昨日から冬休み。で、ゆっくり本も読めるというものだけれど、実はそんなにも読む時間は増えていないなあ。むしろテレビをだらだら見るとか、DVDを見るとか(テレビと一緒か)いう時間が長くて。
それに、仕事に行っているときは、行き帰りの電車の中で本を読むのだし、昼休みも食後に読んでいるのだけれど、家に居るとそういう時間はないのだな。
お昼ご飯を食べたあとはだらだらとテレビを見ている。やっぱりテレビか。
まあ、無理に本を読むこともないのだからいいけれどね。でもいっぱい借りてきてるからなあ。
シュペルヴィエルという人は名前も聞いたことがない。綴りを見ると「シュペルヴィーユ」とも読むのかなあと思うけれど、人の名前は綴りだけでは判断でけへんところがあるからね。いい加減なことは言わないでおこう。
「海に住む少女」はファンタジー短編集。といってもただの子供向けファンタジーではない。「死」だとか「孤独」だとかがテーマになっていて、というかお話の中心になっていて、幻想的な不思議な雰囲気を醸し出している。
シュペルヴィエルはどちらかというと「詩人」というイメージが強いらしい。そう考えると、いかにも詩的な世界ともいえそうだ。
そういう先入観なしに読む方がいいのだろうなあ。どれもとても短い話なので、たしかに詩を読んでいるような気分になるときもある。そしてその雰囲気というか、醸し出す世界を楽しむような気分になる。
教訓的なことを考えずに、ね。
「漫画大学」は風変わりな作品だ。漫画の書き方とかを講義する、その合間にオムニバス風にストーリー漫画がはさまっている。その話も、単なる付け足しではなく面白い。これだけを単独に発表してもよかったのに、それを「講義」の形で入れてしまうところが、その発想が面白いなあと思う。
そういえば手塚治虫の漫画って、案外そういう構成のものって多いよなあ。代表作の「火の鳥」にしても「ブラック・ジャック」にしても、真面目な話の合間にヒョウタンツナギが出てきたり、変なギャグが出てきたりっていう、いわば「コラージュ」的な手法。
それが実に自然に、何の違和感もなく出来るところが、天才たるゆえんなのだろうなあ。
同じく収録されている「化石島」も、同じようにいくつかの話のオムニバス。「化石島」に上陸した3人の旅行者が、それぞれ見る夢の話。SFであり西部劇であり冒険譚であり、とこれもさまざま。
そのそれぞれに遊び心もあって。ついつい引き込まれて読んでしまうのだな。
普段マンガはほとんど読まないのだけれど、こんな風に書く人はもういないんではないかなあ。
そして手塚治虫というとすぐに「鉄腕アトム」だとか「リボンの騎士」だとかのテレビアニメを思い浮かべてしまうけれど、本来の仕事というか本領を発揮しているのはやっぱり「マンガ」であって。
それはコマのカット割り一つをみてもそう思う。この本に収められた2編をみても、「これは映像では表現でけへんやろう」と思わせる個所がいっぱいであったよ。
衝動買い、とのはよくあることだ。とアッサリ書いてしまったけれど、僕はそんなに経験はない。でも衝動買いしてしまう人の気持ちは分からないでもない。
特に「一点もの」とか「掘り出し物」を見つけてしまったときなどは。
「もののはずみ」は、著者が主にパリの古物市で見つけて買ってしまったものについての思い出話のようなもの。そのひとつひとつについて写真入りで思い出が語られている。
それも単なる思い出話じゃなくて、そこに至る心情だとか、見つけたときの思いだとかが書かれていて、とてもよくできた写真エッセイになっている。
どんな物にでも物語があるものなのだなあ。ほとんどがパリでの掘り出し物(と本人は思っている)っていうところが、ちょっとだけセレブ気分でもある。
それにしても、これだけのものを家のどこに置いているのだろう。それだけが不思議だ。
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