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広島2-3阪神(マツダスタジアム)

とうとうテレビ中継がなくなってしまったよ。観客動員も昨年から減ってるしなあ。しかたのないことかもしれませんね。

仕方なくラジオ中継で何とかしのいだけれど。ラジオだと投手の球筋もわからないし、野手のプレーも詳しくはわからない。まあ実況アナはなんとか伝えようとしているのはわかるけどね。

で、まあ今日は勝ちました。長打、それもホームランは価値がありますなあ。なんせ4安打で3点で勝ってしまうねんから。
そうなると、ブラゼルはやっぱり外せないのかなあ。一発の魅力はね。
ま、これが和田監督の望んだ形でないなら、仕方ないけどね。

スタンリッジは、どうにも好きになれない投手なんだけど(いつもハラハラさせられるし)、なぜか勝ってしまうのだなあ。勝ってる投手に文句を言ってどないすんねんという話ですけどね。

で、勝った時にテレビ中継がないというのは、やっぱり寂しいですね。
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【とにかくうちに帰ります】津村記久子(新潮社)

前に読んだ津村作品は、確か子供を主人公にしたものだったはず。そして、あまりうまく行っていなかったような印象だった。

今回は、本来のフィールド(?)である「職場」をメインにしている。
連作の「職場の作法」。いてるいてる、こんな人。こんな上司。こんな同僚。思わずうなずき、そして「そんな阿呆な」という話まで。よくある「OL話」よりも、ちょっとクセのある人たちに満ちているところが津村流で、楽しい。

表題作は、大雨の中、帰る手段をなくした会社員たち(塾帰りの子供を含む)の道中話。OLとその後輩の男性会社員が一組、もう一組が離婚して息子と暮らせなくなった会社人間の男と塾帰りの子供。唯一の交通手段である連絡バスが不通になり、やむを得ず大雨の中を駅まで歩くハメになる。それぞれが別々のストーリーとして展開する二組の話。なんだか村上春樹風だが、不思議感はない。そしてちょっと心が温まる。困ったときには人間は逆に優しくなれるのかもしれない、などとベタなことを考えてしまう。いい話ですよ。話自体はベタじゃないし。

広島8-3阪神(マツダスタジアム)

なんともはや。先制されたけど逆転して、これで今日はいけるかと思ったら、ミスから逆転を許し、あとはずるずる。

カープにもミスはあるんだけど、それを上回る機動力を発揮してますね。典型的なのが天谷のランニングホームラン。
打球がイレギュラーしたとかだったらよくあるけど、普通にレフトの頭を越されたってだけでああなるとは。とほほのほ。

ミスから失点したわけやけど、これも若手には勉強ですよ。このミスから何を学ぶかが大事。
だから、「ミスしたから、今度からは使わない」とか、なってほしくないなあ。
ミスをしても使い続ける。そうすることで克服できることはあるはず。

今は我慢。いろんな意味で。我慢して試合を見るよ。我慢して若手を使い続けてほしい。来年以降の、2年後、3年後のタイガースのためにも。

【住宅巡礼・ふたたび】中村好文(筑摩書房)

建築家中村好文氏の「住宅巡礼」の続編。「続・住宅巡礼」という題名で出ていたが、長らく絶版になっていたらしい。最近内容を一部変更して復刊されたとのこと。

「住宅巡礼」同様、実際に有名建築に足を運んでのルポ。
特徴的なのは、有名建築の紹介でありながら、そこに住む人の目線で解説していることだろう。詳細な設計図や写真、スケッチなども、見ているだけでワクワクするものだが、それだけなら他の同種本と変わりがない。
中村氏の解説は(文章の旨さもすばらしいが)、建物の外観や利便性や芸術性だけではなく、作り手の思いや住んでいる人の気持に寄り添っている。だからとても温かみがある。

中でも僕が大好きなのは、安藤忠雄の「住吉の長屋」の章。
この建物については、たくさんの解説、紹介本が存在するが、この一文ほど住みての立場に立ったものはないように思う。もちろん、住んでいる人本人へのインタビューが実現してこその賜物だったろうけれど。
住宅とは、そこまでしてこそ初めてその価値がわかるものなのだ。きっと。

広島2-2阪神(8月24日・マツダスタジアム)

勝てないです。なかなか勝てないです。メッセンジャーには運がないのか。
チャンスであと一打、というのがずっと続いています。これは今季、最後まで続きそうです。
こう何度も同じ状態が続くと、単純に「運」とか「偶然」とか、考えにくいです。
何か原因があるかも。
まあ、それは監督・コーチが考えることでしょうけど。

メッセンジャーの好投、打線の活発さから考えると、勝てる試合でした。
勝ち切れないのが今年のタイガース。
惜しいなあ。

8回の柴田の守り。9回の三振ゲッツー。10回の良太のバントだかヒッティングだかよくわからないバッティング。何もかもが中途半端な感じです。

もっと、パーっとした試合をしてほしいなあ。


今日も大阪は昼間に突然の大雨。ここのところ毎日です。
そんな、何が起こるかわからない日々。
明日は勝つかもしれない。(←このつなげ方は、タイガースファン特有のものかもしれません)
そんな期待を、ずっと持ち続けたいです。

8月の読書

すっかりサボりモードに入っている読書感想文。あ、そういえば今日も負けましたね、タイガース。しゅん。

気分が沈んで更新する気持ちじゃないというのが正直なところだけれど、何も書かずにいるのもまた気が沈む。気がつけばもうすぐ8がつも終わりじゃないかいな、やっこさん。

というわけで。どどんと今月を振り返り。まあ正直言って、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」に匹敵するようなものはないんだけど。だからといって何も読まないわけには行かないのだ。

以下、随分前に読んだものも含めてなので、内容・印象が薄らいでいるものもある。それぞれ一言だけ。

【感性の限界】高橋昌一郎(講談社現代新書)
いろんな話が出てきすぎて、焦点が定まらない感じ。

【インクジェット時代がきた!】山口修一・山路達也(光文社新書)
インクジェットがどれだけ素晴らしいか、を謳った宣伝パンフをふくらませたような本。

【裸のランチ】ウィリアム・バロウズ(鮎川信夫訳・河出書房新社)
「ビート・ジェネレーション」というのだそうだ。ドラッグとその妄想にあふれた世界。感動はしないけれど、へえーっていう感じ。こんな本はさっさと読み飛ばすに限る。色々考えながら読んじゃだめ。同じ作家の「ソフト・マシーン」も読もうと思ったけど、同じような感じだったので、最後まで読む気がしなかった。

【ひとりで死んでも孤独じゃない】矢部武(新潮新書)
「孤独死」の問題について、アメリカの取り組みというかシステムを紹介して、「ひとりで死ぬことは、悲劇ではないのだ」という主張に結びつく。

【星の海にむけての夜想曲】佐藤友哉(星海社)
SF。あるとき空一面が「花」に覆われてしまう。花粉が飛ぶときには、花粉症にならないように外出は禁止。果たして再び「空」を見ることはできるのか。いろんな示唆にとんだ作品だけど、ちょっとあざとさも。

【アトモスフィア(1・2)】西島大介(早川書房)
SFコミック。ある日わたしの分身「わたし・・・」が現れて、彼氏をとっていく。さて「わたし」はどうしよう。ところが「わたし・・・」は何者かに殺されて。そして世の中にはわたしとおなじように、複製人間がどんどんできていってしまっているらしい。さてどうなる。絵は面白い。発想も面白いんだけど。ラストがなあ。なんだかなあ。

【さよなら、コンスタンス】レイ・ブラッドベリ(越前敏弥訳・文藝春秋)
ブラッドベリの、珍しいハード・ボイルドタッチの小説。だが話の大筋というか、事件の発端はブラッドベリらしくちょっと不可思議。チャンドラーなどへのオマージュらしい。だったら大成功。

【クマムシ?!】鈴木忠(岩波書店)
体調0.1ミリほどの動物「クマムシ」。「地上最強の生物」とも言われるその生態に迫る。というより、これはほとんどクマムシオタクのクマムシ話。だが、退屈せずに読める。愛情たっぷり。

【喋々喃々】小川糸(ポプラ文庫)
谷中でリサイクル着物をあつかう店を開く主人公の女性。店に来た男性に心惹かれるが、彼には妻子が居たのだった。となると不倫恋愛物? 確かにそうなんだけど、悲観もなければ大きな事件も起こらない。ただ淡々とたまの逢引きが続くのみ。まあ人の恋路はどうでもいいですけど。という気持ちになってくる。読んでいて熱くも冷たくもならない。

【自己愛な人たち】春日武彦(講談社現代新書)
「自分を愛する」とはどういうことか、を様々な事例を通して解説。ただ、事例が小説の中のものがほとんど。実際の話より、典型的で分かりやすいんだろうけど。なんだか読書案内になっているような中途半端なイメージも。

【どーなつ】北野勇作(早川書房)
曖昧な記憶。自分の記憶は本当に自分のものだろうかという疑問。それが、そこはかとなく流れていく作品。なんとなく、好きです。この感覚。

【最高に贅沢なクラシック】許光俊(講談社現代新書)
うまいもんを食べいい音楽を聞く。両方がなかったらあかんのだろうか。はっきり「あかんのだ!」と主張する本作。きっぱりとした物言いは、すっきりもするけど、いらだちもある。結局は、海外演奏鑑賞案内になっているような気もするし。

【傀儡后】牧野修(早川書房)
大阪府守口市に隕石落下。その影響で周辺地域は無法状態。そこに暗躍する人々。それぞれの目的は何か。地域性があって面白いかなと思ったけれど、わざわざ舞台を大阪にした意味もよくわからない(作者は大阪出身)。もともとは連載小説だったのか。なんだか納得いかない展開もそこここにあるのは、まあ仕方ないのかなあ。


まだまだ夏は続くのだよ。へばっていてはいけないのだよ。スポーツも、読書も。
そうそう、明日は高校野球の決勝戦だ。

奪三振

桐光学園の松井くん。

こういう投手がタイガースに来てくれたらなあ。。。。
などという夢を見てはいけません。

ここは素直に、今起こっていることに拍手をしましょう。
今日の試合も15奪三振。それでも敗戦。野球は面白い。


さて、順位争いからはどんどん遠ざかっていく感のあるタイガースですが。
先日、朝日放送の武田和歌子アナが言っていたそうです。

「みなさん! 今、何が良くないか? それは無関心であることです!」

勝ったら喜ぼう。負けたら悔しがろう。愚痴も言おう。
そうでないと、負けたら負けたで
「あ~あ、また負けたか。。。。」
で終わってしまうし、勝ったら勝ったで、
「なんや、勝ったんか。。。。」
で終わってしまう。

これが良くない!!

ファンたるもの、勝った時には大いに喜び、負けた時には(時には野次を飛ばしながら)大いに悔しがり、怒ろう。

それでこそスポーツ。スポーツを見る楽しみはそこにある。ファンは一喜一憂しよう。
そうすれば、楽しみはまだまだ続くのだ。

【ものすごくうるさくて、ありえないほど近い】ジョナサン・サフラン・フォア(近藤隆文訳・NHK出版会)

映画化もされたベストセラー。間借り人役のマックス・フォン・シドーがオスカー候補(助演男優賞)にもなって話題にもなったな。
しかし、この本をどうやって映画にしたんだろう。というか、これは「本」という媒体でしかできないことをいっぱいやっているので、これを映画にしようとは普通考えないと思うのだけれど。

出だしの「やかんはどうだろう?」(うろ覚え)の一文からして驚き。翻訳の妙もあるんだろうけど、いきなり理由もなく「やかん」ですよ。どう思いますか? なんの話かこれだけではさっぱり分からんではないですか。

主な語り手であり主人公でもあるオスカーは9歳(くらい?)の男の子。9・11で父親を亡くしている。母親は最近見知らぬ男の人と仲良くしているみたいで腹が立つ。ある日、父親の部屋で花瓶に入った小さな鍵と「ブラック」と書かれた紙を見つける。オスカーは「鍵穴」と「ブラック」を探してニューヨークの町を歩き回る。

というのがメインの話。

その間に、言葉を失った彫刻家が書き綴った「息子」への手記だったり、孫に送ったおばあちゃんの手紙だったりが挟まってくる。どうやら二人は夫婦で、ドレスデンの空襲を生き抜いてアメリカにやってきた移民らしい、というのが段々わかってくる。

そう、長い長い物語(400ページ超)なのだが、一気に解決することがらはほとんどなく、つまり説明口調なところはほとんどなく、段々といろんなことがわかってくるのだ。

主人公のオスカーは、はっきり言えば理屈こねのうっとおしい子供だ。その上、父親を失った喪失感から全く立ち直っていない。周りの人間(母、祖母)も同じ心の傷をおっていることに気がついていない。さらに他にも沢山の人達が同じような傷をおっていることにも気づいていない。
はじめのうち、このオスカーは自閉症気味何じゃないかと思ったくらい、病的に頭が良くて(たぶん)神経も細かいし、学校でも浮いた存在(先生からも疎まれているらしい)だ。どうやら病気ではなく、ただ単に頭がよくて自尊心が強くて自分勝手なだけ、ということらしいが。

そんなオスカーだが、父親を失った心の傷がどうしても癒えない。偶然見つけた鍵と「ブラック」を探しまわるのだが、そうすることで何とかその喪失感を埋めようとしているのがよく分かる。そして、その気持を母親にも知ってもらおうとするけれど、どうにも気持ちが通じない。思いが溢れすぎて、伝わらない。

それはオスカーだけではなく、手記を書き続ける彫刻家も、手紙を書く祖母も同じで、伝えたい思いが届かないもどかしさが満ちている。彫刻家の手記は、手帳の余白がどんどんなくなって、ついには文字は重なり、何が書いてあるのかさっぱりわからなくなってしまう(それをそのまま本にしたところもすごい)。祖母の手紙も、余分な余白でいっぱいだ。
そういう「本」としての仕掛けもたっぷりで、それが奇をてらっているというより、一つ一つ意味の有ることだと思われる。人に思いを伝える、という理由で。
最後の連続写真は、恐ろしい場面を希望に変える、という意味があるのかな。いろんなことを考えさせられる。

これを翻訳した翻訳家もすごい。単なる小説を超えて、一つの芸術作品と言えるかもしれない。勇気がいっただろうけれど。

今年読んだ本のナンバーワンになるかもしれないな。

【悲しみにある者】【さよなら、私のクィンターナ】ジョーン・ディディオン(池田年穂訳・慶應義塾大学出版会)

著者はアメリカの作家。この作品は、自らの肉親の死に対する思いを、まとまりのないままにさらけ出したような著作である。「悲しみにある者」が全米図書賞(2005年)を受賞した、というから読んでみた。

養女(といっても、赤ん坊の時から育てている)が病に侵されてICUに入院。その入院中に夫が急死。娘もその数カ月後に命を落とす。
「悲しみにある者」は、突然の夫の死、途方にくれる自分を、「どんな時にも書いていた」ことから、書くことで乗り越えようとしている姿が見て取れる。
「さよなら、私のクィンターナ」は、さらに6年後の著作だが、今度は自分の行く末を案ずる姿も書かれている。

時系列もばらばらだし、一貫した著作としてはとても読みづらい。その時その時の感情がそのまま文章に現れている感じ。さすがにベテラン作家(現在77歳)だけあって、赤裸々という言葉とはかけ離れた書きっぷりは見事だが、それでも、そこまで心情を吐露されてもなあという気もする。

翻訳は、どうなんでしょう。「アムスターダム通り」は「アムステルダム通り」と書いてほしいし、「テレヴィ」は「テレビ」と書いてほしい。その方が正しい発音に近いとしても、違和感は大きい。読みにくさは翻訳にもよるのか。

広島4-3阪神(8月3日・マツダスタジアム)

まずい負け方でしたね。相手を上回る12安打を放ちながら、3得点どまり。どうにも拙攻が目立ってしまいました。
おかげで8回裏の筒井なんかは、ビビりながらの投球(に見えた)でフォアボール。ランナーにビビりながら(に見えた)の投球で、疲れきった末に(に見えた)送りバント。ここで筒井を諦めた和田監督の思いもわかる。
で、代わった福原がタイムリーを浴びて万事休す。

打線のつながりの悪さが投手陣に悪影響を及ぼすという、典型的な試合展開。
あーあ。

それにしてもねえ。マートンの守備はどうなんですか。
ブラゼルの代わりに上がってきた俊介もねえ。どうせなら野原祐也とかを上げてきたらいいのに。打線にも喝が入ると思うけどなあ。

阪神3-2ヤクルト(8月1日・甲子園)

9回表のスリーアウト目は、運が良かったというか、マートンがもっとうまい外野手だったら、比屋根もサードまでは走らなかっただろうし、そうなるとスリーアウト目は取れなかった、でも本来ならファーストランナーをセカンドで止めるくらいでないといけないので....などと考えると堂々巡り。まあ勝ったから良かったけど。

と、最後はひやひやだったけれど、試合運びとしては理想に近かったのでは。投手が好投して得点を与えず、チャンスでクリンアップがタイムリーを打つ。

まあ、できたらもう2,3点、取れそうな場面があったけど、それはよしとして。
こういう試合が見たかったです。これからも見たいです。

暑い暑い日が続いて大変でしょうけど。見ている方にも熱さが伝わるような試合をしてほしいなあ。

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