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【ふくわらい】西加奈子(朝日新聞出版)

西加奈子のベストセラー。これが本屋大賞になってもよかったかなと思います。

主人公は出版社の編集部に務める鳴木戸定。幼い頃から「ふくわらい」にはまり、成人した今は人の顔をみてもそれをふくわらいにしていまうという癖が抜けません。
他人とのコミュニケーションをうまくとれない定ですが、それが悪いことだとも思いっていないところがいいですね。

そしてその定をとりまく人達と定との関係が、いろいろ面白くなっていくのですね。
幼い頃から面倒を見てくれている乳母の悦子。「文芸時評」に毎回エッセイを書き続ける90歳を超えるスーパー老人水森康人とその妻のヨシ。一方的に定に言い寄る盲目の武智次郎。
なにより、プロレスラーで、週刊誌にエッセイも連載しているという守口廃尊のキャラが面白いです。

人間の感情とか、慣れ合いだとか、そういうものを全部排除してしまったら、こんな定みたいな人生が送れるのかもしれませんね。
いろんなしがらみとか、気を使うことだとかを知らないで生きているのは、面白いです。そのしがらみがあって当然だろうとか、こう言えばこちらの気持ちがわかるだろうという思い込み。いわゆる「常識」は、誰にでも通じるだろう、あなたわかるでしょう、わからないのは、あなた馬鹿ですか、というのが、どれだけ不安定な、曖昧な事柄なのかということを分からせてくれますね。

そう、この物語のテーマは、ただの変人話ではなく、みんなかなり曖昧なものを頼りに生きている、でも曖昧なまま愛し続けて生きていくしかないのだよね、ということだろうと思います(勝手な深読みです)。
曖昧さ(言葉の、感情の、常識の)をすべてそぎ落としたような定に触れ合うことによって、みんながなんとなくそれに気づいていくような。
特に、言葉の曖昧さについては、とてもとても面白い場面が何度も出てきます。

そして、守口廃尊の言葉に、この作家の意気込みというか、気持ちが現れているような気がしました。

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「おいら、」
「言葉が好きなんだ」
「言葉が怖いとか、いらねぇとか言ってるけど、好きなんだ。言葉を組み合わせて、文章が出来る瞬間に、立ち会いたいんだ」
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どちらかと言うと「ありえない!」話なんですけど、読み終わるとスカッとした気分になります。「通天閣」を超えたかもしれないですね。
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【跳躍者の時空】フリッツ・ライバー(中村融編・河出書房新社)

「奇想コレクション」のシリーズはどれも面白い、と言ってしまえないのですね。まあそれぞれ書く人も違うしテーマも書き方も内容も違うのだから、面白さに差があるのは当然だし、何が面白いかは読み手にもよるので、ひとくくりにはできないのは当たり前なのですが。

フリッツ・ライバーという人は、SF好きには有名らしいです。わたくしは知らなかったですが。
かなり破天荒な磁性を送ったことが、この本の訳者あとがきに書いてあります。それを先に読むと、この作品群の面白さはもっと増したかもしれませんね。

自伝的な要素も漂うような、ちょっと不思議な作品集といったところでしょうか。やや時代がかった(60年代70年代の)飛んじゃった感じもあります。それがいいかどうかは読み手の趣味によるでしょうね。

【有頂天家族】森見登美彦(幻冬舎)

毎日本を読み音楽を聞き時には映画を見て空想の世界でいつまでも遊んでいたいと思うけれど、現実世界は身の回りから消えてくれるわけもなく、いつかはそこに戻らなければなりません。それでもほんのひと時の空想の世界を楽しむのは(それがいつかは終わってしまうのは分かっていても)やめられないのです。

舞台は京都。ここに済む狸の家族(人に化けている)の物語。主人公は4人兄弟の三男坊、下鴨矢三郎。あまり頼りになりなさそうな他の3人の兄弟と、何事も楽観的に乗り切る母親。父は元狸界の頭領だったが、「金曜倶楽部」なる人間界の集まりで狸鍋にされて命を落としている。下鴨家と対立する叔父筋にあたる夷川家との対決。師匠である天狗(赤玉先生)とのやりとり。その赤玉先生に子供の頃に誘拐され、いまや師匠を凌ぐ力を備えた「弁天」などなど。いろんなキャラクターがくんずほぐれつ奇想天外な物語を創りだす。

ここまでハチャメチャになったら、面白さも超弩級であります。
始めは森見登美彦流の、ただの恋愛からめた妄想物語かと思いましたです。しかし後半以降、父親の死の真相、叔父との確執、狸界の覇権争いなどが絡んできて、謎解きと冒険の面白さも加わって、派手に展開していって、もう息もつかせないといった話になっていくのですね。

そして最後は「家族」の話にちょっと落ち着いていくところも、なんだか「うまいことやられた」という気がします。

【翼をください】原田マハ(毎日新聞社)

1937年、初の世界一周を目前に行方不明となった女性パイロット。その2年後の1939年、世界一周を成し遂げた日本の飛行機とそのクルー。実はこの2つの偉業には、知られざるつながりがあった。

史実をもとにして全く新しい物語を作り上げるのは、「楽園のキャンバス」でも見られた手法。この作品がデビュー間もない作だということだから、これを描き上げる過程でその腕を磨いたのかもしれませんね。

前半はアメリカの女性パイロット(モデルはもちろんアメリア・エアハート)の物語。後半は日本の飛行機クルーの話で、全く違う物語が2つくっつくのかなと思いきや。。。。
(ネタバレになるのでこれ以上は書きません)

まあ小説では何でもありなんですけどね。

それにしても、ちょっと気がかりになるのは、アメリカの世界一周計画が軍事目的を主眼とするものとして批判的に捉えられているのに対し、日本のそれがやや美談的になっていることかな。太平洋戦争前の物語。もちろん日本の航空事情も、軍事目的なしにはありえなかったはず。
そういう事情とは関係なく、日本人のクルーは理想に向かって飛び立ったのだ、と言われてもなあ。

まあ小説ですから。すべてを「美しい物語」としても、罪はないのですが。
(それでも最後まで読んで、感動してしまったのだから、なんとも言い訳のしようがないです)

【小公子】【小公女】バーネット(脇明子訳・岩波少年文庫)

五十を過ぎたおっさんが電車の中で岩波少年文庫の可愛い表紙の本を広げて読んでいるのは、傍から見たら変人としか思われないでしょう。それでも読みたいものは読みたいのです。

有名な物語なので、内容は言うまでもないと思いますが、本の裏表紙にある文章を引用しましょう(これくらいの引用はいいでしょう)。

小公子「アメリカで生まれ育った少年セドリックは、一度も会ったことのない祖父のあとつぎになるために、イギリスに渡ることとなった。貴族である祖父は高慢で頑固な人物だったが、セドリックの無邪気で温かい心にふれ、しだいに変わっていく」

小公女「ロンドンの寄宿学校でみんなから「公女さま」と呼ばれていたセーラだが、孤児になったとたん、下働きとしてこき使われる身に。つらい毎日に耐えていけたのは想像力のおかげだった。誇りと友情を失わなかった少女に起きた奇跡とは」

物語としてはどちらも教育的な内容で、「貧しさや困難にめげず、自分より他人のことを思いやる気持ちを大切に生きていけば、いつかは報われますよ」ということを教えているだけ。
でも、最近、こういう話って多いような気がする。
こういう話を、誰もが欲している時代なのかもなあ。
いろんなドラマ(最近は見ていないけれど)やバラエティ(見ていない)でのテーマが、友情であったり、絆であったり、思いやりであったり希望であったり、というのは昔からあるんだけれど。
いっときは、それはどこまで信用できるのか、という空気もあったけど、最近はそれを信じてみよう、というようになっているような気がします(気がするだけ?)。

で、そういう話の展開は昔からちゃんとあるわけで。この「小公子」「小公女」は、その典型でしょうね。

ただ、話の進み具合は2つの作品でかなり異なっています。
元々が貧乏暮らしだった「小公子」のセドリックに対し、「小公女」のセーラは元々が裕福な家庭で育っていて、突然の破産と父親の死によって見よりも財産もなくして貧乏暮らしになってしまうという設定です。
それよりも大きく違うのは、セドリックはどこまでも純真で、人を疑うことや憎むことや蔑むことなどは考えもつかない少年なのですが、セーラはもうちょっと大人びていて、教師であるミス・ミンチンや同級生のヴァイラのことは激しく嫌っています。
どちらかと言うと、「小公女」の方が、勧善懲悪物語の様相がはっきりしていますね。
「小公子」には、結局のところ本物の悪人は出てこないのですが、「小公女」では「敵」ははっきりしています。

さて、どちらが面白いかは人によるでしょう。もちろんどちらも面白い、という人も。
僕は、脳天気とも言える「小公子」が好みですが。

子ども向けの本とバカにしないで、今一度読んでみることをおすすめします。凡百のテレビドラマの台本がこれらの作品の域からほとんど進歩していないことがわかるでしょう。

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