金原ひとみが気になるのだ。金原ひとみが好きだ、というのとは違う。なんとなく気になる。注目している、というのとも違う。とにかく気になるのだな。
だから新しい本が出ると読んでみたくなるのだ。読んだあとは、はてはてはて???と考えてしまうこともあるんだけれど。
最初に読んだ「蛇とピアス」は、衝撃的な内容とは裏腹に、文体がとても素直で、その矛盾というか、とっ散らかっているようでまとまっている不思議な雰囲気に、まあ芥川賞もアリかなあという気になった。
続いて読んだ「AMEBIC」は、いきなり誤変換のワープロ文字から始まって、さあどうなるんだ? と思ったら、なんとなく煮え切らない、どこにでもありそうな男と女の話に落ち着いて(それは相当ドロドロなんだけど)、そのアンバランスさにどこか危ういところがあって、「どうしたんだ、金原ひとみ」と勝手に心配なんかしてしまったのだった。
そして新刊。「オートフィクション」である。
主人公のリンは作家である。章の題名にある「22th」とか「18th」とかは22歳、18歳ということか。現在は22歳の作家。結婚したてで愛する彼と新婚旅行の帰りの飛行機の中、というシチュエーションで始まるのだが。
この主人公が、過去を振り返って「自伝的な作為小説を書く」ことを編集者に勧められて、作中作のような形で、どんどん過去にさかのぼって「自伝的な小説」を書くことになっていく。という形の話。
それにしても、リンというキャラクターは「どうぞ勘弁してください」と言いたくなるような、自己中心的で自尊心が高く、しかも我儘で人のことはどんな理由があっても自分勝手な行動は許さず、しかし自分のすることにはことごとくその理由づけを考えて、それを相手が納得しないことに腹を立てているという、こんな女がそばにいたら、絶対に避けて通りたい、関わり合いになりたくないような女なのだ。
22歳の現在から始まって、18歳、16歳、15歳とさかのぼって話は進んでいくのだな。
面白いことに、22歳の現在が一番人に依存する(それは夫である。いつでも甘える対象、依存する対象は男なのである)のだが、さかのぼるにつれてやや自立的な面が見えてくるのだな。
そういう話の筋の面白さとともに、この文体の面白さはなんとも気持ちがいい。いや、気持ち悪いという人もいるだろうけれど。
難しい言葉を使うと、ジョイスやプルーストやバージニア・ウルフが苦労して(多分)開発してきた文体、「意識の流れ」をいとも易々とやってのけているのだ。
それも気がつかないうちにその中に読んでいるこちらを引っ張り込んでしまう。そして突如として爆発するような文章。
「ねえねえ」という甘え言葉が一転して「ばかってんだよばか」になったかと思うと、いきなり「マンコ」のオンパレードになったりして、どうなってるんだ! とこちらが思う暇も与えない。
これを「面白い」と思うか、「くだらん」と思うかはひとそれぞれやろうなあ。
最初の章で「結婚」したカップルを登場させたが、最終章「15歳」では、ついにというかいよいよと言うか、両親の話がちょっとだけ出てくる。今までで初めてかも。
ようやくそこまで自分を見つめるようになったのか。吹っ切れたところがあるのか。あるいは開き直ったのか。どうなんだ!
と、僕の読み方はどうもワイドショー的になっている。これこそ作者の思う壺というものだろう。金原ひとみから見たら僕なんか「うざいおっさん」なんだろうなあ。
でも作者になんと思われようと、やはり気になるものは気になるのだ。
ここまで(ついに家族が出てきた)書いたから、次はどうなるのか? ものすごく楽しみでもあるんだなあ。
「アメリカミステリ傑作選・2003」は、実はまだ全部は読んでいないのです。というか、ひょっとしたらもう読めないかも。かなり頑張ったんだけど。全20編のうち14編まで読んだ。
ホートン・ミフリン社が毎年刊行しているミステリの傑作選。なのだけれど。
これはDHCが刊行していて。そう、化粧品のDHCです。
元々は翻訳の教育会社なのだね。だからこういう本も出版しているらしい。
この本は20編の短編(20ページから40ページ程度。そこまでいくと中編と言いたくなる)を収めているのだが、翻訳者が1編ずつばらばらで。おそらくは翻訳の勉強をしている人あるいは今から本格的に翻訳者として仕事をしていこうという人、つまりは新人翻訳家がその腕試しのような感じで訳しているらしいのだ。ということは他の本で知ったのだけど。
何が言いたかったかというと、「翻訳は難しい」ということだ。話の筋とは関係ないことなんやけど。
例えば警察官が犯人を追い詰めていく。だいたいがひとりで行動するのではなく「相棒」と一緒に。そして犯人逮捕、できるかどうか。
というような手に汗握る展開になったとして、さてそれを英語の文章ではどう表現しているのだろうか。ということは翻訳から想像するしかない。
その原文のニュアンスやスピード感などは、どの程度訳されているのだろう。それが分からないままというのが多いような気がする。もちろんそれってとても難しいことなんだろうけれど。
そんなことを考えたのは、先に金原ひとみを読んだからかもしれない。彼女の文章は今どきの日本語満載で、そのニュアンスまでも捉えていて、ちょっとした句点や読点の使い方が絶妙なのだ。
これを英語に直すとして・・・と考えたけど、それはどうしても無理だろう。そんなに英語に堪能なわけじゃないけれど、どうも英語になったとたんに、彼女の文章の特徴が全部削がれてしまうような気がするのだ。
逆もまた真なり。英語で書かれた文章を日本語に直して、元々の文章の持っていた匂いとか感覚とか、どれくらい翻訳することが出来るのだろう。それには限界があるんじゃないか。ことに最近の、現代の、最新の英語となると、きっとそれまでのいろんな文体の影響を(知らず知らずのうちにでも)受けてるだろうから、元の文章を読んでその影響を受けた文体を思い浮かべてそして日本語にする。ううむ、どうも難しそうだ。
だったら原文で読めば、ということになるんだけれど。そこまでの自信がないねんなあ。児玉清さんはエライよ。
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