どれくらいの速さで本を読めるかというと、だいたい1ページが1分前後というところ。もちろんページ内の文字数にもよるけれど。児童書みたいに1ページの字数が少ないと2ページで1分ぐらい。文庫はだいたい1分で1ページかな。と思ってたけど、講談社文庫はもうちょっと速く読めるみたい。10分で15ページとか。
電車に乗って本を読む。だいたい電車に乗ってる時間は(電車を待ってる時間も含めると)毎日往復で1時間ちょっと。で、だいたいこれくらいの分量は読めるかな、と見当がついてきた。乗ってる間にこれくらい。そんなのを先に見るのもどうかと思うねんけど、やっぱり気になってね。それに図書館で借りた本は返さなあかんので、期限までに読めるかっていうのもあるしな。最近は図書館で借りるときも「これくらいやったら2週間で読めるかいな」(最長で2週間借りられる)と考えて借りてるな。まあ、読みきれへんかったらそれでもエエねんけど。お金を払ってるわけやないしね。読まれへんかった本はそういう運命にあったと思って、次に出会う機会を待ちましょう。
先に読める量の見当をつけるというのは、電車に乗ってるときは大事なときもあると思うなあ。ちょうどキリのいいところで終わって、次のひと段落を読むかやめておくか、次に降りる駅までに読めるようやったら読もうと思うけど・・・なんて思う。まあキリの悪いところで電車を降りることになっても、もう一回、そのキリのいいところから読み直したらエエだけのことやねんけど。
図書館で借りてくるとなると、本屋で買うときには「買おうかどうしようか」迷うボーダーラインの本も気軽に借りて読むことができる。そんな本で、前から気になって、ゆっくり読んでみたかった水木しげるの「カラー版 妖怪画談」(岩波新書)を借りてきた。
新書の見開きに1枚ずつ(時々1ページに1枚)、妖怪やらの絵が描いてあって、水木しげる本人のコメントが添えてある。初めのほうは実際に訪れた「怪しい場所」、真ん中は「妖怪画」、最後は奇妙な「現象」のはなし。カラーの絵がいいね。
小学生のころ、夏休みに特別にもらったお小遣いで、妖怪画集みたいなのを買った。雑誌と同じ大きさの体裁の本でカラー版。描いたのはもちろん水木しげる。100枚ぐらい(もっとあったかも)の絵が載っていた。毎日飽かずに眺めてたなあ。
よく言われることやけど、水木しげるの描く妖怪って、どことなくユーモラスなんですよね。マンガチック。間が抜けてるようにも見える。それでいて妖怪の背景になってる寺とか神社とか、海とか山とか、そういうものはものすごく写実的なんですね。それがひとつの画面に収まってるのが、なんというかアンバランスで面白いなと思ったな。改めて見て。
それと、文章の方も「こんな恐ろしい妖怪が居るのだぞ」というのではなく、「昔はこれこれこういう風習とかがあって、こういうことが不思議に思われてて、それでこんな妖怪が生まれてきたのだなあ」っていう、どことなく懐かしむような文章でね。「怖い」ということがまったくなく、「懐かしい」っていうのがまず浮かんでしまう。昔買った画集を思い出してるから、というのもあるのかな。
ただ、こういう本は期限を区切って見るのはどうなんかなあとも思ったな。ホンマは自宅の本棚に置いておいて、ときどき思い出したように広げてみる。そういうのが本当に好きな人のやることなんでしょうねえ。そこまで気合いは入ってないな、わし。
妖怪の本ではないねんけど、ジェラルディン・マコーリアン「ジャッコ・グリーンの伝説」(金原瑞人訳・偕成社)には、西洋の(特にイギリスの)伝統的な妖怪がこれでもかっていうくらい出てくる。欄外に説明が書いてあるのはありがたかったな。
なんという特徴もない、どちらかといえば気弱な少年フェイリムの前に、突然妖精が現れて、「ジャッコ・グリーン、世界を救ってください」と言いだす。その妖精たちに追い出されるようにして旅に出るフェイリム。果たしてジャッコ・グリーンとして、世界を救うことができるのか。
何ということのない少年が冒険を重ね成長していき、最後には敵を倒して英雄になる。という話は子供のころからいっぱい聞かされてきたので(そう思ってるだけ?)たいして面白い話にはならない。が、この本は面白かった。
最初に書いたように、出るわ出るわの妖精たち。それぞれが作者の創造じゃなくて、昔の言い伝え、伝説に基づいているところが面白い。「指輪物語」を読んだだけでは分からへんかった妖怪の名前や特性やらが、それぞれの行動とか仕業とかでよく分かるように書かれてある。
さらには伝統的な祭りやまじないなんかも、よくぞこれだけ、この短い物語の間にと思うぐらい詰め込まれていて。余分なものをどんどん省いて書いてあるっていう印象やな。
作者のマコーリアンは以前に「不思議を売る男」を読んで、いろんなジャンルの物語を作る才能に感心したもんやけど。「ジャッコ・グリーンの伝説」も物語として素晴らしいと思うなあ。「不思議を売る男」は短編集の色合いが濃かったけど、こちらはれっきとしたひとつの物語。ただしその中にも、主人公と一緒に旅をするスウィーニーやエレクシアの「伝記」ともいえる半生の話もあって。どうして二人が妖精(みたいなもの)になったかってことやけど。これだけでも面白い話やったな。
どうやらマコーリアンという人、こういうお話の発想に富んだ人みたいやな。むずかしい人物描写やこまごまとした背景設定とかには関心がないようにさえ見える。真実っぽく見えるかどうかっていうのはどうでもよく、とにかく「お話」を聞かせるような、そんな感じ。だからこの話、とっても長い旅を(それも波瀾万丈の)してるんやけど、いろんなことがあっさりと片づいていったりするねんな。子供向けに書いてるっていう意識もあるんやろか。
それとエンディング。「不思議を売る男」もそうやったけど、手放しで喜べるハッピー・エンドやないんですね。どことなくうら寂しいというか。「え?ほんで、どうなるの?」と思わず言ってしまいそうになるんやね。それが例えば、勝利と引き替えに誰かの命が奪われたとか、そういう単純なことやなくて。読みようによっては、少年が大人になったのかなあ、この寂しさは大人の寂しさなのかなあ、ともとれるけど。そういうところも含めて、こういう話、好きやなあ。
訳者の金原瑞人さんのオフィシャル・ウェブサイトがありまして(本の巻末にもurlが載ってる)、そこに「ジャッコ・グリーンの伝説」の用語解説などが載っています。これ、とっても便利。というか助かった。なにがってね。「ジャッコ・グリーン」っていうのがよく分からんかったんですよね、最後まで。他の妖怪の説明とかは載ってたんやけど。それに最後の章は「ジャック・グリーン」ってなってて。おいおい名前が変わっとるがな、と思ったんやけど。この解説を読んで分かりましたな。
「Jack o' Green」なんですね、綴りが。「o'」は"of"か"on"の意味かな。日本語にするとどうしようもなく「ジャッコ・グリーン」ってなるけど。
ほんで森の精霊の意味やて。ウェブサイトを見て初めて分かったよ。
電車に乗って本を読む。だいたい電車に乗ってる時間は(電車を待ってる時間も含めると)毎日往復で1時間ちょっと。で、だいたいこれくらいの分量は読めるかな、と見当がついてきた。乗ってる間にこれくらい。そんなのを先に見るのもどうかと思うねんけど、やっぱり気になってね。それに図書館で借りた本は返さなあかんので、期限までに読めるかっていうのもあるしな。最近は図書館で借りるときも「これくらいやったら2週間で読めるかいな」(最長で2週間借りられる)と考えて借りてるな。まあ、読みきれへんかったらそれでもエエねんけど。お金を払ってるわけやないしね。読まれへんかった本はそういう運命にあったと思って、次に出会う機会を待ちましょう。
先に読める量の見当をつけるというのは、電車に乗ってるときは大事なときもあると思うなあ。ちょうどキリのいいところで終わって、次のひと段落を読むかやめておくか、次に降りる駅までに読めるようやったら読もうと思うけど・・・なんて思う。まあキリの悪いところで電車を降りることになっても、もう一回、そのキリのいいところから読み直したらエエだけのことやねんけど。
図書館で借りてくるとなると、本屋で買うときには「買おうかどうしようか」迷うボーダーラインの本も気軽に借りて読むことができる。そんな本で、前から気になって、ゆっくり読んでみたかった水木しげるの「カラー版 妖怪画談」(岩波新書)を借りてきた。
新書の見開きに1枚ずつ(時々1ページに1枚)、妖怪やらの絵が描いてあって、水木しげる本人のコメントが添えてある。初めのほうは実際に訪れた「怪しい場所」、真ん中は「妖怪画」、最後は奇妙な「現象」のはなし。カラーの絵がいいね。
小学生のころ、夏休みに特別にもらったお小遣いで、妖怪画集みたいなのを買った。雑誌と同じ大きさの体裁の本でカラー版。描いたのはもちろん水木しげる。100枚ぐらい(もっとあったかも)の絵が載っていた。毎日飽かずに眺めてたなあ。
よく言われることやけど、水木しげるの描く妖怪って、どことなくユーモラスなんですよね。マンガチック。間が抜けてるようにも見える。それでいて妖怪の背景になってる寺とか神社とか、海とか山とか、そういうものはものすごく写実的なんですね。それがひとつの画面に収まってるのが、なんというかアンバランスで面白いなと思ったな。改めて見て。
それと、文章の方も「こんな恐ろしい妖怪が居るのだぞ」というのではなく、「昔はこれこれこういう風習とかがあって、こういうことが不思議に思われてて、それでこんな妖怪が生まれてきたのだなあ」っていう、どことなく懐かしむような文章でね。「怖い」ということがまったくなく、「懐かしい」っていうのがまず浮かんでしまう。昔買った画集を思い出してるから、というのもあるのかな。
ただ、こういう本は期限を区切って見るのはどうなんかなあとも思ったな。ホンマは自宅の本棚に置いておいて、ときどき思い出したように広げてみる。そういうのが本当に好きな人のやることなんでしょうねえ。そこまで気合いは入ってないな、わし。
妖怪の本ではないねんけど、ジェラルディン・マコーリアン「ジャッコ・グリーンの伝説」(金原瑞人訳・偕成社)には、西洋の(特にイギリスの)伝統的な妖怪がこれでもかっていうくらい出てくる。欄外に説明が書いてあるのはありがたかったな。
なんという特徴もない、どちらかといえば気弱な少年フェイリムの前に、突然妖精が現れて、「ジャッコ・グリーン、世界を救ってください」と言いだす。その妖精たちに追い出されるようにして旅に出るフェイリム。果たしてジャッコ・グリーンとして、世界を救うことができるのか。
何ということのない少年が冒険を重ね成長していき、最後には敵を倒して英雄になる。という話は子供のころからいっぱい聞かされてきたので(そう思ってるだけ?)たいして面白い話にはならない。が、この本は面白かった。
最初に書いたように、出るわ出るわの妖精たち。それぞれが作者の創造じゃなくて、昔の言い伝え、伝説に基づいているところが面白い。「指輪物語」を読んだだけでは分からへんかった妖怪の名前や特性やらが、それぞれの行動とか仕業とかでよく分かるように書かれてある。
さらには伝統的な祭りやまじないなんかも、よくぞこれだけ、この短い物語の間にと思うぐらい詰め込まれていて。余分なものをどんどん省いて書いてあるっていう印象やな。
作者のマコーリアンは以前に「不思議を売る男」を読んで、いろんなジャンルの物語を作る才能に感心したもんやけど。「ジャッコ・グリーンの伝説」も物語として素晴らしいと思うなあ。「不思議を売る男」は短編集の色合いが濃かったけど、こちらはれっきとしたひとつの物語。ただしその中にも、主人公と一緒に旅をするスウィーニーやエレクシアの「伝記」ともいえる半生の話もあって。どうして二人が妖精(みたいなもの)になったかってことやけど。これだけでも面白い話やったな。
どうやらマコーリアンという人、こういうお話の発想に富んだ人みたいやな。むずかしい人物描写やこまごまとした背景設定とかには関心がないようにさえ見える。真実っぽく見えるかどうかっていうのはどうでもよく、とにかく「お話」を聞かせるような、そんな感じ。だからこの話、とっても長い旅を(それも波瀾万丈の)してるんやけど、いろんなことがあっさりと片づいていったりするねんな。子供向けに書いてるっていう意識もあるんやろか。
それとエンディング。「不思議を売る男」もそうやったけど、手放しで喜べるハッピー・エンドやないんですね。どことなくうら寂しいというか。「え?ほんで、どうなるの?」と思わず言ってしまいそうになるんやね。それが例えば、勝利と引き替えに誰かの命が奪われたとか、そういう単純なことやなくて。読みようによっては、少年が大人になったのかなあ、この寂しさは大人の寂しさなのかなあ、ともとれるけど。そういうところも含めて、こういう話、好きやなあ。
訳者の金原瑞人さんのオフィシャル・ウェブサイトがありまして(本の巻末にもurlが載ってる)、そこに「ジャッコ・グリーンの伝説」の用語解説などが載っています。これ、とっても便利。というか助かった。なにがってね。「ジャッコ・グリーン」っていうのがよく分からんかったんですよね、最後まで。他の妖怪の説明とかは載ってたんやけど。それに最後の章は「ジャック・グリーン」ってなってて。おいおい名前が変わっとるがな、と思ったんやけど。この解説を読んで分かりましたな。
「Jack o' Green」なんですね、綴りが。「o'」は"of"か"on"の意味かな。日本語にするとどうしようもなく「ジャッコ・グリーン」ってなるけど。
ほんで森の精霊の意味やて。ウェブサイトを見て初めて分かったよ。
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