どうか、「ディープ・パープル、サード」と読んでください←芥川龍之介風
レッド・ツェッペリンと並び称される、ブリティッシュ・ハードロックの雄(ただし70年代の)、ディープ・パープルですが、初期の頃はプログレ風だったのですね。リーダー(キーボード)のジョン・ロードは、クラシックとロックとの融合を目指していたらしい。
このアルバムのあと、ボーカルとベースがメンバーチェンジ。そのあとも1枚、オーケストラと共演するというアルバムを出しますが、ギターのリッチー・ブラックモアの強い意向で、5枚目の「イン・ロック」で、ハード・ロックに転向。これが成功して、以降ハード・ロックの王者としての道を歩むのですな。
というわけで、このアルバム「サード」は、クラシックぽいです。最後の「四月の協奏曲」では、途中に室内オケが入るっていう構成。はい、まったくロックじゃありません。
ちょこちょこっと、ところどころに後年のハード路線を予想させる(もちろん、今聞くからそう思うんだろうけれど)リフやソロも出てきますが、基本は「楽譜通り」みたい。
アルバム発表は1970年かそこらで、まだシンセサイザーとかが一般でなかった時代。ここではシンプルなオルガン演奏が主体です。もっともジョン・ロードはその後もオルガン一筋、というようなひとでしたけど。エレキ・ギターも、ちょっとしたディストーションはあるものの、まあオーソドックスな使い方。なによりリズム隊がおとなしめです。
今さら目を見張るようなおどろきもなく。楽曲もびっくりするようなものもありません。ちょっと時代を感じてしまいました。
でも、楽曲の構成感は、のちのハード路線になっても継承されたのかな、と思わせるところはあります。無理矢理にでも盛り上げる曲構成。その基盤があったのですね。
レッド・ツェッペリンと並び称される、ブリティッシュ・ハードロックの雄(ただし70年代の)、ディープ・パープルですが、初期の頃はプログレ風だったのですね。リーダー(キーボード)のジョン・ロードは、クラシックとロックとの融合を目指していたらしい。
このアルバムのあと、ボーカルとベースがメンバーチェンジ。そのあとも1枚、オーケストラと共演するというアルバムを出しますが、ギターのリッチー・ブラックモアの強い意向で、5枚目の「イン・ロック」で、ハード・ロックに転向。これが成功して、以降ハード・ロックの王者としての道を歩むのですな。
というわけで、このアルバム「サード」は、クラシックぽいです。最後の「四月の協奏曲」では、途中に室内オケが入るっていう構成。はい、まったくロックじゃありません。
ちょこちょこっと、ところどころに後年のハード路線を予想させる(もちろん、今聞くからそう思うんだろうけれど)リフやソロも出てきますが、基本は「楽譜通り」みたい。
アルバム発表は1970年かそこらで、まだシンセサイザーとかが一般でなかった時代。ここではシンプルなオルガン演奏が主体です。もっともジョン・ロードはその後もオルガン一筋、というようなひとでしたけど。エレキ・ギターも、ちょっとしたディストーションはあるものの、まあオーソドックスな使い方。なによりリズム隊がおとなしめです。
今さら目を見張るようなおどろきもなく。楽曲もびっくりするようなものもありません。ちょっと時代を感じてしまいました。
でも、楽曲の構成感は、のちのハード路線になっても継承されたのかな、と思わせるところはあります。無理矢理にでも盛り上げる曲構成。その基盤があったのですね。
フリッチャイは、その風貌もあって「フルトヴェングラーの後継」とも言われていたらしいですが、病気(白血病)のために、48歳の若さで世を去りました。若っ! 写真を見る限り、そんなに若くは見えないですが。
晩年ちかくに、ベルリン・フィルとベートーヴェンの交響曲を録音しています。どんなんか、聞くのは初めて。
「フルトヴェングラーの後継」と言われているから、どんなロマンチックな演奏をするのかと思ったら、これが意外にもアッサリスッキリとした演奏でした。
メロディを歌わせる、というよりも、リズムがはっきりした、きびきびとした英雄です。大オーケストラのはずなのに、そうとも聞こえない。実にスッキリ。
そして、これは録音のせいもあるのかなあ、主旋律に対する対旋律がとてもよく聞こえてくる。だからとても音楽が立体的に聞こえる。
この曲は、どんな風に演奏しても納得できる名曲なのですが、こういう聞こえ方もあるのか、という発見があって楽しいです。
晩年ちかくに、ベルリン・フィルとベートーヴェンの交響曲を録音しています。どんなんか、聞くのは初めて。
「フルトヴェングラーの後継」と言われているから、どんなロマンチックな演奏をするのかと思ったら、これが意外にもアッサリスッキリとした演奏でした。
メロディを歌わせる、というよりも、リズムがはっきりした、きびきびとした英雄です。大オーケストラのはずなのに、そうとも聞こえない。実にスッキリ。
そして、これは録音のせいもあるのかなあ、主旋律に対する対旋律がとてもよく聞こえてくる。だからとても音楽が立体的に聞こえる。
この曲は、どんな風に演奏しても納得できる名曲なのですが、こういう聞こえ方もあるのか、という発見があって楽しいです。
「復活」を初めて聞いたのは、バーンスタイン指揮のニューヨークフィルのレコード。それはもう、何回も聞いたので、「復活」とはこういうものだ! という考えができてしまっていました。だいたい、スコアを見るわけではないので、ここでリタルダンドがかかるのだとか、ここでこの早さになるのだとか、ここで間が空くのだとかいうのは、すべてバーンスタイン版が基本になっているわけです、わたくしの中で。
でも、バーンスタインの演奏って、かなり個性的なんですよね、実は。第1楽章の第1テーマはびっくりするくらいにゆっくりやし。それに比べて出だしはメチャクチャ早いし(よお弾いてますわ、コントラバス)。
で、クレンペラーを聞いたんですね。もう第1楽章の出だしからして、バーンスタインとはまったく逆でね。出だしはゆっくりじっくり、第1主題はさささっと進んでいって、あれあれと思う間にクレッシェンド。
わたくし、クレンペラーというひとは、もっとドイツチックに(どんなん?)ロマンチックに(こっちの方がまだ分かる)、ネットリとこってりと演奏するのかと思いきや、バーンスタインに比べて、とってもスッキリしてるんですねえ。
ただ、終楽章はちょっと物足りなさも残ります。もっともっと盛り上げてくれえ! と思うのは、やっぱりバーンスタインの演奏が頭に残ってるからやろなあ。
でも、バーンスタインの演奏って、かなり個性的なんですよね、実は。第1楽章の第1テーマはびっくりするくらいにゆっくりやし。それに比べて出だしはメチャクチャ早いし(よお弾いてますわ、コントラバス)。
で、クレンペラーを聞いたんですね。もう第1楽章の出だしからして、バーンスタインとはまったく逆でね。出だしはゆっくりじっくり、第1主題はさささっと進んでいって、あれあれと思う間にクレッシェンド。
わたくし、クレンペラーというひとは、もっとドイツチックに(どんなん?)ロマンチックに(こっちの方がまだ分かる)、ネットリとこってりと演奏するのかと思いきや、バーンスタインに比べて、とってもスッキリしてるんですねえ。
ただ、終楽章はちょっと物足りなさも残ります。もっともっと盛り上げてくれえ! と思うのは、やっぱりバーンスタインの演奏が頭に残ってるからやろなあ。
図書館でCDを借りて聞いた。久しぶりやなあ、この曲を聴くの。1972年の作品。当時はプログレの全盛期で、このアルバム(当時はもちろんLP)も、発売前、予約だけでミリオンになったはず。さらに、イギリスで先行発売されたために、アメリカでは輸入版が大いに出回って、アメリカのレコード会社(たしかアトランティックレコード)が、本来はイギリスでの人気を見極めてからリリースするはずが、慌てて発売を決めた。これ以降、「英米同時発売」というのが認められた、なんていうエピソードもあるくらい。
改めて聞くとね、昔は聞こえなかった音がそこここから聞こえてきて、また新しく聞けたよ。ああ、ここではバックにキーボードが鳴っていたのか、とか、ギターが思ったより活躍してるんやなあ、とか。ベースとドラムスのリズム隊はもう最高! こんなややこしいアクセントを、よう演奏したなあ。ほんで、これがまた「ポピュラー音楽」として受け入れられたっていうのも、時代を感じるなあ。今やったらまだしもね。
改めて聞くとね、昔は聞こえなかった音がそこここから聞こえてきて、また新しく聞けたよ。ああ、ここではバックにキーボードが鳴っていたのか、とか、ギターが思ったより活躍してるんやなあ、とか。ベースとドラムスのリズム隊はもう最高! こんなややこしいアクセントを、よう演奏したなあ。ほんで、これがまた「ポピュラー音楽」として受け入れられたっていうのも、時代を感じるなあ。今やったらまだしもね。
図書館で借りてきた「狂気」のCDは、「ハイブリッド版・5.1ch」となっていた。昔と違っているのか。ちゃんと再生できるんかいな。
なんとか普通に再生できるようなので、ひと安心した。それにしても、かつてのアルバムのCD化、それが「ハイブリッド版」とかいう名前がついて再発されるっていうのも、このアルバムの人気の高さを示しているように思うなあ。いや、ただ単にCDの技術が向上しただけかもしれんけど。
オリジナルは確か1972年にリリースされた、オリジナルとしては5枚目のアルバムで、驚異的なセールスを記録したもの。確か10年以上にわたってチャートインしていたのではないかなあ。浮き沈みの激しいロックの世界で、これだけの記録は珍しいでしょう。
発売当時は、シンセサイザーの新しい使い方(オン・ザ・ランでの、テクノっぽいシーケンサーとか)や、サウンドエフェクト、テープエフェクトが、他のプログレバンドより1歩も2歩も左記を進んでるっていう印象だった。アルバムも、ポスターやら冊子やらが付いた、豪華なものやったしね。
さて、「ハイブリッド」は、どう「ハイブリッド」なのか。正直言って、びっくりするようなことはあんまりありません。まあ、このCDに見合った「ハイブリッド」な再生システムを持ってる人には、違いが分かるのかもしれませんが。
ぱっと聴いた限りでは、「タイム」でのリズム隊(ベース、ドラムス)が、かつて聴いた時よりハードに、ヘビーになっているかなという気はする。
気になるのは「5.1ch」となっているところ。よくあるホームシアターでの再生を念頭に置いてるんだろうけど。どんな風に聞こえるんだろうという興味はありますな。音があっちゃこっちゃに飛び交うんやろか。
なんとか普通に再生できるようなので、ひと安心した。それにしても、かつてのアルバムのCD化、それが「ハイブリッド版」とかいう名前がついて再発されるっていうのも、このアルバムの人気の高さを示しているように思うなあ。いや、ただ単にCDの技術が向上しただけかもしれんけど。
オリジナルは確か1972年にリリースされた、オリジナルとしては5枚目のアルバムで、驚異的なセールスを記録したもの。確か10年以上にわたってチャートインしていたのではないかなあ。浮き沈みの激しいロックの世界で、これだけの記録は珍しいでしょう。
発売当時は、シンセサイザーの新しい使い方(オン・ザ・ランでの、テクノっぽいシーケンサーとか)や、サウンドエフェクト、テープエフェクトが、他のプログレバンドより1歩も2歩も左記を進んでるっていう印象だった。アルバムも、ポスターやら冊子やらが付いた、豪華なものやったしね。
さて、「ハイブリッド」は、どう「ハイブリッド」なのか。正直言って、びっくりするようなことはあんまりありません。まあ、このCDに見合った「ハイブリッド」な再生システムを持ってる人には、違いが分かるのかもしれませんが。
ぱっと聴いた限りでは、「タイム」でのリズム隊(ベース、ドラムス)が、かつて聴いた時よりハードに、ヘビーになっているかなという気はする。
気になるのは「5.1ch」となっているところ。よくあるホームシアターでの再生を念頭に置いてるんだろうけど。どんな風に聞こえるんだろうという興味はありますな。音があっちゃこっちゃに飛び交うんやろか。
超人ニーチェの大著を題材にとった一大交響詩。これを聞きながらプルーストの「失われた時を求めて」を読んでいると、人生について深く瞑想してしまう。
ウソです(^◎^;)
だいたいが、哲学の大著を音楽で表現するなんてことを、リヒャルト・シュトラウスがホンマに追究したかったのかどうかさえ怪しいと、わたくしは思っています。
出だしの、あの有名な序奏。パイプオルガンの重低音にトランペットのファンファーレ。まあ確かに、宇宙の創造とか原始の響きとか、そういうものを感じ取ることはできるかもしれませんが。わたくしにはどうしてもこの曲を初めて聴いたあの場面、そうあの「2001年宇宙の旅」の印象が強すぎて、そこから逃れられない自分がいるんですね。だからこの冒頭を聞くと、すぐさま脳裏に浮かぶのは「モノリス」あるいは、骨を投げ上げる原始人、なわけです。
ま、そういう個人的な思いもあるわけですが。もちろんこの曲はこの序奏で終わるわけではないので。
いろんな曲想が次々に表れて、それぞれに「人生について」とかそのほか、何か哲学的な(もともとの本に依った章立てなんだろうけど)副題がついている。でもね。聞いてると、「だからどうした」という気分になってくるのだなあ。
そらあ、ひとつひとつのメロディというか音楽は、とっても魅力のあるものなんだけど、どういうわけか大きく発展していくということがないのですね。だからそれぞれのオーケストレーション、音の厚みとか音色とかの面白みは、それはもう目が回るくらいにあるのだけれど、どこかもう一歩、というところでわたくしの心は止まってしまうのであります。
R.シュトラウスは、わたくしには合ってないのかなあ。
とはいえ。豪華絢爛という言葉がこれほどぴったりくる音楽は(ほかの曲も含めて)ないわけだから、妙な表題とかに惑わされずに聞いたら、これはこれでとても楽しめる。それになにしろカラヤン−ベルリンフィルは、どこを切っても上質の味がするって感じ。上質のクリームたっぷりのデコレーションケーキを食べている気分。
でも、お蕎麦とかうどんとかが好きな人には、ちょっと最初から最後までケーキ攻めでは、ねえ。
ウソです(^◎^;)
だいたいが、哲学の大著を音楽で表現するなんてことを、リヒャルト・シュトラウスがホンマに追究したかったのかどうかさえ怪しいと、わたくしは思っています。
出だしの、あの有名な序奏。パイプオルガンの重低音にトランペットのファンファーレ。まあ確かに、宇宙の創造とか原始の響きとか、そういうものを感じ取ることはできるかもしれませんが。わたくしにはどうしてもこの曲を初めて聴いたあの場面、そうあの「2001年宇宙の旅」の印象が強すぎて、そこから逃れられない自分がいるんですね。だからこの冒頭を聞くと、すぐさま脳裏に浮かぶのは「モノリス」あるいは、骨を投げ上げる原始人、なわけです。
ま、そういう個人的な思いもあるわけですが。もちろんこの曲はこの序奏で終わるわけではないので。
いろんな曲想が次々に表れて、それぞれに「人生について」とかそのほか、何か哲学的な(もともとの本に依った章立てなんだろうけど)副題がついている。でもね。聞いてると、「だからどうした」という気分になってくるのだなあ。
そらあ、ひとつひとつのメロディというか音楽は、とっても魅力のあるものなんだけど、どういうわけか大きく発展していくということがないのですね。だからそれぞれのオーケストレーション、音の厚みとか音色とかの面白みは、それはもう目が回るくらいにあるのだけれど、どこかもう一歩、というところでわたくしの心は止まってしまうのであります。
R.シュトラウスは、わたくしには合ってないのかなあ。
とはいえ。豪華絢爛という言葉がこれほどぴったりくる音楽は(ほかの曲も含めて)ないわけだから、妙な表題とかに惑わされずに聞いたら、これはこれでとても楽しめる。それになにしろカラヤン−ベルリンフィルは、どこを切っても上質の味がするって感じ。上質のクリームたっぷりのデコレーションケーキを食べている気分。
でも、お蕎麦とかうどんとかが好きな人には、ちょっと最初から最後までケーキ攻めでは、ねえ。
毎週のように中央図書館に行くようになりました。朝、時間があるときは難波から歩いていきます。25分くらい。いい運動になります。
毎週新しい本を借りる、ということではなく、目的はほとんどCDです。買うほどじゃないけど聞きたいCDっていうのがあって。そんなんじゃなくても、たまたま見つけたら、ちょっと聞いてみようかと思って借りてみる、ということを毎週やっていると、毎週新しい音楽に触れられるんですね。なんか、いままでになかった生活リズムかもしれません。
いつもお昼休みに、昼食のあとイヤホンで音楽を聴きつつ読書したり居眠りしたりするのですが、そんなわけで最近は毎日新しい音楽を聴いてます。こんな風になるなんて思ってなかったなあ。
で、表題。今日聞いたのは「恐怖の頭脳改革」。家にLPはあるんですけど、CDは持ってない。こういうのを借りてこれるというのは嬉しいなあ。
EL&Pの5作目。1973年の作かなあ。自身のレーベル「マンティコア」を設立、今まで以上に自由に、好き放題に音楽づくりができるようになった・・・・と思ったら、このアルバムの後ぱったりと新作が出なくなった。このアルバムはバンドとしてのピークを迎えて、意気も高く作り上げたELPの最高傑作だと思います。まさにピークだったので、そのあとがまったく続かなかったわけで。3人の個性のぶつかり合いのようなものがバンドの魅力だったのですが、3人のやりたいことがだんだんはっきりしてくると共に、バンドとしてのまとまりが崩れていく、その直前の張りつめた状態がそのまま演奏に出ているような気がするのは、その後のバンドの状態を知っているからだろうとは思いますが。
わたくしが初めてELPを聞いたアルバムでもあるので、思い入れもありまして、ついつい一生懸命聞いてしまいました。1曲目の「聖地エルサレム」から最後の「悪の教典#9」まで、一気ですなあ。LPでは「悪の教典#9」の第1楽章(こういう分け方、曲構成を考えるところからして、どういう音楽を目指していたかがわかるし、それを成し遂げてあとはやる気が無くなったのも分かる気がする)の途中で、A面からB面へと移ってしまう、つまり途中で曲がぶった切られていたのですが(B面にはいって、ボーカルが「Welcome back my friend」というのも、よく考えたらちょっとばかにしているかも)、CDではきれいにつながっていて、ああこういう風になるのか(ただつながっているだけなんだけど)と納得したのでした。
LPを買った当初はしょっちゅう聞いていましたが、もう何年も(10年以上?)聞いていないので、新鮮なところもありました。CDのりミックスの関係もあるのかなあ。いままで聞き逃していたようなフレーズがあったり、よく聞くとバックでムーグがちょろちょろと鳴ってたり。そういう発見が面白くて真剣に聞いてしまいました。
毎週新しい本を借りる、ということではなく、目的はほとんどCDです。買うほどじゃないけど聞きたいCDっていうのがあって。そんなんじゃなくても、たまたま見つけたら、ちょっと聞いてみようかと思って借りてみる、ということを毎週やっていると、毎週新しい音楽に触れられるんですね。なんか、いままでになかった生活リズムかもしれません。
いつもお昼休みに、昼食のあとイヤホンで音楽を聴きつつ読書したり居眠りしたりするのですが、そんなわけで最近は毎日新しい音楽を聴いてます。こんな風になるなんて思ってなかったなあ。
で、表題。今日聞いたのは「恐怖の頭脳改革」。家にLPはあるんですけど、CDは持ってない。こういうのを借りてこれるというのは嬉しいなあ。
EL&Pの5作目。1973年の作かなあ。自身のレーベル「マンティコア」を設立、今まで以上に自由に、好き放題に音楽づくりができるようになった・・・・と思ったら、このアルバムの後ぱったりと新作が出なくなった。このアルバムはバンドとしてのピークを迎えて、意気も高く作り上げたELPの最高傑作だと思います。まさにピークだったので、そのあとがまったく続かなかったわけで。3人の個性のぶつかり合いのようなものがバンドの魅力だったのですが、3人のやりたいことがだんだんはっきりしてくると共に、バンドとしてのまとまりが崩れていく、その直前の張りつめた状態がそのまま演奏に出ているような気がするのは、その後のバンドの状態を知っているからだろうとは思いますが。
わたくしが初めてELPを聞いたアルバムでもあるので、思い入れもありまして、ついつい一生懸命聞いてしまいました。1曲目の「聖地エルサレム」から最後の「悪の教典#9」まで、一気ですなあ。LPでは「悪の教典#9」の第1楽章(こういう分け方、曲構成を考えるところからして、どういう音楽を目指していたかがわかるし、それを成し遂げてあとはやる気が無くなったのも分かる気がする)の途中で、A面からB面へと移ってしまう、つまり途中で曲がぶった切られていたのですが(B面にはいって、ボーカルが「Welcome back my friend」というのも、よく考えたらちょっとばかにしているかも)、CDではきれいにつながっていて、ああこういう風になるのか(ただつながっているだけなんだけど)と納得したのでした。
LPを買った当初はしょっちゅう聞いていましたが、もう何年も(10年以上?)聞いていないので、新鮮なところもありました。CDのりミックスの関係もあるのかなあ。いままで聞き逃していたようなフレーズがあったり、よく聞くとバックでムーグがちょろちょろと鳴ってたり。そういう発見が面白くて真剣に聞いてしまいました。
初めて聞いたマーラーは、レコードで、バーンスタイン指揮の「巨人」だった(ニューヨークフィル)。以来、その演奏が自分の中でスタンダードになってしまったのだなあ。そのレコードは3枚組で、1枚目が「巨人」、2枚目、3枚目が「復活」だったのだ。当時はレコードが一枚2400円になろうかという時代で、マーラーがそろそろ流行り出した頃でもあった。しかしマーラーというと曲が長い。1枚に収まる曲の方が少ないくらいだ。そしてどういうわけかクラシックのレコードの場合、2枚組になったとしても割安になることはなかったのだな。これがポピュラーミュージックのレコードになると、2枚組になると3000 円とか3600円とかになるのに、クラシックの場合はしっかりと4000円とか、4800円とかになるのだ。
月々の小遣いがちょうどレコード1枚分、というような身にとっては、2枚組のクラシックレコードを買うのは勇気がいったのだ。そんななかで、なぜか「3枚組4600円」というレコードが売られていたのだな。それもシリーズで。ほかのものには目もくれず(ほしくても買えなかったけど)、とにかく買ったのがマーラーだったのだ。
そういう思い出話はともかくとして。
バーンスタインは晩年に、マーラーの交響曲の全曲録音に挑んでいた。それもいろんなオーケストラを振り分けて、ライブを中心として、というまことに贅沢なというか、こういう企画が許されるのはオレだけだろうという鼻息が聞こえてきそうなシリーズだった。
その全曲録音は、第8番を残して、バーンスタインはこの世を去ってしまった。出来上がっていたら、人生2度目の全曲録音という快挙やったのにねえ。
第1番「巨人」は、たしかFMでも演奏会の模様が放送されたはず。わたくしもエアチェックして、なんども聞き返した。
楽譜から音楽を再創造する、という以上のものをやってのけている。ゆっくりとすすむところは、止まりそうなくらいにゆっくりになっていって、あれれれ、どうなるの?どうなるの? とはらはらしてると、一気に爆発して、こんどはアクセルがいっぱいに踏まれてクライマックスに突き進む。なんてことを、何度も繰り返すので、聞いてる方は息切れしそうになるのだが、マーラーを聞いている限りは息切れするくらいがちょうどいいのだよ、わしには。
はっきりいって、恣意的、扇情的、情念の破裂、なんとでもいえそうなめちゃくちゃな、最高にドロドロしたマーラーが聞ける。そしてその指揮にぴったりと食いついて、まるで一つの楽器のように指揮者の意向を再現させてみせたオーケストラもすごい。どれだけリハーサルを積んだんやろう、と考えると、ちょっとかわいそうな気もするが(^◎^;)
月々の小遣いがちょうどレコード1枚分、というような身にとっては、2枚組のクラシックレコードを買うのは勇気がいったのだ。そんななかで、なぜか「3枚組4600円」というレコードが売られていたのだな。それもシリーズで。ほかのものには目もくれず(ほしくても買えなかったけど)、とにかく買ったのがマーラーだったのだ。
そういう思い出話はともかくとして。
バーンスタインは晩年に、マーラーの交響曲の全曲録音に挑んでいた。それもいろんなオーケストラを振り分けて、ライブを中心として、というまことに贅沢なというか、こういう企画が許されるのはオレだけだろうという鼻息が聞こえてきそうなシリーズだった。
その全曲録音は、第8番を残して、バーンスタインはこの世を去ってしまった。出来上がっていたら、人生2度目の全曲録音という快挙やったのにねえ。
第1番「巨人」は、たしかFMでも演奏会の模様が放送されたはず。わたくしもエアチェックして、なんども聞き返した。
楽譜から音楽を再創造する、という以上のものをやってのけている。ゆっくりとすすむところは、止まりそうなくらいにゆっくりになっていって、あれれれ、どうなるの?どうなるの? とはらはらしてると、一気に爆発して、こんどはアクセルがいっぱいに踏まれてクライマックスに突き進む。なんてことを、何度も繰り返すので、聞いてる方は息切れしそうになるのだが、マーラーを聞いている限りは息切れするくらいがちょうどいいのだよ、わしには。
はっきりいって、恣意的、扇情的、情念の破裂、なんとでもいえそうなめちゃくちゃな、最高にドロドロしたマーラーが聞ける。そしてその指揮にぴったりと食いついて、まるで一つの楽器のように指揮者の意向を再現させてみせたオーケストラもすごい。どれだけリハーサルを積んだんやろう、と考えると、ちょっとかわいそうな気もするが(^◎^;)