ。だから途中でそういう読み方を諦めてしまって、流れのままに読んでいた。
だから「もやもやっとしたものが残った」のかもしれないなあ。

それと、ときどき古臭い(言い方が下品ですみません)表現とか言葉とかが出てくるのだね。作者にとっては「これしかない」表現なのかもしれないけれど、こちらに伝わるまでに2重3重のベールがかかっているようにも思える。ま、それがいいっていうところもあるんだろうけど。

だから、「いいなあ」と思えるのだけれど、「これからも気になる」かどうか、「もっと読みたい」と思うかどうかは、別なのだなあ。

ドラマ「あの海を忘れない」

今日のお昼に放送していたスペシャルドラマ。12歳年下のミュージシャンと結婚する約束をした、40台のブティック経営ウーマン。彼氏の母親に会い、めでたく結婚へ。となるはずが、突如母親の態度が豹変。彼女は若年性アルツハイマーを患っていたのだった。

病気ネタ(こんな言い方はよくないのか)の、お涙頂戴ドラマかと思ったが、余計な感情移入のない上質のドラマだった。無駄に「泣き」に入らない脚本がよかった。さらに主演の若村麻由美、恋人役の綾野剛、母親役の萬田久子が、それぞれ熱演。特に、ややつっぱりながら母親を支えていこうとして、プレッシャーに潰されそうになる息子役を演じた綾野剛が秀逸。ジョン・レノンの音楽も効果的。
こういうドラマを、もっとゴールデンタイムにできないものか。できないんだろうなあ。

【輝く断片】シオドア・スタージョン(大森望編・河出書房新社)

スタージョンって、前に何かを読んだ覚えがあるんだけど。忘れてしまった。ほとんど初めての気分。SFがメインらしんだけど、この作品集はSFにこだわらず、ミステリーなども収録されている。
ちょっとひねりの利いた「取り替え子」や「ミドリザルとの情事」はSF風。ほかはちょっと違う味わい。
表題作や「君微笑めば」、「ルウェリンの犯罪」などもおもしろかった。他人には理解してもらえない、ちょっと普通とは違う人達を扱ったこれらの作品こそ、スタージョンの真骨頂なのか。って、これだけしか読んでないのに偉そうには言えないけれど。

表題作は、とても怖いんだけれど、どこか物悲しい。「ルウェリンの犯罪」(悪いことをしたくてもできない男の話だ)もそうだけれど、他人に理解してもらえない哀しさが、全体を覆っているのだなあ。表現の仕方、物語の方向は突飛もないものなんだけど、テーマは純粋。そのアンバランスさがなんともいえない。大森望好み、とも言えるか。

遠近両用

新しくメガネを買った。先週の土曜日に、近所のメガネ屋さんで。そこでは、お年玉付き年賀状の番号によって、割引してくれる。末尾2桁なら1万円。これは大きい。末尾2桁ぐらいなら、何枚かは当たりがある。というわけで、ぶたことふたりで新しいメガネを作ったのだ。ぶたこは度が進んでいたし、ぼくは老眼が入ってきたので。
1週間たって、今日出来上がり。
店でうけとって、そのまま日常生活に。噂では、老眼鏡のかけ始めは足元注意、ということだったのだが、意外と違和感がない。まあ遠近両用で、今までどおりに見える範囲も広いからね。階段を特に気をつけるようにと、シルバーコーラスの方たちからアドバイスを頂いていたので、家の階段を注意してのぼりおり。確かに降りるときにちょっとした違和感がある。でもそれも最初のうちだけ。

さて。見え方なんだけど、これがもう嬉しくて踊りたくなるくらいによく見える。今まで小さな字を見ようと思ったら、メガネを外して裸眼で文字の方を近づけて・・・とやっていたのが、必要なくなるのはとても便利。
さて、これで仕事とかの能率は上がるのだろうか。楽しみ。

新潮 2011年1月号

小説雑誌は、そんなに売れている様子もないのに、いつまでも存在している。今後、電子書籍が普及していったら(それはまず間違いないだろう)どうなっていくのだろうという心配はある。ぼくが心配してもなにもならんのだけど。
毎月毎月、何冊も出版される小説雑誌。つまり、毎月毎月新しい文学が生まれているわけだ。これはあたりまえで、毎月のことじゃなく、毎日どこかで誰かが新しい文章を書いているのは間違いないのである。それがたまたままとめられて毎月出版されるだけのこと。毎日毎時間毎秒、世界は新しくなっているのだ。

小説雑誌を読む楽しみは、なにしろ「新しい」といことだろう。今生まれたばかり(それは読者の思いこみに過ぎないのだけれど)の文章が読める。ただ、ぼくのように図書館で借りてくるとなると話は別だけれど。ちょっと遅れて手にするからね(当月発行分は館内閲覧に限られている)。それでも東大阪の図書館は良心的な方だ。地方によっては、雑誌類は一切貸し出ししていないというところも多いからね。

さて。新潮2011年1月号を読もうと思ったのは、朝日新聞の書評で斎藤美奈子が「分かりにくさの最右翼」として円城塔の名前を上げており、この号の「これはペンです」がその象徴、という文章を読んだからで、その分かりにくさとはどんなことなんだろうかと興味を持ったのだ。

「叔父は文字である」なんていう書き出しからして、よく分からない。堂々巡りの論理展開。文章を書く者への揶揄らしき表現。いろんなものが混ざり合っている。確かに分かりにくい。でも面白い。とても面白いとは言えないけれど、ぼやっと面白い。ただ、書いているうちに「分かりにくさ」が持続しないような感じもする。どこまでもマイペースというのはかえって難しいのだなあ。

その他の感想。記憶にある中から。
村上龍。「前編」となっているが、後編を読む気にもならない。なんじゃこりゃ。2時間ドラマの台本以下。
坂本龍一と大竹伸朗の対談。面白かったな。坂本龍一は、実際にしゃべっているより文章になったもののほうが面白い。にやけてないから。
高橋源一郎。相変わらず。このパターンはもはや王道。どこまでも突き進んでいってくれ。
津村記久子。随筆かと思って読み始めたら、作品世界に引きこまれてしまった。この現実-非現実のゆらぎ。たまりませんなあ。
水村美苗(随筆)。「雪国」の英語翻訳について。そういえば「雪国」って、子どもが読むような話しではなかったな。それにしても、翻訳は難しい。
田中慎弥。まるでカフカ。
長野まゆみ。これも分かりにくい。題名の意味も分からん。分からんのは読み手が悪いのかなあと思ってしまう。
堀江敏幸と朝吹真理子の対談。ますます気になる朝吹真理子。受賞後の新聞に載った手記は、感覚的なものが強すぎてついていけないかもと思ったが、対談になると少しはまし。どこに行こうとしているのか、楽しみ。
中原昌也。くだらないだらだら書き(談話を構成したものだと。道理で)。しかし面白くてしかたなかったよ。こういうのが天才というのだろうなあ。

やりすぎ、スピルバーグ

録りためたテレビ番組を、ちょっとずつ消化する日々。お正月は面白そうな映画が地上波でも放送されるので、たくさん録画しておいた。なかなか見る機会がないのだけれど。映画となると、2時間はテレビの前に座り続けないといけない。その覚悟がね、なかなかできないのだな。たかだか2時間のことだし、録画したものを見るだけなのだから、途中停止もできるのだけれど。見逃したシーンなどは、繰り返してみることもできるねんし。

昨日はスピルバーグの「宇宙戦争」を見た。トム・クルーズ、ダコタ・ファニングが出演したやつ。
ある日突然、なんの前触れもなく異星人の攻撃を受ける地球。トム・クルーズ演ずるお父さんは、息子と娘を守ることができるか。

かつて作られた「宇宙戦争」のリメイク。話の大筋は昔どおり。昔のは、主人公はジャーナリストとその恋人、だったんじゃなかったか。今や守るのは、恋人じゃなくて家族。その他の登場人物は、ほとんど刺身のツマ程度。どんどん死んでいくし。そして主人公家族だけは皆助かって、めでたしめでたし。なんじゃそら。
昔のは、曲がりなりにも科学者が出てきて、異星人の弱点は何かを必死で探ろうとする。血液を採集して分析。ほとんど雑菌のない純粋な血液であることがわかる。しかし、それが彼らの弱点でもあった。というのは新作も同じオチ。

そこには進みすぎた文明への警鐘、あるいは純粋なるものへの疑問といったメッセージがあったのだろう。
娯楽作品としては、それで十分だった。
ところが、何故かスピルバーグはそれでは満足しないみたいだ。
人間のエゴとか、何が正義かとか、戯画的なものとかをふんだんに盛り込まないと気が済まないみたい。
これは、完璧主義とは、ちょっと違うとおもう。ただ、いろんなことをいっぺんに言いたいだけ、のように見える。
別に、親と対立する息子が、軍隊と行動を共にしたいと思うシーンを(そして、それを父親が止めようとするシーンを)入れなくてもなあ。その他にも、こんなエピソードがいるのかなあ、というシーンが続々。
あ、シーンといえば。ここでこうなったら怖いやろなあ、というシーンがそのままで、なんだかなあという気分。今まで観てきたスピルバーグ作品の絵コンテが、そのまま生かされているのではと思ってしまった。どのシーンも既視感があって、どうしたものかなあ。どうにもツギハギ感が最後までつきまとう映画なのでした。

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