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2月後半の読書

どうも進まないのである。体調を崩していたこともあるけどね。ぶたこがインフル。つづいてインフルにはならなかったけど、喉の風邪。1週間経ってようやく治まってきた感じ。体調が悪いと、気持ちも萎える。何もする気が起こらなくなるのだね。少しずつ、普通のペースに戻ってきています。


【スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン】カーマイン・ガロ(井口耕二訳・外村仁解説・日経BP社)
僕はいわゆる「ハウ・ツー本」には興味がないのだけれど、スティーブ・ジョブズのことになるとちょっと気になる。
まあ、どういう準備をすれば、どういう訓練をすれば、ジョブズのようにプレゼンが出来るようになるか、という本なんだけど。
「努力しなさい」ということに尽きるみたいで。そりゃあね、どんなことでもすぐに出来ることはない、というのは分かってますけどね。ふぅ。

【海路】藤岡陽子(光文社)
やや中年にさしかかったベテラン看護師と、老院長先生との心の交流。というと、「センセイの鞄」みたいなものかと思ってしまうけれど、そこまで引き付けあうものはない。もっと淡いもの。そして作者の経験もあるのか、ちょっとリアル。でもまあ、人によっては、「それがどうした」という話といえなくもない。

【48億の妄想/マグロマル-筒井康隆全集第2巻】筒井康隆(新潮社)
筒井康隆、引き続き挑戦中。何に? 全集に。
長編「48億の妄想」は、テレビ社会が日常生活にまで入りこんで、あらゆることは「アイ」と呼ばれるカメラで中継される、という未来社会を描いている。得意のパロディものとも言えるけれど、ここに書いてあること、現代ではちょっと実行されているのでは。そして多くの人がネットに繋がる社会では、ある程度「演技」をしながら生きているのでは、という気になる。過去のSFって、そういう「現代での検証」ができて、面白い。

【なぞの娘キャロライン/800番への旅】カニグズバーグ(小島希里訳・岩波書店)
カニグズバーグも順調に制覇中。
「なぞの娘キャロライン」
幼い頃誘拐されて行方不明になっていた娘が、相続権がなくなる直前に帰ってくる。この娘は本物か? そして、過保護ともいえる状態で育てられた弟妹は、キャロラインとの暮らしの中でどう変わっていくのか。
「800番への旅」
お母さんが再婚相手と旅行にいくことに。僕は元父としばらく一緒に暮らすことに。元父は、ラクダに子供を乗せる商売をしながら旅をする人だった。初めは自然体の父親についていけない(ラクダにも)と思っていた僕だったが。「800番」というのは、アメリカのフリーダイヤルの番号らしい。この題名の意味は、最後のほうでようやく分かる。
どちらも「誰かのふりをする」ということが大きなテーマになっている。筒井康隆じゃないけれど、演技をしながら生きるのが実は普通な世の中になっているのかも。それって、どうなんでしょう。児童文学でその問題提起をしているカニグズバーグは、さすが。そして答えは、ないのだね。
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【シェリ】コレット(工藤庸子訳・岩波文庫)

Eテレでたまたま(フランス語講座だろうか)コレットの紹介をしていて、勲章を受けたり国民葬をされたりした大作家だったと持ち上げていたので、じゃあどんな作品を? と思って読んだのだよ。
コレットというと「青い麦」ぐらいしか知らなかったのだけれど、代表作はこの「シェリ」らしい。「青い麦」もどんな話か知らないんだけれど。

若く美しい青年シェリと、老練な娼婦レアとの恋愛物語。歳の差25歳。シェリの母親とレアとは旧知の仲(と言うより仇敵)。レアはシェリの「愛人」なんだけど、ほとんど母親のよう。シェリの結婚を後押ししたりする。しかし一方でやはり「男」としてのシェリも忘れられず...という物語。

いかにも(というとたくさん読んでいるみたいに聞こえるけれど、本当はフランス文学は大して読んでいないのだ)フランスもの、という匂いがたっぷりの文章。レアのモノローグなんか、画面が浮かんできそう。もちろんフランス映画であるよ。
とはいえ。フランス人の恋愛感覚というのはなかなか理解しがたい。以前「ゴリオ爺さん」を読んだ時、結婚してからが恋愛の始まり(夫との、ではない)という当時の「常識」に驚き、そうなると「ゴリオ爺さん」の悲劇の謎(それは日本人としての感覚でいう謎なんだけど)が分かる。
この小説にしても、いきなり娼婦レアの部屋でくつろぐシェリの姿から始まるのだ。何の説明もなく。
そして一見だらだらと続くシェリとレアのやりとり。レアとシェリの母親とのやりとり。そこにそこはかとなく浮かび上がる、なんとも形容しがたい香り。
この香りをかぐことができるかどうかが、この小説を楽しめるかどうかの分かれ目なのかな。最後の方まで読んでようやくそう思えた。
続編もあるのだと。シェリの最後。ううむ。

フィギュアスケートに求めるもの

今回の四大陸フィギュアの結果については、文句のつけようがないね。
男子シングルのパトリック・チャンについては、今までジャッジがちょっと甘いんじゃないかとか思うこともあったけど、あれだけ完璧な4回転を見せられたら、もうどうぞ何でも持って行ってちょうだいとしか言えませんな。
女子シングルのアシュレイ・ワグナーもしかり。フリー終盤の何でもないステップで拍手が沸き起こるさまは(当然、わたくしも見ていて思わず拍手したくなったけど)、高橋大輔へのファンの熱狂を思わせるものがあったよ。

日本勢は、全般に勢いが足りない気がしたなあ。高地での開催ということで、体力面でセーブしたのかなあ。高橋大輔も浅田真央も、いつもの勢いがねえ。ミスがどうこうというよりもね。硬くなっているというよりも、慎重にいきすぎた感じ。ちょっと残念かな。でもこれも経験ということでしょう。

なにより、各マスコミも取り上げてるけど、浅田真央がトリプルアクセルに果敢に挑んでいったっていうのがよかったな。きちんとした目標を持ってやってるねんなあ。今回は厳しいジャッジやったけど、「跳べる」と分かっただけでもよかったのでは。高橋選手も、4回転に挑む姿勢を崩していないのは立派。

ところが。昨日の「ひるおび!」でなかにし礼が、
「難しい技に挑戦して点数を落とすより、確実に技を決めて優勝を狙ってほしい」
と言っていたのだ。
確かに、競技なのだから「勝つ」ことも大事なんだろうけど。ただ「勝つ」だけでいいんだろうかと思うなあ。堅実に堅実に、確実にできる範囲のことだけをやって勝利したとして、それにどれだけの価値があるんだろう。

考えてみればフィギュア・スケートは孤独な競技だ。直接誰かと戦うわけじゃない。銀盤で演技をするのはただひとり(ペアとダンスは二人だけど)。直接相手を打ち負かすということはできない。できることは自分自身をただひたすら高めることだけ。それがどれくらいの高みにあるのか、自分では判断がつかないことだってあるんじゃないかなあ。そんな競技を戦うって、きっとつらいことだろう。だって「これ以上ない!」がないんだから。

もちろん、「相手に負けたくない」という気持ちもあるだろうけど、それを実現するには、相手をやっつけることじゃなくて、相手より自分を高めるしかない。結局は「自分」に戻ってきてしまうのだね。これは大変だ。
そんな競技を毎日トレーニングしているなんて、尊敬してしまうよ。

まあ最終的には表彰台の真ん中、世界の頂点というのが目標なんだろうけど、そのためにすることは「どうすれば相手に勝つか」よりも「どうすれば今より優れた自分になるか」なんだろう。それが本番で出てくるから、見てる僕らは感動するんだろう。自分を磨く人って、感動させられるよ。

そりゃあ2位より1位のほうがいい。応援する方だって嬉しい。でもね。勝ち負けだけじゃないんですよ。結果、惜しくも頂点に届きませんでした、でもいいから、限界ギリギリまで頑張りました、という姿がみたいんですよね。

次は世界選手権。そういう演技に期待しよう。もちろん、メダルを取ってくれたら嬉しいけど。今年のプログラム、浅田選手のも高橋選手のも大好きだし。

【いつまでも白い羽根】藤岡陽子(光文社)

ぶたこのインフルエンザにつづいて、僕も体調を崩してしまった。土曜日の朝からのどが痛い、熱っぽい状態が続いた。日曜日になっても熱が下がらないので、休日診療所に行って診察してもらった。インフルエンザの検査をしたが結果は陰性。喉の腫れはひどいらしく、喉の薬と抗生物質をもらって、一日安静に。お陰で少しずつ体調も回復。インフルエンザ流行! とならずによかった。

作者藤岡陽子は、看護師としての経験からこの小説を書いたのだろう。これがデビュー作らしいが、これだけの分量、これだけの内容を書くとは、それまでの蓄積の多さを思わせる。
主人公の木崎留美は、家庭の事情で大学受験を諦めて、看護専門学校に入学する。そこには看護師を目指す様々な人達がいて、また医療現場の矛盾も含んでいるのだった。

初めの方だけを読むと、よくある学園もの、学生同士の友情モノか、学校対学生のようなものかと思わせるが、読み進んでいくうちに、それだけでは済まない話がドンドンと出てくる。
そこがこの話の面白いところでもあり、弱点にもなっているような気がする。
あまりにもいろんなことをいっぺんに書こうとして、分量が多くなりすぎているような気がするのだ。このうちの何章かだけで、十分長編小説になりそうな素材がいくつもあった。それは死を見つめる患者と研修学生との交流であったり、医者に対する復讐心から看護師を目指す学生であったり、子どもを持つ主婦でありながら自分の居場所を確かめたくて、というより離婚した後のことを考えて資格ほしさに学生になった専業主婦であったり。
手術見学のシーンは、迫力満点で、これはこの人にしかかけないのかなと思わせる。それだけにいろんなものを詰め込み過ぎた内容には、ちょっと残念な気持ちも。

【光の帝国-常野物語】恩田陸(集英社文庫)

インフルエンザ流行の実感がないなあと書いたら、なんとぶたこがA型に罹ってしまった。油断大敵。寒さもぶり返すみたいだし、気を付けないと。

「常野物語」シリーズの第一作なのかな。連作短編集。不思議な力を持つ「常野」一族の様々なエピソード。
「蒲公英草紙」や「エンド・ゲーム」の発端となる作品集といっていいのだろう。あとがきで「長編にしても良かった」と書いているが、そのとおりに見事な長編に結実したのだな。そのエッセンスというか、元のたねのようなものが読めて、恩田ファンとしてはうれしいのであるよ。

どこかで「短編は苦手」というようなことを書いていたと思うけれど、どうしてどうして、流石と思わせる語り口で楽しく読めます。いつか直木賞、という期待は大きい。個人的に。

【池袋ウェストゲートパーク】石田衣良(文春文庫)

インフルエンザ、流行ってるみたいですね。うちは子どもがいないから、学校とかで猛威を振るっているとかいう状態がわからないのですが。時々仕事を休んでいる人がいる、という程度で。今日はすごく暖かかったけど、明日からまた寒くなるらしいから、気を付けないとね。

石田衣良のデビュー作。通称「IWGP」と呼ばれるシリーズの第一作でもある。らしい。詳しく知ったのは今回はじめてなのだよ。
池袋の西口公園でたむろする若者たちの周りで起こる事件の数々。それを解決する主人公、という構図。
とても人気があるらしいんだけれど。

こういう話は少々苦手。つまりは、「リーダー的存在のアウトロー」が活躍するという、構図としてはとても古臭いものだ。
語り口というか、文章はとてもスピーディーで、そこに新しさは少し感じるけれど。特別なもの、という気はしなかったなあ。

そして。アウトローとなった若者には、なぜそうなったかの理由付けは全くないに等しい。まあ、説明臭すぎる話もどうかと思うけれど、ここに出てくる若者たちは、みんな何故か暗さがない。背負ってるものがないみたいに見える。なぜ? そういうものを必要としないか、作者がそういうものに興味がないのか。
まあ、実際の人生では、なにもかにも理由づけがあるわけじゃないけどね。
それでも「実は」という気持ちが作者にあれば、どこかにその匂いのようなものが出てくると思うんだけど。それがないのが、ちょっと物足りないかなあ。

続きを読みたくなるかどうかは、わかりません。

【ザ・万遊記】万城目学(集英社)

万城目学のエッセイ。多くは、スポーツ観戦などの話。間に挟まるのはなんと「建もの探訪」そう、渡辺篤史の話である。といっても、渡辺篤史と直接話をするわけではなく、あくまでも「建もの探訪」の中の渡辺篤史を論じているのである。これが傑作だ。まあ、イラストもいいわけだけど。
ところで、万城目学は俳優としての渡辺篤史を知らないそうだ。そうか、と思って経歴を見てみると1976年生まれとなっている。そんなに若いんだあ。おじさんはジェネレーションギャップを感じしてしまったよ。

その他のエッセイでは、「二月十三日のさすが大阪」には抱腹絶倒してしまった。そう、さすが大阪なのだよ。ちなみに津村記久子も、大好きな作家のひとりです。

【朝日のようにさわやかに】恩田陸(新潮社)

今日の大阪は寒かった。昼間に雪も降ったしね。等と呑気なことを言ってられないくらい、大雪で大変なところだらけ。お見舞い申し上げます。明日は節分。ということはあさってはもう立春だよ。この寒さでは信じられないけどね。でも春はいつかはやってくるのだ。

恩田陸の短篇集。本人もあとがきで書いているけれど、短編となるといろんなことが削ぎ落とされて、エッセンスだけのようになる。もちろん恩田陸はエッセンスだけでも面白いんだけれど、何編かを読んでいくうちに、これ、長編になりそうやなあとか、これとこれをつなげてひとつの話になりそうやなあ、などという想像も働くのである。
そして、こうやって短い話を何話も続けて読んでも、決して飽きが来ないという、その魅力にも驚かされる。いろんな顔を持っているのだなあ。なかでは、前にも読んだけど「あなたと夜と音楽と」が一番好きかな。

オペラ「道化師」

ミラノスカラ座のオペラを、何夜か連続でBSで放送していたのを、ようやく見始めたところ。
オペラは、見るのに時間がかかるので(3時間ぐらいすぐにかかる)、なかなか見ようという気にならない。
その点、この「道化師」と、その前に放送していた「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、両方とも1時間ちょっとという手頃な(^◎^;)長さ。というわけで、2日に分けて、それぞれを見ました。

「カヴァレリア」は、以前に合唱でダイジェスト版に出たことがあるので(演奏会形式)だいたいの筋は分かっている。田舎町の男女の四角関係から起こる悲劇。実に他愛のない話なんだけど、マスカーニの、奇跡とも思える名曲・名旋律ぞろいで、とても美しい作品になっているのだ。
今回の演出は、ほとんどが教会の中のような雰囲気。まあそれもありなのかも。最後にサンテッツァがすごい睨みをきかすところが怖かったなあ。

「道化師」の方は、実は初めて観たのだ。筋も殆ど知らない。ある町にやってきた道化一座。座長の道化師カルロは妻の不倫を疑っている。なんとか相手の男の正体を突き止めようとするのだが、妻は口を割らない。そのうち道化芝居が始まるのだが、その芝居がなんと、不倫中の妻と間男を見つけてしまう道化師、という筋立て。初めのうちは芝居を演じるカルロだったが、芝居のセリフと自分の感情がない混ぜになってしまい、ついに妻にナイフを突き立てて浮気相手を白状させてしまう。そして芝居を見に来ていたその男もろとも、その場で刺し殺してしまうという、なんともはやな物語。

これだけ筋立てを書いたのは、役者(歌い手)の演技がとても素晴らしく、深く印象に残ったからだ。ときに客席まで使う演出は迫力も現実味も十分。ありそうな話だし。もちろん歌も素晴らしかったよ。


この2作、よく似た作風で(芝居の構成とか、合唱の使い方とか)、よく一緒に演奏されるのだね。短いのが2作で、ちょうどいい具合の長さになるっていうのもあるのだね、きっと。
そして不思議なことに、この両作の作曲家、マスカーニもレオンカヴァッロも、他の作品をとんと聞かない。これだけ素晴らしい作品を作ったにも関わらず、だ。

音楽の神様の気まぐれを思ってしまうなあ。

映画「エリザベス:ゴールデン・エイジ」

2007年のイギリス映画。先入観かもしれないけれど、イギリス映画らしい作りだなあ。
エリザベス一世の統治時代。主にスペインとの戦いの時期。無敵艦隊を打ち破るところがクライマックスではあるけれど、自身の感情と治世との狭間で揺れ動く女王の姿を克明に描くところが見どころ。

久しぶりに映画らしい映画を観た感じ。もちろん歴史物だから見応え充分。余分な説明らしいものは全くなし。いきなり本題から入るところも、どこかイギリス的。「これぐらい説明しなくても知ってるでしょ」と言われているみたい。

幾分、「イングランド万歳!」に偏っているように見えるが、まあそこら辺は見逃しましょう。音楽もその時代を意識していてとても気持ちよかったし。ハリウッド映画に比べて(映像そのものの)派手さが抑えられているのもマル。なんといってもケイト・ブランシェット。彼女なくしてはこの映画は考えられなかっただろう。そう思わせるくらい、存在感たっぷりであったよ。見事見事。

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