ああよかったなあ、と思ったら、すぐに書き留めておかないと、なにがよかったか後で思い出そうと思っても思い出せなくなってたりするんですよね。昨日の「はなうた日和」は、とってもいい本やのに、一日書くのを置いていたもんやから、はて詳しい内容はどんなんやったかなあと、思い出しつつ書かないといけなかった。そうすると、読み終えたときの何ともいえない感動が薄まってきてしまうんですね。まあ、読んだすぐあとの感覚より、しばらく間を置いた方がしっかりとした感情で、感想も書けるのかもしれないけれど。でも細かいところを忘れてしまうのがなあ。なにしろ記憶力が薄れてきているのだな。どうしようもない。
で、しばらく経ったらまた、ちょっとした内容を思い出すんですね。「世田谷もなか」以外にも(^◎^;)。ほんで「ああ、あんなこととか、こんなことをちゃんと書いておいたらよかったなあ」なんて後悔するんですけどね。いい本やったから余計にそう思ったんやな。とにかくいい本です。改めて言うのもなんですが。
今、一冊読み終わったところ。上に書いたようなことがあるので、忘れないうちにいろいろ書いておこう。あ、これは自分のための感想であって、誰かに内容を分かって欲しいとか、そういうことではありません。ですので、「中身がよう分からん」ということになってしまうかも。まあいいや。
デイヴィッド・アーモンドを読むのは2冊目。「闇の底のシルキー」(山田順子訳・東京創元社)。前に読んだ「火を喰う者たち」もよかったけど、これもすばらしい出来。なんでもこれが長編2作目だったそうで。一応児童文学の部類に入るんだろうけど(主人公は13歳の少年やし)、大人が読んでも十分楽しめる。というか、大人と子供の違いってなんやろうとさえ思ってしまったな。
主人公のキットは13歳。おじいちゃんの住む田舎の炭鉱(だった)町に引っ越してくる。両親といっしょに。おじいちゃんも炭坑夫だった。そうとうもうろくしていて、先が長くないみたいだ。キットの同級にアスキューという少年がいる。父親は飲んだくれで暴力も振るう最低な男。アスキューもやや荒っぽい気性。
そのアスキューがリーダーとなって、子供たちは「死」のゲームをする。仲間の一人を廃坑に一人きりにするのだ。暗い廃坑でひとりになって、臨死体験をしようというゲームだ。そのゲームで一人になることになったキットは、そこで思わぬ体験をする。そしてアスキューと自分とのつながりを感じ、彼を闇から救おうとする。しかし、どうやって?
題名の「シルキー」とは、廃坑にいる(らしい)妖精のようなもの。おじいちゃんは炭坑夫をしているときに出会ったという。シルキー自身が何かをする、という話ではないのですね。そのほかにも、キットには昔炭鉱で死んでいった少年炭坑夫たちの幻を見るんですね。いえいえ。それは幻とは限らないのですよ。などと思い出すと、もうこの作者のペースに引き込まれてるってことになるんですね。
「火を喰う者たち」もそうやったけど、廃坑や幻の少年たちやシルキーや「死」のゲームといった、ちょっと恐ろしい内容なんやけど、全体のトーンは静かなんですね。激しい場面がない。「恐い!」と思うところもそんなにない。だから読んだ後に嫌なものが残らないんですね。もっと読みたいと思ってしまったな。
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