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【谷川俊太郎質問箱】谷川俊太郎(ほぼ日ブックス)

「ほぼ日ブックス」というところから出ています。ということから分かるように、これは糸井重里が出している「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載されたものをまとめたものです。実際に、いろんな人からの質問に谷川俊太郎が答えています。

読む前は、どんな感覚的なことを質問して、どんな心に残るような応えが出てくるのだろう、などという一種「文学的」なことを考えていたのですが(そういう質問、そして答えも時にはあるのですが)、かなりまじめに、そして「分からないなあ」というのも含めて答えていて、こちらの先入観を見事に砕いてくれました。さすが。

そういう砕かれかたは大好きです。
「眠れないのですが、どうしたらいいでしょう」
→「不眠症なら、医者に行くことをおすすめします」
(うろ覚えな内容なので、正確ではありません)
などという答えが出てきたりすると、ぐはっと気持ちよくなったりするのです。

この力の抜け具合、かかり具合が、とても心地よいのですね。
とにかく谷川俊太郎は、「こんな答えを言えばなっとくするだろう」とか「こんな答えにすれば読者は楽しいだろう」とかいうものを突き抜けています。

こんな風に生きたいものだと思ってしまいますね。無理でしょうけど。
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【北回帰線】ヘンリー・ミラー(大久保康雄訳・新潮社)※途中まで

やめる勇気

わたくしが敬愛するサマセット・モームさんは、「読書案内」とか「世界の十大小説」で、
「読書は楽しみのためにするもの」と断言しています。そして読んでいて面白くないところとか退屈なところは「飛ばして読めばよい」とまで言っています。

ところが別の著作(サミング・アップだったと思う)では、「私はどんなに面白くなくても、途中で読むのをやめたり飛ばして読んだりすることができない」とも言っています。
どちらかと言えば僕は後者のほうです。読んでる途中で退屈しても、最後まで読んだら残るものがあるんじゃないかと思ってしまうのです。だから最後まで読まないと、後悔しそうな気がするんですね。

とはいえ。最後まで読んでも何も感動しないこともあります。そんな時は、この読んでいた時間がもったいなかったかなと思うこともあります。この時間に別の、もっと面白い本が読めたかもしれないし、と思うとちょっと悔しい。

というわけで。今年は「おもしろくないな」と思ったら、途中で放り出すのも悪くないかなと思います。

で、途中で放り投げた第一弾。
昔「南回帰線」を読んだことがあります。どちらもはっきりとしたストーリーのようなものがない話なんですね。「南回帰線」は確かニューヨークが(思い違いか。とにかくアメリカのどこか)舞台だったと思いますが。途中まで読んだところでは、「北回帰線」はパリが舞台。主人公がそこであれこれ考えたり、したりすることをダラダラと書き連ねている、というスタイルですね。これ、前に読んだ「オン・ザ・ロード」とも共通しているかな。そして、ところどころに気になるフレーズはあるんだけど、前後のつながりがほとんど感じられないので、あとに残らない。まるで日記の覚書。
それでもそのひとつひとつのフレーズが心に残る人はいるんでしょうね。そしてこのスタイルも。だから今でも読む人はいるんでしょう。

あと、この翻訳はちょっと古すぎるような気がします。どうせ読むにしても新しい訳で、と思いますし、今新しく翻訳したら、もっと面白く読めるのかもしれないなという気もします。

【ノートルダム・ド・パリ】ヴィクトル・ユゴー(辻昶/松下和則訳・潮出版社)

年末からずっと、この本を読んでいました。なかなか読み終わらないうちに年を越してしまったわけです。

「レ・ミゼラブル」と並ぶユゴーの名作、ということになっていますが、長さは3分の1ぐらいでしょうか。しかし物語の波乱の展開、という点では確かに「レ・ミゼラブル」と比べられるのも分かります。

ただ、内容ははっきり言って「暗い」です。悲劇的です。あまりにも過酷な宿命にさいなまれる哀れな人々。あれ? じゃあ「レ・ミゼラブル」と一緒?
いえ、あちらはどこか希望の光が見えるけれど、こちらはほぼ「真っ暗」な内容です。

よく知られている話のように思われますが、ディズニーのアニメは言わずもがな、実写映画の「ノートルダムのせむし男」と比べても、読んだあとは「映画はなんというハッピーエンドだったのだろう」と思わずにはいられません。

そして。映画になったものだから、この話の主役は当然カジモドで、その悲劇性が主題だろうと思っていたら、とんでもない。もちろん重要な登場人物の一人ではあるけれど、主役という雰囲気ではありません。カジモドが思いを寄せるジプシーの娘エスメラルダや、彼女に思いを寄せるあまり(今でいうストーカー)破滅の道をたどってしまう(ということなんでしょう)司教補佐のクロード・フロロや、その弟の放蕩者ジャン、お調子者の劇作家グランゴワール、などなどの登場人物がそれぞれ表に出てきて物語を作り上げていきます。

こうやって、複数の人物を登場させて、その時代の雰囲気を浮き彫りにする、というのがどうやらユゴーの得意とする手法のようです。時代の雰囲気を醸し出すために、時々脱線することもあるようですが(この作品では、ノートルダム寺院の周りの建築物の歴史の説明に、わざわざ1章を割いています。「レ・ミゼラブル」では、ナポレオンの戦法に相当な枚数を費やしていましたね)。

それにしても「重い」「暗い」話です。ディズニーのアニメを見て原作を読んでみようと思う人もいるかも知れませんが、相当覚悟して読まないと最後まで行き着かないでしょう。そして最後まで行き着いた時には「何、これ!」と叫ぶかもしれません。カジモドが活躍するのは物語の終盤、4分の1程度なのですから。

【ヨイトマケの唄】

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

できるだけ毎日書こうと思っていたのに、さっそく日付が変わってしまいました。今年もこんな感じなのかなあ。


大晦日は毎年どおり、紅白歌合戦を楽しみました。
前にもちょっと書いたけど、紅白の楽しみ方は昔と今とでは全く変わってきているような気がします。昔は誰でもが知っている歌、誰でもが知っている歌手が一堂に会する、というところが見所だったけど、今は「今の若い人はこんな歌を聞いているのか」とか「お父さんはこんな曲を聞いていたのか」とかいう「発見」が面白くなっているのだと思います。
もちろん、僕らのようなおじさんは、前者の楽しみ方が主です。

あと「懐かし~」という曲が聞けるというのも、最近の楽しみの一つ。

そして今年は、なんといっても美輪明宏の「ヨイトマケの唄」。
おそらくは、一番の話題になるだろうし、そこここで話に登るのは間違いないでしょう。だからいまさらここで、演出がどうだとかいうこともないかもしれません。わが家では、真っ暗な中に響き渡った最初の一声で、ぶたこもわたくしも心をつかまれてしまって、そのあとは美輪ワールドにどっぷりと浸かってしまいました。

他の歌手とは、幅も厚みも大違い。というか、もはや別格でしょう。いや、別世界というべきかもしれません。もっと言うと、紅白で1曲だけ歌うような人じゃないという気もします。

衣装や演出に趣向を凝らす歌手が目白押しのなかで、黒い上下の衣装に、照明さえスポットライトだけ。それだけで十分という迫力さえ感じさせました。歌本来の力だけで、その場に映像が浮かび上がらせることができるのは、さすが。

わたくし、30年ほど前に一度、テレビで歌っているのを見たことがあるだけなんですけど、その時の印象が強烈で、未だに忘れることができません。それから30数年。ここ最近は歌っている姿も見たことがなかっただけに、どんなふうになるんだろうと、ちょっとした不安もありましたが、そんな不安は一気に吹っ飛んでしまいました。

30年の間に、他の歌手が歌っているのを聞いたことがありますが、それが全く面白くもなんともなかったのでした。やはりこの曲はこの人が、この歌い方とこの演出で歌わないと、良さが出ません。つまりはこれは唯一無二。それを大晦日で堪能できて、ほんとうによかった。

しばらくは(ずっと?)、映像が頭からはなれないでしょう。

※こうなったら、今年はもうひとつの名曲、「老女優は去りゆく」を同じくノーカットでやってほしい。よろしくお願いします。

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