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マーラー:交響曲第10番(アダージョ)

いつかは見るだろうと思ってとりあえず録画しているテレビ番組が、わんさかと残っていて(テープではなくハードディスクのなせる技。手間なく録画できる)、野球もない毎日で順繰りに消化して行っている。

NHK-BSプレミアムで放送された音楽会の幾つかは、見ごたえがありそうなものをとにかく録画している。今日なんとかそのいくつかを見てみた。

NHK交響楽団の演奏会は、指揮がアシュケナージ。これだけでちょっと興味が失せる。あまり好きな指揮者ではない。指揮の仕方も音楽も。プロコフィエフとシベリウスのプログラムだったが、プロコフィエフのピアノ協奏曲を弾いているピアニストが、どうも力み過ぎで、見続けるのが辛くなって途中でやめた。

今年の4月に開かれた、ルツェルン音楽祭でのマーラーを聴いた。これは東日本大震災への追悼の意を込めて、演奏会とは別にオープンリハーサルで演奏されたそうだ。

僕はマーラーファンだが、第10番は聴いたことがなかった。文字どおりのマーラーの遺作。完全な形で曲が残せたのは1楽章だけで、ほかはピアノスケッチ程度までしかできなかった。ということぐらいは知っている。演奏される機会も極端に少ないだろう。
僕はマーラーファン、と書いたけれど、すべてがオーケーというわけでもない。第5番は何度も聴いてるんだけど、途中で嫌になる時が多い。長いからね。第4番もほとんど聴いてない。地味だから、という理由ではないと思うくらいに、よく分からない。聴く機会がないのだ。
一番好きなのは9番。いつ聞いても「生きててよかった」と思うのだ。まあもちろん、演奏にもよるんだけど。

さて第10番。どうにも大好きな「第9番」と比べて聴いてしまって、いかんかったなあ。もっとホルンが、とか思ってしまったし、このテーマはどうなんだ、なんて考えたりして。
一緒に聴いていた(見ていた)ぶたこは、「まるで天国の音楽」と言っていた。あの世から、時々地上を見たりしているような、そんな音楽なのかなと。そう思うと、これを震災の鎮魂として演奏することにした指揮者のアバドの気持ちがわかる、と。
なるほど。マーラーファンよりもよく理解している。
僕はずっと、曲としての良し悪しを計りながら聴いていたのだった。そんな気持ちで聴いていて楽しいわけもないし、曲に入り込めるわけもない。確かにどこか天国的であった。
だが、第9番だって天国的なのだよ。よく「死の世界」と例えられるけれど、僕には天国だと思える。
第10番はかぎりなくその「天国」に近い。第9番に近い。第1楽章にアダージョを置いたところからも、この先も同じような展開を目論んでいたのかもなあと、思ってしまう。(後世の人が、ピアノスケッチから書き起こしたオーケストラ版もある。どんな音なんだろう)

それにしても、ルツェルンのオーケストラはなんてうまいんだろう。そしてなんて積極的なんだろう。アバドの指揮もとても素敵だ。無駄がない。力みもない。ともすればそこに指揮者がいることすら意識しなくなってしまうくらいに、音楽そのものになっている気がする(ほめすぎ?)。
今日は本編の音楽会のところまで聞けなかった(モーツァルトのハフナーまで。これもとてもいい)。ブルックナーだと。楽しみにとっておこう。
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フィギュアGPシリーズ

すでにファイナル進出組が決まってしまった。あっという間だなあ。何も書かない間に、どんどん競技は進んでいくのである。

テレビ中継は,NHK杯を除いてテレビ朝日系が独占放送。当然と言うか、人気のあまり高くないペアとアイスダンスはほとんど放送せず(日にちをおいてからBSで放送するらしい。ライブこそスポーツの醍醐味だと思うのだが)。男女シングルにしても、日本人選手が中心で、上位に食い込んでも放送されない選手もちらほら。幸い、BS朝日ではなんとか全員の演技は見れる。でも、他のものも見たいのだがなあ。特にエキシビジョンなんかね。

さて、今季のわたくしの一押しは、なんといっても浅田真央である。NHK杯のフリーで見せた演技。音楽と一体となったスケートは、いろんな番組で何度も流れたけれど、そのたんびに胸にぐっとくるものがあったよ。同じくNHK杯で優勝した鈴木明子もすばらしい。この二人には大いに期待したいところ。

男子は、思いがけず(と言ったら失礼なのか)羽生結弦がファイナル進出。4回転の安定度で言えば、日本人選手の中でも一番かもしれない。さらに表現力では、ひょっとしたらすでに小塚崇彦を上回っているかも。とにかく「魅せる」演技が出来る選手であることは間違いない。ポスト高橋は、織田でも小塚でもなく、羽生結弦かもしれない。衣装をウィアーにデザインしてもらうなど、他の選手受けがよさそうだ。ロシア杯の結果を見ると、どうやらスケート界から愛されるキャラを持っているらしい。それも才能の一つだと思う。案外、ファイナルでは驚きの結果があるかもしれないな。

さて。
グランプリシリーズをずっと見ていると、今季はどうやらジャンプよりも演技構成点がものをいうらしい、と思えてきた。男子は4回転ジャンプで失敗しても、他で取り戻せる、とみんな思っている。女子も少しの失敗ぐらいは・・・という雰囲気があるなあ。

いっときの(バンクーバー五輪前の)異常とも思える熱狂がちょっとおさまって、じっくりと演技を楽しもうという雰囲気になっているような気もする。マスコミもトリプルアクセルがどうたら4回転がどうたらと、口うるさく言うのがなくなってきた。音楽との一体感とか、うっとりする演技を求めているわたくしとしては、とても気持ちのいいことである。

そして、日本人コーチが増えてきていることも、うれしい。ぼちぼちモロゾフコーチの演出には飽きてきたところだったし。彼の指導する選手は、どうにも同じような構成で、「点を稼ぎに来てるな」というのが見えて、時々やりきれない。まあ一つのスタイルとして確立した、ということではエライと思うけど。正直、飽きてきました。スポーツで「飽きる」なんて、どうかと思うけどね。

まずはこういう無駄から

今日の投票済証。左が東大阪市、右が大阪市(市長と府知事)のもの。



大阪市はお金が余っているのか。こんな綺麗なものを作る必要はない、と思う。東大阪市ていどの、コピーでいいと思う。特別、なにかの役に立つものでもないのだし。これが100万枚単位で印刷されたと計算すると....怖くなるのでしないけど。

ダブル選挙

日付が変わって、ようやく現実を受け止める余裕が出てきた。選挙期間中はぶたこに「両方とも維新の会が勝ったら、引越しでも考えよかなあ」と言っていた。半分本気だった。

敵対する意見には、口を極めて批判する。相手の立場に立った物言いができない。物言いだけではなく、そういう考え方ができないのだろう。そういう人は信用できない。こちらの立場にたってくれる気がしない。僕の橋下氏の印象は昔からあまり変わらない。

それでも時々は同意することもある。あるじゃないか、あったじゃないかとぶたこに言われて、徐々に気持ちも落ち着いてきたところだ。

仕事上でも生活上でも、気の合わない人というのは居る。そりが合わない、人間が合わない。そういう人とは付き合いたくないが、特に仕事上では付き合わざるを得ない時もある。できるだけ仕事場では顔を合わさないようにしようと思うくらいだ(顔をあわせても挨拶をしないことも多い。だいたい僕は仕事場で仲がいい人、挨拶を交わす人は少ない)。
ところが、気が合わない人でも、あるいは多くの人に嫌われている人でも、仕事はできる、あるいは信頼される人(仕事が出来れば信頼も大きいだろう)というのが居る。時々だけど。

橋下氏は、実に気に入らない性格の人物だが(男尊女卑だし、体力優先だし、好戦的だし、自己中心的だし、と言い出したらきりがない)、時々仕事は出来るのだろうなあと思う時がある。

今書いているのは、書きながら気分を落ち着かせているのである。

特に教育問題について、僕の中での危機感は小さくならない。これからどうなるのだろう。正直、怖い。

そんな風に気持ちがあっちこっちに行っていて、どうにもならない。

ソフトバンク3-0中日(11月20日・ヤフードーム)

元気にしてます。誰も気にしてないだろうけど。タイガースの日程が全て終わって、やれやれという気分で、あとは高みの見物。それにしても、冬場にかけて、マラソンやフィギュアスケートやと、野球以外のスポーツが始まっているのに、まだ日本シリーズというこの日程。ほんまに選手の皆さんは大変ですなあ。

チラチラと横目でみていた日本シリーズ。共にリーグ最強の投手陣・防御率を誇るだけに、毎試合僅差の好ゲーム。どっちかのファンやったら、今頃胃を壊していたことでしょう。ファンの皆さん、お疲れ様です。

ずっと真剣に見ていたわけじゃないから、偉そうには言えないけれど、7戦まで縺れ込んで、毎試合見ごたえがあったのではないですかな(繰り返すけど、ずっとは見てないからね)。

最終戦で、勝ったほうが日本一、という段になって、ようやく最初から最後まで見ました。オリンピックの競技だけを見て喜んでいる軽薄なファンと同等。恥ずかしいけど、これも根っこがタイガースファンだからということで許してもらって。

シリーズを通じてところどころ見た感じでは、ホークスに流れが傾いたのは(今日のMVPインタビューで小久保も言うてたけど)、第4戦の、無死満塁での森福のピッチングでしょうなあ。あの試合、あそこだけしっかり見てたんだけど(すみません)、シビレルようなピッチングでした。野球の神様がソフトバンクの応援をしたかな、と思ったくらい。いやいや、神頼みではなく、もちろん森福の実力でしょうけど。

口下手で地味な印象の秋山監督が、優勝が決まってマウンドに向かう途中、選手一人一人と挨拶を交わすうちに、だんだん顔がくしゃくしゃになっていくさまが可愛かったよ。心のそこからの喜び、感動。やっぱり野球はいい。

読書:11月始め

11月もあっという間に3分の1が過ぎて、今日(もう昨日だけれど)は11月11日という「1並び」がちょっとだけ話題になっていた。

さて、ここまでの感想文をまとめて。

【・・・絶句】新井素子(早川書房)
新装版ということで、昔々に出ていたものに、追加の短編(上・下に2編)と新しいあとがき(上・下にそれぞれ)を加えたもの。
作家志望の「新井素子」の書いていたキャラクターが実体化し、大騒動に。実体化したキャラ達は、新井素子の思想を引き継いで、なぜか「猫革命」を思い立ち・・・という、はちゃめちゃな展開。
ファンには嬉しいのだろうが、「チグリスとユーフラテス」のような完成度は望めない。新しく書かれた短編も、今の心情ということなんだろうけど。

【海と川の匂い】伊佐山ひろ子(リトルモア)
昔ロマンポルノ女優にこういう名前の人がいたかなあと思ったら、その人そのものであった。才能があるのだね。実体験を元にした(と思われる)映画撮影の話など、一見醒めた目線で書かれた物語が、どこかくすぐられるものがある。それは、よくある暴露ものとは違っている。もっと、当人しか感じられないもの。文章はうまい。

【カタコトのうわごと】多和田葉子(青土社)
ここだけの話だけど、日本人でノーベル文学賞に一番近いのは実は多和田葉子ではないのかと、密かに思っている。言葉の持つ力、そこから広がる世界を、とことんまで追求しようとする姿勢は、ついつい引きこまれてしまう。さらに、既存の価値観から距離を置いているのがいい。エールを送りたくなる。
いろんな所に書いてきたらしいエッセイを集めたもので(時々創作も入る)、やや統一感がないようにも思える。前半はドイツに暮らし始めた経過や、「犬婿入り」の創作の話など。後半は何故か書評めいたことになっていくのだが(そういうところに書いていたものを集めたらしい)、さすがに普通とは視点が違っていて、楽しい。

【名もなき孤児たちの墓】中原昌也(新潮社)
多和田葉子は自分が書く意味、書く言葉について「何もそこまで」と思えるくらいに考える人らしいが、中原昌也は「自分のようなものが文章を書いてもいいのだろうか」とすら思っているらしい。謙遜をとおりこしてめんどくさくなってくるぐらいだ。小説を読んでいるはずなのに、「こんな小説を書いている自分はつまらない人間だ」という表現が随所に出てきて困ってしまう。装丁も本人によるものだが、暗すぎて気が滅入る。まさに「自分が生きているのは無駄」という人間。それでも書いたものには命が宿る。こんな人間も居るのだ。認めてあげよう。なぜか応援しだしている。

【さらば雑司ケ谷】樋口毅宏(新潮社)
「民宿雪国」が結構面白かったので、デビュー作を読んでみたのだ。いわゆる「バイオレンスもの」なんだけど、そしてこれは一応ハッピーエンドと呼べるのかもしれないが、読み終わっての感想は、どこかで読んだ話の継ぎ接ぎのような印象だ。主人公が、雑司ケ谷を牛耳っている100歳の婆さんの孫、という特権を持っているところから、もう興味が半分なくなってしまった。最後は力か。権力を盾に取るもの、差別主義者、欺瞞に満ちた者たちはことごとく悲惨な最期を遂げるのだが、スッキリとした気分にはまったくならない。どの登場人物も暗い面、というか、ほぼ悪人(あるいは卑怯者)ぞろいで、救いようがない。ついでにと思って同じ作者の「日本のセックス」も読み始めたが、さらに最悪。奇をてらう、という表現がぴったりくるかも。巻末に必ず載っている「参考文献その他」を見ても、どうやら色んな鎧を着つつ書いている印象がある。それを剥がす時がくるのだろうか。

【はじめまして、本棚荘】紺野キリフキ(メディアファクトリー)
いま個人的に一押しの作者。家賃替わりに本を、という「本棚荘」が舞台だが、主人公は「とげ抜き」が得意な学生。「とげ抜き」を職業にしている姉が海外に行く間、留守番として本棚荘に住むことに。そこには猫遣いやひきこもりの女学生、女学生が拾った「捨てサラリーマン」などが。
会話文が多いから、とても演劇的、とも言えるし、言葉だけでは想像がつかないことも多いから(「とげ」が何のことか、最後まで想像するしかない)文学的とも言える。そのバランスの悪さがとても気持ちいい。
今出版されている本は3冊。全部読んでしまった。次はどんな物語を作ってくれるのだろう。

冬の節電

日本の電力会社各社は、冬場の節電に協力を促しているらしい。10%ぐらいは節電しないと、ということらしい。夏場は電力のピークとなるのが昼間の時間帯に限られていたが、冬になると1日中平均して電力を使うので、夏場よりも電力需要は厳しくなる、という説明をどこかで誰かがしていた。

これはおかしい。

夏場の節電要請の時に、電力のピークを超えるとどういうことが起きるのか、ネットなどで調べてみた。どうやら供給量を上回ると、電圧の低下が起きるらしい。実際に起ったことがないのでわからないが、小学校の理科の実験で、直列につないだ電球が、個数が増えると明るさが減ってくる、その現象を思い出した。イメージとしては大きく外れていないと思う。

で、日本の供給されている電力だが、これは「一どきに作って、順番に供給する」ということはできないはずだ。そうしようと思えば巨大な充電池が必要となり、それは電力を作り出すよりもコストが掛かる。今作っている電気を、そのまま使ってもらう、という方法しかしていないはず。

ということは、「1日中平均して」使用していれば、1日の電力使用量がいくら膨大になっても、一気に使わない限り電力不足が起きることはないはず。1日の電力使用料で電力不足が起きるわけではないはずだから。

なのに「節電」を呼びかけるのは、「今の発電施設では足りないんです」ということを大きくアピールしたいだけなんだろう。足りないから原子力発電が必要なんです。電力が足りなかったら、不便でしょう? 困るでしょう? ということをアピールしたいだけ。

そう捉えてはおかしいのだろうか。

わが家はこの冬に限らず、節電には前向きだ。それは単に「もったいない」からで、電力不足による経済効果なんて、どっちでもいい。わが家の家計が第一なのだ。

読書:10月後半

感想文なんて、内容を覚えているうちに書かないと意味がない。そう思ってボチボチ書いていたが、書かないうちに時間がたってしまうこともある。そこで言い訳を考えた。
時間が経って内容を覚えていない本は、そもそも大した内容ではなかったのだ。
と思うことにした。内容が知りたい方、ウェブで検索してください。

【ねじの回転/デイジー・ミラー】ヘンリー・ジェイムズ(行方昭夫訳・岩波文庫)
アメリカ文学の古典。「デイジー・ミラー」は、どうやら虚言癖がありそうな女の子の話。男遍歴とかで誤解を受けたまま死に至る。しかし本当は純愛を貫いたのではないか。というのは書き手の勝手な想像かもしれない。
書き手の勝手な想像かもしれない、ということは「ねじの回転」にも言える。ある家の二人のこども(兄妹)の家庭教師をしていた女性の語り。その二人には、かつての執事と女中の幽霊がつきまとっていた。家庭教師はなんとかその亡霊から兄妹を守ろうとする。だが、読みようによっては、これはその家庭教師の勝手な思い込みともとれる。実は妄想ではないのか。実は・・・・・いろいろ考えると、読み終わってからのほうが怖い。

【民宿雪国】樋口毅宏(祥伝社)
題名からすると、古典文学の焼き直し(中島京子のような)かと思ったが、過去作品とは全く関係のない、ドロドロとした犯罪小説(この言い方は間違っているかもしれない)であった。
第1章の話の展開で、なんじゃこのハチャメチャさは、と呆れてしまうが、読み進めるうちに、二重三重に入り組んだ人間の性、業のようなものに、くらくらする。なんちゅう作品。でも興味ある人、読んでみなはれ。

【切れた鎖】田中慎弥(新潮文庫)
はい。よく覚えていません。なんだか風変わりな作品集、というイメージしか残っていない。「蛹」は、前に単独で読んだ。蛹がセミになる話、かな。それが蛹の視点と言うところが変わってる。変わってる話を読みたいときは(ちょっと頭がおかしくなりたいときは、かな)ちょうどいいかも。

【走ル】羽田圭介(河出文庫)
倉庫に眠っていた、ロード用自転車(正確には、なんというのだったか。忘れた)をたまたま見つけた高校生の主人公。学校に乗って行ったその放課後、遠乗りがしたくなって走っているうちに、東京→新潟→秋田→青森(たぶん)と、何日も乗り続けることになる。
いわゆる「ロード小説」かというと、そうでもない。行く先々での人との出会い、は、ほとんどない。連絡をとるのは携帯電話で、彼女かあるいはクラブの仲間。周りの風景の描写もそれほど多くなく(だからどこを走っているのだか、その爽快感がつたわらない)、語られるのは今の自転車の状態、あるいは自身の体の状態。心情もほとんど語られない。
そして、走り始めたのが唐突なだけに、結末も唐突。もともと何かの目標があったわけではないから、成し遂げた!という感動もない。
なのに、読み終わったときに感じる清々しさはなんなのだろう。これを読んで、自転車を買いに行く、ということはありえないけれど。

【六号病棟・退屈な話】チェーホフ(松下裕訳・岩波文庫)
チェーホフはあまり読まない。読む機会がない。昔「桜の園」を読んで、よく分からなかった。だから「よく分からない作家」というイメージがついてしまっているのだ。
だが、この短編集は面白い。戯曲よりも表現が率直で分かりやすい。そして悲哀もユーモアもある。それもそこはかとなく。

【四十九日のレシピ】伊吹有喜(ポプラ社)
NHKのテレビドラマは面白かったな。ほぼそのとおりの展開。というか、こちらが原作ですからね。ただ、映像になっていない分、想像力が働くので、逆に世界が広がる気がする。ついつい映像を思いだしてしまうのだけれど、文字には映像を超えるものがあると思わせてくれた。
やや取ってつけたような印象がある場面が多いが、小説世界はなんでもありなのだから、許される。ようは面白いか面白くないかで、これは確実に面白い。

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