ちょっと気取って、植草甚一風に題名をつけてしまった。

ま、題名のとおりです。オリンピックが始まってしまって、しばらく忘れていたテレビっ子の虫が起き出してしまいました。毎日見てます。トリノ。開会式は夜更かししてみてたし。それから以降も夜更かし、早起きとかして、体内時計はどうなるやろうと心配です。うそ。どうにでもなると思ってる。

で、まったく読書してないというわけではありません。もちろん。電車の中では本を読んでるし、どうかすると最近は昼休みにも読んでたりする。やっぱり体内時計がおかしなってるんやろか。

そのほかにも書けない理由を無理矢理考えると、最近読んでる本の傾向ということもあるかも。本の傾向、というより読み方の傾向やな。一冊を読みきって次の本、というのでなく、あっちをかじりこっちをかじり、という風にちょっとずつ読んでるんですな。つまりは短編集をいろいろ借りてきたおかげで、そんなことができるわけですが。

短編集でも、ちょっと分厚いめのものを借りてしまいましてね。途中でちょっと飽きたりして。で、別の短編集を読んだり。などということをするのはなかなか楽しいです。でも返却日には、読みかけの本を一挙に返却せなあかんのだね。

話を戻すと、読み切ってない本のことを書くのがちょっと躊躇されるのですね。読みきってから何か書こうかなと思うわけで。そうしてるとなかなか読みきらないので、結局書けない。ははは。

しかし、読みきらないと書けないということはないわけでね。勝手に自分で思い込んでるだけやから。途中まで読んでイヤになったら「イヤになった」と書いといたら、あとあと「あの本はしょおもなかったな」ということの記録になるねんしな。まして短編やねんし。

と思いなおしまして。ともかくこの間に読んだ本を、忘れないうちに列挙。

アガサ・クリスティの「スタイルズ荘の怪事件」
カズオ・イシグロの「日の名残り」
江戸川乱歩の「闇に蠢く」
岡本綺堂の短編集
集英社文庫の「短編復活」
マヌエル・リバスの「蝶の舌」
長嶋千聡の「ダンボールハウス」
エンリケ・バリオスの「アミ 小さな宇宙人」

こんなもんやったかな。このうち全部読んだのは「スタイルズ荘の怪事件」と「日の名残り」と「アミ 小さな宇宙人」の3冊。江戸川乱歩のは、小説集の中に入ってたもので、そのほかに「パノラマ島綺譚」(これが本の題名になってる)とか「一寸法師」とかがはいってるねんけど、まだ読んでない。あ、「ダンボールハウス」もほとんど読んだけどな。あっちを読みこっちを読みという風に、気になるところをつまみ食いみたいにして読んだから、全部読んだという気になってない。



さて、では順不同で。できるだけ書いていこう。大急ぎで。あんまりのんびり書いてると時間がかかりそうやから。

「スタイルズ荘の怪事件」(矢沢聖子訳・早川書房)はアガサ・クリスティのデビュー作。昔々に読んだことがあったけど、今になって読み返してみると、面白さがぐっと違っててね。昔はただ推理することが面白かったけど、クリスティの魅力はむしろ推理以外の人間模様やないかと思うなあ。昔はそれを味わうことがでけへんかったけど。今、読み方が代わった自分にも驚くな。それと、早川書房のこのシリーズは、前書きにアガサ・クリスティの孫のマシュー・プリチャードの解説があって、これがまた面白いのであるな。

「日の名残り」(土屋政雄訳・早川書房)は、先にテレビで放送された映画を見たのであった。それがとてもいい映画やったので、原作を読んでみたくなったわけ。原作は本国イギリスの文学賞「ブッカー賞」を受賞した。第二次大戦をはさんでの、イギリスの貴族の家に勤めた執事の回想。その主人は、戦時中ナチスドイツに協力したとされて、国賊扱いされるが、執事としてはそんな主人でも主人は主人。しかも人間的には品格(この言葉がキーになってるな)も備えて、思いやりもある好人物(だからこそ、ナチスに利用されたとも言える)だったために、執事である主人公は主人を責めることはできない。むしろ誇りに思っているのだが。さらに、かつては名執事と思われたが、年を取って昔のような働きができなくなった父との関係。ほのかな愛情を寄せる女中頭との関係。映画ではこの女中頭との関係に、話の中心があったけど。それもまたひとつの視点かな。最後になって、かつて慕っていたことを告白される(それも婉曲に)シーンは、ちょっとじんと来たな。執事としての仕事を全うすることに全人生をかけてきたけれど、果たしてそれがよかったのかどうか・・・という回想になるんですね。「日の名残り」という題名の意味も、小説の方がより分かりやすい。あたりまえか。

「アミ 小さな宇宙人」(石原彰二訳・徳間書店)は本来は児童文学なのかな。それにしては理屈っぽい。「これが正しいのだ」と教えられてるようで。教えられてるっていうのは、ちょっといやな意味でね。学校の授業みたい。まあ理想をいろいろ語るのはいいねんけど。

さて、大急ぎで他の本の話を。「蝶の舌」(野谷文昭・熊倉靖子訳・角川書店)はスペインの作家マヌエル・リバスの短編集。でも表題の1作しか読んでない。映画にもなりましたね。映画、見たかったな。スペイン内乱の、悲劇的な話なんやけど、はっきりと悲劇的な場面を描くんじゃなく、それでも悲しい話になってるのがいいなあ。ちょっと、雰囲気に流されそうな描写とかがあって、読みづらくもあってんけどね。

光文社文庫から「江戸川乱歩全集」というのが刊行されていて。「闇に蠢く」(うごめく、と読む)はその第2巻の最初に収められている。最初に読み始めた感じと、後半とでずいぶん印象の違う作品になっている。著者による解題によると、連載をはじめた時には結末をあんまり考えておらず、いろいろやってるうちに意外な方向に話が進んでしまったらしい。最初はやや怪奇な推理ものかと思わせるんやけど(確かに推理ものと言えなくはないけれど)、後半は人肉食という猟奇の心理小説風になってしまう。そこら辺になると「読み物」っていう感じがしてしまうねんなあ。ミステリー映画がB級映画になるような。

岡本綺堂という人、聞いたことがあるなあと思ったら、半七捕物帳を書いた人なんですね。ちくま文庫の「怪奇探偵小説傑作選−1」が岡本綺堂集で。「青蛙堂鬼談」が収められている。大正から昭和にかけての作品集。というか連作集ですな。青蛙堂に集まった人たちが、順番におもしろい話(怪奇談)をするという趣向。ただ怪奇談といっても、幽霊が出てきたり魔物が出てきたり、あるいは猟奇的なものがあったりというわけではなく、「なんとも不思議な巡り合わせ」とか「ひょっとしたらそれは人の恨みというものか」という具合に、「いかにもありそうな不思議な話」なのが面白い。それぞれが語り手が経験した、あるいは聞き知った話で、ということで、十分な説明がつかない話も多い。それだけに余計に「ありそうで怖い」ともいえる。ちょうど、何もないと分かっていながら、夜中にひとりで便所に行くのが怖い、というのに似てる。



文春文庫の「短編復活」と「ダンボールハウス」は、また日を改めて。
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