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日記を書く前に

NYの日記を書こうと思って、できるだけ楽しくしたいと思って。
そしたらやっぱり写真もいっぱい載せたいよねえ。
で、パソコンに入っている写真をつらつらと見ていたら。

なんだか多いよねえ。当たり前だけど。

いつもデジタルカメラで撮った写真は、ひとまずパソコンにダウンロードして、Picasaにアップロードする。
それからアップロード先のリンクをブログに貼り付ける。
ということをしている。

つまり、ひとまずはPicasaのウェブアルバムにアップロードしないとアカンのだが。
アップロードしていない写真がわんさかとある。しかも、別のフォルダに同じ写真が入っていたりする。どれをアップロードすればいいんだか。

そのうえ。
かつてはPicasaは要領が決まっていて(何ギガだったか)、それ以上のアップロードは無理だった。
ところが、時代が進んで、今や要領は無制限である(らしい。ただし、1ファイルの大きさは制限がある)。

かつては要領を超えないようにと、アップロードする際にはファイルサイズを小さくしたりしたものだ。今やそんな必要はない。

で、Picasaの使い方は、わたくしはほぼ「ファイルのバックアップ&ブログに貼り付け用」と思っているわけ。
ところがこの「バックアップ」の考え方が、最初のうちはあやふやであったのだ。きっと。
おかげで同じファイルがあちこちに散らばっている。

バックアップは1箇所に一度だけ!

にすべきなのである。

それを「あ~したらいいかな~、こうしたらべんりだろ~な~」などと余計なことを考えながらやり続けたために、今やファイルがごちゃごちゃになっているのだった。

この際。一気に写真ファイルを整理してしまおう。

そう思い立って、これとこれは同じファイルだからこっちを削除、これはこれを縮小しただけのファイルだから元のを残して凝っていは削除。。。。。。

などとやっていると、いつまでたっても何も出来上がらないのであった。

おかげで、NY日記を書く前段階ですっかり力と時間を使い果たしてしまっている始末。
これではいつまでたっても何もアップすることはできない。ということに、時間がなくなってから気がつくのである。
これが人生か。

そして得た結論。

無理をしていいものを作ろうと思うな。

がらにもなく、いいものを作ろうという考えが浅はかであるのだった。
ということに気がついた。

そんなわけで。
「いつか気が向いたら写真つきになるかもしれない」
を書いていこうと思います。

で、まだ始まらないのだ。いやはや。
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NY帰り

ぶたこな日々にあるように、
1周間のNY旅行から帰ってきました。
とりあえず、帰還報告。
まあわたくしの知り合いはほぼ100%ぶたこの知り合いでもあるわけで。
つまりは、ここで改めて報告することでもないのですが。一応ね。

旅行記なども書いていこうと思っています。おいおい。
時差ボケは今のところ殆どなし。というか、もともと寝ぼけ気分で生活してるからなあ(-◎-;)

【キミトピア】舞城王太郎(新潮社)

もうそろそろ取ってもいいんじゃないかな。芥川賞。
舞城王太郎は、なんといっても言葉が湧いて出てくる(湧き出てくる、というのとも違う)ような作家で、その言葉のロジックで読者を丸め込んでしまうようなところが、元々あったと思うのだけれど、最近はそれがライトノベルから普通の(こういう言い方は良くないか)小説にシフトしていっているのだね。
いや、あるいは「普通の」小説がライトノベルとの差がなくなって着ているということの現れか。

まあ、僕のような読者はどっちでもいいんです。楽しければ。面白ければ。

というわけで、幾度目かの芥川賞ノミネート作となった「美味しいシャワーヘッド」を含む作品集。
ちょっとシュールで、でもちょっとまとも(変わったのかなあ)な世界観。
一般的には「それ、おかしいでしょう」というような考え方の真っ当さを、正面切ってズバッと言い当ててしまうところが心地よかったりするが、それは読者にもよるでしょうね。相手の言い方に筋は立っているけれど、なんとなく釈然としない、ということはよくあることですし。

で、せりるが弾丸のように溢れてくるのはいつもの舞城王太郎ペース。しかし内容は、かつてのグロさはなくなりつつあるようです。というか、グロさに頼らなくても良くなったような気がするな。もうこの路線で突っ走っていけばいいよなあ。

人の行動には、他人にはわからなくてもその人なりの理由付けがある。それがいかに常識を外れていようとも。というか、常識って何? と考えだすと、この世界にのめり込んでしまうのであります。世の中の常識にうんざりしている人向け。

【100回泣くこと】中村航(小学館文庫)

ベストセラーになっているし、映画にもなっているし。ということでどんな話かなと思って読んでみたのだ。
題名と映画の予告編からして、大したことはないだろうと高をくくっていたのだが。

予想以上に大したことはなかった。

昔からよくあるシチュエーション。彼氏と彼女が居ました。愛しあっておりました。結婚の約束をしました。で、彼女に病気が見つかりました。懸命な闘病の甲斐なく、彼女は死にました。ああ、悲しい。

で、それがどうかしましたか。

泣くシーン(なんだろうな)と思われる所では涙は出てこず。というか、「はい、ここで泣きましょうね」という作為が見え見えで鼻白んでしまうのである。
100回どころか1回も泣けないし、映画を見ることはないだろうし、ついでに帯に「号泣しました」と書いているゴスペラーズの歌を(あえて)聴くこともないだろう。

と、文句を100回(おっ)言いたくなる。
でもこれがベストセラーなんだよなあ。しかもロングセラーらしい。なんで?

まず。とても短いです。単行本ですが(僕の読んだのは文庫版)、1時間半から2時間ぐらいで読めてしまいます。お手軽です。内容は上記のとおりですから、お手軽に泣けます。
で、これだけお手軽な内容なので、主人公の背景はとてもとてもぼんやりとしています。彼が社会でどのような位置にいるのか、どのような人生を送ってきたのかは、ボオっとしたまま(ちょっとだけ、会社でのやりとりとかは出てくるけど)。これだけ主人公の姿形が曖昧だと、逆に読み手の想像力の中に主人公をおけるのかもしれません。おお、これ俺じゃん(ちょっと東京風に)なんてね。

そして、二人だけの世界が広がる。物語の多くはそこに行き着く。そこだけ。おお、これが俺ならかっこいいじゃん(ちょっと東京風に。意味はありません)。こんなセリフ聞いてみたいわあ(ちょっと京都風?)とか。

つまりはこれ、小説というより散文、あるいはポエムの延長に近いのだね。なるほど、これなら映画になりやすい。それらしい映像とそれに見合ったセリフ。

って、それって小説ではないでないかい。などと腹をたてるのは古臭い考えなのだろうか。やはりここは、このシチュエーションにどっぷりと浸かって「ああ、なんてかわいそうなんだ」と思って、号泣すればいいのだろうか。そんなことできないけど。

古臭ついでに言うと、こういう「背景の全く見えないドラマ」で、ただ恋愛してただ死んで、というのが受ける時代というのは、どうなんだろう。誰も周りの社会に対しては関心がないということの現れ、なのだろうか。あ、ちょっと小うるさいおっさんモードになってしまった。。。。。。

【ウェストウィング】津村記久子(朝日新聞出版)

築数十年の雑居ビル「椿ビルディング」の、空き家となった西棟の橋のスペースを秘密の休憩所とする別々の人たちの話。
はじめは建設事務の少事務所のOLの話が主で、なるほどまたこれですね、と思ったのだが、次に出てくるのは親や周りに気を使いすぎる塾通いの小学生。お互いは休憩所でメモ書きを交わすだけで、相手がどんな人だかわからない。で、途中から参戦するのがCADオペレーター(だったっけ)のサラリーマン。
それぞれにドラマがあるのだが、それがいかにも津村記久子ワールドなのである。とても楽しい。
そしてなぜか大雨が、見知らぬはずの三人を結びつけるのであるな。

この著者にしては珍しい大長編。読むのに骨が折れたよ。まあ楽しい時間をたっぷりくれたとも言えるけどね。
以前だったら、最初のOLのエピソードか、小学生のエピソードか、どちらかだけでの作品となっていただろうものが、ひとつに繋がった物語となるところが、今までにないところ。そしてラストになんとなくなんだけど、希望の光のようなものが見えるところも。
何か心境の変化がありましたか? 津村さん。

フリーな生活

要するに「タダで暮らす」ということだ。
今の世の中、「タダで手に入る」ものは多い。

街を歩けばティッシュを配ってくれる(最近は少なくなったが)。「フリーペーパー」というのも増えてきた。パソコンが普及してネット社会になって、ペーパーレスの時代が来るのではないかと言われた時もあったが、そういうのは永遠に来そうにない。紙で見れる情報というのはやはり貴重。というか、パソコンの画面で見れる情報はやはり限られているし、何しろ目にはあまりよくないらしい。パソコン用メガネは無料ではない。

図書館を利用するようになって、本はほとんど買わなくなった。新刊はもちろん、古本さえも買いに行くことがない。読みたい本はまず図書館で検索する。キンドルを買えば無料本を手に入れることもできる。興味はあるのだけれど、今のところは紙の本で間に合っているかな。

最近聴いている音楽も、ほぼネットで公開されているものだけになっている。クラシック音楽はパブリックドメインになっている(著作権が切れている)ものが多く、古い録音だけれどたくさんの演奏を楽しめる。むしろ「歴史的名演」と呼ばれるものが多い。公開しようとするときにはそういうのを選ぶ、ということもあるんだろうけど。
こことか
こことかからファイルをダウンロードして聴いている。
もう自分は、新しくCDとかは買わなくなるんじゃないかと思う。
公開されているのは主にmp3音源だが、これでも十分に音楽を楽しむことができる。CDもレコードも聴く機会がなくなった。

いい時代に生まれてきたものだと思う。そういう世間の恩恵は受けられるだけは受けようと思う。
もちろんすべてが全て「全くのフリー」というわけではないだろうが。だいたいパソコンでネットに繋ぐということで毎月いくばくかの料金は発生しているのだし。
それでも、これだけのものが手に入る(耳にできる)のは、ほんとうにいい時代に生きているものだと思う。

6月の読書(7月初旬を含む)

大阪は梅雨明けしました。暑いです。
昨日の夜が熱帯夜で今日の日中は真夏日で今夜も熱帯夜で。ということは大阪は熱帯ということである。しばらくは熱帯生活を過ごさなければ。覚悟しなければ。

さて。しばらく受動生活を送っていたので、本の感想文が溜まったまま。何を読んだかだけでも記録しておこう。こうやってブログに記録しておくと、後で検索できる(しかもブログが読める環境ならどこにいようとも)。

【憤死】綿矢りさ(河出書房新社)
【ひらいて】綿矢りさ(新潮社)
【しょうがの味は熱い】綿矢りさ(文藝春秋)

綿矢りさは、どうしても押さえておきたい作家。つらつら読んでいるといきなりバックドロップを食らう。その感覚がたまらないのだ。Mなわたし。

【マリアージュ・マリアージュ】金原ひとみ(新潮社)

金原ひとみも押さえておかなければ。ああ「マザーズ」をまだ読んでいなかったな。こちらはバックドロップというより、正面から16文キックを受けるような感じ。女の世界は面白い。

【人形つかい】ロバート・A・ハインライン(福島正実訳・早川書房)
【夏への扉】ロバート・A・ハインライン(小尾芙佐訳・早川書房)

古典的なSFです。古典ゆえの面白さと、古典ゆえの古臭さと。

【ブラックウォーター】ジョイス・キャロル・オーツ(中野恵美子訳・講談社)
【とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢】ジョイス・キャロル・オーツ(栩木玲子訳・河出書房新社)

また面白そうな作家を見つけてしまった。上はある議員のパーティーの帰り、「お持ち帰り」した女の子を乗せた議員の車は池に突っ込み、議員は逃げて女の子は溺死、という実際の事件(!)をモデルにしたお話。
下はさらに怖いミステリーというかサスペンスというか。

【いつまでもショパン】中山七里(宝島社)

ミステリー部分が練れていないとねえ。と、読者は贅沢にも思うのである。やや音楽にバランスが偏りすぎたか。

【コミュニケーションは、要らない】押井守(幻冬舎新書)

はっきり言って著者の主張には同調できないが、割り切った上で議論をしようという姿勢には共感できる。

【オケ老人!】荒木源(小学館文庫)

オーケストラの名称の思い違いから、お年寄りばかりのオーケストラに入団してしまった青年の話。ありがちなシチュエーションと、どこかで読んだような(見たような)エピソードをつなぎあわせただけのような印象も。設定は面白いが深みには欠ける。

【冥土めぐり】鹿島田真希(河出書房新社)
【女の庭】鹿島田真希(河出書房新社)

この作者、自身のトラウマを引きずってそれを作品に投影しているみたい。で、上は芥川賞受賞作。こちらは少し希望の光が見える。それが夫の障害による、というところがひとひねり。

【猫ダンジョン荒神】笙野頼子(講談社)

ええと。。。。。よくわかりません。でも読んでるうちにいろんなことが気になって、ウィキで作者のことを調べたよ。まえに「タイムスリップ・コンビナート」を読んでるんだけど(芥川賞受賞)。すっかり忘れている。で、これはわりと最近の作品なんだけど、これだけをいきなり読んでも理解の範疇を超えてしまうらしい。というわけで初期の作品から読みなおししたいなあと思っているところ。
作品の内容は、家に住む猫と自身が海の神の心を持っているとおもっている語り手(作者)と猫を通して語りかける(託宣する)荒神との話。ってこれだけ書いても何が何やらでしょうけど。読んでも何が何やらです。はじめはエッセイかと思ったくらい。過去と現在と幻想と現実がコラージュしている。わけがわからないんだけど、気になって気になって仕方ない。

【心を整える】長谷部誠(幻冬舎)

スポーツ選手の著作で幻冬舎で、という想像の域を出ない本でした。はあはあなるほど、あなたはそうやって生きてきはったんですね。でも真似はできませんね。とてもとても。はい。

【ダメをみがく-”女子”の呪いを解く方法】津村記久子・深澤真紀(紀伊國屋書店)
【やりたいことは二度寝だけ】津村記久子(講談社)
【婚礼、葬礼、その他】津村記久子(文春文庫)
【「そこそこ ほどほど」の生き方】深澤真紀(中経の文庫)
【平成男子図鑑】深澤真紀(日経BP社)

というわけで、心を整えることの反動というわけではないけれど、深澤真紀&津村記久子が最近のマイブームです。この「降りた」感がなんともいえない。こんな生き方でもええんや、という(ある意味)勇気をくれる。

今日は熱中症になりかけた(と思う)。無理をしちゃダメ。そして時には贅沢に、冷房の温度を下げてやれ!(現在29度)

久しぶりに

久しぶりにブログ更新です。
ぶたこのぶろぐにあるように、父が6月27日午前0時(なんというピッタリの時間!)に亡くなりました。

最後までグループホームで介護を受け、快適な(^◎^;)中で生涯を終えることができたのだなあと思います。
5月の末に誤嚥性肺炎で入院して以来、特別な延命行為はしないでおこうということになりました。食事もとれなくなりましたが、それがその人の寿命なのだと割りきって。本当に自然な形で最期の時を迎えることができたと思っています。

というのがもう10日も前になるんですね。はやいもので。
その間にぶたこはアメリカに行き、こちトラは調子がいいのやら悪いのやら(^◎^;)の状態。あ、今日も勝ちましたね。
そういうことも書かずに日々が過ぎてしまいました。

何かで落ち込んでいて、だとか、何かで忙しくて、だとかいうことではありません。
ただただ、なんとなく、なんです(この言葉、いつも使っているような気がする)

毎日の時間の過ごし方は読書であったり音楽鑑賞であったりです。
で、そういう時間はすぐに過ぎる。すぐに過ぎると思うのは自分の感覚であって、実はとてもたくさん時間を使っているわけですね。
で、気がつくともう寝る時間やなあ、ということになり(^◎^;)。
そして次の日が来る。
ということの繰り返しだったような気がします。

ブログを書く、ということは、多少なりとも能動的な行為(難しい言葉づかいやな。こういうふうにしか書かれへんことに問題があるような気がする)なので、やはり「よし、やるぞ」という気合のようなものがなければ書けないわけですね。
読書や音楽鑑賞は受動的な行為なので、何も考えず、ただ時間さえ空ければよいわけで(その時間は集中が必要かもしれないけれど)、楽な道なわけです。
そして楽な道を歩くのは、得意なんですね(^◎^)。

そんなわけで、しばらくは楽な道を歩いて来ました。
ぼちぼち復活しようかなと思っています。といって、困難な道を選んだわけではありません。
さて、キーボードを打つ打ち方とか思い出さないと(うそです)。

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